由緒ある神社に老木、古木、大木はつきものです。
しめなわがはってあれば、ほとんど、間違いなくといっていいほどですが「ご神木」となっています。
徳島県は昔、阿波の国といわれていましたが、大(おお)麻(あさ)比古(ひこ)神社が、その阿波の国の一之宮とされている神社で、境内も広く社殿も立派、ご神木も巨大ですので、まさに一之宮にふさわしいといえるでしょう。
以前にもこのブログで触れましたが、興味深いことに、阿波の国には大(おお)麻(あさ)比古(ひこ)神社のほかに、「こちらこそが阿波の国の一之宮なり」と伝えられる神社があります。論社(ろんしゃ)といいます。それは三つあり、四国霊場第十三番札所に隣接(道路の向かい側)している一宮神社と、第十二番札所から第十三番札所に向かう途中にある名西郡神山町の上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)と、第十五番札所・国分寺の西方の山にある天石門別八倉比売神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)です。
渋谷申博著『諸国神社 一宮・二宮・三宮』(山川出版社)の阿波国の項では、福家清司の説として、次のようなことが語られている。
「大粟神社の社司が阿波国衙の在庁官人を務めていたため大粟神社が実質的な一宮」その分霊を祀ったのが一宮神社。「南北朝期になると、細川氏の守護所に近く、『延喜式』の名神大社でもあった大麻比古神社が新たに一宮の地位を得ることとなった」
ということです。そして、天石門別八倉比売神社のほうは、「阿波国でもっとも神格の高い神社であった」と書かれています。
私の見立てですが、上一宮大粟神社や一宮神社、天石門別八倉比売神社は、神話の世界や、古代に阿波国を開拓した人々の先祖にまつわるものと関係があるようで、大麻比古神社のほうは、淡路島や讃岐国に近く、肥沃な吉野川北岸にして古代の古墳が多く分布している鳴門市にあることからも、大きな政治的勢力と密接に結びついたもののように思われます。