お風呂に入っていたときのこと。

 

むかしのことがフラッシュバック。

 

(あー、いつものことだ、、、)

 

って思ったのだけど、違ったの。

 

 

フラッシュバックなんだけど、そこには感情が絡んでいなくて。

出来事や、やり取りが、鮮やかに浮かんできて。

それが、次々と浮かんできて。

ものすごくたくさんのことが脳内に次から次へと映し出されて。

 

(これって、いわゆる“走馬灯”っていうやつじゃないの?)

 

そう感じた。

 

 

そして、小さいときから、いまに至るまでのあれこれが、すべて繋がった!

 

 

親に対しての、

なんでお父さんはあんな事を言ったんだろ。

なんでお母さんは抱きしめてくれなかったんだろ。

といった、

 

「なんで?」

 

 

そして、

わたしはなんであんな事を言ってしまったんだろう。

わたしはなんであれが出来なかったんだろう。

 

という、

 

「なんで?」

 

 

いままで、たくさんの「なんで?」を感じ、抱えてきたけれど。

 

なんか、わかった。

なんか、わかったような気がした。

 

 

「なんで?」

 

の答えは、

 

「だって、そうだったから」

であり、

「そうせざるを得なかった」

だった。

 

 

 

誰も悪くない。

みんな、一生懸命だった。

 

それしかできなかった、だけ。

それしか知らなかった、だけ。

 

 

 

そして、そうなるべくして、なってきたのだ。

 

 

バラバラの出来事ではない。

すべてが一連の出来事で、すべてが繋がっていた。

 

 

 

わたし、悪くなかったよ。

 

そして、誰も悪くなんてない。

 

 

ただ、そういう組み合わせだった、巡り合わせだった、ってこと。

 

 

それでもわたしは、そのなかで、最も良いと思われる選択をし続けてきたし、きっとこれからも続けていく。

 

 

 

大きな荷をおろした気分だ。

 

眠っていて。

ふと目が覚めた。

 

そのときに浮かんだこと。

 

あー、わたし、よく頑張ったなあ。

よくあの場所から抜け出したなあ。

どうすればいいのかわからなくて、もがいて、あがいて、のたうちまわって、傷だらけになって。

でもホント、よくここまできたなあ。

うん、よく頑張った。

 

 

自分を慈しむ気持ちでいっぱいになった。

 

わたしは、自分を大切にするということが、わからなかった。

どうすることが自分を大切にすることになるのか、わからなかった。

 

わたしがカラダの痛みに鈍感なのは、ずっと心のほうが痛くて、ずっとずっと痛み続けていたから。

 

でね、その心の痛みに慣れてしまうと、痛いということが生きている証となるの。

だから、あえて痛みを求めていくことになる。

 

自分を大切にするどころか、自分を痛めつけていたな。

痛みで、痛みを麻痺させていた。

 

 

 

でも、よく頑張ったなあ。

紆余曲折ありつつも、なんとか抜け出して、いま、この温かいベッドで眠れているんだもの。

自分を切り刻んで消してしまう前に、あの呪縛から抜け出すことが出来て、本当に良かった。

 

 

うん。

よく頑張ったよ。

頑張って生きてきたんだなあ。

 

わたしは自分をギュッと抱きしめた。

 

うん。

 

わたしは、わたしが好きなわたしでありたい。

 

わたしを生きよう。

 

誰のものでもない、わたしの人生。