木曜日になりました。
東京では、新型コロナ新規感染者数が前週比で100%をわずかに超えているという報道もありました。
第6波の前兆でないことを祈りますが、はたしてこの冬はどうなるのでしょうか。
今回も、メルマガにいただいたお返事を紹介させていただきます。
『雨が上がり今朝は寒いな、と感じました。落ち葉を見ながら歩くと秋だなあと思います。秋が一番好きです(アレルギーは酷いのですが)。秋は哀愁が漂い、良いも悪いもいろいろ考えさせられる季節です。』
いよいよ秋から冬へと移ろう時期でしょうか、グッと寒くなりました。
空も冬らしい鈍色の日がありますが、季節を感じる余裕は持ちたいものです。
『メルマガのロープウェイの件も震え上がりました!私なら血の気が引いてしまって周りの方にご迷惑をおかけしてしまっていたかもしれません。自分が得意ではないことを避けて無難に生きていくのも悪くはないな、と最近特に思います。』
そうですね、「無理をする」ことには控えめでいいのかもしれません。
できる範囲で「丁寧に謙虚に生きる」ことが正しい道でしょうか。
納得のいかないことが多い時代ですが、心穏やかな日々を過ごしたいものです。
『理想郷、この言葉から私が思いつくのは人間の安易な考えと軽率な言動です。勝手にいろいろなことを理想郷に仕立てあげて、そうではなかったときに一気に攻撃を開始する人間の多さに唖然とします。そういう人間に限って努力せず人を頼ってばかりですが。』
本来の「理想郷」は、人と人、人と自然が穏やかに触れ合い、お互いに手を差し伸べ合う環境のことだと思います。
だからこそ「理想の郷(さと)」という名前に値するのでしょう。
しかしながら、今の時代、人それぞれが自分のためだけの「理想郷」に固執するばかりで、他者に対する優しさは薄れる一方です。
残念な、本当に残念な世の中ですね。
『現代社会ではある一定の暮らしができていると本当の意味で孤独感を味わうことはありません。スマホがあり、常に誰かと繋がり、ビデオ通話もでき、安心感があります。私や先生が育った時代はわざわざ/あえて~する、ことが当たり前でした。そこから上手に人に頼り、感謝することも覚え、してもらったことを何かの形で返す、という時代でした。今はスマホを開いて情報を得たらおしまい、が増えてきましたね。そうなるとやはり親の躾にかかってくるわけです。私はその重みを日々感じながら生きています。』
どんな時代であれ、人と人がどう関わるのか、どう助け合うのか、さらには、お互いにどう成長し合うのか、大切にすべきことに変わりはないはずなのに、それとはまったく反対の世界へと突き進んでいる印象です。
誰もが、何を大切にすべきかわかっているはずなのに、そんな気持ちを大切にする余裕がないのでしょうか。
『前回のメルマガに、「現在都立高校に通う男子生徒は「先生が200人近い生徒の提出物の内容をきちんと見ていたかどうかは不明。返ってきた先生のコメントを見ると、“最後まで文字をうめよう”とか、“冒頭は一文字開けよう”とか書式に赤字が入っていたと振り返る。」とありましたが、私も学生のころ、先生はちゃんと見ていないと感じることがありました。なんだか理不尽でした。』
そうですね、一人でたくさんの生徒を抱えていれば物理的に難しいこともあるのでしょうが、課題を提出する側からすれば、「空しいなあ」と感じるのが正直なところでしょう。
誰もが知っている超難関校に、「忙しい忙しい」と定期テストの採点・返却さえ放置したまま、自分のブログは毎日のように更新する受験界のカリスマ教師がいます(いました?)。
あれで、どうして難関校の教師が務まっているのか不思議でなりませんでした。
「先生、教師」という仕事は、やってもやっても終わりのない献身的な仕事である一方で、あの程度で「生業として成立してしまう」奇妙で歪な世界なのでしょうか。
次のような『日刊ゲンダイデジタル』の記事もありました。
『教育現場の“惨状ツイート”で炎上 文科省プロジェクト「#教師のバトン」はセンセイを救えるか
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/297062
末松信介文科相は10月26日の閣議後記者会見で「#教師のバトン」プロジェクトを今後も続けていく考えを明言した。
「#教師のバトン」は文科省の若手職員らが3月下旬に始めた、SNS上に教師らに自由に投稿してもらうプロジェクト。「教師の長時間勤務の実態」「教師不足の発生」「公立学校教員採用選考試験の採用倍率の低下」に文科省が危機感を抱いたことから始まった。
教師らに日常の様子や不安に思っている事柄を自由にシェアしてもらうことで、〈全国の教師や教師を目指す方に届ける試み〉だ。
しかし、投稿は教育現場の惨状を告発する内容であふれ、炎上。その後は〈#教師のバトンはもう我々教員のモノです。ガンガン呟いてやればいいんです〉などと、今もこんな感じで投稿は続いている。
〈いくら残業しても残業代0。勤務時間は17:00なのに18:30まで定められてる部活動。自分の仕事ができるのはその後。もちろん0円。土日祝も部活なので交通費マイナス。出張なのに駐車場代は実費〉
〈まだ主人が帰ってきません。間もなく夜中1時。まだ学校にいるそうです。教員辞めさせたいです>……教師の苦境が生々しく伝わってくる。
なぜ教師の労働環境が過酷になったのか。公立高校教師や予備校講師の経験がある歴史家の八柏龍紀氏は「30年前くらいの教師は、いかに教えるかに集中できたのですが、投稿にあるように今は雑務が多すぎる」とこう続ける。
「小学校での英語教育の導入や中学でのタブレットを使用しての学習は実質、教材研究などの負担増となっているし、サイエンスなどの拠点校に選ばれれば、予算は付くし、成果を出せばマスコミにも取り上げられる。教員も最初は張り切ってやるんですが、後々すごい負担になるんです」
#教師のバトンは解決につながるのか。
「文科相はこれまでも諮問会議を置いたり教師の声を吸い上げる、としてきましたが、せいぜい校長などの管理職や有力な教員の意見を聞いたくらい。70年代の校内暴力の時代も、教員やカウンセラーを増やすなどの対応は不十分でした。カネのかかる問題はできるだけ避けたいからです。漫画の『2月の勝者』ではありませんが、勉強だけを教えたいと塾講師に転職する教師もいる。だけど何十年も経って生徒が訪ねてきてくれるのは、塾以上に思い出の詰まった学校です」(八柏氏)
ガス抜きで終わらせず、文科省も知恵を絞った方がいい。』
一時期話題になった「教師のバトン」ですが、みなさんはどうお感じでしょうか。
みなさんの周りの先生たちの働き振りはいかがでしょうか。
さて、最後に次の『プレジデントオンライン』の記事を読んでみてください。
『中学受験の入塾テストで上位クラスに入る子が、低学年のときにやっていること
勉強を詰め込んでいるわけではない
https://president.jp/articles/-/50746
中学受験塾の入塾テストで上位クラスに入る子は、低学年のときにどんなことをやっているのか。プロ家庭教師集団・名門指導会代表の西村則康さんは「低学年のうちから塾に通わせればいいわけではない。鉛筆の正しい持ち方を身につけさせるなど、勉強する準備をしておくことが重要だ」という――。
※本稿は、プレジデントFamilyムック『中学受験大百科 2021年完全保存版』の一部を再編集したものです。
■低学年のうちに学力の土台をつくろう
中学受験準備の低年齢化が進んでいる。
塾によっては小学校の低学年で満席となっている校舎もあるという。プロ家庭教師集団・名門指導会代表の西村則康さんのもとには、低学年や未就学の子供を持つ保護者から「いつから塾に入れたほうがいいか」といった質問が寄せられるそうだ。実際、何年生から中学受験の勉強を始めるとスムーズだろうか。
「新小学4年生から、つまり3年生の2月から塾に入るので十分です。大手塾は低学年用のカリキュラムを作っていますが、本格的な中学受験のカリキュラムが始まるのは3年生の2月から。低学年から始めないと遅れるということはありません」
ただしその入塾前に、学力の土台となる力をつくっておくことが必要だと西村さんは言う。では低学年のうちにつくっておきたい学力の土台とはどういったものだろう。西村さんは“実体験”と“算数と国語の基礎学力”だと話す。
「中学受験は親世代のときとは違い、知識や解法を暗記するだけではなく、学んだ知識や解き方を“どのように活かせるか“を考える力が問われるようになっています。大学入学共通テストで『思考力』『判断力』『表現力』が重視されることに先行して、中学入試問題は変化しています。そのため、試行錯誤したり、いろいろな人と話したりした実体験が重要になっています。
実体験が豊富なら新しい知識を学んだときに『なるほど!』という納得感が生まれやすくなるのです。算数や理科、社会で生活に密着した場面が題材になり、知識をどう使うかといった問題が増えています。こうした力が育っていないと高学年で成績が伸び悩みます。また、算数の計算や国語の漢字も少しだけ予習しておくといいでしょう」
(以下、引用者編集)
■多彩な遊びとお手伝いをさせよう
では、中学受験に不可欠な学力の土台とはどのように育まれるのだろうか。西村さんは、子供がいろいろな実体験で得た感覚が学力の土台になるという。
■計算と漢字の練習はやっておこう
■鉛筆の正しい持ち方をマスターさせよう
■「てにをは」を意識した会話をしよう
■入塾テスト対策は少し早めに準備しよう
■親の心構えがもっとも大事
一方で、西村さんは、こうした子供の準備と同時に「受験を始める親の覚悟」が必要だと語る。
「子供は大人のように、目標に向けて計画通りに物事を進めることはできません。それを織り込んで受験をサポートすることを家族で話し合うことが必要です。子供が『毎日勉強する』と言っても、『(そのときは)毎日勉強する(気分だった)』というようにかっこの言葉が隠れていると思ったほうがいい」
いざ塾が始まると、思うように成績が上がらなかったり、子供が勉強を嫌がったりすることもあるだろう。
「そんな成績ならやめてしまえ」と叱るなど親がカッとなってしまう場面は少なくない。
「残念ながら、こうしたやりとりが頻発している家庭のお子さんの成績は上がりません。特に、親がクラスを上げることを目的にすると、子供は萎縮してしまいます。結果ではなく、過程を認めてやることが大事。計画の一部しかできなくても、少しでもやったことは前進している証拠。『やっているときの集中力はすごかった』などと褒めましょう。こうした積み重ねで親の意見にも耳を傾けてみようという気になるものです」
中学受験はやり方次第で、深い思考力、論理力、工夫する力や諦めない心など、その先の人生に役立つ力が育てられる貴重な機会になる。
「親御さんには『うちの子は大丈夫』といった根拠のない信頼を持ち続けてほしい。そのほうがお子さんはのびのび勉強に打ち込めます」』
かなり長くなりましたが、いかがでしょうか。
小学校の低学年は「焦らずに土台を築く」時期だという意見には賛成ですが、「その土台の中にどこまでの学習内容が含まれる」のか見極めるのはなかなか難しいことです。
どの親子も、そのあたりの判断におろおろしてしまうのが実態でしょう。
2年ほど前に、大手の進学塾で講師をしていた人から、
「大手も、4年~6年のカリキュラムはかなり熟成して安定しているが、低学年に関しては、まだまだ試行錯誤で発展途上だ」
という話を聞いたことがあります。
その後、大手の低学年対象のカリキュラムも進歩しているのでしょうが、やはり、親の側に「煽られないで親子でじっくり取り組もう」という確固たる姿勢が必要だということでしょう。
みなさんからのお返事を待って、次回のメルマガで考えてみたいと思います。