1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

(いつかはユーロシティの辞書的なものを作りたい野望はありますが。。。)

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、11回目は、ラインプファイル号を取り上げます。ちなみにTEE時代のラインプファイル号は、過去の私のブログ内でもまとめております。ご興味あればご覧ください。

 

EC Rheinpfeil

(この写真が参考文献に掲載されているわけではありません)

 

(以下原文訳、一部短縮名称等をブログ筆者で補足)

1952年5月8日(第二次世界大戦終了から7年後)より、バーゼルSBB駅〜フーク・ファン・ホランド間で運転されていたF9/10は、ラインプファイル号に改称し、やはり2単語とハイフン(Rhein-Pfeil)と表記されるようになった。そのわずか10日後、F21/22 インスブルック〜ドルトムントと書かれた客車編成を併結していた。1957年5月17日からの夏ダイヤから、これらのF列車はラインゴルト急行と改称された。

 

1958年6月1日ラインプファイル号の「再生」(現在は一言で言えば「復活」)が行われ、ルートも変更された。F21/22は、ミュンヘン中央駅〜ドルトムント中央駅間をフランクフルト中央駅経由で運行するようになった。1962年からは、従来の青色の客車の編成中に、ラインゴルト号向けの完全新開発客車(Avmz)が初めて登場し、1963年からはラインプファイル号にラインゴルト号向け設計の新車両(展望車とコブ付き(=2階建)食堂車)が連結され、3年後の1965年5月30日からTEE21/22 としてトランス・ヨーロッパ・エクスプレス(TEE)の仲間入りを果たし、ラインゴルト号の栄誉が与えられた。それまでコバルトブルーとベージュの塗色だった客車とDB-E10型電気機関車は、順次赤とクリーム色によるツートンのTEE配色に塗り替えられた。注目すべきは、ラインプファイル号は、それ自体が国際列車ではなく、ラインプファイル号がドルトムント〜デュイスブルク間、あるいはデュイスブルク〜ミュンヘン間の直通客車をぶラインゴルト号が運んでいた列車にすぎなかった点だ。1971年9月26日から、ラインプファイル号西ドイツ国鉄の新コンセプト、インターシティ71開始に伴い、TEE ラインゴルト号と車両交換するものの、シンプルなインターシティ(IC106/107)に格下げされ、運行区間も変更された。これにより、ニュルンベルク経由の迂回なくヴュルツブルクとミュンヘンが直接結ばれ、ハノーファー中央駅が北側の始発・終着駅となった。1979年5月27日から、2等車連結のインターシティ79が導入され、バーゼルSBB駅〜ハンブルグ・アルトナ駅間をライン左岸、ルール地方、ロールバーン(=滑走路)経由で走っていたIC108/109が、ついに1985年6月2日からの夏ダイヤではIC8/9に改番され、ついにラインプファイル号がチューリッヒ中央駅〜ハノーファー中央駅間の国際インターシティとして列車番号を変えずに運転されるようになった。1987年5月31日からは、ユーロシティに格上げされ、南側の始発・終着駅もチューリッヒからクールに変更(走行距離が118km延長された)、さらに途中にはローマ行の西ドイツ国鉄(以下、DB)の2等車Bm235型直通車両を2両併結していた(D202/203[ローマ〜ドルトムント間]との車両交換が廃止された代わり)。EC8/9の客車の高速走行対応とイタリア国内の高速新線完成により、ローマとドイツ各都市間の移動時間が大幅短縮され、南北方向で最大1時間55分、逆方向では最大2時間03分まで短縮した。EC9のローマ行直通車両は、急行325列車によってローマ着8:00、22:40発の324列車で再び「永遠の都」を北上していく。

 

EC8/9は、クール〜ハノーファー間1,059kmを10時間33分(EC8)または10時間32分(EC9)で結び、表定速度は100km/hと非常に優秀な速度だった。クール発7:19のあとのスイス国内の途中停車駅は、ラントクワルト、バート・ラガッツ、ザルガンス、ツィーゲルブルッケ、プフェフィコーン、ヴェーデンスヴィール、タールヴィル、チューリッヒ中央駅、バーデン、ブルック、バーゼルSBB駅、その後ドイツに入りバーゼル・バディッシャー駅、フライブルク、バーデンバーデン、カールスルーエ、マンハイム、マインツ、コブレンツ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、デュイスブルグ、エッセン、ドルトムント、ハム、ビーレフェルト。終点のハノーファー中央駅着17:52。EC9は、ハノーファー中央駅発11:09 で同じ途中停車駅に停車(クール着21:41)。つまり、4時間の時差を除けば、ユーロシティ レッチェベルク号と同じルートで時刻表が組まれていた。ラインプファイル号も後者と同様、DBの車両だけで構成されており、1日のルートでチューリッヒとバーゼルSBB駅の2駅で方向転換をしなければならない。2年後の1989年5月28日、ローマ〜ハノーファー間直通車両の運行が終了し、所要時間が2分延びた。ドイツの高速新線の全面開業と高速列車ICEの導入に伴うダイヤ改正で、1991年6月1日をもって約40年間続いたラインプファイル号の運転は取りやめ。IC 500/501 バーゼルSBB駅〜ドルトムント間が引き継いだ。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

1990〜91年冬ダイヤ 

食堂車連結、1等・2等コンパートメント車、1等・2等オープン座席車がそれぞれ連結、途中での増解結なし。ドイツの車両のみ。

 

今回は以上です。

 

 

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)