川端裕人氏のPTA講演会に参加して(小金井教育フォーラム・PTA連合会講演会) | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -

川端裕人氏のPTA講演会に参加して(小金井教育フォーラム・PTA連合会講演会)

本日、東京学芸大学で行われた川端裕人氏のPTA講演会に参加してきました。
今日の「小金井教育フォーラム・PTA連合会講演会」は、小金井市P連と小金井市教育委員会との共催事業で、前半の研究発表会は教委主催、後半の講演会はP連主催と役割分担がされていました。

実は本日起きてはじめて、FJNさんのブログに出ている情報で知った次第。
講演前の立ち話で聞いたところ、川端さんも「もっとこじんまりとした内々の集まりだと思ってブログでも告知しなかった」そうです。

私は後半の講演会から参加したのだが、掲示されている式次第を見ると、冒頭、「開会のあいさつ」を教育委員長、「来賓あいさつ」を市長と市議会議長が行う、ばりばり“公な催し”でした。各小中学校の校長先生も参加していたようです。このような催しにおいて、入退会自由を訴え続けている川端氏の講演が行われたということは、時代の変化を示していると同時に、今回の講演を企画し、GOサインを出された関係各位の英断は素晴らしいと思いました。

司会は、中学のPTA副会長をされているお父さんで、この方が今回の講演の発案者のようです。
「小金井市のP連が誕生してから半世紀。このあたりで、PTAとは何ぞやと考えるべき時が来ているのではないかと思い、今回の公演を企画しました。」


さて、講演は、「今、PTAの問題が大きく動いている感がある。PTAがはらんできた潜在的な問題が大きく浮上してきているように感じる。」ということばで始まった。

つづいて、随所で役員の立場に理解を示しながらも、概略、次のようなことが述べられました(触れられた話題のうちのいくつかを省略していることをあらかじめお断りしておきます。)。

○この国の法律や社会常識に照らして、参加が義務ということはあり得ないのに、本人の価値観や事情を無視して参加を要求されるための軋轢が全国いたるところで認められる。それを「PTA悲劇」と呼んでいる。これは「日常化する人権問題」であり、看過することはできない。

○非参加者がこれから出てくると思うが、非参加者の子どもを「区別」することのないよう、くれぐれも注意してほしい。PTAは、「会員の子どものための活動」ではなく、「全児童・生徒に対する活動」なのだから。
そもそも、児童・生徒は全員、PTAの会員ではないのだ。

○これまで、市教委のPTA担当者が「入会を強制された」とか「子どもが差別をされている」という相談を保護者から受けても、「よく話し合ってください」としか言わないケースが多いが、これからは「PTAを退会して差別されるならそれはPTAの方が悪い」と答えられなくてはおかしい。
「PTA主催の行事に参加させない」といった、退会者の子どもに対する心ない仕打ちのケースを知っているが、ここにいる皆さんにはPTAの原点を考えてほしい。

○PTAから酷い目にあわされても泣き寝入りをする会員が多いが、これからは訴訟リスクすらあることを認識すべき。訴えられた場合、PTA会長が矢面に立つことになる。

◎では、どうすればいいか。
PTAをサークル化すればいい。最低限、クラスの保護者と教師が話し合うための何らかの仕組みは残して、その他のことは、「有志がいる限りにおいてやる」とすべきだ。
行政側は「保護者代表」を求めるかもしれない。そもそもひとりひとりの保護者に向き合うべきだと思うが、必要と言うなら、現在、構築されつつある「学校理事会」の保護者枠を拡充すればいい。


と、PTA問題に関心を持つ者にとってはこれまでいろいろな機会に触れることのできたカワバタPTA論なわけだが、それが今回は教委・P連・学校関係者を前にしてなされたところに大きな意義があると思うのだ。


一通り川端さんの話が終わった後、司会の方が市長に話を振った。
「川端さんのお話をうかがって、感想を一言。」

すると、
「小金井市の教育がうまく行っているのは、ここにお集まりのPTAの皆さんの存在あればこそと思っております。今日のお話で改めてそのことを強く感じた次第です。」
と、川端さんの講演内容とどこでどうつながるのか?と理解に苦しむコメントだった。

私などは「???」状態だったが、川端さんは次のように切り返した。
「市長は今、『小金井市の教育がうまく行っているのはPTAのおかげ』と言われたが、その場合、PTAを『保護者』という意味で使われたと思う。しかし、『PTA』には教員も入っているし、保護者の中にも入っていない人がいる。つまり、『PTA』は保護者を代表するものではない、というのが今日の話の眼目なので、そのことを頭の隅に入れておいていただけるとありがたい。」

その時の、市長さんと、その隣におられた教育委員長や教委幹部とおぼしき人々の何とも困ったような半笑いの表情が印象的だった。

司会の方がまとめとして、川端さんの「PTA進化論」の次の一節を引用して締めくくられた。

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ぼくは自分自身の実体験や取材を通して、今のPTAが大きな問題を抱えていると感じている。日本全国で1000万人以上が活動に携わっており、常に会員は入れ替わるため、関係者・経験者の数は膨大だ。もしそのありように問題があるなら、PTAだけではなく、われわれの社会全体の問題ととらえた方がいい。
「PTA進化論①」より
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「閉会のあいさつ」として、小金井市P連の会長(女性)さんが緊張されながら挨拶された。
単Pの会長は二度目で、今回はご自身の所属する学校が「当番校」だったのでP連の会長もされているとのこと。
「今日のお話には納得できたところもそうでないところもある。しかし、今日のお話に出てきた『PTA悲劇』をはじめとするキーワードには私たちが振り返るべき点が多々あるように思った。今日のお話を踏まえて、PTA活動をもう一度見つめ直して行きたい。」

「P連の会長さん」などというと、私のような人間はつい敵対的な目を向けてしまうのだが、今回の企画を通したことといい、本当にご立派だと思った。そして、その会長さんの様子に、読み込みすぎかもしれないが「安堵」さえ感じた。
そう言えば、(あくまでも私の印象だが)会場に集まっている多くのPTA関係者の表情にも川端さんの話に対するわだかまりのようなものがほとんど感じられなかった。

ここからさらに飛躍するが、PTAの中心メンバーとなってやっている人のかなりの部分は、「全員加入体制」のある意味「犠牲者」でもあるのかもしれない、とも思った。
「入らない・活動しない」という選択肢が事実上封じられている『体制』において、母親(あるいは父親として)として、「どうせならPTA活動に頑張る」という選択をとったとして誰が責められるだろうか。

最終的に責められるべきは、やはり『体制』なのだと思う。

「全員加入体制」さえ改められれば、「やらない人はずるい」という声も上がらなくなるだろうし、「非会員の子どもは参加させない」といった差別もなくなるのではないだろうか。

そんなことを感じさせられた実り多い講演会でした。
FJNさん、柳下さんとも久しぶりにお目にかかれたのもラッキーでした。

【追記】(2/5)
川端さんのtwitter(@Rsider)で言及されたので、以下に引用しておきます。

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「まるおの雑記帳」で昨日の小金井での「PTAこれからどうなる」の様子がリポートされてます。たぶんぼくまとめるよりライヴかつ正確です──『川端裕人氏のPTA講演会に参加して(小金井教育フォーラム・PTA連合会講演会)』 http://amba.to/z9hriv

あらためですが、小金井のP連のみなさんに感謝。「動員しない」ことを条件に引き受けるという変な演者に対して、「え、動員?ってなんですか?」と最初言われたことの背景がわかりました。かなりゆるい雰囲気。1時間と少し話している間も、ぼく自身この話題は久しぶりで、軸がぶれていたのに・続

非常に熱心に耳を傾けてくださいました。たぶんぼくが経験した世田谷のPTAよりは「ゆるい」小金井だけど、時間的圧迫は分布の違いこそあれ、やはり多大なものがあり(挙手で確認)、おそらく相似形の問題は沢山あると思います。そろそろ、ちゃっちゃっと解決すべきときか、と。

PTA講演をするのにたいてい相手はPTA役員だったりする。たいてい善意で引き受けている、いい人たちである。善性なるものがあるとして、彼女ら彼はとてもその属性の強い人であると思われる。なのにぼくは、耳の痛いことをたくさん言わなければならない。これはいつもフラストレーションだ。

まるおさんと、ぼくは、決して意見が似ているわけでもなくて、むかし、ブログのコメント欄でバチバチやっていたことなど今も探せば見つかるはず。でも、こと、PTAが人権問題にかかわるという点においては近く、また、彼の熱心な取り組みにもリスペクトなんですよ。
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痛み入ります。
「ぼく自身この話題は久しぶりで、軸がぶれていたのに(小金井のP連のみなさんが)非常に熱心に耳を傾けてくださいました。」とあるが、私などは聴衆のリズムに添いつつ、びしっと芯が通っていることに感心することしきりだったです。