先日、うちの娘の、学校へ提出する書類を書いていて、、、。

 

保護者の氏名

 

そこで、

(あー、そうだったな)と、記憶を巡らせた。

 

 

 

娘が生まれてから、娘に関する書類関係は、すべてわたしが担当している。

(夫は書類などへの記入がとても苦手。)

 

 

けれども、書類に、例えば母子手帳のような「父の名前」「母の名前」という欄があるときは、夫とわたしの名前をそれぞれ書く。

 

また、家族構成を書く場合も、家族全員の名前を書く。

 

 

でも、「保護者の氏名」とあれば、父である夫ではなく、必ずわたしの名前を記入するのが、我が家ではつねとなっている。

 

 

というのも。

幼稚園への入学手続きだったか、その書類の「保護者の氏名」を記入するとき、わたしは夫に尋ねたのだ。

 

「あのね、書類に保護者の氏名を書くところがあるんだけど、これって、あなたの名前よね。わたしが代筆して書いてもいい?」

 

そのときの夫からの返答が、

 

「いや、保護者っていうんだから、父でも母でもどっちでもいいんだろ?っていうか、実際に普段の生活で関わっているのはキミのほうなんだし。それにオレ、幼稚園とか保護者とか、そういうの苦手だから、キミの名前を書いておいてよ」

 

そう言われ、

(ま、いいか)と、保護者の氏名には、わたしの名前を書いた。

 

それに続いて、夫から、

 

「緊急連絡先とかにオレの携帯番号を書かれても、電話に出れないことも多いから、連絡先はうちの自宅の電話番号と、キミの携帯と、念のためキミの実家の電話番号を書いておいたらいいんじゃない」

 

とも言われた。

 

確かに、仕事は忙しく、出張もありなので、なんだか筋が通っていそうだけれど。

結局のところ夫は、「父親」という役が苦手なんだ。とわかった。

 

それ以来ずっと、保護者の氏名にはわたしの名前。

 

 

 

娘が中学のときだったか、担任の先生に、

 

「あの、これって訊いてもいいかどうか、、、。失礼にあたったらごめんなさい。保護者の欄にお母さんのお名前が書かれているけれど、おたくは母子家庭っていうわけじゃないですよね?」

 

と質問されたこともある。

 

そのとき、

(あー、両親が揃っている場合、やっぱり一般的には父親の名前を書くものなんだなあ)

と、あらためて思った。

 

 

思ったけれど、

だって、わたし、保護者だもん。

 

 

というわけで、それ以来、保護者の欄には、わたしの名前を書き続けている。

 

今回の書類にも、わたしの名前をしっかり書かせていただいた。

 

 

 

夫は、というと、、。

書類が苦手で、父親とか保護者の役が苦手で、ついでに言えば近所づきあいも苦手だけれど。

生活費や娘の学費など、ちゃんと出してくれているので、

世帯主としての役割は、きっちり果たすひとである。

 

おかげで、いまのところ、のほほんと暮らせているわけで。

 

 

苦手なものは、無理してやらなくていい。

 

そして、ないものねだりをしなくなったら、

毎日がハッピーだと気づくのね照れ

 

わたしの夫は、生活雑音が大きい。

ということは、何度か書いているのだけれど。

 

 

その音を聞くのが、聞かされるのが、とにかく嫌だった。

 

おならやげっぷ、咀嚼のくちゃくちゃ、舌打ち、などなど、、、。

音そのもの、その音自体、不快というのもあるけれど。

 

なんかね、音で責められているように感じていたのだ。

 

 

だって、おならやげっぷって、人前でするものじゃないでしょ。

  (↑わたしのルール)

それをあえてするっていうのは、わたしのことをバカにしてるってことでしょ。

  (↑わたしの解釈)

 

食事のときに音を立てるのはマナー違反でしょ。

  (↑わたしのルール)

なのに、平気でくちゃくちゃ食べるのは、わたしのことなんてどうでもいいと思ってるってことでしょ。

  (↑わたしの解釈)

 

舌打ちって、ムカついたり、腹が立つときにするものでしょ。

  (↑わたしのルール)

それをことあるごとに何度もするっていうのは、わたしに対してイラついているってことでしょ。

  (↑わたしの解釈)

 

 

この音問題については、何度か注意してもらうように言ったこともあるのだが、逆ギレされた。

それでますます、わたしのなかで夫に対する溝ができた。

 

 

 

 

でもね、気づいたの。

 

夫は、そういう音に関して、まったく無頓着なひとなんだと。

無頓着だからこそ、音を立てていること自体、無意識なんだと。

舌打ちも、単なる癖だから、無自覚。

 

それが、加齢とともに、ますます無頓着に無意識に無自覚になってきたってことなのだ。

 

 

そう。

わたしは関係なかった。

 

夫の生活雑音に、わたしは関係なかったのだ。

 

いま考えると、とてつもなく当たり前のことなのだけれど。

 

 

ちょっと前までは、夫の立てる音に、バカにされているような、責められているような、ひじょうに嫌な気分をその都度、味わっていた。

 

自分で勝手にそういった妄想を作り出していたのね。

 

 

その証拠に、わたしがあえて同じように音を立てても、無頓着な夫は、まったく動じないし、気にもしない。

逆に言えば、そういったことでは響きもしないし、伝わりもしない。

 

夫。

図太いヤツだねニヤリ

 

 

夫の生活雑音に対しての「なんで?」が消えた。

 

こういう体験ができて、本当に良かった。

 

 

 

 

このふたつの体験が立て続けに起こってくれたおかげで、わたしはとってもクリアになった。

 

まとわりついていたもの、まといつづけていたものに、バイバイできたように思う。

 

 

 

そして、あらためて考えてみた。

 

わたしは、どうしたい?

わたしは、どう生きたい?

 

そう自分に問いかけたとき、出てきた言葉は、

 

「のうのうと生きたい」

 

 

 

ん?

のうのう、、、?

出てきたものの、この言葉の正確な意味をわたしは知らない。

 

だけど、「のうのうと生きたい」というのは、はっきりしている。

 

 

そこで、調べてみた。

 

 

「のうのう」とは--コトバンク

[副](スル)心配などがなくなって、ゆったりとした気分でいるさま。「のうのうと暮らす」

 

 

あ、悪い意味ではなかったわ。

 

なんかね、悪事を働いたひとが平気な顔をして暮らすことを「のうのうと生きる」と表現しているのを聞いたことがあったんだけど。

 

ま、でも、わたしも、いいことばかりをしてきたわけじゃない。

たくさん迷惑かけたし、心配させたし。

そしてこれからだって、きっといろいろやらかすと思う。

 

それでもね、わたしは「のうのうと生きたい」のです。

 

消したい過去もあるけど、抹消したい記憶もあるけど、せんぶまるごとひっくるめて「わたし」だから。

 

そんなわたしであっても、のうのうと、ゆったりとした気分で生きていきたいのです。

 

 

 

のうのう。

のんびり。

のんき。

のびのび。

のうてんき。

 

 

あ。

「の」って、まるくて、かわいいね。