こどもが生まれ、その成長とともに、そのときそのときの自分自身の親との関わりを、とても思い出すようになった。

 

自分にこどもが出来て初めて親の恩を知る。

というけれど、、、。

 

わたしの場合は、とにかくツライ。

 

というのも、、、。

 

されたことと違うことを模索しているからなんだろうね。

 

 

 

 

わたしも最初は、わたしがされたように娘を育てようとした。

だって、それしかしらないんだもの。

 

だけど、うまくいかない。

うまくいかないどころか、娘から強烈なダメ出しをされる。

 

それはいろんなカタチで表出した。

 

もっともキツかったのは、娘が昼夜逆転し、不登校の引きこもり、そして癇癪を起こして泣き喚く毎日、、、。

 

 

うん。

そこまでして、娘は、

「違う!そうじゃないんだ!」

って訴えかけていたんだよね。

 

 

こうなりゃわたしも、変わらざるを得ない。

 

わたしのなかに植え付けられた常識のあれこれを、まずは引っこ抜くことから始めたように思う。

 

 

 

いまは、ミラクルでファンタジーな世界の住人。

 

思いっきりシビアで現実的なんだけど、それでもやっぱりミラクルでファンタジー。

おかげで感謝がいっぱい溢れる毎日照れ

 

 

 

 

 

わたしのなかには、大きなふたつの流れがあって。

ひとつは、親からのもの。

そしてもうひとつは、娘とつくってきたもの。

 

基本的には、娘との流れのなかで生きているのだけれど、ときどき親からの流れが入り込んできて、渦を巻き、濁流を起こす。

 

それが、苦しいのだけれど。

 

どちらを選ぶかは、自分で決めていいんだもんね。

 

そう、わたし。

あるときから、娘の味方になろうと思ったの。

それも、とことん味方。

 

だけどね、それ以前は、あんまり味方じゃなかったな。

 

娘が、ともだちとケンカしたってことを話し出したら、

「あなたの言いかたも悪かったんじゃない?」

「相手の気持ちも考えないとね」

なんて、以前は言ってたな。

 

これ、わたしとしては、娘の気持ちをなだめているつもりだったんだけど。

娘にしてみれば、

「なんでおかーさんは、ともだちの肩ばっかり持つの!?」

なんだよね。

 

で、あるとき、

「おかーさんは、どっちの味方なの!?」

って、詰め寄られた。

 

とっさに浮かんだ言葉は、

「どっちの味方でもないよ。それぞれ悪いところがあるから喧嘩になったりするんでしょ」

だったのだが、、、。

 

思い出したのだ。

 

わたし自身が、母に味方してもらえなくて、寂しくツラかったことを。

 

そうなのよ。

第三者としての意見は、それこそ他人が言えばいい。

 

 

こどもはとにかく、

母親に受けとめてもらいたいのだ。

自分の存在を認めてもらいたいのだ。

 

そのことを思い出した。

思い出せて本当に良かった。

 

 

 

それ以来わたしは、とことん娘の味方である。

 

そうかそうかと、気持ちに寄り添い、しっかり話を聞いていくと、娘はわたしに話すことにより、自分自身で気持ちを整理し、今後どのようにすれば同じような問題が起こらないかを考え、いま必要なことを自発的に導き出すようになった。

 

そして娘はまた、キラキラと輝き出すのである。

 

娘と、あれこれ話しているときのこと。

 

「わたし、○○さんに対しては、ホント気を使わずしゃべってるわ。なんかね、家族みたいに気兼ねなく、思ったことや言いたいことが言えるんよねー」

と、娘。

 

 

ふんふん、そうかそうか。

遠慮なくしゃべれるって、うれしいねー。

と聞いていたのだけれど。

 

 

実はわたし、

「家族みたいに気兼ねなく、思ったことや言いたいことが言える」

という言葉に、衝撃を受けた。

 

家族みたいに気兼ねなく

 

ということは、

 

家族=もっとも気兼ねがなくしゃべれる関係

 

ということである。

 

 

いや、アタマでは理解しているよ。

家族とは、そういうものだと。

 

だけど、、、ガツーンときた。

 

 

 

だってわたし、

家族(父や母)に対して気兼ねなくしゃべったことなどない!

つねに身構え、緊張していた!

 

 

いつも父はしかめっ面で、わたしをコントロールしようと上から押さえつけるような接しかただったし。

母は、わたしがなにを言っているのか意味がわからないって取り合ってくれなかったし。

 

家族(父や母)は、わたしにとって最初で、そして一番の敵だった。

 

 

そういえば、家族団らん、楽しい食卓なんて、経験してないわ。

今日あったことなどを、気兼ねなくしゃべるなんてしたことないわ。

 

 

うわー。

うわー。

うわー。

 

衝撃だわ。

 

やっぱり、わたしがいたあの場所(実家の人間関係)は、ふつうじゃなかった!

 

 

安心できる場所。

ほっとできる場所。

気兼ねなく、のびのびできる場所。

 

わたしはそれらを家庭に求めていたとは思うんだけど。

実際のところ、家庭として機能してなかったな。

 

だから、早々に諦めてしまったんだ。

 

 

 

 

ここは、安心できる場所じゃない。

ここは、ほっとできる場所じゃない。

ここは、気兼ねなくのびのびできる場所じゃない。

だから、

ここに、わたしの居場所はない。

そして、

家庭にさえ居場所がないわたしに、ほかに居場所なんてあるはずもない。

 

消えたい。

消えるしかない。

 

 

あー。

そうだ、この思考だ。

 

 

 

そうか、本来、家族って。

気兼ねなく思いつくまま、のびのび自由におしゃべりしたり、ケラケラ笑い合ったりするもんなんだな。

 

うん。

うちの実家では、そういうの、皆無だったな。

 

笑い声を上げたら、うるさい!って怒られたし、

笑い顔でさえ、ニヤニヤするな!と怒られたよ。

 

 

あー。

 

わたしの親はそういう親だったんだ。

そういうふうにしかできない親だったんだ。

 

あーあ。

 

わたしの出来が悪いとか、性格がおかしいとか、そんなこと以前に、あのひとたちとは合わなかったというか、、、まず家庭としての役割を果たしてない環境にいたんだなあ。

 

 

そっか、家族って、気兼ね、いらないんだ。

そっか、そうなんだ。

 

 

 

そういえば、うちの娘、わたしに対してすっごくズケズケいうんだけれど、でも、次の瞬間にはケロッとして、ケタケタ笑ってる。

 

あー。

これが本来の家族であり、家庭のありかたなんだな。

 

 

 

うれしいな。

娘が教えてくれたよ。