アルツハイマー型認知症の父(あんてぃの日記)

アルツハイマー型認知症の父(あんてぃの日記)

アルツハイマーの父と私の奮闘日記

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父が亡くなって、 病院から葬儀場まで行き

お葬式の準備をすぐに始めなければなりませんでした。

 

お通夜に告別式。

でも ほぼほぼ 家族葬と決めていた私と妹。

喪主は私。

色々なことを決めているときは 大丈夫なのですが、

ふと 一人になると 涙が止まりません。

会社の人に 連絡の電話をしているときは 大丈夫なのですが、

電話を切ると また 泣いてしまう。

その繰り返しでした。

父が亡くなったということは 理解していても

心が追いつかない感じかなぁ。

 

葬儀場の お布団に 横になっている父を 触ると

とても 冷たい。

でも ついさっきまで 生きてた時も 体温が34.5度とかで

冷たかった。何が違う?

あぁ 目を開けてないんだなぁ。

手を握っても 握り返さないんだなぁ。

じわじわと父の死を 実感してくる。

 

認知症だった 父は 私のことも妹のことも 

ここ二年くらいは 忘れてしまいました。

でも 今は、きっと 認知症の身体から解放されて

元の父に戻ってると 信じてます。

 

死後の世界とか ご先祖様が見守ってくれるとか

全然 信じてなかったけど。

なぜか 今は 父が 見守ってくれてると信じたくなります。

 

お父さん 見守っててね。お願いね。

 

 

 

 

 

最近になって やっと ブログを更新する気になりました。

 

2017年1月14日 午後9時7分 死去。

父 享年73歳。

 

覚悟していたとはいえ やはり かなり 辛いものです。

 

父が認知症と診断されたのは2008年の9月下旬。

 

最初は自宅で 一緒に暮らしていましたが

2014年3月2日。入院からの そのまま施設へ入所。

 

自宅にいたときは 基本 自分のことは自分で

できていました。物忘れがひどい程度。

なので 介護らいし介護というのは 全然なく

一緒に暮らしていただけな感じでした。

 

入院を機に 一気に認知症が進み トイレも

自分で行けていたのが オムツになり、

脳梗塞からの 軽い言語障害。

自宅で一人では 過ごせないということで

施設への入所を 決めました。

 

最初の5か月くらいは住宅型有料老人ホームに入所。

そのあと 特養から 連絡があり 転院。

約2年10か月くらい。離れて暮らしていました。

 

去年の12月(2016年12月4日)父が病院に

救急車で運ばれ そのまま 入院になり、

先生の診断結果で 肝臓がん・余命1~2か月

その通りになりました。

 

2017年1月14日 朝9時ごろ。

病院から 電話に連絡。

「お父さんの血圧が かなり 下がってきてるので、

会わせたい人がいたら 今から来れませんか?」

私と妹で すぐに 病院に 駆けつけました。

 

入院してから 毎日 父の様子を見ていました。

色々な心の準備もしていました。

覚悟もしていました。

それでも やはり その時がくるのは 辛いです。

父の病室は大部屋だったので 個室への移動を

お願いし、泊まるために 一度 家に帰り 寝る準備を

してこようと 病院を離れたのが19時。

大雪で 車の運転も 危ういなか 19時45分くらいに

家に 着きました。

そこから とりあえず ごはんを食べようと準備をしたり

会社の友達に事情を説明電話をしていたら・・・

20時26分キャッチが入り、

「お父さん 心臓が止まりました すぐに 戻ってこれますか?」

うそでしょ?ついさっきまで 10時間くらい ずっと一緒にいたよね?

夜中もずっといるために 一瞬 離れただけなのに その 隙に

一人で 逝っちゃうなんて。

今 この ブログを書いてても泣いてしまうくらい 後悔。

すぐに 病院へ 向かい。先生が 死亡確認したのが 21時7分。

 

周りの人たちは「娘たちに死に際を見せたくなかったんだよ」って

口をそろえていうけど、 私たちは 最期を看取りたかった。

その瞬間には ちゃんと 手を握っててあげたかった。

一人で逝かせたくなかった。

 

お父さん ごめんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎回 ブログを更新するときは 久々すぎて どう話始めたらいいのか迷いますあんぐりうさぎ

 

父の異変に気付いたのは 去年の11月中旬です。

あんなに 食べることが大好きで なんなら 人様のものまで 食べるほど

大好きだったのに・・・久々に 父が食事するとこに立ち会ったときです。

今までは 食事が出てくると すぐに 完食してたのに その時は 

少し食べては 残し また 少し食べては・・・の繰り返しでした。

おやつの時も カップケーキが出てきたのですが、呑み込めないのか

リスのように ずっと口の中に 入れてるのです。

飲み物を 促しても 飲まないし カップケーキを 口から出そうにも

拒否だし・・・

そして 12月の3日 お昼頃に 特養から電話!!

父が お尻から転倒したとカナヘイびっくり

そのあとは お昼を食べた後 少し意識が戻らなかったけど

今は 意識も 戻ってる。と。

すぐに 父のところに行き、目にしたのは

車いすに座っている父でした。

今まで父は 普通に椅子に座っていました。

車いすに座っている父を見たのは 前回入院して 最初の施設に入所した

最初のころが 最後でした。2年半くらい前です。

しかも 車いすに座っているというより 乗っかっているというか・・・

目もうつろで 何故 この状態で 病院に 連れて行かないのか不思議でしたが

何かあれば いつも 病院に 連れて行ってくれていたので、 今はまだ 

様子見の段階ということなのかなぁと 思いました。

 

そして 胸騒ぎが 取れないまま 次の日 お昼からの勤務で 

仕事場で制服に着替えていたら 妹から メールで。

「お父さん 救急車で 病院に運ばれた」と。

パニックです。

昨日 異変に気づいていながら 施設に そのまま 何も言わずに 帰ってきた後悔。

幸いにも 勤務先から 車で15分くらいのところの 病院に運ばれたので すぐに

病院に向かいました。

 

診断結果は ひどい脱水。からの 血糖値500カナヘイびっくり

他にも 検査してみたら、肝硬変からの肝臓ガンらしきものが 発見されました。

造影剤を使って ガンか確認を普通はするらしいのですが、今の父に

造影剤は 無理だったので 写真や色々な数値から ほぼ 肝臓がんの末期と診断。

余命 1か月から2か月と いわれました。

 

12月4日(日)父 入院です。

 

 

 

 

 

毎回 久々に更新する度に もっと頻繁に ブログの更新をしようと

心がけるのですがドクロ

気が付くと 半年とか 経ってしまいます叫び

定期的に更新されてる 皆様はほんとに すごいなぁと 思います目



もうすぐ 父が 入院し 施設へ入所してから 二年が 経とうとしています。

忘れもしない2014年3月2日しょぼん

時が経つのはホントに早いですあせる

二年前までは ほぼ普通に家で過ごしてたし 

自分のことは自分で出来てた父ニコニコ

ただ 物忘れがひどいとか 記憶が少し 混乱してる程度でした。


でも 今の父は 私のことは もちろん わからないし、

トイレも もう 自分では できないし 

ただただ 毎日 椅子に座って ぼーっと 過ごしてる 様子。

特養なので 致し方無いのは わかってはいます。

でも やはり 特養に入ってからの 父の 記憶の無くなり方が 急速すぎたので

それが 少し 心残りです。

以前の施設は 週4日 デイサービスが あったので、父には 面倒だったかもしれないけど

毎日 少しの刺激が あって 良かったと思いました。

私や 妹や 妹の旦那 孫のことも 分かっていましたし。


それでも しょうがないと 自分に言い聞かせています。


他の 入所者さんの ご家族が どれくらいの 頻度で 面会に 行くのかは 

わかりませんが、私は 一週間に1回は いくように しています。

義務と いうことではなく  後悔をしたくないというか 申し訳ないというか・・・


父の寿命があと どれくらいかは よく 分かりませんが 急に いなくなってしまっても

後悔しないように。


そして 父を 実家で 面倒見てあげずに 施設への 入所を 決めてしまったことへの、

申し訳ない気持ち。


独身の私が 仕事を やめて 実家で 父の面倒を 見るというのは

色々な リスクがあると 考え 妹とも 話し合い 決めたことです。

それでも やはり 心のどこかで ごめんなさい・・・って 思うことがあるのです。


今日 父に 


私 「お父さん ○○(実家のある市)に 帰りたい?」


父 「しらないなぁ」


私 「そっかぁ お父さん ここ 嫌じゃない?」


父 「嫌じゃないなぁ」


私 「そうかぁ・・・ここ どこ?」


父 「病院だなぁ」


私 「そっかぁ お父さんは入院してるんだね?」


父 「そうだなぁ」


少し 泣けてきましたしょぼん



父が 実家の存在を 忘れてしまったこと。

人生のうち 生まれてから 大学を 卒業するまでの23年間と 結婚して 今の実家の家を建ててから

倒れるまで住んでた約30年間の 合計 約50年以上住んでた 場所を 忘れしまうなんてなぁ・・・しょぼん
















ずーっと 気になっていたのですが・・・・あせる


父の服装なんですが 夏もずーっと 長袖を着ています。

パジャマも 薄手ではありますが 長袖を 来ているようです。


一応 初夏のころに 半袖の服に 半袖のパジャマも 用意して 部屋の 

引き出しにいれてあります。

介護士さんにも お伝えはしたんですけど・・・・


暑くないのかなぁと 父を観察しても 汗ひとつ かいてないし、

よーく見ると 周りにみえる ほかの入所者さんたちも みなさん 長袖目


たしかに ユニット内は ちょうどいい 感じの 空調設定だし 父の部屋も

クーラーかけたら 長袖でも全然 暑くない感じ。


年配の方は 半袖は 着ないんですかねぇ。


父は 家にいたときは 半袖のパジャマ 着てたんだけどなぁ。


あっひらめき電球でも 確か クーラーかかった部屋に半袖のパジャマ着てその上に 半纏来てたなぁ叫び


ってことは やはり 年配のかたは 寒がり?っていうか 体温調節が むずかしくなってる?


まぁ 父が 暑くないなら それで いいんですけどねニコニコ

今日は お仕事お休みだったので 父の所へ 行ってきましたニコニコ

最近 お仕事の日は 残業が続いてるので なかなか 仕事帰りに

父のところに 寄れないので お休みの日に 行くようにしてますニコニコ


父はいつもの場所のいつもの椅子に座ってました目

ちょうど 夕ご飯が 終わったころのようで お茶を飲んでましたお茶


父を誘って 父の部屋に 向かおうとしたら・・・・


「おねぇさん」と後ろから 声がしました。

振り向くと 父と同じユニットにいる おばあさんでした。

この おばあさん 車いすに乗ってはいるのですが

それ以外は 私の目からみるかぎり 頭もしっかりしてそうだし、

手も普通に使える感じ。ただ 足が悪いのかなぁという印象目


実は私はこの おばあさん ちょっと 苦手なのですショック!


以前も 帰ろうとしたときに 呼び止められて 

延々と 父の 普段の 生活ぶりを 聞かされましたショック!

もちろん 普段の 父の生活ぶりを 聞きたいですが

この おばあさんから 聞くことは 父の 迷惑行為的なことなのですしょぼん

もちろん 父が 悪いのは重々わかってます。


他の入所者さんの 部屋に 入ってしまうとか トイレに誰かが入ってても

開けてしまうとか 夜中に 起きてて 部屋から出てきてしまうとか

他の入所者さんの ご飯を 盗食してしまうとか 

父がいつも 座ってる 場所の 机と 椅子が 傷だらけに なってるとか・・・・・

(どうやら 父が 爪で 机や 椅子を こすってるらしいのです)


わかってます 父が 迷惑かけてるのは わかってます


その おばあさんが 言うには

「施設の人は 家族に こういうこと 報告しないから 家族の人は 知らないでしょ」

「でも 家族の人も 施設に 入れたら それで 終わりじゃなくて ちゃんと 知っとかないと」

みたいな!?


なんで あなたに そんなこと 言われなきゃいけないんだ こらぁーーむかっ


私なりに 介護士さんに 父の様子を聞いたり 迷惑かけてないか やんわり聞いたりは

してますが 介護士さんは 「大丈夫ですよー」「穏やかに 過ごされてますよ」です。

この前の 家族会議のときに 盗食のことは 聞いてましたが 後日 どんな感じか聞くと

「まだ たまに ありますが 見守りを行って 声掛けしたりしてるので 大丈夫ですよ」です。


父が認知症だということは この おばあさんは わかってます。

わかっていての この 発言。


父だって 認知症じゃなかったら そもそも 特養に入ってないだろうし

人様の ご飯だって 盗らないし 人様の 部屋に 勝手に入ったりしませんむかっ


この おばあさんと 話すと 私は 嫌な気分になるのですプンプン


かなり 話が脱線しましたが 今日 この おばあさんに 声をかけられたのは

どうも 私が来る少し前に 父の 机の上にあった ティッシュの箱を 父が 

壊してしまったらしく その ティッシュの箱を 私に セロハンテープでなおせというのです。


私が来たときは 少し離れた ソファーに その ティッシュがありました。

以前から というか 認知症になってからだと 思いますが 家にいた時も 以前の 施設にいた時も

たまに ティッシュの箱を 壊すというか 今の ティッシュの箱って側面に切り込みが入ってますよねはてなマーク

ごみに出すときに 小さくするために。

それが 気になるのか ティッシュがまだ 入ってても その 切込みを 押してしまうのです。


えぇ 別に 直しますよ?っていうか あなたに なぜ そんなこと 命令されないと いけないんだ?


ここで 私の中の どす黒い 悪魔が 出てきちゃうんですよねぇにひひ


「どうせ あんたなんて 家族の人が みんな いやがって 

誰も面倒見てくれなくて ここに(特養)にいるんだろ!」


「以前は 自分が 望んで 特養に入ったみたいのこと

 言ってたけど 車いすなのに誰も 面倒みてくれないから 

市役所に人が むりやり 特養に 押し付けたんだろ!!」


「自分が 認知症になって 人様に 迷惑かけるかもしれないって 

なんで 思えないだこらぁ!!!」


父を優遇してほしいわけではないです。

でも 父だって 人に迷惑をかけたくて やってるわけじゃない。


介護士さんが ほんとに困って 私に 言ってくるなら 素直に謝ります。

でも あの おばあさんに いわれると イラッとします。


それでも 私は 介護士さんに セロテープをかりて ティッシュを 直し

父を連れて 部屋に 行こうとしたら

その 介護士さんに 「あそこの机には ティッシュ置いちゃだめだよ」って 言ってたむかっむかっむかっ


父が わからないと思って 言いやがったのかむかっ


介護士さんが 認知症の人は 何をされても 忘れるから 意地悪したり 暴言はいたり 虐待したりって

テレビで 聞きますが ここは お前かむかっって 思ってしまいます。


それでも 帰り際には その おばあさんは 普通に 私に 話しかけてくるんですよねぇガーン

だから 悪気があるわけでは ないんだろうなぁと 思いたいですがショック!










特養に入所して早 11か月弱 父も今の場所に慣れてるみたいで

特に 帰りたいとか 言わないし(以前の施設の時も 一度も なかったし 入院中も なかった目

暴言暴力もないし(たぶん) なんとなく 落ち着いて 過ごしてるようです。


私が「お父さん」って 声をかけると 父は ニコニコしながら 「どちらさん?」と言いますしょぼん

最初は 冗談かと 思ってましたが やはり 冗談ではなく 私のことが わからないのです。


以前の施設にいたころは まだ 私のことは わかってる様子でした。

徐々に 認知症が進んでいるのでしょうねぇしょぼん

診断を受けてから 7年目なので しょうがないですショック!

私的には もったほうだと 思います。

もっと 早く 私のことがわからなく なると 思っていましたから。


それでも 一応 覚悟をしていたとはいっても やはり 父に 忘れられるとういうのは

ショックなものですねしょぼん

私の顔を見ても 「知らない」と 言われた 最初の時。

ショックのあまり 泣きそうだったけど 父の前では 泣いてはいけないと 思って ずっと我慢して

車に乗った瞬間 号泣でした。

覚悟はしてたけど ついにきたかぁと叫び


最初のころは なんとなく わかっていたご様子目

私の顔は わかるけど 名前が出てこない的なはてなマーク

「あ・・・・・」って 私が言うと

「あんてぃ」って 父が言うので あんてぃ って 名前は覚えてるみたいニコニコ

「そうニコニコあんてぃ だよ。お父さんの 娘だよ」って 言うと

最初のころは 「おぉニコニコ」って わかってるっぽい反応ニコニコ

それが 今では もう 私のことを娘と わからないみたいで

たぶん 介護士さんの 一人と思ってらっしゃるご様子ショック!


以前 妹の花子と 二人で 父のところに行ったときに

花子「あんてぃと 花子は 姉妹だよ。あんてぃと 花子と お父さんは 家族だよ」

父 「いやいや 違うニコニコ

と ニコニコして 答えましたドクロ


花子「お父さんが 違うと言っても 事実だからね」っと 言っても

父 「いやいや それは 違うなぁ」と 手を振ってました叫び笑顔でショック!


こんな時 ほんとに 姉妹がいて よかったなぁと思いました。

一人だったら こんな 悲しいこと 抱えきれないです。


今は もう 受け入れて 介護士さんの 一人として 父に 話かけてますドクロ

っと 言っても お父さんって 呼ぶと ニコニコしてくれるし

毎回 会いに行ったら かならず 私の名前と 妹の名前と 妹の子供の名前を

言っています。


お父さん。忘れないでよぉ・・・・・しょぼん












特養に入所してから しばらくは とにかく いろんなことが心配で

せっせと 通っていました。


もめた 入所者さんのことや ほかの入所者さんの お部屋に 入ってしまうこととか

盗食が あることも 聞いていたので叫び


それでも なんとか 介護士さんたちも トラブルがないように 見守りをしてくれるみたいで

喧嘩もなく 少しづつ慣れていきました。



以前の 施設は デイサービスがあったり、毎日の父の様子を記入する日誌があって

それに 家族が 見たら印鑑を押すというのが あって

毎日の 父の出来事や様子が わかって よかったのですが

特養では そういった ものが なく でも ファイルが入口にあるので 

体調とか 問題行動とかは 記入されてるんだろうなぁと思い、

閲覧できないのか 聞いてみると

「そういう声は ほかの 入所さんのご家族様からも あるんですが・・・」

「今のところ まだ そういったことまでは・・・」

「徐々に できるように前向きに考えてます・・・」的な?はてなマークはてなマークはてなマーク


いまだ 実現できてませんけど・・・!?


毎日 施設に行っては 父の様子を伺ったり 気になったことは

施設の方に お伝えしたりしてましたが・・・

最初のころは スタッフさんも 業務に支障がない程度には

教えてくださってましたが、 しばらくすると 

「問題ないですよー」「いつも おだやかに 過ごされてますよー」

が 口癖にドクロ


それが ホントならいいんですが・・・


きっと「娘さんには 余計なことは 言わないように」と お達しがでたのではないのかなぁと叫び


だって 心配だったんですもの!!

父がどんな 毎日を送ってるのかも 気になりますもの!!

以前の施設のように デイサービスがあるわけでは ないので

きっと ボーっと してる時間が 多いだろうということは わかってますが

それでも 最初のころに「今日は 洗濯物たたむの手伝ってくれたんですよー」

とか 「ほかの入所者さんの車椅子を 押してくれるんですよー」とか 聞くと

安心というか なんだか ほっこり気分になれたんですよねぇニコニコ

まぁ よっぽど困ったことが ない限りは 特養のほうで 対応してくれるんだろうとは 思いますし

どうにも 困ったら 家族にも 何かしら 接触してくるのだろうと 思うので

父を特養に お願いしたからには 特養の意見を尊重しようとは 思います。


そして・・・・月日が経つにつれて 少しづつ 父が 色んなことを 忘れていくのです・・・しょぼん




2014年9月下旬目

いよいよ 特養に お引越しでした。


最初に お世話になった 施設は 今 住んでるところから 車で1分でした。

今度の 特養は 車で7分くらいのところです。車


お引越しの日 まず 最初に 入所の手続きでした。

最初は 父も一緒に いたのですが、書類記入は 私がするので、

途中から 父は これから 生活する ユニットへ 介護士さんと先に 

行っていました。


私の 書類記入や 施設の色々な説明を一通り聞き、父のところに行くと・・・・


父が お世話になっている フロアーには 4ユニットあります。

仮に それぞれの ユニット名を 「花・嵐・蘭・雪」としましょう。

最初 父は 「花」のユニットに入ると聞いていました。

なのに なぜか 父は 「嵐」のユニットのリビングに 座ってました。


介護士さんに 尋ねると どうも 最初に「花」のユニットに 行って

リビングに いたら 先に入所されてる 入所者さんと もめたというのです。


もともと すぐに 怒ったりする 入所者さんらしく 

最初は 父は 無視というか 相手にしていなかったようなのですが

途中から 少し 喧嘩っぽくなり 引き離すために 父を 嵐の ユニットの

リビングに 連れて行ったと・・・・


私は 速攻 可能であるなら

ユニットを変えてほしいと 懇願しました。


だって 父が心配なんですもの。しょぼん

基本 父は めったなことでは 怒りません。

認知症になってしまってから 最初のころは しばらくは

怒りっぽくなりましたが、 しばらくしたら 普段の父に戻り、 昔よりも

穏やかになったくらいな 感じです。

そして 脳梗塞からの 認知症が一気に 進行してからは

そうとう いつも ニコニコ してました。

そんな 父が 怒ったというのです。

一度 部屋に 荷物を 運びこんだら

移動するのは 難しいだろうと 思い 荷物を 運ぶ前に ユニットを 

変更できるならと 思ったのです。


でも 他に 空いてるわけもなく・・・・叫び


とりあえず 様子を見て  一緒のユニットが 難しいようだったら

ユニットの入れ替えを考えるということで

まずは 最初の予定通り 「花」のユニットに 荷物を 運び 父の お引越し完了。


つづく・・・



2014年3月2日の入院から あっという間に 月日が経ちました。

一緒に 自宅で過ごしてたのが つい この間のようです。しょぼん


2008年9月に アルツハイマー型認知症と診断され 

約7年。若年性ということもあり ものすごいスピードで進行すると思ってましたが

お薬のおかげなのか ゆるやかーに進み トイレもお風呂も 自分で やれていたので

私は 介護らしい 介護は せずに 最後は 脳梗塞という形で一気に 進行し 入院から施設入所。しょぼん



一緒に 暮らしていた時は ほんとに いろんなことが 辛く イラつき

早く 解放されたいと あんなに 願っていましたが いざ 父が 施設に入所して別々に 暮らしていると 家に一人で 留守番していた頃は いろいろ 心配が付きまとっていたので その辺は 肩の荷が

おりましたが、 「あぁ 私の家族 いないんだなぁとしょぼん 」改めて さみしい気持ちです。

もちろん 妹がいますが 妹には 新しい家庭があるので そちらが ホントに家族です。

私の家族は やはり 父だったのです。

その父も 今では 私のことが ほとんど わかりません。

でも 特養に 毎週 会いに行くと ニコニコしてくれるので それは 救いです。


最初に入所した住宅型有料老人ホームは 5か月ほど いました。

施設にしては お値段も リーズナブルで 父も 何の抵抗もなく 普通に 生活できてました。

ただ 部屋に トイレがついていたのですが、 そこに おむつを流してしまって つまらせたり叫び

ほかの 入所さんの お部屋に 勝手に 入ってしまったり、叫び外に行く ドアを 開けて

ブザーをならしたり叫びと 色々 ご迷惑をかけてしまいましたが スタッフのかたや 施設長さんが 

ほんとに いい方たちで ここが 終の棲家でいいかなぁと 思ったほどです。ニコニコ

ただ やはり 特養とは違い 月々の 金額が変動してしまうのが 悩みでした。

洗濯も有料でしたし(あたりまえですが)おむつも 使った分だけの請求なので

どんどん 使用量が増えれば 値段も あがりますし。

年金内で 施設代 病院代 雑費などを 賄おうと思うと やはり 少しでも

施設代が 安いほうがいいと いうことで 特養に申し込んだのです。


ただ そんなに簡単にはいれると 思ってませんでしたし100人待ちは当たり前と思っていたので

こんなにすぐに 入れたのは びっくりです。


とことん父は 私たち娘に 迷惑がかからないように 色々なことが上手く進む人生だなぁと思いました目

もちろん 若年性認知症になってしまったのは 何より残念ですが、

父は 自分の年金内で すべて 賄えるだけの 年金をもらえてる方だと 思うので 

私たちの 負担は ほぼ ありません。

それに加えて 特養という 入るのに 何十倍もの 倍率のなか入所できたので ほんとびっくりです。叫び


特養が最高峰かと 聞かれると そうだとは 言い切れませんが いろいろな足し算引き算をした結果

うちの 家族には 特養が 第一希望だったので 入所できて 一安心です。


最初に入所した 施設も ほんとに 気に入っていましたが 今回 特養をお断りしたら

次いつ 入所できるか わからないので 決断しました。


たった 5か月でしたが、 最初にお世話になった 施設の スタッフの皆様 施設長には

ほんとに 感謝しています。

ありがとうございました。ニコニコ