木曜日になりました。

最近、国際的なジャーナリストの組織である「国境なき記者団」が、報道の自由度の「世界ランキング2024」を発表しました。

その発表によると、日本は世界で70位に後退したということでした。

日本のマスメディアは、他国の言論統制には厳しい論調で踏み込んでいくのに、自分たちの不甲斐なさには甘すぎる「惨状」を呈しています。

「70位」という低位も当然ですね。

次の『現代メディア』の記事(かなり編集しています、すみません)は、ぜひみなさんに読んでいただきたいものです。

『「記者クラブ」を存続させたいマスコミの呆れた思惑…「報道の自由度」世界ランキングで、日本のマスコミが報じない決定的な過ち
https://gendai.media/articles/-/129949
■報告書の翻訳を改変
 5月3日、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」による「報道の自由度」世界ランキング2024が発表された。日本は世界で70位に後退したと、フランスのAFP通信と朝日新聞が同日に伝えた。後日、日テレ、TBS、共同、時事と続いた。
 AFP通信は、世界全体のランキングの推移を書き、日本の箇所は「日本は昨年の68位から70位に順位を下げた」とだけ、さらりと伝えた。
 基本的にAFP通信は、新聞社やテレビ局用に送る通信社による記事なので、網羅的に世界情勢を伝えている。日本のメディアは、国境なき記者団が発表した「Japan」部分の報告書を翻訳(要約)して伝えていた。しかし、これがどうもおかしいのだ。
 結論から書くと、朝日新聞を含め日本のメディアは、「Japan」部分を間違えて要約していたり、メディアとして都合が悪いところはスルー、改変をしたりしていた。日本メディアは「ランキングが伝われば良い」という論調で、日本での記事は、日本メディアへの「国境なき記者団」からの指摘を打ち消すような内容だった。
 おそらくランキング好きの日本人には、日本の世界ランキングが下がったとしか頭に残らないだろう。しかし、それでは日本の報道が良くなるとは思えない。本記事では、国境なき記者団による原文を合わせて紹介していく。
■まるで違う意味に
 「Japan」部分は、原文では「前文」と「政治的背景」に分かれていますが、まず、「前文」から。

(前文の原文)
 日本は議会制民主主義国家であり、報道の自由と多元主義の原則が一般的に尊重されている。しかし、旧来の利害関係、ビジネス上の利害関係、政治的圧力、男女不平等によって、ジャーナリストたちは権力の監視役としての役割を完全に果たせないことが多い。

■飼い犬となった日本のマスコミ
原文「旧来の利害関係、ビジネス上の利害関係」
朝日新聞「伝統の重みや経済的利益」
日本テレビ「伝統やビジネス上の利益」
時事通信「商業的利益」
TBS、共同通信「(言及すらなし)」

 メディアにおける旧来の利害関係とは、「政治家や役人とマスコミとの関係」、ビジネス上の利害関係とは、「テレビ局と新聞社の広告主(スポンサー)とマスコミとの関係」のことを指している。つまり、日本のマスコミは「それらと利害関係にあるから」日本の政治家にも省庁にも大企業にも監視の役割が果たせていない、と国境なき記者団に指摘されているのだ。
 ウォッチドッグ(番犬)・ジャーナリズムとは、権力者の行動について情報を収集し、議員などの責任を追及、国民に情報を提供するため、記者は権力者と一定の職業的距離を保つ必要がある。
 しかし、日本のマスコミの記者たちは、大臣など有力な政治家とべったりとなって「自分だけが知る情報を政治家からもらって」社内で出世する。ウォッチドッグとはまるで逆だ。番犬より、飼い犬と言ったほうが良いかもしれない。
■海外からの客観的視点を無視
 「Japan」の「政治的背景」の原文は以下の通り。

(政治的背景の原文)
 2012年に右派国粋主義が台頭して以来、ジャーナリストたちは自分たちに対する不信感、さらには敵意に、不満を抱いている。既成の報道機関だけが記者会見や高官との面会を許可される「記者クラブ」という制度は、記者たちを自己検閲に追い込み、かつ、フリーランスの記者たちや外国人記者たちに対するあからさまな差別を作り出す。

 「右派国粋主義の台頭」という言葉は、国境なき記者団の主観なのだから、正しいかどうかは日本人が判断すればいいことだが、記事を読む日本人としては、海外から客観視された「日本像」を知ることが重要ではないだろうか。
 また、国境なき記者団による「日本のマスコミ(既成の報道機関)だけが会見に参加を許可されている記者クラブ制度」という指摘は消えてしまっている。
 記者クラブ制度の説明を、朝日新聞と共同、TBSの記事では見事にスルーしていた。日テレや時事に至っては、記者クラブ自体にも言及していない。記者クラブは、国会だけではなく、すべての都道府県庁、政令市や中核市の自治体にもあるのに、だ。
 日本のマスコミは、記者会見や記者クラブにフリージャーナリストが入ることがよほど嫌なのだろう。フリージャーナリストが会見などに入り込むと、記者クラブに入っているマスコミにとって「旧来の利害関係」である、政治家や役人とマスコミとの関係が崩れてしまうからだろう。記者クラブの件は、日本のマスコミには、「報道しない自由がある」といったところだ。
 しかしながら、マスコミが黙殺しているフリージャーナリストや学者たちが、「旧統一教会が自民党議員の選挙応援をしていたこと」や「自民党の政治資金パーティーでの裏金作りをしていたこと」を暴いた。週刊誌も数々と暴いているが、週刊誌記者も記者クラブには入っていない。
 記者クラブの記者や政治家べったりの政治記者は、政治家の不祥事などを暴かない。それが国境なき記者団が指摘した「自己検閲」だ。それでも記者クラブを存続させたいのだろう。だからこそ原文の「旧来の利害関係」の訳を日本のマスコミは「伝統(の重み)」と曖昧に訳したのかもしれない。
■”やってる感”を出す
 国境なき記者団は、「日本はいまだ主要5大メディア(読売、朝日、日経、毎日、フジサンケイ)によるコングロマリッド(複合巨大企業)が、ニュースサイトよりも影響力を持っている」と書いている。コングロマリッドという指摘は、日本メディアのクロスオーナーシップのことだろう。
 アメリカでは、同一企業がテレビ局と新聞社を持つクロスオーナーシップは規制で禁止されている。言論の多様性が削がれてしまうからだ。テレビ局5社、新聞社5社があれば、本来「10の言論」ができるはずだが、クロスオーナーシップの元でテレビ局と新聞社の2社が同一会社であれば、「5の言論」しか生まれなくなる。クロスオーナーシップ規制は、これを防ぐためにある。
 日本ではほとんどの場合、質問する記者が事前に決まっていて、政治家や企業の社長も回答はほぼ決まっている。それなのに大勢の記者クラブの記者たちが周りを囲んでいたり、記者会見に出席したりしている。大勢いても、質問者が決まっていれば出てくる言論の数は少ない。報道内容も横並びになる。ただでさえ複合巨大企業となってマスコミの言論の数が少ないなか、外国人記者や他のジャーナリストの排除は、さらに言論の数を減らしていることにもなっている。
 日本の記者会見では、記者同士が会見後の「メモ合わせ」と呼ばれる答え合わせまでしているというが、かなり生産性の低い作業でもある。本当にそうであれば、全社同じ記事になるので、質問者と録音・速記者の数人だけ出席し、メールで共有すれば済むからだ。そもそも、発表された内容をそのまま記事にするのは、通信社の仕事と割り切ったほうがいい。
 つまり、日本のマスコミの記者たちは“やってる感”を出してみんなで疲れているだけで、与えられた特権のなかでウォッチドッグになっていないということだ。残念なことに、政治関連のマスコミのスクープと言っても、内閣改造の人事や辞任発表を懇意にしている政治家から前日に教えてもらう程度になっている。国民にとっては、発表当日に知ってもまったく問題ない内容ばかりだろう。
■被害を受けるのは国民
 結局のところ、国境なき記者団が発表した日本の「報道の自由度」の内容は、日本メディアの「報道しない自由」によって周知されることはなくなってしまった。おそらく来年また同じような報告書が出ても、日本メディアの「旧来の利害関係」「ビジネス上の利害関係」の箇所は、「伝統」「経済的利益」といった感じで訳されてしまうのだろう。
 失われた30年が政治の責任であるのなら、番犬のようにジャーナリズムが機能していないことも要因でもある。放置していると将来的に被害を受けるのは「国民」であることを忘れてはならない。
 なお、筆者は本記事の正確を期すため、日米バイリンガルのアメリカの大学教授と、ニューヨーク州の弁護士にも、国境なき記者団が発表した「報道の自由度」世界ランキング2024の原文を確認してもらった。』

かなり編集しても長いのですが、ぜひ引用元を訪れて全文を読んでみてください。

日本のマスメディアに絶望感を抱くだけかもしれませんが、それでも、正しいジャーナリズムも、子どもたちにとって必要なものであることを忘れないでください。

一方、正しいジャーナリズムのあり方として、次のような記事(『東スポWEB』)もありました。

『東山紀之SMILE社の抗議にBBCが反論 鈴木エイト氏「ジャーナリズムを示した」
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/301158
 イギリスBBCが3日、SMILE―UP.の抗議文書に反論する声明を発表した。
 BBCは3月30日に「捕食者の影 ジャニーズ解体のその後」を放送。東山紀之社長がインタビュー取材で「言論の自由もあると思うんですね。僕は別に誹謗中傷を推奨しているわけでもなく、多分その人にとってはそれが正義の意見なんだろうなと思う時もあります」などと発言し、誹謗中傷と言論の自由を並べたことで、一部から批判の声が相次いだ。
 これをSMILE社が問題視。東山の発言内容は「実際の発言の趣旨とは異なって放送された」と主張し、インタビューで「なるべくなら誹謗中傷はなくしていきたいと僕自身も思っています」と発言した部分を省略したことで「誹謗中傷を助長している」と批判を受ける状況になったと指摘した。
 その上で「東山の発言を意図的にゆがめて放送し、視聴者の印象を操作しようとするものであると言わざるを得ず、大変遺憾に存じます」とし、謝罪と訂正を求めていた。
 これにBBCは、「このドキュメンタリーは、BBCの厳格な編集ガイドラインに沿って綿密に調査され、報道されました」と説明。続けて「BBCは、編集上の決定に際して常に慎重な検討を重ねており、東山氏を含むすべての取材対象者が公平かつ正確に描写され、必要なすべての反論機会が与えられるよう配慮しました」と反論した。
 また、SMILE社は性被害の補償業務にボランティアで協力している性被害者と、BBCの担当者による面談について、面談の内容については放送しないよう約束を取り交わしたと主張した上で、面談の内容が放送されたことは「約束違反」と抗議していた。
 これに対してもBBCは、「SMILE―UP.社が設定したサバイバーとの面談において、その話し合われる内容のいかなる制限にも同意しておらず、同社の主張を否定します」と強調。〝約束を取り付けた〟という主張自体を否定し「私たちは、自らのジャーナリズムに自信を持っています」とした。
 ジャーナリストの鈴木エイト氏は同日、X(旧ツイッター)を更新し「SMILE―UP社からの抗議に対するBBCの声明。SMILE―UPの主張・見解を完全否定した上でBBCとしてのジャーナリズムを示した。BBCがここで『ジャーナリズム』という言葉を提示した意味を考えるべき」と私見をつづっている。』

旧ジャニーズ事務所の暴走を許したのも、東山氏の傲慢さが抜けないのも、日本のマスメディアにその責任の一端があることは間違いないでしょう。

さて、教育に直接関係ない(ようにみえる)話題が長くなりましたので、急いで軌道修正します。

次の記事は、『プレジデントオンライン』のものです(こちらも編集しています、すみません)。

なお、記事中の国際バカロレアとは、「世界の複雑さを理解して、そのことに対処できる生徒を育成し、未来へ責任ある行動をとるための態度とスキルを身に付けさせるとともに、国際的に通用する大学入学資格(国際バカロレア資格)を与える教育プログラム」のことです。
(https://ibconsortium.mext.go.jp/about-ib/)

『「英語の早期教育」は本当に必要なのか…灘中の国語教師が指摘する日本の「グローバル人材育成」の大問題 国際バカロレアでも思考の前提には「母語」がある
https://president.jp/articles/-/80347
井上 志音 灘中学校・灘高等学校 国語科教諭
加藤 紀子 教育情報サイト「リセマム」編集長
 英語の早期教育は必要なのか。灘中学校・高等学校で国語科教諭を務める井上志音さんは「国際バカロレア(IB)は公式的に3つの教授言語(英語・フランス語・スペイン語)を設けているが、深く思考する際には母語も活用する。いきなりグローバル人材を目指すのではなく、ローカルな部分から広げていくように考えたほうがいいのではないか」という。
※本稿は、井上志音著、加藤紀子聞き手『親に知ってもらいたい 国語の新常識』(時事通信社)の一部を再編集したものです。

【加藤】今、日本の教育熱心なご家庭の間でインターナショナルスクールへの関心が高まっていて、早くから子どもに英語を身につけさせようという流れがあります。ところが、英語は実は「キラーランゲージ」と呼ばれていて、ほかの言語を排除してしまう危険性を持ち合わせているという話を、第二言語習得を専門とされている早稲田大学の原田哲男教授からうかがったことがあります。
 「人種の坩堝」と言われるアメリカは移民が多く、彼らが英語にシフトしていってしまうため、「言語の墓場」と言われているそうです。だから母語を大事にしないと、結果的にモノリンガル(単一の言語のみを話す人)の思考に変わってしまうと原田教授はおっしゃっていました。日本語と日本文化を十分理解したバイリンガルの育成が大切なのだと。
 母語の重要性について、IBではどのように考えられているのでしょうか。
【井上】IBでは教授言語(学校教育の教授で使用される言語)に強いこだわりを持っていますが、一方でIB教員は、生徒が深く思考する際の母語の重要性にも目を向けなければなりません。また、IBは「全教科の教員が言語の教員でもある」というスタンスです。人間は言葉で考えますから。
 また、IBには育てるべき「10の学習者像」があり、そこから展開する形で各教科があるというように、もともと教科は、大きな教育目標を実現するための手段という考え方があります。
 一方、日本では英語は英語、国語は国語と教科が分かれていますので、英語と国語の関係性を生徒も自覚しにくい面があります。国語での学びを英語に活かしたり、英語での学びを国語に活かしたりすることがそもそもあり得ないというか。日本語と英語を比較できるような授業があればいいのですが、すべての学校でできるかというと、現状では難しいです。
【加藤】たとえばフランスではフランス語と英語を比較しながら学んでいますよね。
【井上】そうですね。私も英文学とそれを翻訳した日本文学とを同時に比較しながら教える授業を試みています。
 このあたりはおそらく教科縦割りの弊害なんですね。日本では「国語のことは国語の授業でやってね」ということになっていますが、その考え方を変えなければいけません。灘校の場合は担任団持ち上がり制なので横のつながりが強く、教科横断的な試みも行いやすい面があります。
【加藤】その点で私立の学校は柔軟ですよね。中高一貫校であれば高校受験がないので、教科横断的な授業ができたり、いろいろな試みがしやすい環境かもしれません。
【井上】先ほど「インターナショナルスクールへの関心が高まっている」というお話がありましたが、加藤さんはその影響で母語がないがしろにされていると感じているのでしょうか。
【加藤】「母語がないがしろ」というわけではありませんが、「英語力を身につけさせなければ」という危機感の高まりがどんどん低年齢化し、インターナショナルプリスクールが人気のようです。
 そもそも母国語を持って育つとはどういうことなのだろうと最近すごく考えます。たとえばアメリカで教育を受けて完全にアメリカ人として育てられた日本人の中に、アイデンティティ・クライシスに陥ったり、日本に帰国しても日本語ができなくて馴染めず悩んだりしてしまう人もいるようです。
【井上】たとえば教授言語が英語のIB校で、批判的思考を培う「TOK(Theory of Knowledge/知の理論)」というコアを学んでいくときに、授業は英語で行ったとしても、生徒の母語が日本語の場合はいったん日本語で考えてから英語にするほうがいい、ということがあります。初めから「日本語なんてどうでもいいから英語を身につけよう」という子は私の周りにはいませんね。日本語は家庭で話しているのだから、それ以上はいらないと考えている人たちが一定数いるのでしょうか。
(中略)
【井上】「グローバル社会で生き抜く力」では、確かに語学力や異文化への理解力もありますが、やはり自分の文化が軸です。自文化理解があってこそのアイデンティティですよね。
【加藤】そうですね。自分が何者なのか、どこから来たのか、どんなところで育ったのか、というように、まず自分のストーリーを語れなければなりません。
 グローバルって本来そういうことですよね。自分が育ったローカルがあってこそのグローバル人材なのであって、そこを履き違えてはいけないのではないかと感じます。』

こちらもかなり編集・省略していますので、興味のある方は、ぜひ引用元を訪れて全文を読んでみてください。

さて、この記事で、私が特に興味を抱いた部分を挙げておきます。

①『日本語と日本文化を十分理解したバイリンガルの育成が大切だ。』

②『IB教員は、生徒が深く思考する際の母語の重要性にも目を向けなければならない。』

③『IBは「全教科の教員が言語の教員でもある」というスタンス。人間は言葉で考えるから。』

④『日本では英語は英語、国語は国語と教科が分かれているが、日本語と英語を比較できるような授業があればいい。』

⑤『「母語がないがしろに」というわけではないが、「英語力を身につけさせなければ」という危機感の高まりがどんどん低年齢化し、今はインターナショナルプリスクールが人気のようだ。』

⑥『そもそも母国語を持って育つとはどういうことかと最近すごく考える。たとえばアメリカで教育を受けて、完全にアメリカ人として育てられた日本人の中に、アイデンティティ・クライシスに陥ったり、日本に帰国しても日本語ができなくて馴染めず悩んだりしてしまう人もいるようだ。』

⑦『授業は英語で行ったとしても、生徒の母語が日本語の場合はいったん日本語で考えてから英語にするほうがいい。』

⑧『「グローバル社会で生き抜く力」では、語学力や異文化への理解力も必要だが、やはり自分の文化が軸で、自文化理解があってこそのアイデンティティだ。』

⑨『自分が何者なのか、どこから来たのか、どんなところで育ったのか、というように、まず自分のストーリーを語れなければならない。』

みなさんのお返事を待って、次回のメルマガで考えてみたいと思います。

 

木曜日になりました。

来年開催される予定の大阪・関西万博は迷走を続け、吉村府知事が「万博はカオスでいい」とまで言い放つ始末です。

子どもたちを万博に「無料招待する」計画に関しても、あまりに杜撰で不安ばかりです。

「無料招待」ならそもそも無料のはずですが、税金を使って入場券を購入するなら、話は少々違ってくるように思います。

税金を投入して、「入場者数を水増しする」ことになりませんか。

次の記事は、5月9日付の『京都新聞』のものです。

『「学校行事で子どもを万博に連れて行かないで」 会場ガス爆発で安全性不安、市民団体が滋賀知事に要望
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1250688#goog_rewarded
 滋賀県が2025年大阪・関西万博に県内の4歳~高校生を招待する方針を示していることについて、新日本婦人の会県本部(大津市)は9日、会場の安全性に不安があるとし、学校行事として子どもたちを万博に連れて行かないよう求める要望書を、県知事や県教育長宛てに提出した。
 万博会場となる人工島の夢洲は埋め立て地で、3月28日には、施設建設工事中の火花が地中の廃棄物から発生したガスに引火する爆発事故が起きている。
 要望書では、「ごみの最終処分場だった夢洲にはダイオキシンなどの物質も埋め立てられている」と指摘。猛暑や南海トラフ地震なども心配されるとした。』

「万博後のIR事業のためなら何でもあり」という印象ですね。

いまだに開催する価値さえ見出せないグズグズの万博で、

「誰がどのような得をするのか」
「住民(国民)がどれだけの不利を被るのか」

私たちは「選挙で正しい選択をする」ためにしっかり覚えておく必要があります。

また、私の住んでいる兵庫県にも、残念すぎる知事がいます。

次の記事は、5月8日付の『産経新聞』です。

『兵庫県知事が「違法行為」告発文書問題で法的手続きを撤回 自身の疑惑は説明せず
https://www.sankei.com/article/20240508-RDB4CTYWX5OIFGMVROEMBLJ464/
 兵庫県の西播磨県民局長だった男性(60)が斎藤元彦知事らの言動を「違法行為」などと指摘する文書を作成し、停職処分を受けた問題で、斎藤氏は8日の定例会見で、名誉毀損罪での告訴などについて「考えていない」と述べた。これまで「法的手続きを進めている」としていたが、撤回した。文書で指摘された自身のパワハラ疑惑などについては説明を避けた。
 男性は3月、知事や幹部職員に関する疑惑を記載した文書を報道機関や県議などに配布。同月27日の会見で、斎藤氏は「(文書の内容には)職員らの信用失墜、名誉毀損など法的課題がある。被害届や告訴も含めて法的手続きを進めている」と明言していた。
 疑惑の真偽について、斎藤氏は第三者による調査を否定。県の人事当局が内部調査するとし、県は今月7日、文書内容の核心的な部分が事実ではないとして男性を停職3カ月の懲戒処分とした。
 この日の会見で斎藤氏は、人事当局による内部調査によって「(文書の内容が)真実でないということが一定示された。懲戒処分もされており、現時点では刑事告訴については考えていない」とした。 斎藤氏は会見で文書の内容を「事実無根」とした自身の発言を追認する形の内部調査結果を受け、早期に幕引きを図りたい考えがにじんだが、質問に対して言葉を濁す場面が目立った。自身の疑惑についても説明を避け続けており、今後、第三者による調査などを求める声がさらに高まることも予想される。
 男性が停職3カ月の処分を受けてから初めて開かれたこの日の会見には、県の人事担当者も同席。処分に至る経緯や理由などについての質問には、斎藤氏に代わって答える場面がたびたびみられた。
 文書では斎藤氏自身に関する疑惑も指摘されているため、県議会などから第三者による調査を求める声が上がっているが、斎藤氏は否定的な見解を示し続けてきた。この日の会見でも、自身の部下にあたる人事担当者らによる調査について、「一定客観的な調査が実施された」と評価し、第三者委員会などの設置は改めて否定した。
 一方、自身に関する疑惑に関しては「今の段階でコメントを控えたい」とした上で、今後も「私自身が説明した方がいいのか。人事当局者などが説明することの方が適切であれば、それをもって説明したということになるのではないかと思っている」との考えを語った。』

この記事によると、「知事や幹部職員に関する疑惑」であるにも関わらず、斎藤知事自身が、「第三者委員会などの設置は改めて否定した」ということです。

告発文の内容が真実であるならば、「犯罪者自身が自分の犯罪を裁く」ようなものですよね。

しかも知事自身、当初、

「(文書の内容には)職員らの信用失墜、名誉毀損など法的課題がある。被害届や告訴も含めて法的手続きを進めている」

と息巻いていたにも関わらず、内部調査の結果、

「(文書の内容が)真実でないということが一定示された。懲戒処分もされており、現時点では刑事告訴については考えていない」

と、かなりトーンダウンしています。

斎藤知事が自身の潔白を主張するなら、直ちに「第三者委員会による徹底調査」を指示すべきでしょう。

内部調査でお茶を濁そうとして「大失敗」になった宝塚歌劇団の事件とよく似ているように感じますが、斎藤知事はこのまま抑えこめると思っているのでしょうか。

他の失敗例から学ぶ謙虚さに欠けているのは確かのようです。

多くの「自分に甘い夜郎自大な政治家」と同じ臭いがします。

さて、最近のメルマガで、ノート関連の『プレジデントオンライン』の3つの記事を紹介しました。

今回のメルマガで、それら3つの記事をまとめたいと思います。

①『「ノートを作るのをやめたら成績が伸びた」異色のキャリアを持つ東大教授が学生時代"実際にやっていた勉強法"』
https://president.jp/articles/-/79279

②『なぜ学年ビリで不登校だった私は現役で東大に合格できたのか…短期間で成績が急上昇した魔法のノート術 大事なのは自分に合う勉強法を見つけること』
https://president.jp/articles/-/79468

③『「書き写し」や「蛍光マーカー」には意味がなかった…最新科学でわかった「昔ながらの勉強法」の本当の効果 「勉強したつもり」にはなれるけれど…』
https://president.jp/articles/-/79951

①の記事へのお返事は、『灘グン・メルマガ240502号』で紹介しましたので、今回は、②、③の記事へのお返事を紹介します。

いつもお返事、ありがとうございます。

②の記事について。
『「短期間で成績が急上昇した魔法のノート術」の全文をじっくり読んでみました。「魔法のノート術」と聞けば、親なら誰もが、「子どもの勉強に役立つかもしれない」と飛びつく記事でしょう。しかしながら、結局は、サブタイトルの「大事なのは自分に合う勉強法を見つけること」というアドバイスでした。「自分に合ったノートの取り方」を見つけられるまで試行錯誤できるなら、それだけでもう十分「勉強に対する姿勢ができている」ということですよね。うーん、なんだかなあ。やっぱり、勉強に「魔法」はないということでしょうか。』

「魔法のノート術」という言葉は、ほんとうに魅力的です。

このタイトルに惹かれる人は多いことでしょうが、お返事にある通り、サブタイトルの「大事なのは自分に合う勉強法を見つけること」こそが、この記事の本質でした。

みなさんにこの記事を紹介する際に、「サブタイトルこそ本質を表しています」と一言添えるべきだったかもしれません。

配慮が足らず、申し訳ありませんでした。

②の記事について。
『伯母から「ノートの取り方」についての参考書を買ってもらった。本のタイトルはもう忘れてしまった。」とありましたが、自分の記事の中で紹介する以上、この参考書に関してもう少し情報がほしいところです。ネットで検索すれば、何らかの情報が手に入るのではないでしょうか。』

その通りですね。

私も過去に、「東大生のノート術」といったタイトルの本を見かけた覚えがありますので、試しにアマゾンで検索してみました。

検索ワードに「ノート術 東大」と入れて検索してみると、48件もヒットしました。

各タイトルにざっと目を通してみると、かなり魅力的な本があります。

これらの本の中に、筆者が手にした参考書があったかもしれませんね。

情報は、少しでも丁寧に、親切に提供すべきでしょう。

私も、気をつけます。

②の記事について。
『「■確実に記憶に残るノート術」という小見出しのところに、筆者の「魔法のノート術」の一端が書かれていました。ただし、そのようなノートの取り方ができるようになるまでに、どれだけの時間がかかったのでしょうか。学年ビリだったとありますが、もともと「勉強に取り組む」才能があった人が、ただ勉強に取り組む態勢になっていなかっただけなのかもしれませんね。はたして、うちの子に「勉強に取り組む」才能はあるのでしょうか。』

「成績がビリ」→「学年トップ」→「難関高校に合格」というステップアップは、たいへん見事なことですが、おっしゃる通り、「もともと勉強に取り組む才能があった人」ということなのかもしれません。

ただし、「もともと~できる人」でも「実際に努力を継続できずに終わる」場合もたくさんあるでしょうし、「もともと~が苦手な人」だったのに「努力を続けて少しずつ向上できた」ということもたくさんあるでしょう。

この種の記事を紹介するのは、「結果を出すためにみんなが努力している」ことを再確認していただきたいからですし、親子で「いろいろな努力を実践・継続する」参考にしてほしいからです。

確かに、スイスイ物事が進んでいくことは少ないでしょうし、努力が結果につながるのに長い時間がかかるかもしれませんが、「試行錯誤しながらも努力を続けられる」ことこそ大切な能力だと受け止めてほしいものです。

「ノート作り」も試行錯誤の連続でしょうが、そのような努力の大切さを、ぜひ親子で体験してくださいね。

③の記事について。
『私自身、授業中に取った乱雑なノートを、もう一度キレイにまとめ直すという作業で記憶していったように思います。「キレイに」とはいっても、見た目がキレイということではなく、自分なりに「各事項の重要度が分かる」という意味でキレイにまとめ直しました。この記事のタイトルの「書き写しや蛍光マーカーには意味がなかった」というのは不親切な書き方で、「ただ単に書き写したりマーカーを使ったりするだけではダメだ」と書いてほしかったですね。』

学生時代を真面目に勉強していらっしゃったようで、頭が下がります。

私も、「名古屋で一番の公立高校を目指して頑張っていた中学3年間」だけは、定期テスト前に真面目にノートを作っていました。

自分なりに「どこが重要か」と考えながらノートにまとめ直しましたが、その努力は、それなりに結果につながりました。

おっしゃる通り、ノートも蛍光マーカーも使い方・活用の仕方次第ということですよね。

ただ、この記事のタイトルでは「書き写しや蛍光マーカーに意味がない」と言い切っています。

そのタイトルに興味をそそられて本文を読んでみると、「やり方次第では、書き写しや蛍光マーカーに意味がなくなってしまいますよ」という常識的なアドバイスにたどり着きます。

またしても、「タイトルが刺激的だなあ」という記事でした。

③の記事について。
『この記事の「■積極的に脳に負荷をかけることが大事」には納得です。「やっつけ仕事」や「単純作業」のようになってしまったら、どんな勉強も効果がありませんよね。どんなにキレイなノートを作ろうが、成績は上がらないでしょう。逆に、脳に負荷をかけながらの勉強なら、少々汚いノートであろうと、少々的外れのアンダーラインであろうと、効果が期待できると思います。やはり、サブタイトルにある通り、「勉強したつもりになるだけではダメ」ということですね。』

ネットで、役に立ちそうな記事を探していると、あちらこちらに「気になるタイトル」が見つかります。

ただし、その記事を読んでみて「ふむふむ、納得です」となることは少なく、「あれ、タイトルの印象とは違うぞ」という場合が多いものです。

そんな場合、「またもや、見かけ倒しの記事かなあ」と感じるわけですが、読み進めていくと、この記事の「■積極的に脳に負荷をかけることが大事」という小見出しのように、役に立つ部分が見つかることもあります。

私の経験則から、

「大切なことを覚えようとするとき、覚える作業より思い出す作業を増やすように」

とアドバイスをすることがありますが、インプットよりアウトプットの方が、脳に負荷がかかるからです。

だから、インプットしたことを頭の中で繰り返して思い出すだけでも記憶の安定につながるでしょうし、先生になったつもりで声に出してみたりホワイトボードに書いてみたりもいいでしょう。

さらには、家族や友人に説明してみたりと、アウトプットを心がけることをおススメします。

繰り返しますが、ネットの記事は最後まで読んで判断してください。

タイトルだけで記事を読んだ気になるのは避けてください。

役に立つ内容だと判断できたら、親子でともに、その「勉強法」を実践し、身に付くまで努力を続けてくださいね。

 

木曜日になりました。

みなさん、今年のゴールデンウィークは楽しく過ごせましたか。

とはいえ、どんなに楽しくても、お子さんの生活のリズムが戻っていないとしたら、それは基本的に「親の責任」です。

「親の都合や希望を優先させていないか」など、ぜひ親が、謙虚に自分の足元を見つめ直してみてください。

「親の気の緩み」→「子どもの生活の乱れ」というパターンは、思った以上に多いものです。

また、お休みに関しては、次のような『毎日新聞』の記事もありました。

『「6月は地獄」祝日なく悲痛な声 GW後に待ち構える”空白期間”
https://mainichi.jp/articles/20240506/k00/00m/040/186000c
 大型連休が終わりを迎えた。「えっと、次の祝日はいつだっけ」と、うつろな目でカレンダーを眺めた人はお気づきだろう。次の「海の日」(7月の第3月曜日)まで69日間も祝日がないのだ。SNS(ネット交流サービス)上では「6月は地獄」「6月祝日つくれ」など悲痛な投稿が目に付く。実際に新たな祝日制定を求める動きもあるが、実現の可能性はあるのか。
(中略)
■良いことばかりではない?
 では、6月に祝日が誕生する可能性はどれほどあるのだろうか。
 内閣府の担当者は「余暇時間が増える一方、病院が休診となることで困る人もいる。経済も止まる。祝日が増えることが一概に良いとは言えない」と慎重だ。』

ゴールデンウィークや年末年始のように、イベントがギュッと詰まりがちな休暇は、特に注意が必要です。

世の中や親が「休みたい、楽しみたい」と思えば、子どもたちも「休みたい! 楽しみたい!」と思います。

それなのに、子どもの「休みたい、遊びたい」という気持ちに対して、親は少々厳しすぎるように思います。

やはり、子どもに厳しく接する前に、親や大人が「自省・自戒する」必要がありますね。

一方、遅々として進まない能登地方の復旧・復興ですが、次のような「公費解体が進まない」という記事(『NHK』、4月2日付)があちこちにあります。

『能登地方の倒壊家屋 公費解体の申請できないケース相次ぐ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240402/k10014410271000.html
 能登半島地震により倒壊した家屋などの公費での解体をめぐり、特に被害の大きかった能登地方の市や町では、家屋の所有者全員の同意を得られないなどの理由で解体の申請ができないケースが相次いでいることがわかりました。
■全額公費で解体の家屋 約2万2000棟と想定
 能登半島地震で「半壊」と「全壊」となり、全額公費で解体される家屋はおよそ2万2000棟と想定され、国や自治体は今月以降、解体工事を加速させるとしています。
 環境省のまとめでは、先月27日時点で特に被害が大きかった輪島市や珠洲市など能登地方の6つの市と町で行われた公費解体は131件で、住民などから受け付けた解体の申請は4364件となっています。
 NHKが能登地方の6つの市と町を取材したところ、これまでに被災した人から公費解体の申請に関して寄せられた相談は、先月までに少なくとも延べ6200件に上り、いずれの自治体でも家屋の相続に関する相談が一定数を占めていることがわかりました。
■家屋解体には “所有者全員の同意” が必要
 具体的には、家屋の解体は私有財産の処分にあたるため、所有者全員の同意を書面で提出することが求められていますが、相続の際に家屋の名義変更をしておらず相続の権利を持っている親族が複数いて、全員の同意を取ることが難しいなどの理由で申請ができないケースが相次いでいるということです。
 環境省は、相続権を持つ人が多数に上り全員の同意がとれないなどやむをえない場合は「所有権に関する問題が生じても申請者が責任を持って対応する」といった内容の宣誓書を提出することで解体を行えるという考えを示しています。
 しかし、能登地方の6つの市と町では、トラブルを避けるためにいずれも宣誓書での代用はしていないということです。
(中略)
■「復興復旧の遅れにつながる問題 繰り返されている」 
 所有者不明土地の問題に詳しい東京財団政策研究所の吉原祥子研究員は、土地や建物を相続した際の登記は今月1日から義務化されましたが、これまでは任意だったことから亡くなった人の名義のまま何年もたっているケースは多く過去の災害でも復興事業の遅れにつながったといいます。
 吉原さんは「相続人全員を探すことの大変さによって復興や復旧が遅れるということが繰り返されてしまっていると感じている」と指摘しています。
 そして、相続人が多数いるなどしてやむをえない場合、環境省が申請者に問題に責任を持って対応する旨の宣誓書で解体を行えるという考えを示していることを踏まえ「宣誓書による手続きの迅速化は重要で、こういった思い切った政策を国が出しているので、現場の市町村が安心して使っていけるようなもう一歩踏み込んだ具体的な実務上の支援が必要だ。また、相続人の同意が必要なのであれば、被災者に寄り添ったサポートを継続的に行っていく体制が、被災者の財産を守るだけでなく迅速な復興のためにも必要だ」と指摘しています。
 そのうえで、今月1日から相続した土地や建物の登記が義務づけられたことについて「いま被災地で起きている問題は、日本全国どこでも今後起きうる問題だと思う。私たち一人ひとりが、住んでいる家や実家などの登記がどうなっているのかを確認し、相続登記を進めることが大事だ」と話していました。』

少々古い記事ですが、いかがでしょうか。

国や自治体の対応の遅さばかりが目立ちます。

解体が終了したのは、想定の1%以下という記事(『朝日新聞デジタル』)もありました。

『能登半島地震4カ月 解体終了は想定の1%以下、建物の未登記が壁に』
https://digital.asahi.com/articles/ASS4Z454NS4ZPTIL00KM.html

地震が起こって4か月以上経った今、岸田首相は、いったい何をみているのでしょうか。

さて、以前のメルマガで『プレジデントオンライン』の記事、

『「ノートを作るのをやめたら成績が伸びた」異色のキャリアを持つ東大教授が学生時代"実際にやっていた勉強法"』
https://president.jp/articles/-/79279

を紹介しましたが、「ノート」に関連して、次のような記事もありました。

①も②も『プレジデントオンライン』の記事(編集しています、すみません)です。

①『なぜ学年ビリで不登校だった私は現役で東大に合格できたのか…短期間で成績が急上昇した魔法のノート術 大事なのは自分に合う勉強法を見つけること
https://president.jp/articles/-/79468
 どうすれば成績は上がるのか。サイエンスライターの竹内薫さんは「最初にやるべきは、自分にあう勉強法を探すことだ。それをみつけたことで私の成績は短期間で学年ビリからトップになった」という――。(第1回)
※本稿は、竹内薫『東大卒エリートの広く深い学び方』(かんき出版)の一部を抜粋したものです。
(中略)
 やっとビリから脱出したものの、中学校に入るくらいまでは成績がよかったというわけではありません。どんなに必死で勉強しても、クラスで真ん中くらいの成績を取るのがやっとでした。
 私が中学1年生だったあるとき、だったと思います。そんな私を見かねてなのか、当時小学校の教師をしていた伯母が学習教材を2冊買ってくれました。たしか『自由自在』という参考書と、いまはもうないかもしれませんが『トレーニングペーパー』というドリルです。
 特にトレーニングペーパーは、イラストも多くて楽しく勉強できるものでした。それからは、もらった参考書とトレーニングペーパーを使って、主に算数と国語の予習と復習をするようになりました。
 しばらくして予習と復習の習慣が身についた頃、勉強中にふと気づいたことがあります。私は視覚的な勉強が苦手なのではないか……と。
■自分にあった勉強の方法
 勉強の方法によって、理解力や記憶力に差が出ることがありますが、私の場合は、音を耳で聞いたほうが覚えやすい聴覚優位タイプでした。
 ひたすら予習と復習を繰り返し、さらに自分に合う勉強法に気づいて暗記に活用したりして学習するうち、私の成績は徐々に上がっていきました。そして中学2年生になったとき、成績で学年トップになったのです。
■万人に共通する正解はない
 まず理解しておいてほしいのは、勉強法は人それぞれであって、万人に共通する正解はないということです。自分に合う勉強法を探す秘訣は、まわりの意見に流されず、あくまで「自分に合う勉強法を見つけよう」という気持ちを持つことだと思います。
 「勉強が苦手」「勉強が嫌い」という人は、おそらく親や先生などまわりから言われて勉強しているのではないでしょうか。そのような受け身の姿勢ではなく、自分に合う勉強法を探り、工夫しながら見つけるのが理想。試行錯誤を重ねてこそ、自分に合う勉強法が見えてくるものです。
■困ったときの伯母頼み
 まずはいろいろと試してみることが大切です。
 私の場合は、先生が板書した文字を見ながら理解するより、自分のペースで知識を得ていくタイプなのだと気づきました。この勉強法が自分に合うと気づいてからは、面白いほど成績が伸びていきました。自分に合う方法で勉強すると学ぶことが楽しくなっていき、難なく継続できるようになって、成績が上がっていったのです。
 もう1つ、伝えておきたいことがあります。伯母が、「ノートの取り方」についての参考書を買ってくれたのです。本のタイトルはもう忘れてしまったのですが、勉強時のノートの取り方について詳しく解説していました。伯母はきっと、私のノートの取り方を見て、「あらあら、こんなぐちゃぐちゃにノートを取って……。これはダメだ!」とでも思ったのでしょう。
■確実に記憶に残るノート術
 私はその本を読んで、「ああそうか、みんなはこうやってきれいにノートを取っているんだ」と初めて気づいたのです。以来、その本を活用して、メモした重要箇所に線を引いたり、覚えようと思ったところに小見出しをつけたりして、整理しながらノートを使うようにしました。
 もう少し付け加えると、授業中は単にノートを取るだけではなく、あらかじめ少しスペースを空けておいてあとからそこに資料を貼ったり、重要なポイントを書き込んだりと、見た目でもわかりやすいノートの取り方をするようにしました。
 こうしたノートの取り方は予習や復習をするときにも役立ちます。あらかじめノートを見やすく整理しておくと、授業のときはその日に教わる内容を事前に予習しているので理解が深まります。
 さらに復習で見返すと、確実に記憶に残るようになりました。授業でいきなり先生が新しい内容を教え始めたとしても、「あれ、そういえばこの内容はノートを整理するときに教科書に書いてあったな」とか、「トレーニングペーパーのあそこにあったな」という感じで、記憶を呼び起こしながら関連づけをして授業を受けられるようになりました。
 復習をするときは、あらかじめ用意したノートの余白部分に授業で習った重要なポイントを記入しておき、テスト前も余裕を持って勉強できる習慣が身につきました。
 自分に合う勉強法を見つけられた私は、2度のビリを体験したにもかかわらず、当時、難関校として知られていた筑波大学附属高校と開成高校に合格することができたのです。』

②『「書き写し」や「蛍光マーカー」には意味がなかった…最新科学でわかった「昔ながらの勉強法」の本当の効果 「勉強したつもり」にはなれるけれど…』
https://president.jp/articles/-/79951
 学習を効率よく進めるにはどうすればいいのか。アメリカの医師国家試験にトップ1%の成績で合格した米国内科専門医の安川康介さんは、「繰り返し読む、ノートに書き写す、蛍光マーカーで線を引くといった学習法は、いずれも効果は低い。効率を高めるには、科学的根拠に基づく勉強をしたほうがいい」という――。
※本稿は安川康介『科学的根拠に基づく最高の勉強法』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■科学的に効果が高くない勉強法1 繰り返し読む(再読)
 教科書や本を繰り返し読むという勉強法は、最も一般的な勉強法の1つだと言えますが、再読は、効果の高い学習方法と言えるのでしょうか。
 結論から言うと、「ただ繰り返し読むこと」は、効果が低いことがわかっています。
■わかった気になってしまう「流暢性の錯覚」
 普通の再読に、学習効果があまりないと考えられる理由として、同じ文章を2回目に読む時のほうが文章に慣れすらすら読めて「わかった気になってしまう」こと、さらに理解を深めたり、覚えたりするといった「深い情報処理が新しく行われにくい」ことが考えられます。
 このような、表面的に情報が処理しやすくなったことで、実際には内容を記憶し深く理解していないにもかかわらず、覚えた気になってしまう、理解した気になってしまう心理的な現象は、「流暢性の錯覚(幻想)」と呼ばれています。
■積極的に脳に負荷をかけることが大事
 効果的な勉強にとって大切なのは、ある程度積極的に自分の脳に負荷をかけることだとわかっています。学習の分野では、「望ましい困難」と呼ばれています。
■「今ある科学的根拠に基づき、再読の有用性は低いと評価する」
 もちろん、何かを「読む」という場合に、頭の中でどのように情報が処理されているのかは、人によって異なります。あとで紹介する「精緻的質問」や「自己説明」など、脳により負荷がかかる、記憶への定着や理解力を高める作業を再読に組み入れている人は、その効果も違ってくるでしょう。

■科学的に効果が高くない勉強法2 ノートに書き写す・まとめる
 再読の次に取り上げたい、あまり効果の高くない勉強法は「教科書や参考書の文章をノートにただ書き写す・まとめること」です。「勉強した気」になってしまう行為です。
 書かれた文章をそのまま書き写す作業は、文章を記憶したり理解したりしなくてもできるうえ、脳で負荷のかかる処理がほとんど行われないため、学習効果が低いと考えられます。
 それでは、自分の言葉でまとめたときの学習効果はどうでしょうか。読んだ文章を自分の頭の中で処理して言い換える、まとめることには、一定の効果があるとする研究報告が複数あります。
 しかし、注意しなければいけないのは、何かを「要約」するときの方法と、その質です。どれくらいの基礎知識があって、どこの部分を重要と判断し、どれくらいの量の情報を、どれくらいの文章にまとめるのかなど、要約する能力と、要約した情報の質には、かなりの個人差があります。
 要約をうまくできるようになるための特別な訓練を行うと学習効果が高まる、という報告もありますが、多くの人がそうした特別な訓練を受けているわけではありません。さらに、後述するいくつかの学習法と比べても、要約の学習効果が低いことが報告されています。
■「今ある科学的根拠に基づき、要約の有用性は低いと評価する」
 要約するのがうまい学習者にとっては、効果的な学習方法になり得るとしつつも、多くの学習者にはきちんと要約する訓練が必要であるとしています。
 授業中などにノートを取ること自体の学習効果についての研究報告によると、効果はあるけれど限定的である、と書かれています。

■科学的に効果が高くない勉強法3 ハイライトや下線を引く
 「ハイライトすることや下線を引くこと」も、あまり効果のない学習方法です。色とりどりの蛍光ペンを使って単語や文章をハイライトすると、なんとなく勉強した気になります。けれども残念ながら、これにはあまり効果がありません。
 推論問題については下線を引きながら読み、それを見直してから試験を受けた学生たちが、点数が低いという結果でした。もしかしたら、下線が引いてあるところだけに気が向き、全体の内容を関連づけて理解することが阻害されてしまった可能性があります。
 ハイライトや下線を引くという勉強法は、文章を要約することと同様に、個人差があると言われています。つまり、強調する場所を選ぶのがうまい学習者もいれば、そうでない学習者もいて、そのハイライトした教材をどのように活用するのかも人によって違ってくるのではないかということです。
■「今ある科学的根拠に基づき、ハイライトや線を引くことは有用性が低いと評価する」
 これまで検証された結果から、ハイライトは成績向上にほとんど効果がない。ハイライトをより効果的に行う知識を学習者が持っている場合や、文章が難しい場合には役立つかもしれないが、推論を必要とする、より高度な課題では、かえってパフォーマンスを低下させる可能性がある。
■使うなら効果の高い学習法と併用で
 このようにかなり低い評価となっているハイライトと下線ですが、それほど手間がかからないので、あとで覚え直すところ、資料として使えそうなところをマークしておくのは悪くないでしょう。
 しかし、再読と同じで、あまり効果がないにもかかわらず「勉強した気になってしまう」ことがある点には注意し、ハイライトや下線を引くだけでなく、「思い出してアウトプットする」といった効果の高い学習法も行う必要があります。』

ネット上にあふれる情報のタイトルをみていると、刺激的なものが多いですよね。

私がメルマガで紹介した記事も、

『ノートを作るのをやめたら成績が伸びた』
『魔法のノート術』
『「書き写し」や「蛍光マーカー」には意味がなかった』

と、タイトルは刺激的で、私も完全に釣られています。

しかしながら、しっかり読んでみると、いずれの記事も、基本的に「自分なりの勉強方法を見つけたいものだ」と、きわめて常識的なものでした。

親子で、「ノートの取り方」「暗記事項の覚え方」などを考える際の一助になれば幸いです。。