まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ - -6ページ目

「家庭教育」と言う時の「家庭」は主語か目的語か?

「家庭教育」と言う時の「家庭」は、当然「主語」だと思っていた。
つまり、それは、「学校教育」とセットになることばで、
「家庭による子どもに対する教育」という意味である、と。
「学校教育」が、「学校による子どもに対する教育」という意味であるのと同じように。

ところが、「家庭教育」を「家庭に対する教育」の意味で使う場合があるようなのだ。
その場合、家庭は「主語」ではなく、「目的語」となる。


↓に引用したのは、今日の、橋下番の朝日新聞記者のツイート
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朝日新聞・橋下番 ‏ @asahi_hb
そもそも、家庭教育支援条例案の根底にある考え方はどこから来たのか。発達障害や児童虐待、引きこもり、不登校などの要因には、伝統的な子育ての文化が失われたからだと主張し、国や行政による家庭教育(保護者への教育)の必要性を説く「親学」という考え方が背景にあります。
5/7 16:49
*****

「家庭教育」を「保護者への教育」の意味で使うことがあるのですね??
こういう用法があるのなら、「学校教育」に「保護者や市民による学校教職員への教育」の意味があっていいはずです。


ともあれ、PTA問題には、「保護者を教育してやろう」とする教育関係者の意識が関与していることは間違いないと思っている。

朝日新聞の橋下番氏によると、橋下大阪市長もそのような「お上意識」に対してははっきりと否定的であるようだ。我が意を得たり、です。

*****
朝日新聞・橋下番 ‏ @asahi_hb
橋下氏「(仮に)僕が市民の側に立った場合には『うるせーこの野郎、大きなお世話だ』と多分言うんじゃないかな」「僕はそういう条例は作りません」。橋下氏の言葉は以上です。一方、国会では4月に「親学推進議員連盟」が発足し、今回の条例案に似た家庭教育支援法の制定をめざしています。
5/7 17:23
*****

この4月に発足した「親学推進議員連盟」の動向には注目です。
家庭を教育の「目的語」とする動きには今後も注意していきたいと思います。


ちなみに、
*****
親学推進議連は、安倍元首相が会長、民主の鳩山元首相、公明の山口代表もメンバーに加わっています。
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とのこと(出典、同上)。


論文「日本語の構文的特徴から見えてくるもの ― 『主体・客体』と『自分・相手』 ―」

「日本語の構文的特徴から見えてくるもの ― 『主体・客体』と『自分・相手』 ―」というタイトルの論文を勤め先の紀要に書きました。

こちら← で読めます。

アウトラインは次のようなものです。

*****

日本語の「文」の成り立ちを見てみると、主語と目的語が頻繁に省略されたり、自動詞構文や自発構文(「結婚することになりました」)が好まれたりと、英語などと比較して、「主語と目的語」、すなわち【主体と客体】の存在感が薄い。これは、日本語における省略的側面(凹的側面)ということができる。

いっぽう、日本語においては、敬語や人称詞、授受表現、終助詞、あいづち等の【自分と相手】との関係性を反映する表現が多々存在し、「文」成立の上で非常に重要な役割を果たしている。
これらの表現は英語などには存在しないか、たとえ存在したとしても日本語におけるよりずっと存在感が薄いものなので、これらの表現は、日本語における付加的側面(凸的側面)といえる。

日本語の「文」の成り立ち方から垣間見られるのは、事態を成り立たせる「主体」を析出し出来事を分析的・客観的にとらえようとする志向は弱く、いっぽうで「相手」との関係性には並々ならぬ関心を抱く日本人の心の傾向である。

こうして日本語の構文的特徴を押さえてみると、日本は典型的な「恥の文化」の国だとするルース・ベネディクトの指摘(『菊と刀』)が改めて真剣な反省の対象として浮かび上がってくる。

******

※この論文の内容は、昨年の夏、小平市の手話を学ぶ方々にお話しした内容(於:小平市社会福祉会館)と大きく重なるものです。
拙エントリ:「小平手話サークル主催講演会と小平市手話通訳者養成講習会にて」


海老名市教委に情報提供とPTA正常化に向けての申し入れ

現役の保護者さんから寄せられた声(前エントリ、コメント8以降)は非常に深刻な問題をはらむと思われたので、海老名市教委に問いかけてみた。

教委代表番号に電話し、海老名市のPTA運営のあり方についてある程度責任ある回答のできる方を出してほしいとお願いした。

教育指導課児童育成係のS係長(女性)が対応してくれた。
S係長は、PTAが任意団体であり、できる人ができる時にやれる範囲のことをするべきものであることを十分に認識されていた。
また、PTA問題が今社会的に大きくクローズアップされ、いくつかのところで従来のあり方が変わり始めていることもご存知のようだった。
お子様のケースや妊婦さんのケースについては非常に問題であり、そのような問題のケースがあったことを知ることができてよかったとも述べられた。

当方からは「海老名市では、依然、入会の強制と役職の強要がまかり通っているようだが、新聞報道や文科省の動き、他市の動きもぜひ参考にし改善してほしい。」とお願いした。その際には、『素晴らしいPTAと修羅場らしいPTA』中の「素晴らしい、PTAハンドブック・規約などのページ」に資料がそろっているのでぜひ参考にしてほしいとも。


近隣の横浜市や千葉市などにおける入退会自由に向けての動きなどを参考にして、まずは、海老名市教委において、入会の強制や役職の強要がどうなっているのかできるだけ早く実態を調査し、その上でどうすべきなのかぜひご検討いただきたいと申し上げた。
(校長に対して、PTAは入退会自由の団体であることを保護者に周知するよう指導している横浜市教委のケース等紹介)

上司とも相談のうえ返答したいとのこと。
ゴールデンウィーク明けに改めてお話しをさせてもらうことになった。



PTA問題の実際的解決に向けて ― 保護者を追い詰めているものは何なのか?

<「現実」を直視せよとの指摘を受けて…>
PTAが任意加入の団体であることは、新聞やテレビで大きく取り上げられたり、横浜市や千葉市等においても任意加入であることをはっきりと保護者に示す動きが出てきたりで、一定の決着がつき、周知もされてきたと言える。
ちなみに、4/3(火)にもPTA問題が読売テレビで大きく取り上げられたことを「とまて日記」のとまてさんが紹介してくれています。
こちら←ポチしてください。


しかし、先日、こんなことがあった。
「調布の子育て掲示板」というサイトでPTAのあり方が取り上げられ大変な盛況となっていた。春休みということもあり私も参加していたところ、次のような趣旨の反応が返ってきたのだ。

「お前の言っていることは筋は通っている。でも、ふつうの保護者にとっての『現実』や『感情』の問題に目が届いていない。そこを何とかしなければPTAの問題は何にも解決しない。」
(2012/03/28(水)からはじまる「Title: PTA加入は各自の自由(報告)です」というスレの後半あたりの複数のレスの内容を要約。
http://www.play21.jp/board/formz.cgi?id=kosodate&page=&all=yes#11320)

そのような反応に対しては自分がこれまで実践してきたことを説明したりして、理屈だけをこねているわけではないと抗弁したものの、何か引っかかるものがあった。
ところが、その数日後、ある人から貴重なヒントをもらった。

最近書いたPTA関係の論文を読んでくれたある同僚の先生(女性)が次のようなコメントを口頭で寄せてくれたのだ。

その先生曰く、
「PTAが任意加入であるべきなのにそうなっていないのは問題だというのはよくわかった。だけど、PTAでやらなくてはいけない仕事があるとしたら、会員の親が非会員の親に対して『非会員の子どもに関わることまで自分たちはやっているのに・・』と釈然としない思いを持つのは仕方がないのではないか?」

そのコメントをもらい、
「だから、先生、『PTAでやらなくてはいけない仕事』なんて一つもないのですよ。やりたくなければ何にもやらなくたっていいのです。何と言ってもPTAはボランティアなのですから。」
と言いかけて、「あっ」と思った。
その数日前に調布の子育て掲示板で指摘された「保護者の置かれている『現実』と『感情』に目を向けてみよ」との指摘が思い出されたのだ。

考えてみれば、今年度においても、ごく普通の保護者にとって「PTAに入らない」という選択は極めて取りにくいといえる。そして、入ったら入ったで、執行部から仕事の「分担」を求められ、それを断るのもこれまた極めて難しいというのが大方の現実と言って差し支えないだろう。
つまり、残念ながら現実問題としては、ほとんどの親にとってPTAは「任意加入」にはなっていないし、PTAの仕事をするかしないのかも「任意」にはなっていない。

PTAの仕事は、今も、おかしなことではあるのだが、やらなくてはいけないことになってしまっているのだ。
この「現実」を直視する必要がある。

現状では、ほとんどすべてのPTAにおいて、やらなくてはいけない仕事がすでに決まっており、それをだれが分担するかだけが問われる。
そうなると、分担する保護者の数が減ればそれだけ残った人の負担は増える。
そのような「現実」の中に置かれている保護者が、「あなたたちの子どものためにもわたしたちは働いているのにあなたが何もしないのはずるい!」と思ったとしてもそれはやむを得ないとも言える・・。


<諸悪の根源としての「活動のノルマ化」>
だから、問題は、「やらなくてはいけない仕事があらかじめ決まってしまっている」というところにあるように思う。

「こういうことをやりたい。」、「こういうことならできる。」というひとりひとりの会員の意向がまずあって、それに合わせてPTAの仕事が構成されるのではなく、実態としては、あらかじめやるべき仕事が決まってしまっており、ひとりひとりの会員は、その仕事を消化するための「頭数」として扱われているのだ。

では、どうすればいいのか。
「活動のノルマ化」を排して、会員がやりたいこと、やってもいいこと、やる意義を感じたことをあくまでも自分たちのペースでできるようになれば、PTA活動をしない保護者への不満も出てこないはずである。
PTA活動が「やらなくてはならなくなっている」現状において、「ただ乗り論」はロジックのレベルはともかくも、感情のレベルにおいては無視しがたい。
この不公平感を解消するためには、PTA内部における「活動のノルマ化」を解消する必要がある。
ここが解決しないと、入退会の真の自由の実現も難しいと思われる。


<「活動のノルマ化」をもたらしているものとは?>
では、本来本人の自由意思によりなされるべき活動が、なぜ強制的な「おつとめ」になってしまっているのか。
PTA活動のボランティア化の実現を阻んでいるものは何なのか。

これからしばらく、「活動のノルマ化」を解消するにはどうすればいいのか?
何が「活動のボランティア化」を阻んでいるのか?を、できるだけ「現実」と「感情」に則しつつ考えていければと思っている。


(おわりに)
このエントリで述べたことは、年末の仙台における教育課題研究発表会の休憩時間の折、朝日新聞の堀内記者から出された「『非会員ただ乗り論』をどう乗り越えていけばいいのか?」との問題提起に刺激を受けてのものでもあります。

「非会員ただ乗り論」は、
「PTAは会員の子どものための組織ではない」
「子どもはみんな非会員である」
というロジックによって私の中ではすでに「解決済み」の問題でしたが、その堀内さんの問題提起は「ただ乗り論」が実はまだ解決されてはいないのでは…と思い直すきっかけになりました。

横浜におけるPTA会費徴収 24年度より適切化の動き!


2月の上旬、以前から私が問題提起をしている川島小学校のホームページを久しぶりに見てみた。
新年度の保護者向け説明ではPTA会費の徴収に関して改善がなされているかもしれないと期待してのことである。
ところが、ネットで公開されている、24年度新入生保護者向け参考用文書を見る限り残念ながら何も変わっていなかった。
(その文書は現在、削除されている)

そこで、横浜市の広聴制度「市民の声」に次のような投稿をした。

*****
学校納入金の徴収方法に問題があります

川島小学校のホームページには、平成23年度新入生の保護者宛の「入学のしおり」が掲載されています。
そこにある「学校納入金について」という文書では、PTA会費を支払わないケースについての言及が一切なく、PTA会費の支払いは給食費等と同様に義務であるとの誤解を保護者に対して与えかねません。

次年度の保護者宛て文書においては、PTA会費の支払いは任意であることの明示と、PTA会費を支払わない場合の「納入額」の具体的な提示を求めます。

川島小学校と同様の方式の学校があった場合、同様の処置を求めます。

保護者に対して誤解を与えない、透明で公正な学校事務を行っていただけますよう要望いたします。
*****


そして、2月28日付の回答が「市民の声」に載った。

<回答>
PTAは任意団体であり、入退会も自由です。この点については、校長会等を通じて、学校説明会等で保護者に周知するよう学校長へ説明しています。

ご指摘のあった学校に確認しましたところ、入学当初にPTAの活動について保護者に説明し、ご理解いただいた上で入会していただいており、その上で、学校はPTAから委任されPTA会費の納入事務を行っているとのことです。

PTAは、子どもたちの幸せを願い、保護者と教職員が対等の立場で、子どもたちの健やかな成長を共に支えあう活動ですので、今後とも、ご理解、ご協力くださいますようお願いいたします。

<問合せ先>
教育委員会事務局総務部生涯学習文化財課
電話:***** FAX:*****
http://cgi.city.yokohama.jp/shimin/kouchou/search/data/23006334.html


回答の中段にご注目いただきたい。
具体的にどのような内容を指しているのか分かりにくいので、今月の2日に「問合せ先」の生涯学習文化財課に電話して聞いてみた。
PTA担当のSさんが対応してくれた。

まず、以下の3点につき、たずねた。

① 「入学当初にPTAの活動について保護者に説明し、ご理解いただいた上で入会していただいており」とあるが、「保護者に説明し、保護者の理解をいただいている」の「主語」は何か?

② 「保護者に説明し」とは、具体的にどのような説明をしているのか?

③ 「保護者の理解をいただいている」とは、具体的にどのようなことをしているのか?


① については、「学校とPTAである」との回答だった。

② については、「今回の回答にもあるように、校長会等を通じて、PTAは任意団体であり、入退会も自由であることを学校説明会等で保護者に周知するよう学校長へ説明しているので、それにそった説明がなされるものと理解している」との回答。

③ の質問については、Sさんは絶句し「なんでそんな細かいことまで…」と言われてしまったので、「回答にある『説明と理解』とはインフォームドコンセントのことだと言えるが、その場合、相手が真に理解・同意できたかどうかの確認は当然きちんとなされるべきで、そこがいい加減になされるなら、従来通り、実質的には自動的・強制的な加入になってしまうから。」と質問の意図を説明した。

この点については、T主任指導主事が代わりに電話に出てきて説明してくれた。
いわく、「2月に意見をもらった段階で、川島小学校の校長先生からはこの件について報告を出してもらうことになっている。 保護者に向けてどのような説明がなされ、どのように理解が得られたかはそれを見ればわかると思う」と。
その報告書は、新学期になってしばらくすれば出てくるはずだとのことであった。
その報告書を待ちたいと思う。


もう一点、そもそも私が投稿で問題にした、学校納入金の支払いを保護者に求める文書の書き方の問題(PTA会費の支払いが給食費と同様に義務だと誤認させる書き方になってしまっている点)については、「回答」の中で何も答えていただいていない点に触れると、それについては、学事支援課の方で今回新たな対応を行っていて、当方が問題に感じている点は解決するはずだと言う(Sさん)。

そこで、以前に何度かお話しさせていただいている学事支援課のK係長に問い合わせることになった。
すると、嬉しいことに、今回、学校事務に関わる「手引き」を改定することになり、その際に、当方が前から問題にしてきた「PTA会費の支払いを給食費等と同様に義務だと誤認させてしまう問題」を解決すべく、学校納入金の支払いを保護者に要請する際の文書のサンプルに変更を加えたと言うのだ。

具体的には、

PTA会費についてはPTA会員のご家庭から徴収させていただいています。

との一文を入れたとのこと。
(なお「手引き」は4月2日の時点では決済が降りておらず、でも4月5日の入学式には間に合うべく頑張っているとのこと。「もっと早くできなかったのですかね。」と言うと、学校納入金を保護者に納めてもらうのは5月に入ってからだと思うから何とか間に合うのでは…と。)

これは大きな前進と言える。
当方の全くの想像にすぎないが、抵抗する動きもあったかもしれない中で、適正化を進めていただいたこと、本当にありがたく思う。

この手引きが無事発行されたならば、PTAの任意加入の大きな妨げになってきた「学校による教材費等との有無を言わせぬ抱き合わせ徴収」が改められることになる。

日本最大の市区町村である横浜市におけるPTA会費徴収の適正化は、全国規模の適正化につながることが期待される。


なお、ほぼ一年前のK係長とのこの問題をめぐるやりとりは、拙エントリ「神奈川県教委による、文科省発「事務連絡」の処理」中のコメント35に紹介してあります。


<追記その1>(2012.4.5)
横浜市(誤り)→(正しくは)「厚木市」緑ヶ丘小学校のホームページには、「緑ケ丘小学校へ入学する方へ」というコーナーがあり、その中に、「給食費・PTA会費の自動支払いについて」というタイトルのついた項目があり、以下のような説明が書かれている(2012.4.5確認)。
(2012.6.8訂正)

*****
給食費・PTA会費の自動支払いについて

給食費とPTA会費は,横浜銀行の口座からの自動引き落としになっています。
給食費は月額3,700円、PTA会費は月額200円を6月に一括で集金します。(200円×12+保険100円=3700円)
銀行からの引き落とし日は、毎月5日。1回の引き落としには52円の手数料がかかります。
*****

なお、↑の文書は、今日、緑ヶ丘小学校のHPで見つけたものである。
以前他の学校でも同様の説明がされているのを見たことがある。
それらが今後どのように変わっていくのか確認していきたいと思っています。


・・で、ちょっと試しに検索してみたら、24年度からの「給食費の公費化」を踏まえての学校納入金の案内を見つけた。(横浜市立茅ケ崎東小学校の例)

「給食費の公費化に伴う、学納金の手続きについて」←ポチしてください。

しかし、PTA会費の支払いが任意であることは全く出ていない。
(2012.6.8追記)
今の時点で確認すると、PTA会費を支払うのは「会員のみ」であると明記されている!
私が見落としていたのか、私が以前に確認した後に修正されたのか近く確認してみたいと思っています。


(2012.7.9追記)
学校に確認を入れたところ、5月の連休に入る前後に、学校の内部で話し合い、「そうしたほうがいいね」となり、「PTA会員のみ」との注記を入れることにしたとのこと。
準公金マニュアルの改訂等がきっかけになったとのことでした。
(以上、副校長先生に確認)


<追記その2>(2012.4.6)
「説明と同意」(インフォームドコンセント)については、拙エントリ「文法的観点から見た「主体」に対する意識の希薄さ ― PTA問題の底流にあるもの(4)」(2011.01.03)における、本文末尾の「つぶやき」と、それを受けてのコメント1~3をぜひご参照ください。


<追記その3>(2012.4.27)
横浜市教委学事支援第二課に、4月上旬発行予定とのことだった「準公金マニュアル」は出たか確認したところ、「確かに、出ました。」とのこと。「PTA会費は会員から徴収するものです」との注意書きも入ったか尋ねると「それも入っています。」、とのこと。
「もしや…」とちょっと心配もしていたので、よかったよかった、です。
いずれ、現物を見てみたいと思っています。
※「準公金マニュアル」についてはコメント41参照。

「日本型PTAに認められる問題点 ―ないがしろにされる『主体性』―」『世間の学』VOL.2

PTAをテーマとした論文、「日本型PTAに認められる問題点 ―ないがしろにされる『主体性』―」が日本世間学会の学会誌『世間の学』VOL.2に掲載されました。

以下のAmazonのサイトで、書影と目次(収録論文のタイトル)を見ることができます。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4905160022/ref=dp_toc?ie=UTF8&n=465392

ちなみに、『世間の学』VOL.1については、こちら。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4905160014/ref=dp_toc?ie=UTF8&n=465392


主張の大筋は拙ブログでこれまで取り上げてきたことと変わらず、目新しい論点があるわけではありませんが、日本型のPTAのどういうところに問題があるのか。その現象面と背景をまとめてみました。


目次は以下の通りです。

*****
0.はじめに
0.1 中学校の保護者時代におけるPTA問題との遭遇
0.2 PTA問題解決に向けての個人的な歩み

1.日本型PTAにおける問題点
1.1 「承認」されている自動的・強制的入会
1.1.1 日Pのスタンス
1.1.2 「単P」のスタンス
1.1.3 教委のスタンス

1.2役職の強要

1.3役職の負担

2.改革への動きとその停滞
2.1 改革への機運と正常化への動き

2.2 改革の足踏み

3.現時点において懸念されること
3.1「タテマエとしての任意加入体制」の推進

3.2非協力的な親との烙印

4.ないがしろにされる主体性
4.1 教育行政側の問題

4.2 保護者の側の問題

4.3 問題の背景

おわりに
― 「個人と社会」への萌芽
*****


(注)の最後のところに、

***
この国における「主体性」の扱われ方を考える時、日本語に認められる「主体性」の希薄さを無視することはできない。これについては、鈴木孝夫氏、木村敏氏、池上嘉彦氏等の指摘がある。この問題については、稿を改めて論じる予定である。
***

と述べました。

来年度の『世間の学』では、ぜひこの問題を論じてみたいと思っています。

日本人にとって、「主体」とはどういう存在なのか。
PTA問題とは、けっして例外的かつ表層的な底の浅い問題ではなく、我々の「存在のあり方」と深く関わる問題だと思うのです。

川端裕人氏小金井講演補足篇(+最近思うこと)


川端さんの講演には少しわき道に入ったお話の中にも興味深い話があったので、紹介させてもらいます。

<非入会選択の事情>
お子さんが中学に進んだときに川端氏は非入会の道を選択されたわけだが、今回の講演ではその裏事情のようなものが語られた。
当初川端氏も中学のPTAに入り、改革派の会長になって大きく改革することも考えていたようである。そのことを中学に子どもが通っている知りあいの保護者にそれとなく振ってみたところあまり乗ってこなかったので思いとどまった、とのこと。

私は、これは日本のPTA問題の解決のためには非常によかったと思うのだ。

川端さんが非会員になったことでどれだけ多くの保護者が救われたか。また、非入会という選択肢がありうることをどれだけ多くの人に知らしめたか。
この歴史的な意味は本当に大きいと思うのだ。

まあ、会長になってどんな改革をされたのかも知りたかった気もしますが。


<動員発生の背景>
PTAの悪習の一つに動員があることは広く知られている。
しかし、それがどのようにして成立しているのかは私もよくわかっていなかった。

川端さんは副会長を1年余やっていたので、副会長でしか知りえないような事実を教えてくれた。
ひとつは、教委やP連から「何人参加しますか?」というアンケートの形で事実上の動員がかかるそうである。
そして、もうひとつは、へー!と思ったのだが、副校長(教頭)から「いやー、5人出せって言われちゃってさ。」と言われることがあり、それもまた事実上の動員になる、という話である。

以下、当方の感想。
副校長(教頭)から「いやー」と言われたって、「それはお困りですね」と突き放すことは論理的には可能なはずなのに、「副会長」としては通常断れない。

「いやー、うちの息子、5がもう一つほしいって言っているんですよね、せんせ」と言ったって、息子の成績が上がることはあり得ないのに、だ。

なんで、親の側の「いやー、…」は通らないのに、副校長の「いやー、…」は通るのだろうか?

全国の副校長(教頭)には、これからは、ご自分が「やってしまっていること」にぜひ自覚的であってほしいと思う。


<気の毒な副校長>
川端氏によれば、副校長は本当に気の毒だそうである。
どうしてか。上からも下からも言いたい放題言われるから。

そして、川端さんは、今の状態は、副校長が今度校長になったときに部下の副校長に無理無体な要求を突き付けることが予想され、よくないなあと思うと述べていた。
この、いわば「虐待の連鎖」は、PTAの役員間においても認められる問題点であろう。


ここから私の紹介もわき道にそれるが―、
副校長と言えば、つい先日から東京都の公立小学校の副校長先生と「対話」が始まった。

それは次のような情報提供があったからである。
ある小学校の来年度の新入生保護者説明会において、ある保護者がPTAの強制的加入体制や、学校に認められる個人情報保護法違反、公務員の守秘義務違反の可能性に言及し、改善を求めた。
ところが、その保護者の訴えをなんと司会の副校長が「先を急ぐので」と、保護者の疑問には一切答えず、その保護者の質問を打ち切ったという。
(入手した情報の事実性も含めて現在、当該小学校に確認中。なお、説明会中、PTA会長は保護者の疑問に対して一応の説明を行ってはいる。)

ちなみに、その保護者は上の子どももおられ、本部役員を務めながら内部から問題提起を果敢になさっている方である。
しかし、校長先生から「透明人間」扱いされていると言う。
他の役員さんには笑顔で接するのに、自分に対しては完全無視だそうである。
(この辺の事実関係についても学校に確認したいと思っている。)

それにつけても思うのは、その副校長はPTAの副会長だそうである(校長は顧問、教諭はすべて会員)が、その副校長先生は自らの選択として副会長をやっているのか?である。
規約において、校長や副校長の役割を定めているPTAは多いと思うが、これはよく考えたら大問題ではないのだろうか。
教員の人権の問題として。

今後は、このあたりの問題についても、教委や文科省の見解をただしたいと思っている。
とりあえず聞きたいのは、「規約にどう書いてあろうと、副校長や校長にはPTAの役職に就かない自由が、また会員にならない自由があると思うが、そのような理解でいいか?」ということだ。

PTAがその人権を踏みつけにしているのは教職員に対してもである、という点にも今後は目を向けていくべきだと考えている。

朝日新聞のPTA記事 ― 記事に寄せられたコメントの9割は賛同意見!

今さらの紹介ですが、朝日新聞教育面で、1/15(日)、1/22(日)の二週連続でPTA問題が取り上げられました。

一週目の記事には、「入退会は自由」、「『原則知って』各地で動き」、二週目の記事には、「見直す動き」、「業務減らし分担も工夫」、「仕事を犠牲 休職も/教員は強制 読者から反響」といった見出しが立っています。

PTA問題については、2010年の2月11日に横浜で行われたPTAシンポジウムの話し合いの様子をやはり朝日新聞( 2010.02.21「PTA、実は入退会自由」)が取り上げていますが、今回の記事はそれを踏まえてより一歩、話を深めたものと言うことができます。

一週目の記事に、「PTAとは?」というイラスト付きの囲み記事があって、「参加は任意なの?」というQに対して、「任意」。さらに単位PTAの「上部団体への参加」も「任意」と明言されているのも、そのような「原則」、「良識」がまったく通用しない世界と長く関わってきた者からすると、感涙ものの指摘なのです。

二週目のイラスト付きの囲み記事は、これまたぱっと見、ほんわか記事なのですが、革新的な内容が紹介されています。
「PTA、ウチの場合は…」と題し、PTAの具体的な見直し策として挙げられているのは、「入退会自由の周知」、「行事や役員数を見直す」、「PTA協議会を休会、保護者会を設置」、「そもそもPTAがない」というもの。

「変わるべきは、保護者の意識・態度のほうではなく、原則から大きくずれているPTAの現体制だ」というスタンスで貫かれています。


仙台市の研究発表会後にファミレスで座談をしたメンバー全員に、一回目の記事の出る少し前に朝日新聞の堀内記者からメールが来ました。

******
それぞれの立場で活動しているみなさんの声を直接聞けたことが、紙面化する際に何より力になりました。ほんとうにみなさん、ありがとうございます。
一つの記事は小さくても、これからもいろいろなブログ、いろいろな媒体の一つ一つの記事がつながって、PTAをよくする流れに加われればと思います。
******

今回、このコメントを紹介していいか問い合わせたところ、快く了解いただき、そのお返事のメールには次のようなことが書かれていました。

*****
おかげさまでPTAの記事は多数のコメントが賛否両論(9割方は記事の趣旨に賛同、1割が「入退会自由にしたらPTAがたちゆかない」のような懐疑的なものでした)寄せられ、本当に励みになりました。
*****

寄せられたコメントのうち、9割方は記事の趣旨に賛同するものだったというのは、なんともうれしい話ですね!!
そのメールには、「これからもねばり強く、取材していきたいと思います。」とも。

記事の末尾には、次のような読者への呼びかけがあります。第三弾、第四弾が楽しみです。
*****
PTAについて、ご意見や体験をお寄せ下さい。住所、電話番号、名前を添え、〒104・8011朝日新聞文化くらし報道部「どうする?」係へ。また、「あのね」への投稿は名前と電話番号を添えて、「あのね」係へ。FAXは03・5540・7354、メールはkodomo@asahi.com
*****


【追記】(2/16)
PTA問題を非常に分かりやすく説く「PTAのホントのところ」でも、朝日の記事について取り上げられています。

川端裕人氏のPTA講演会に参加して(小金井教育フォーラム・PTA連合会講演会)

本日、東京学芸大学で行われた川端裕人氏のPTA講演会に参加してきました。
今日の「小金井教育フォーラム・PTA連合会講演会」は、小金井市P連と小金井市教育委員会との共催事業で、前半の研究発表会は教委主催、後半の講演会はP連主催と役割分担がされていました。

実は本日起きてはじめて、FJNさんのブログに出ている情報で知った次第。
講演前の立ち話で聞いたところ、川端さんも「もっとこじんまりとした内々の集まりだと思ってブログでも告知しなかった」そうです。

私は後半の講演会から参加したのだが、掲示されている式次第を見ると、冒頭、「開会のあいさつ」を教育委員長、「来賓あいさつ」を市長と市議会議長が行う、ばりばり“公な催し”でした。各小中学校の校長先生も参加していたようです。このような催しにおいて、入退会自由を訴え続けている川端氏の講演が行われたということは、時代の変化を示していると同時に、今回の講演を企画し、GOサインを出された関係各位の英断は素晴らしいと思いました。

司会は、中学のPTA副会長をされているお父さんで、この方が今回の講演の発案者のようです。
「小金井市のP連が誕生してから半世紀。このあたりで、PTAとは何ぞやと考えるべき時が来ているのではないかと思い、今回の公演を企画しました。」


さて、講演は、「今、PTAの問題が大きく動いている感がある。PTAがはらんできた潜在的な問題が大きく浮上してきているように感じる。」ということばで始まった。

つづいて、随所で役員の立場に理解を示しながらも、概略、次のようなことが述べられました(触れられた話題のうちのいくつかを省略していることをあらかじめお断りしておきます。)。

○この国の法律や社会常識に照らして、参加が義務ということはあり得ないのに、本人の価値観や事情を無視して参加を要求されるための軋轢が全国いたるところで認められる。それを「PTA悲劇」と呼んでいる。これは「日常化する人権問題」であり、看過することはできない。

○非参加者がこれから出てくると思うが、非参加者の子どもを「区別」することのないよう、くれぐれも注意してほしい。PTAは、「会員の子どものための活動」ではなく、「全児童・生徒に対する活動」なのだから。
そもそも、児童・生徒は全員、PTAの会員ではないのだ。

○これまで、市教委のPTA担当者が「入会を強制された」とか「子どもが差別をされている」という相談を保護者から受けても、「よく話し合ってください」としか言わないケースが多いが、これからは「PTAを退会して差別されるならそれはPTAの方が悪い」と答えられなくてはおかしい。
「PTA主催の行事に参加させない」といった、退会者の子どもに対する心ない仕打ちのケースを知っているが、ここにいる皆さんにはPTAの原点を考えてほしい。

○PTAから酷い目にあわされても泣き寝入りをする会員が多いが、これからは訴訟リスクすらあることを認識すべき。訴えられた場合、PTA会長が矢面に立つことになる。

◎では、どうすればいいか。
PTAをサークル化すればいい。最低限、クラスの保護者と教師が話し合うための何らかの仕組みは残して、その他のことは、「有志がいる限りにおいてやる」とすべきだ。
行政側は「保護者代表」を求めるかもしれない。そもそもひとりひとりの保護者に向き合うべきだと思うが、必要と言うなら、現在、構築されつつある「学校理事会」の保護者枠を拡充すればいい。


と、PTA問題に関心を持つ者にとってはこれまでいろいろな機会に触れることのできたカワバタPTA論なわけだが、それが今回は教委・P連・学校関係者を前にしてなされたところに大きな意義があると思うのだ。


一通り川端さんの話が終わった後、司会の方が市長に話を振った。
「川端さんのお話をうかがって、感想を一言。」

すると、
「小金井市の教育がうまく行っているのは、ここにお集まりのPTAの皆さんの存在あればこそと思っております。今日のお話で改めてそのことを強く感じた次第です。」
と、川端さんの講演内容とどこでどうつながるのか?と理解に苦しむコメントだった。

私などは「???」状態だったが、川端さんは次のように切り返した。
「市長は今、『小金井市の教育がうまく行っているのはPTAのおかげ』と言われたが、その場合、PTAを『保護者』という意味で使われたと思う。しかし、『PTA』には教員も入っているし、保護者の中にも入っていない人がいる。つまり、『PTA』は保護者を代表するものではない、というのが今日の話の眼目なので、そのことを頭の隅に入れておいていただけるとありがたい。」

その時の、市長さんと、その隣におられた教育委員長や教委幹部とおぼしき人々の何とも困ったような半笑いの表情が印象的だった。

司会の方がまとめとして、川端さんの「PTA進化論」の次の一節を引用して締めくくられた。

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ぼくは自分自身の実体験や取材を通して、今のPTAが大きな問題を抱えていると感じている。日本全国で1000万人以上が活動に携わっており、常に会員は入れ替わるため、関係者・経験者の数は膨大だ。もしそのありように問題があるなら、PTAだけではなく、われわれの社会全体の問題ととらえた方がいい。
「PTA進化論①」より
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「閉会のあいさつ」として、小金井市P連の会長(女性)さんが緊張されながら挨拶された。
単Pの会長は二度目で、今回はご自身の所属する学校が「当番校」だったのでP連の会長もされているとのこと。
「今日のお話には納得できたところもそうでないところもある。しかし、今日のお話に出てきた『PTA悲劇』をはじめとするキーワードには私たちが振り返るべき点が多々あるように思った。今日のお話を踏まえて、PTA活動をもう一度見つめ直して行きたい。」

「P連の会長さん」などというと、私のような人間はつい敵対的な目を向けてしまうのだが、今回の企画を通したことといい、本当にご立派だと思った。そして、その会長さんの様子に、読み込みすぎかもしれないが「安堵」さえ感じた。
そう言えば、(あくまでも私の印象だが)会場に集まっている多くのPTA関係者の表情にも川端さんの話に対するわだかまりのようなものがほとんど感じられなかった。

ここからさらに飛躍するが、PTAの中心メンバーとなってやっている人のかなりの部分は、「全員加入体制」のある意味「犠牲者」でもあるのかもしれない、とも思った。
「入らない・活動しない」という選択肢が事実上封じられている『体制』において、母親(あるいは父親として)として、「どうせならPTA活動に頑張る」という選択をとったとして誰が責められるだろうか。

最終的に責められるべきは、やはり『体制』なのだと思う。

「全員加入体制」さえ改められれば、「やらない人はずるい」という声も上がらなくなるだろうし、「非会員の子どもは参加させない」といった差別もなくなるのではないだろうか。

そんなことを感じさせられた実り多い講演会でした。
FJNさん、柳下さんとも久しぶりにお目にかかれたのもラッキーでした。

【追記】(2/5)
川端さんのtwitter(@Rsider)で言及されたので、以下に引用しておきます。

***
「まるおの雑記帳」で昨日の小金井での「PTAこれからどうなる」の様子がリポートされてます。たぶんぼくまとめるよりライヴかつ正確です──『川端裕人氏のPTA講演会に参加して(小金井教育フォーラム・PTA連合会講演会)』 http://amba.to/z9hriv

あらためですが、小金井のP連のみなさんに感謝。「動員しない」ことを条件に引き受けるという変な演者に対して、「え、動員?ってなんですか?」と最初言われたことの背景がわかりました。かなりゆるい雰囲気。1時間と少し話している間も、ぼく自身この話題は久しぶりで、軸がぶれていたのに・続

非常に熱心に耳を傾けてくださいました。たぶんぼくが経験した世田谷のPTAよりは「ゆるい」小金井だけど、時間的圧迫は分布の違いこそあれ、やはり多大なものがあり(挙手で確認)、おそらく相似形の問題は沢山あると思います。そろそろ、ちゃっちゃっと解決すべきときか、と。

PTA講演をするのにたいてい相手はPTA役員だったりする。たいてい善意で引き受けている、いい人たちである。善性なるものがあるとして、彼女ら彼はとてもその属性の強い人であると思われる。なのにぼくは、耳の痛いことをたくさん言わなければならない。これはいつもフラストレーションだ。

まるおさんと、ぼくは、決して意見が似ているわけでもなくて、むかし、ブログのコメント欄でバチバチやっていたことなど今も探せば見つかるはず。でも、こと、PTAが人権問題にかかわるという点においては近く、また、彼の熱心な取り組みにもリスペクトなんですよ。
***


痛み入ります。
「ぼく自身この話題は久しぶりで、軸がぶれていたのに(小金井のP連のみなさんが)非常に熱心に耳を傾けてくださいました。」とあるが、私などは聴衆のリズムに添いつつ、びしっと芯が通っていることに感心することしきりだったです。


「小平の風」に仙台市教育課題研究発表会と朝日のPTA記事のこと

ちょうどまた当番が回ってきたので、勤め先のブログ「小平の風」に仙台市教育課題研究発表会に参加したことを書きました。

「ネット」の力 ― 仙台市教育課題研究発表会に参加して

少なくとも五年くらい前に比べて、現在、PTA問題は大きく解決に向けて前進しているように思うのですが、そのことに果たすネットの役割は「巨大」だと言っても言い過ぎではないでしょう。
もしもネットがなかったら、たぶん、10年前の「暗黒時代」と何にも変わっていないのではないでしょうか?
そんなネットへの思いを仙台の研究会に参加してみて改めて強く思ったので、上のようなタイトルで書いてみました。

なお、「ネット」の力を過信することの危うさについて、本日、拙ブログに「やまざき」さんからコメントをいただきました(本エントリ直前のエントリのコメント44)。
う~ん、タイムリーだ。


<「小平の風」の過去記事>
・神戸・京都・奈良研修 ~伝統文化と欧米の文化~

・This is a pen. を日本語にできるか?

・「好きです」に面くらったフランス人の日本文化論-主体=「創造主」不在の文化-

・日本語とPTA -「主体性と公共性」の希薄さをめぐって―

・日本世間学会