こどもというのは、親をたてるのよ。

 

親を尊敬しなさい!

なんて、わざわざ言われなくても、こどもは自分の親のことを、すごくて立派なひとだと思いたいのよ。

 

でも、親だって人間だし、長所短所あわせ持ってる。

 

こどもも、そういったことを感じてはいる。

でもやっぱり、自分の親はすごくて立派だと思いたいものだから。

親のおかしな言動は、自分が悪いせいだと理由付ける。

 

すごくて立派なはずの親が、理不尽なことで怒ったり、人間としておかしなことをやったり言ったりするのは、すべて自分がいたらないせいだと思い込む。

 

わたしもそうだった。

 

 

 

でも、やっぱりおかしいものはおかしいし。

親であろうと気持ちや感情に波があり、精神的に凸凹があるのはいたしかたないけど。

 

うちの親は、やっぱりおかしかったんだ。へんだったんだ。

 

ということに気づいたとき、ほっとするような、悲しいような、腹が立つような、複雑な気持ち。

 

わたしがこんなになったのは、あんたたちのせいだ!

と強く思ったりもした。

 

 

でも、親も、また親に育てられ。

親の親も、またその親からの影響を受けている。

 

悪しき連鎖。

 

 

 

こどもがいつも緊張にさらされ、安心感から程遠い場所は、家庭としての意味をなさない。

 

 

 

その連鎖、断ち切る。

 

あのひとたちの子であることを、わたしはやめた。

 

子育て、といえば、

「えほん」が浮かんで。

 

寝かしつけ、といえば、

「読み聞かせ」が浮かんだ。

 

 

だから、わたしも娘にやってみた。

 

が。

 

娘はなぜか「えほん」が苦手。

 

そして、「読み聞かせ」されるのが、とっても苦手。

 

 

うーん。

だったら、やらなくていいか。

本人が好まないことを、無理に押し付けることもないしねー。

 

と、娘に読み聞かせをするのは、早々に辞めた。

 

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娘が大きくなってから、ふと、訊いてみたくなった。

 

「なんで、えほんの読み聞かせ、いやだったの?」

 

 

その答えは、、、。

 

 

「だってね、えほんって、情報量が多いんだもの。

でね、えほんって、なんだか絵と文字がそれぞれ独立してる感じ。色もいっぱいだし。

それから、えほんの読み聞かせは、そのページの絵のなかで自分がじっくり見たいところと、読み聞かせられているところがズレるから、気持ち悪くて。

興味を持った絵をゆっくり見てるのに、勝手にストーリーをどんどん進められて、ついていけなくなる。

でも、まんがだったら大丈夫なんよ。画とストーリーが合ってて、同時進行してるから、しんどくならないの」

 

 

なるほどびっくり

 

と、思った次第。

 

変えたい。

と思わなくても。

 

勝手に変わっていくね。

うん。

自然と変わっていくものだね。

 

 

日々、

 

いろんなものに出会い、

いろんなことを感じ、

いろんな考えかたを知り、

 

どんどん変わっていく。

 

 

 

じわじわ変わっていくこともあれば、

満を持して、パンっと変わることもある。

 

コロコロ変わるところもあれば、

ゆっくりゆっくり変化していく部分もある。

 

 

 

1冊、本を読んだら、

もうその本を知る前のわたしとは違っている。

 

1本、映画を観たら、

もうその映画を知る前のわたしとは違っている。

 

1曲、音楽を聴いたら、

もうその音楽を知る前のわたしとは違っている。

 

 

 

そして、

同じ本でも映画でも音楽でも、

そのときどきによって感じかたが変わる。

 

 

 

つねに、つねに、

変化している。

 

 

自分の好きなほうへ、

ますます自分を好きになるほうへ。

 

 

変化を楽しむ。

 

 

 

変化し続けるわたしたちは、一生、過程のなかにある。

 

 

その過程こそが、人生。

 

 

 

おもいっきり、変化を楽しんでいこう。