「対話」の可能性を探る~ミライティーチャー企画 丸岡講座のふり返り~ | まるしん先生の教育&実践研究ふんとう記

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#学級経営#子どもが学ぶ授業学級(銅像教育)#はじめての先生#道徳 #道徳授業 #道徳教育 について日々実践&研究中です。単著・編著20冊、日本道徳教育学会会員、日本道徳教育方法学会員、関西道徳教育研修会 代表

おはようございます。

本日も3月19日(日)に実施した

ミライティーチャー講座

についてふり返ってみようと思います。

 

本日は、岩渕先生の講座前に実施した

丸岡の講座についてです。

 

 

 

私の講座のテーマは

対話の可能性を探る

といったようなものでした。

 

 

今回の発表で参考にした論文はこちらです。

『教育の原理としての「対話」について』寺下(2016)

 

 

まず、参加の方に「対話とは何か?」といった問いを投げかけてみました。

「相手と会話をすること」

「自分自身の中で対話することも含まれると思う」

など、いろいろとご意見をいただきました。

 

そこから、丸岡の捉える「対話」について解説をしていきました。

 

まずはアリストテレス(前384年 - 前322年)の言葉を紹介します。

「真の知や真理は、外部から与えられるのではなく、人間の内部から生み出される」

つまり、アリストテレスは、必要な答えはその人の中にあると設定し、その人から答えが生まれることを心から信じたのです。

 

この立場は、今回岩渕先生が解説してくれたコーチングの理論と全く同じです。コーチングもアリストテレスも「大切な答えは相手の中にある」と心から信じることから始まります。

 

次に、ニーチェ(1844-1900)の言葉を引用します。

一人はいつでも不正をもち、二人とともに真理が始まる

 

ヴィゴツキー(1896-1934)は「独り言」を自分自身に向かって語りかける言語、つまり「内言」と名付けました。

 

内言の大切さはすでに私たちが知っていることではありますが、同時に「一人で考えるにも限界がある」ことも承知のことです。

 

そこで、ニーチェの言うとおり「二人とともに」という活動が必要になってきます。私たちは、一人で考えてもなかなか突破できないことも、二人で考えることで新たな気づきや発見を得て解決できることを知っています。

 

そこに「対話」の意味があるのだと私は思います。

 

次の登場してもらったのはボルノー(1903-1991)です。ボルノーは次のように言いました。

 

対話において究極的な心理は人間が人間となる(werden)対話を通して、人間の共存存在(Miteinandersein)の中にあるとした。

 

対話は、やはり人間の中に存在し、人間の中で行われるものであるという根源的なことについて言及したのです。

 

このような「対話」の特質について紹介させていただいてから

 

「対話」を目指すためのスキル

 

 

 

「対話」を中心においた道徳授業の在り方

 

 

ついて、それぞれ解説させていただきました。

(それぞれの内容はブログの記事通り)

 

20分という時間の中で

なぜ対話が必要なのか

どのようにすれば対話を実現させられるか

対話を活用した道徳授業とは何か

ついて、お話をさせていただきました。

 

 

 

 

今回のお話が、何かのお役に立てればなという思いで語りました。何かの参考になればうれしいです。

 

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