この春、僕が以前から待ちに待っていたニュースが入ってきました
『JR可部線、廃止部分の一部が復活開通した』
"廃止部分の一部ってどういう事?"というむきもあると思うので、本題へ入る前にまず、JR可部線の概要を簡単におさえておきたいと思います
可部線は、広島市の北西部を走る、JR西日本の路線です。
山陽線の横川駅(※広島駅の西2駅目)から分岐して、北西方向へ内陸部へ入っていくローカル線ですが、ほとんどの便が広島駅へ直通していて、実質の起終点は広島駅となっています
(※山陽線や呉線へ直通する便もあり)
可部線の終点は、今作テーマの延伸前までは可部駅でしたが、かつては約40km先、中国山地の山奥、三段峡駅まで延びていました
国鉄民営化の際も何とかそのまま持ちこたえたものの、途中の可部駅~三段峡駅間は、2003年に部分廃止されてしまいました
なぜ『部分廃止』になったのか・
それは、可部線の構造・沿線特有の事情に拠りました。
可部線は国鉄時代より可部までが電化、可部から奥の三段峡までは非電化(ディーゼル)でした。ここがミソです。
沿線状況も、可部までは広島市街地とつづく住宅地という事で人口が多いんですが、可部以遠は中国山地の山あいという事で人口も減り、JR西は『そこをバッサリ切ろう』と、非電化区間の全てを十把ひと絡げに廃止してしまったんです
この『電化区間と非電化区間が一路線にある』といえば、昨年冬の作「札幌弾丸ツアー」(16.2.10up vol.217)の札沼線と似ていますが、札沼線も今、非電化区間を廃止が問題になっていますように、電化区間と非電化区間で旅客数の差が大きく、JR西は民営化早々、可部以遠の非電化区間廃止を地元に通知しました
ただ可部線の場合、可部から奥の非電化区間に入ってもしばらくはそこそこ住宅も連なっているんです。なので廃止反対運動の際には『可部から数駅間は残す』という案も出ましたが、それだと廃止になる区間とならない区間の沿線自治体間で温度差が生じてしまい、反対運動自体が成り立たない危惧もあったため成案とならず、結局はJR提案の通り、非電化の全区間がバッサリ廃止されてしまいました・
しかし可部線には、廃止反対運動とは別に『可部から次の(旧)河戸駅までを電化しよう』という運動が以前からあり、廃止後その運動が発展する形で『可部~河戸間復活運動』へと進化
部分廃止時には、上記運動の成果もあり、同区間の線路敷はJRとの協定により、将来の復活に含みを持たせ残置されました。
可部~三段峡廃止後、地元では広島市やJRと地道な交渉を重ね、ついに一部復活で同意
今年(2017)3月、可部~あき亀山(※河戸駅を移転新設する形)駅間約1.6kmが、全国JRで前例のない『廃止路線復活』として再開業!全国初の快挙をなし遂げました
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可部線の概要を掴んだところで、出発です
やってきました、始発の↑広島駅です
これから、あき亀山駅まで全線乗車します
↑の新しげな電車は、現在広島地区で急速に増備されている新車・227系(※愛称:レッドウィング)です
この形式の新造により、広島管内に多く残る国鉄型電車が惜しくも淘汰される予定です
車内は京阪神の快速用車両とほぼ同じで、セルフ転換クロスシートで補助席も付いています
冒頭記述の通り可部線は横川駅からですが、運転系統は山陽線広島発となっています。まず1駅目は一昨年開業したばかりの新駅・新白島駅に停車。広島新交通・アストラムラインとの接続駅です。
そして次に横川駅へ進入、北へ分岐して可部線へ入ってゆきます
(↑※左側に見えている高架は、山陽新幹線)
ここから可部線に入ってゆきます
横川駅を出ると、山陽線と分れて右へ大きくカーブ、↑太田川の鉄橋を渡ります
可部線に入って最初の途中駅、↑三滝駅停車。
ホームのむこうに見えるのは太田川で、ホームから眺めのいい駅です^
可部線のホーム有効長は最大4両編成までしか入りません。
しかも単線ですが、ほとんどの駅に離合線があり、毎時3~4本程度までの運行は可能です
広島を出る時ほぼ満席でしたが、途中駅で次々と降りていく乗客、典型的な都市近郊路線です
横川から可部まで、ホント住宅地の中で、線路際まで家がビッシリです
昼間約20分毎の運転で、途中何度も対向車と離合します
可部線は戦前私鉄として開業、何度か所有会社が変わったのち国有化されました。戦前当時(※国有化以前)から可部までは電化されており、電気鉄道として古い歴史を持ちます
梅林駅付近では国道54号と並走。R54は陰陽連絡国道のひとつで、最終的に島根県松江市に通じています
梅林駅到着。この駅も離合可能です。
この梅林駅ですが、帰途にもう一度途中下車し、"ある痕跡"をみていきます。
可部が近づいてきました。
↑もう一度太田川を渡ると、中国山地の緑が近くなります
広島駅から約40分、電、つい先般まで”終点”だった可部駅に着きました。
いよいよこれから延伸区間です^^
(※可部駅は、復路で下車して紹介します)
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可部駅発車!いよいよ今回の延伸区間です^
電車は、真新しい線路が敷かれた新線へ入ってゆきます^
可部~あき亀山の中間に、↑新設された新駅・河戸帆待川駅(※離合設備なし)
この駅名・"帆待川"の由来ですが、太古はこのあたりまで海だったとの事で、なんと神武天皇がこの地に立寄ったとの伝承(?)もあるとの事です。『舟の帆を巻いて神武天皇を待つ』との意だとの説もあります(※もはや神話の世界ですが^)
そして~
↑終点、あき亀山駅が見えてきましたが・
なんか予想外に、線路の本数が多い!沢山のポイントから分岐していきます
これは予想外でした。ホーム線2本のほか、3本もの留置線が設けられていました
・この留置線が設置された理由は、元々は可部駅にあった深夜~早朝にかけて始発電車数本を泊めておくための留置線を、あき亀山へ移設したものです。可部駅が中間駅となったため、当然あき亀山駅へ持っていったという訳です
(※可部線には同線専用の電車区は無く、レッドウィングは山陽線や呉線との共通運用です)
全国初の『廃止線復活の終着駅』!
あき亀山駅到着です^
でも、一般客のほとんどは可部で下車、あき亀山に降り立ったのは10人程でした
延伸と同時にここへ市民病院が移転してくるという計画があったんですが、2017現在議会からストップがかかっているそうで、まだ想定の乗客数になっていないとの事。
当別荘でよく登場する、僕のすきな"終端駅"ですが、いつものような”哀愁漂う”という雰囲気wでなく、真新しい線路と真新しい電車には地元の喜びが感じられました^
自動改札は簡易式(※ICOCA広島エリア)、無人駅です
・ちなみに、なぜ"安芸亀山駅"でなく"あき亀山駅"なのか?は、ちゃんと理由があって、廃止区間の旧可部線にはここと違う地域に"安芸亀山駅"がかつてあり、新設なった↑駅と区別するためだそうです
(※あき亀山駅は、旧河戸駅の代替という位置付けです)
駅前には小さなロータリーがありましたが、ここから出る路線バスは2017現在無く、タクシーベイにタクシーの姿も無し(※バスは可部駅から)
なんせまだ開業直後なので、周辺の整備はまだまだこれからの駅です。
駅周辺を少し歩いてみます
山裾に住宅地が広がっているという地域です
↑の標識が無ければ、ここが駅前だとはわかりません^
山すそに沿ってしばらく歩くと、↑"旧河戸駅"の看板が・
お~
ちょっとした広場があり、そこに旧河戸駅の駅名標と待合ベンチを移設していました
これは予備知識無し、歩いてこそ得られた発見でした^
再び坂道を下って駅へ戻るとき、降りた直後には気付かなかった発見をしました。
それは~↓
あき亀山駅近くからさらに奥へ向かって、廃線跡が残っていたんです
区間廃止から既に10年以上、沿線自治体の様々な思惑から可部線の廃線跡は比較的長期間存置されている区間が多いそうですが、徐々に撤去もすすんでいるそうです。
"さらに奥への復活を"という運動もあるそうですが、僕の印象ではあき亀山駅以遠への再延伸はなかなか難しい面もあるかと思います・
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この後は折返して、復路、広島駅へと戻っていきますが・
往路は、広島→あき亀山間をザッと乗り通しましたが、復路は前述の通り、可部/梅林の2駅に途中下車し、両駅周辺をご覧頂きます。
まずは、可部駅に降りてみます
終点駅当時に使われていた終端線が、↑撤去された跡がわかります。
延伸開業に伴う掲示やポスターが、可部駅内に多数見受けられます
駅舎は、旧国鉄時代からの駅がある東口と、バスターミナルがある西口があり、改札外の跨線橋で繋がっています
↑は西口側のバスターミナルですが、広電・広交・JRバスの3社が乗入れるかなり大規模なもので、廃止区間の加計・三段峡へ行くバスもここから出ています
これから、↑駅に置いてたパンフを頼りに”可部プチ街ブラ”をしてみたいと思います^
可部の街には"古い街並"とまでは言えないものの、ポツポツと戦前からとおぼしき建物が残っていて、原爆でほとんどの建物が焼き尽くされた広島に於いて貴重な光景だと思います。
東口駅前から、↑かつて旧街道だったという旧道へ
西口側に走る国道54号の抜け道になっていて、狭いわりにけっこう通行量あります
早速神社がありました。"明神社"とあります。
原爆で焼き尽されたため神社をほとんど見ない市内中心部とは、また違った光景がある可部です。
その明神社の向かいの公園にあった、↑鉄の燈篭。
現地看板によると、可部はその昔"鋳物の街"だったそうで、この燈篭は、1808年に当地の鋳物師の手になるものだそうです
(※広島市指定文化財)
また、可部は鉄道開通以前から陰陽連絡(←当別荘常用ワード^)の要衝として栄えたそうで、その名残か、通り沿いに旅館が数軒ありました
広島市中心部にはほとんど無い、江戸~明治期の家並が残る一角。
その可部の街からすぐには、↑太田川が流れています。
この大河が創り出した地勢で、可部は古来より陰陽連絡の要衝として栄え、戦前から電気鉄道が敷かれました
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次の立寄駅は・
2駅目は、可部駅から広島へ3駅戻った梅林(ばいりん)駅です
なぜこの駅で途中下車したのかですが、2014年夏、ここは激しい集中豪雨に襲われて甚大な被害が出た場所です(※平成26年8月広島豪雨)。その爪痕が3年を経た今なお残るという事で、災害の教訓を忘れず復興を応援する為、あえて歩きます。
駅から山すその方向へ歩きます。
(※これより後、豪雨被害の写真が出てきます。不適当だと思われるかたはここで読むのをおやめ下さい)
2014年8月20日未明、広島市を襲った短時間豪雨により住宅地のすぐ背後の山から多数の土石流が安佐北区・安佐南区で集中して発生、数千もの家屋が被害をうけ、発生が夜中だったため避難も困難で、70名余のかたが亡くなられた大災害となりました。
可部線に乗ればわかりますが、線路から住宅地を挟み、すぐそこまで山が迫っている地域です。
土石流は可部線にまで到達し、10日余に亘って不通になったそうです。
その中でも最も被害が大きかったのが、梅林駅~上八木駅間の安佐北区・八木地区でした。↑写真の通り、山から真っ直ぐに道路が走っています。ここを土石流が通過しました。
山裾に近づくにつれ、被害の跡があちこちに確認できます。
更地も多くなってきます。
山のすぐそばは現在も対策工事中で立入禁止でした。
工事の状況は動画サイトでも見られるとの事。
そんな中、一棟の団地に目が止まりました。
かなり衝撃的な写真ですが、豪雨の被害を伝えるため掲載します。
↑4階建ての団地ですが、土石流が直撃し、1階部分は完全に破壊されていると思われます。1階の窓には目張りがされています。
ご覧のように、激しく土砂がぶつかってきた泥の跡が現在も生々しく残っています。
この団地を撮影していると、その向かいの住宅から、男の人が僕を呼んでいます。
「おい、他にも写真沢山あるから見ていかんか?」
少し驚きましたが、ご厚意に甘えておじゃまする事にしました。
定年を迎えられたと思われる60代位にお見受けするご主人に招き入れられたのは、お宅の軒先にビニールで囲ったスベースで、椅子やストーブ・ラジオ等がおいてあり、ご近所のかたとのコミュニケーションに使っておられるとの事。
このスペースで当時ご主人が撮影された被害現場の写真を見せて頂きながら、当時の生々しいお話しを伺いました。
お話しによると、当日の夜中、とにかく物凄い雨と雷鳴が響き、また聞いたことのないような音や、なんともいえない泥の匂い等がしてきたそうです。ただならぬ気配を感じたご主人と息子さんは、家のガレージに停めてあった車を他の場所に移動させたそうです。その直後に土石流が横の道路に流入、しかし当時から設えてあったこの軒先談話スペースが建物と土石流との緩衝材となり、この家屋は被害を免れたという事です。
災害後、御主人はこの談話スペースやガレージをボランティアのかたの活動拠点に提供され、沢山の方がここで休憩されたといいます(※その当時のお写真も見せてもらいました)
先程の、1階が甚大な被害をうけていた団地の建物は、山口銀行の寮だったとの事。老朽化のため既に使われていなかったそうで、災害時には無人だったため、あの建物での人的被害は無かったそうです。
まさか直接現地の方のお話しが聞けるとは思いませんでした、心に刻まれた貴重な機会でした。又、このご主人のお人柄にも感じ入るものがありました。おまけにコーヒーとおもちまで頂きました(感謝)
↑おじゃましたお宅の山側です。山から一直線に道が通じているのがわかります。ここを土石流が一気に走り抜けました。
↑線路側です。まだまだ人間は、大自然の力には勝てません。
一昨年のツーリング納めでは、同じく水害被害に遭った茨城・常総市も訪ねましたが(15.12.18up vol.213)、災害の記憶ってどうしても時間とともに風化してしまいます。忘れずに今後の教訓としたいものだと思います。
再び梅林駅へ戻るともう夕方、↑国鉄型が乗入れているのに出会いました^(※2017当時、朝夕のみ旧型車も乗入れ)
可部線はつい近年までは、東日本の南武線や東海の飯田線と同様、東京や大阪で使われた中古車を集めた"動く博物館"の様相だったんですが、これまでご覧の通りレッドウィング投入で一変しました
広島駅まで戻ってきました
夕方のラッシュが始まっています
広島駅、前回三江線の時に来て以来3年ぶり位ですが、リニューアルされて様変わりしていました。
レッドウィング置き換えもJR西にしては急速にすすめており、↑のような国鉄型が居並ぶ光景も近々見納めです・
わずか2kmとはいえ、全国初の"廃線復活"を成し遂げた広島、心からお祝い申し上げるとともに、この事例が今後全国へ広がる事を願うばかりです
ここでゴールです
この後は路面電車で繁華街へ、食事もしていろんな事もして、鯉城の一夜を過ごしたいと思います^
(※2023.7 文一部修正)