何でもアル牢屋 -9ページ目

何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

口には出さないけど皆が思ってる事。大谷翔平は凄い。だけど面白くない
面白みに欠けるのは、彼が機械的だからだろう。突いて出てくる言葉も面白味がない。何処か血の通ってなさそうな会話をする。事実そうらしい。彼と食事をした者の証言によると、食事の最中もトレーニングの話ばかりしてくるのだと言う。しかも彼は酒を飲まない。何を飲んでいたのかと言うとノン・アルコールのビールだったそうだ。大谷の本音を言えば、ノン・アルコールすら飲みたくなかったのかもしれない。体の事を考え、出来ればお茶系統の方が良かった。どこぞのプロスポーツ選手は、飲み会の席でもプロテインを手放せず、プロテインと酒を混ぜて飲む筋金入りの馬鹿が居るそうだ。
おそらく大半の人が今年の大谷は駄目だろうと思っていた筈で、その理由と言うのは<水原事件>なんだけど、これだけの嫌な事に見舞われながらも、無表情、無感動で打ち続け、走り回り、その活躍ぶりを見せつけられたアメリカ人に付けられたあだ名がロボット。これを誉め言葉と取るか、中傷と取るか。大谷が取ったのは中傷だった。

水原事件を取り調べたのはロサンゼルス市警だった。略してロス市警。日本人にとってロス市警と言う言葉を初めて知ったのは殆どの人が映画であると思われる。それほどにロス市警を舞台にした映画作品が多い。だから馴染みがある。
だが残念な事に、このロス市警の歴史は汚職と隠蔽にまみれていた。凶悪な殺人事件、マフィア絡みの抗争、コールドケースになった猟奇事件も多数。ロス市警は事件の解決よりも、早く終わらせると言う意識の方が高い。そこには面倒臭さとイイ加減さがあり、最も手っ取り早い解決法が金だった。日本には「地獄の沙汰も金次第」と言う諺がある。不思議な事に、その諺は日本では通じず、アメリカでは通用した。それを地で行ってるのがロス市警であった。
 

水原事件には五者が絡んでいる。ドジャース、ロス市警、弁護士、大谷、水原。この五者の中で誰が一番厄介者だったのかと言うと、水原ではなく大谷だった。ドジャースはカリフォルニア州の所有物で、そのドジャースが大谷翔平と言う小さな日本の片田舎からやってきた怪物を10年1000億と言う大枚をはたいて買ったばかりの出来事であった。この騒動はカリフォルニア州と言う一つの州ぐるみによる壮大な事件に発展する事になった。
日本時間の早朝4時頃、NHKで、戦争でも起きたかの如く大袈裟な緊急速報が報道された。カリフォルニア州の大御所まで飛び出してきて「大谷は無実だ」と無表情かつ沈着冷静な真顔で訴えた。報道によると、水原事件は州の法に照らし合わせ、この会見を持って、この事件の終わりを宣言すると言う内容だった。
ハッキリ言って、この大袈裟な映画の様な展開は、水原事件が只事ではない事を余計に思わせてしまう結果になった。つまり大谷サイドは何かを隠している。しかもロス市警が絡んでいる。雇った弁護士の報酬は莫大な報酬を貰う予定で、その総額は大谷がエンゼルス時代に稼いだ金額のほぼ全てに相当する額なのだと言う。そんな額を何故払えるのか?答えはドジャース入団の1000億円だった。後払いは幾らでも出来ると言う算段だった。
私が思うに水原事件は、もっと単純で、その始まりは子供の火遊びだったのではないか?と考えてみる。つまり、水原に対する善意の想いで口座を自由に使わしていた。その権限を大谷が与えていた。当然、パスワードは教える。ロス市警の捜査によると、大谷からパソコンやスマホなどの機器類の提供を受けたそうだが、必ずしも機器類が必要か?と問われれば、そうは思わない。自分の口座を使わせる事くらい口約束で済むからだ。
この時点で銀行はどうなってるんだ?と疑問が浮かぶ。この点について信じ難い報道が展開された。水原が電話口で大谷の声を真似て銀行員が信じ込んだのだと言う。それって無理があるだろうと誰もが耳を疑ったが、その報道は何故か、まかり通った。皆が信用した。一部の人は疑った。その一部が事件の真相を追おうとすると圧力が掛けられた。これが大谷とマスコミとの戦争の始まりだった。

大谷とマスコミの関係は、水原事件を機に少しづつ溝が深まっていった。アメリカと喧嘩をしたくない大谷が選んだ喧嘩相手は日本だった。
水原事件は終わっていないと嗅ぎ回る一部のマスコミとフリージャーナリスト達。結婚した真美子の身辺をうろつくパパラッチ。12億円で買った新居を一度も住まないで売却する羽目に陥った上空からの撮影写真。その全てのイライラとムカつきは、日本のマスコミに向けられた。
プライベートのまとわりつきや誹謗中傷に関しては、ハッキリ言って日本よりアメリカの方が辛辣な筈にも関わらず、大谷の怒りの矛先は日本に向けられた。それは、ある意味賢い。大谷にとってアメリカ人とは、絶対に喧嘩してはならない相手だと言う認識がある。アウェイと言う状況は勿論だが、それ以上に防衛本能の方が大きい。アメリカでは何を書かれても言われても笑う。だが、同じ事を日本がすれば容赦はしない。事実、大谷は日本テレビとフジテレビに脅しをかけた。

「俺を馬鹿にするな。真美子に近づくな。水原事件の真相を追うな。取材拒否より、もっと怖い目に合わせるぞ」

大谷が以前とは違う<人変わり>を起こしているのは歴然とした事実だろう。顔つきも何処となく変わってきた。エンゼルス時代の様な澄んだ目が、今は人を疑う様な目付きをする様になった。その目付きは試合後の日本人記者に対する質疑応答に顕著に現れる。以前は記者の目を見て話していたが、今の大谷は、日本人記者の目を見ない様に喋っている事に気付いてる人が、どれ位いるだろうか?返答も何処となく刺々しくなり、太々しい笑みをする様になった。

「俺はお前ら日本のマスコミが憎い。お前らが俺を困らせてるんだ・・・」

水原事件は大谷翔平と言う子供の様な大人を強制的に変える切っ掛けになった。褒める事しかしてこなかった人達が自分を責めている。人はこうも変わる生き物なのか?と、生まれて初めて人を疑い、野球が詰まらないと感じた。
ドジャースに来なければ良かったと大谷は思っている。ロクな事が無い。自分を取り巻く称賛や畏敬、尊敬、それらがサーカスの見世物染みた模様を呈している。何か気持ち悪さを感じて仕方が無い。その気持ち悪さが何処から来ているのか?

「俺を馬鹿にする奴等を黙らせてやる・・・」

大谷は数字に拘った。数字と言う絶対的な結果を見せつける事で人は黙る。大谷は、自分の価値がホームランだと言う事を知っている。ヒットや盗塁が先ではない。ホームランを打たなきゃ自分で居られなくなると言う強迫観念が、異常なまでの原動力となる。
40-40が済めば50-50だと騒ぎ立てる。これを達成すれば60-60になり、今度は70-70だと言い出す。そうこうしてる間に来年はピッチャーの仕事が課せられている。ピッチャーとして求められる数字は15勝から20勝。ホームラン数は50以上。走れるイメージも定着した今、盗塁数も50以上。

「俺は野球に殺される・・・」

10年後の1000億円は実の所、条件付きと言う事になっている。細かい提示までメディアに公開する義務は無いが、どうにも胡散臭さを感じる契約金ではある。
もしも明日の試合で再起不能の怪我をした場合、その契約はどうなるのか?野球が出来なくなった異国のメジャーリーガーに何処までの恩恵を施すのか?そもそも面倒を見る気があるのか?無いのか?
過去、メジャーリーグは汚い事は何度でもやってきた。薬物による筋肉増強、その体から繰り出された圧倒的な数のホームラン。それが嘘っぱちのインチキだとバレると、ホームランが出にくい<低反発ボール>と言う、いわゆる<飛ばないボール>にコッソリ代え、ホームランを沢山打たなくなるように細工をする。今度はそれがバレた。アメリカの野球ファンは怒った。だが、ファンが怒ったのはインチキ・ボールの事ではなく、ホームランが出ない事に対する純粋な怒りだった。私はこれを知った時、アメリカと日本の野球の質の違いを知った。その違いとは、日本が求める野球がアメリカには無く、アメリカが求める野球は日本には無いと言う事だった。

メジャーリーグに少なからず関係してるかなと思う事を書いておく。先日、フジテレビの報道番組「BSプライム」を観ていたら、ジョセフ・クラフトと言う論客が非常に気になる事を言っていた。

「今のアメリカには誇りが感じられない」

彼はそう言った。
ジョセフ・クラフトと言う人は最近出てきた新鋭の評論家なんだろうか。肩書は外交・安全保障アナリストと言う事らしい。何だかよく判らないが、話を聞いてると中々面白い。ズバズバと鋭い指摘と分析をする。アメリカ人が器用に日本語で話す。鋭い事を言う人は地上波のテレビで使い辛いのか、BSフジのプライムでしか今の所、観た事はなく、他局では見掛けない。
それで、この言葉を聞いた時、真っ先にメジャーリーグの大谷を思い浮かべた。メジャーリーグはアメリカ人が作ってきた文化と伝統である。その文化と伝統が今や日本人に蹂躙されている事実。しかも拍手喝采で迎え入れていると言う現実。私は思う。お前ら悔しくないのか?お前らアメリカ人が調子に乗ってる日本人をやっつけないで何をしてるんだと。何処の誰が大谷をやっつけるんだと。お前たちアメリカ人がメジャーリーグの主役なんだろうと。
ジョセフさんが言った「今のアメリカには誇りが感じられない」と言う言葉は、今やっているアメリカ大統領選の話ではあったが、メジャーリーグにも十分当て嵌まる言葉だと思う。世間はどう思うかと言えば、メジャーリーグと言う大要塞は、一人の日本人によって陥落したんだと取る。そんな事は無いと言う野球好きの人の気持ちは判るつもりだが、世間と言うモノは、そう受け取るのである。
私が懸念するのは、アメリカと言う国で外国人が天下を取る事の危うさと怖さである。大谷は来年ほぼ間違いなく、ベビーフェイスからヒールに転向せざるを得ないだろう。島国から来た田舎者に、大国の王の座に就かれる事の悔しさと忌々しさは計り知れないだろう。謙虚さの裏に野心を秘めたアジア人を、メジャーリーグは本当に歓迎しているのかどうか?
アメリカのスポーツ・ジャーナリストに、聞けるものなら是非聞いてみたい事がある。

「アメリカは大谷翔平と言う日本人を、今後どう扱うおつもりですか?」

私としては、50-50だとか、ホームランの数よりも、そっちの方に興味がある。

一か月後に発売が迫った「三国志8 REMAKE」最新公式動画・第二弾

1:戦闘の基本は挟撃と囲み。絆システムの重要性。

今回のテーマは登録武将の作成と戦闘システム。一つ目は、ゲストの男色ディーノが自画像付きの登録武将を作成して、舞台は212年の西涼の馬超の元に配置し、裏切り者の韓遂を討伐しようと言う企画。
光栄の三国志シリーズの戦闘システムは、駒移動だったり、リアルタイムになったり、繰り返しなんだけど、今作はリアルタイムではなく、駒移動で進行していくらしい。リアルにしろ駒にしろ、戦闘の基本は挟撃で、自軍の駒で敵を挟み込む、或いは囲んで叩く事で優勢になる。更に重要なのは絆システムで、武将との交流と友好関係を深める事で連携が発生し、より多くのダメージを与える事が出来る。
要は武将の頭数と絆が深ければ、必ずしも一級品の武将に頼らなくても、中堅どころの武将でも十分立ち回れると言う事。それによって強い武将や勢力と互角以上の戦いが可能となる。この辺が醍醐味なんだと思う。

2:一騎打ちシステム

三国志の華とも言える一騎打ちも、シリーズでコロコロ変わる。思えば一騎打ちは二作目から導入され、任意ではなく、自然発生&オートが基本的な一騎打ちシステムだった。
シリーズを重ねて手札形式になり、じゃんけん方式になり、そうかと思うと又、オートに戻ったりを繰り返している。ちなみに前作のナンバリングの三国志14ではオートであった。一騎打ちは始まってしまったら運を頼りにするしかないと言う状況よりも、やはり見てるだけでなく、なんらかの手を出したいのが本音であり、じゃんけん方式が良いのか、手札方式が良いのか向き不向きがあるのは仕方が無い。かと言って、格ゲーみたいに昇竜拳コマンドや波動拳コマンドを入れて必殺技とかやられても興醒めする訳で、どれがイイのかは難しい所。
今作で初めて公式に公開された一騎打ち場面を見る限り、手札の数字の優劣を制作者が説明していたのだが、何だかよく判らない。そういう人も居たのではないか?この札は、あの札に強いとか、じゃんけんでは無く、カードに表示される数字の合計数により優劣が決まるんだろうか。
この辺はチュートリアルを見れば理解出来るだろうが、武将による特性やら特技やら細かい要素も絡みそうなので、詳しく知りたい所。

3:激戦?曹操軍VS孫権軍!

それで舞台は変わって、次の企画が209年、呉の孫権が揚子江を渡って南下する曹操軍を迎え撃つという場面。
三国志で有名な南船北馬と言う言葉通り、北の曹操軍は陸上戦は得意でも水上戦は不得意。孫権軍はソコに付け込む隙があると言う訳で、水上戦に持ち込む。それにしても曹操軍の陣容たるや凄いメンツが攻めてきた。大将の曹操を筆頭に、親族の曹仁、曹洪。曹操直属の将軍である張遼、徐晃、張郃、李典、于禁。軍師に程昱、賈詡。もうこのメンツを見ただけで気が滅入ってきそうである。
呉の孫権軍の希望は周瑜であって、彼の持つ特殊な火計が勝利の鍵を握っていると言っても過言ではない。見た感じだと周瑜の持つ火計は巻き込みの効果と威力が桁違いで、いかに曹操軍を密集させ、そこに火計を炸裂できるかが勝利の秘訣となる。
 

プレーヤーの男色ディーノのプレイは全然参考にならない

 

孫権軍の最強とも言える武将達を使っても活かし切れない。まず、この戦いの場合、要の周瑜を曹操率いる密集地帯に近づけさせる必要がある。にも拘らず、何故かディーノは離れた小部隊に近づき、折角の周瑜の火計を使ってしまい台無しにしてしまう。挙句の果てに何を思ったのか揚子江を北上し、曹操軍を放置して近くの城攻めを開始する。この時点で視聴者はガッカリ駄目だこりゃって感じになる訳で、手柄と言えば、孫権軍の周泰が張郃を一騎打ちで破り捕縛した事くらいか。
視聴者が期待したのは、曹操軍の大軍を水上戦でどうやって葬るかと言う点であり、周瑜の凄さを見せ付ける場面だった筈なのだが、全く違う展開になってしまった。今更だが、このシーンを凄い場面に出来そうなのはゲーム動画で御馴染み、歴史シミュレーションゲームの大御所・うどん氏くらいしか居ないのではないか?
発売まで一か月弱と言う事もあり、ナンバリングでは必ず光栄側がプレイ動画のオファーを出している筈なので、10月に入ったら御登場するのかもしれない。彼のプレイに期待したい。

4:公式動画・第二弾を観た感想と、気になる内政&外交について

7月に第一弾、9月に第二弾、次回の10月の第三弾で紹介動画は終了と言う事になると思うが、此処まで見た感じの感想を書きたい。
まず、旧・三国志8とは、もはや別ゲーであると言っても過言じゃないだろうなと思う。旧版のストレスは解消され、全体的に動きが滑らかになった。武将グラも更新されカッコ良くなっている。
信長の野望にしても三国志にしても、近年は戦闘システムに重きを置くのが主流になっており、往年のシミュレーション・ゲーマーからすれば、やはり基本は内政だろうと言う主張がある。この内政に関して公式では詳しい紹介はされていないので気になる所。
外交戦略は重要で、何処と組み、何処と戦うかを明確にしなければ領地拡大は難しい。他国との外交で肝になりそうなのが舌戦で、戦いでは役に立たない知将の活躍所となる。余程の敵対国でない限り、舌戦で丸め込んで停戦&同盟に持ち込めたり出来れば、かなり楽しくなる。或いは金をせびりに行ったり、米を恵んで貰ったり、婚姻の申し込みだったり、外交に馳せる夢は果てしない。駆け引きの充実した外交システムを是非、期待したい。

 

 

 

80年代の映画サントラはジャンルに限らず、秀逸なモノが多い。主題歌と言う音楽は、その映画を象徴しなければならない訳で、流行の音楽や歌手の宣伝行為であってはならないと言うのが私の考え。
個人的な想いとしては、ラジオ番組なんかで映画サントラをもっと流してほしいんだけど、流れたとしても多くの人が知ってる大衆向け映画の主題歌ばっかりで「またかよ」って感じで面白くない。だったら自分で取り上げてみようと言う企画。

87年作の吸血鬼映画「ロストボーイ」。この映画については以前、このブログで取り上げた。日本でも映画館で公開された映画なんだけど、イマイチ人気が無い。私に言わせると、こんなにカッコ良くて面白い吸血鬼映画が何故、日本で人気が出ないんだろうと不思議で仕方が無い。
この作品の偉大さって、おそらく吸血鬼映画にファッションを根付かせた所で、近年のファッショナブルな吸血鬼キャラの先駆けだったじゃないかと思う。もう一つの魅力は、この映画全体がコミック的で、行楽地と言う箱庭で起きる事件が無理なく展開されていく。けっして多くは無い登場人物、限られた登場人物で、2時間にも満たない尺でテンポ良く仕上がっている。
今年2024年、87年の公開から37年経った今も、アメリカではカルト的な吸血鬼映画として愛されている。凄いなと思うのは、定期的なファンの集いの様なイベントもあり、当時の出演者が集まって撮影秘話や役柄についてトークも展開される。日本では見られない光景である。

 

 

 

此処からはサントラの話
アルバムには全10曲が収録されていて、いずれも劇中で流される。どれも場面に合った選曲で作品を盛り上げる。最初に紹介するCry Little Sister(クライ・リトル・シスター)は、ロストボーイ全体を象徴する曲で、オープニングで触りの部分が流れ、中盤でも流れる。曲全体が幻想的な雰囲気で、オープニング、この曲に乗せて夜の遊園地に現れるキーファー・サザーランド達が不気味で、ワクワクしてくる。

 

 

 

次の曲が、おそらく、このアルバムで一番カッコいい曲でLost in the Shadows(ロスト・イン・ザ・シャドウ)
このブログのレビューでも書いたけど、キーファー演じるデビットと、ジェイソン・パトリック演じるマイケルが、バイクで砂浜を疾走し、闇夜の森を駆け抜けて行くシーンで流れる。場面的に、これ以上ないほどの絶妙な選曲。マジでカッコいい!

 

 

 

ロストボーイの物語は、Don't Let the Sun Go Down on Me(ドント・レッツ・ザ・サン・ゴー・ダウン・オン・ミー)で幕を閉じる。
この歌。私は最初、ロストボーイの為に作られた曲なのかと思っていたのだが、ロストーボーイ以降、色んな歌手がライブで歌っているのを聴いて、もしかして、この歌は映画専用に作られた主題歌では無いのかな?と感じ、調べてみた。
ロストボーイではイングランドの超有名バンド、ザ・フーのボーカルのロジャー・ダルトリーが歌ってるんだけど、原曲はイギリスの歌手・エルトン・ジョンが74年に作った曲らしい。エルトン・ジョンのバージョンもあったので、聴き比べてみる。なるほど、雰囲気が違うなと感じる。ロジャー・ダルトリーが歌うと熱気を感じるが、エルトン・ジョンが歌うとクラシックになる。
少年達と吸血鬼の死闘が終わり、安堵感と余韻すら残るDon't Let the Sun Go Down on Meは、この映画のエンディングに華を添えるのである。

 

 

 

 

 

最後にアメリカで行なわれたロストボーイの集いの動画を挙げてみよう。イベントは2023年なんだけど、それ以前から、このイベントは不定期に行われているらしい。出来る事なら是非、参加してみたいほど羨ましい限り。
今回の出演者は、キーファー・サザーランド、ジェイソン・パトリック、アレックス・ウィンター、ビリー・ワースの四人。ロストボーイズ勢揃いと行きたい所なのだが、一人足りない。ポール役を演じたブルック・マッカッターが2015年に他界し、全員は揃わなくなってしまった。
その他にも鬼籍に入ってしまった俳優も数人いる。映画の主役とも言えるサム役のコリー・ハイム、その祖父の役を演じたバーナード・ヒューズ、ビデオ屋の謎の中年紳士・マックス役を演じたエド・ハーマン。個人的な想いとしては、最後の最後でオイシイ所を持って行ったマックス役のエド・ハーマンの話を聞きたかったなと思う。
 

それにしても、ロストボーイの集いにキーファーとジェイソンの二人が参加する様になったのはいつからなんだろう。中でもキーファーは腰が重く、この映画について余り深く語らない。今から20年くらい前に、日本のNHKでアメリカのトーク番組を放送してた時期があって、たまたまそれを観ていたらゲストがキーファー・サザーランドだった。スタジオの観客の前で司会者と俳優が過去作の映画のトークをする内容なんだけど、ロストボーイについて触れるシーンがあった。

司会:「ロストボーイと言う作品は、貴方にとって、どんな作品でしたか?」

キーファー:「ファンにはガッカリさせてしまうかもしれないけど、余り印象に残ってない作品なんだ。とにかく台詞が少なかった事はよく憶えてる。しかし、俳優として伝説上のモンスターの役を演じられた事は貴重で、とても良い経験になったよ」

私が観た感じでは、こんな感じのトークだった。俳優にとって全ての作品が想い出になる訳ではなく、ファンがコレが素晴らしいと評価しても、当事者の俳優にとってはそれほどでもないと言うケースがあるんだなと感じたものだった。
そんな感じだから、ロストボーイの集いがあったとしても参加してくれないんだろうなと思っていたのだが、いつの間にか参加していた。周囲やファンの熱意が伝わったと言う事なんだろか?それとも気紛れなのか?その辺はキーファーにしか判らない。どういう経過にしろ、私は素直に彼の参加を歓迎したい。

 

 

 

ネットを開いてビックリした。2024年8月20日。声優の田中敦子・死去。死去当日に公式発表と言う流れは、この御時勢に珍しい事だ。有名人の死去報道は葬儀一切が終わってから報告と言う流れが当たり前になっていただけに衝撃度は中々強い。
個人的な想いとして、近年の<三大・熟女声優>と言うのがあって、年齢順に行くと田中敦子、湯屋敦子、甲斐田裕子の三人で、その一角が、こんなに早く早世してしまうとは全くの想定の範囲外であった。
三人には共通点が一つあって、戦う女を演じたら一級品の声優と言う位置付けなのである。御三方とも映画や海外ドラマの経験は豊富で、それぞれに代表作があるのだが、最も多くの人に知られる切っ掛けになるのはゲームとアニメで、このジャンルにおいても、この三人ならではの唯一無二のキャラがある。
特にゲームのバイオハザードでは、甲斐田裕子のクレア・レッドフィールド湯屋敦子のジル・バレンタインは双璧と言うか鉄板と言うか、代えが利かない感じのフィット感がある。甲斐田裕子の清涼感溢れる知的な勇ましさと、湯屋敦子のシャキシャキとした<デキる女>って感じの吹き替えは聴いてて気持ちがイイ。

田中敦子はどうか?どうかと言うより、どうだったか?と言う過去形になってしまうのだが、真っ先に思い浮かぶのは2003年から2010年まで全7シーズンに渡って放送された「コールドケース 迷宮事件簿」と言う海外ドラマ。リリー・ラッシュと言うヒロインの女刑事が抜群のカッコ良さで、そのリリーを演じたキャサリン・モリスの吹き替えを担当してたのが田中敦子だった。
印象としては、大人の女と言うか、自立した強い女と言うか、或いは青年主人公のママ役というのもあった。時に刺々しく、時に色っぽく、時に甘え上手な女と言う風に、器用に立ち回るタイプの声優さんであったと思う。

 

 

田中敦子、湯屋敦子、甲斐田裕子の三人は、90年代に飛躍した人達で、次世代型のヒロイン声優だった。70年代から80年代は、戸田恵子や小山茉美、藤田淑子あたりが、映像でよく耳にする代表的な強い女を吹き替える声優達だった。
近年の戦う女は昔とは趣が違う。物理的なアクションより頭脳を駆使して戦う状況判断型のヒロインの方が受けがイイらしい。グレネードランチャーや火炎放射器の様な凄い武器で立ち向かう代表格と言えば、エイリアンで有名になったシガニー・ウィーバー演じるエレン・リプリーだろう。シガニーと言えば戸田恵子である。アーノルド・シュワルツェネッガーの初期の頃の作品で共演してたサンダール・バーグマンと言う女優の吹き替えも戸田恵子だった。声優としての戸田恵子の歴史は非常に深い。
藤田敏子と言えば北斗の拳のマミヤ。仕込みのヨーヨーで男の顔面を叩き割る美人・女戦士だし、キャッツアイでは三姉妹の長女・ルイ姐さんで、美しい女強盗が印象深い。
小山茉美と言えば、シャロンストーンが定番だろう。有名な氷の微笑もいいが、個人的に良かったのはクイック&デッドの女ガンマン。後はシルベスター・スタローンと共演したスペシャリスト。この辺りの作品が<戦う女>っぽくてイイ

何故かは判らないけど、声優と言う職業の人達は寿命が短い。しかもレジェンド級の声優に限って早世してしまう。2024年は大量にレジェンド声優が逝った年になってしまった。
世間と声優の関係って面白くて、互いに歳を重ね、その時々で想い出の作品を共有しあう。一人一人に好きな声優が居て、好きな作品がある。俳優、歌手、声優、芸人、漫画、小説、これらは全部、その人が生きた証として残っていく。その人が世を去ったとしても、作品は残り続ける。それらを守り続ける人達が居て、語り継ぐ人達が居る。それらこそが、芸能と言う娯楽の褒めていい美点であろうと私は考える。

 

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和田アキ子に言いたい事は、自分の発言にプライドとポリシーを持ってくれよって事。やり投げの北口に対する「トド発言」にしたって、本人が腹を立てて謝罪を要求してるなら判るけど、テレビで謝罪って言ったって何処の誰に対する謝罪なんだよって事なんだよ。
最近に限らず、日本で起きてる変な事って言うのは、当事者でも無い人同士が徒党を組んで代理戦争をやってる事で、その光景は異常としか言い様が無いし、自分達が変だって事に、そろそろ気づけよって事なんだよ。徒党を組むネット住民って言うのは確信犯で、自分達がネットで騒ぎ立てる事で、ある種の媒体を動かす事が出来るって思い込んでる。例えれば扇動者による一揆と変わらないと思う。
失言の度にネットが騒ぎ立てて、それをテレビが真に受けて、カメラの前で謝るって言う光景を、見慣れたって一言で済まして良い事じゃないと思うよ。テレビはネットを恐れ過ぎてる風にしか見えない。

芸能は客商売で、何らかのアクションで客が怒り出したら謝んなきゃ拙いって言うのは判るけど、度が過ぎる謝罪も如何なものかと思う訳で、ネットで匿名で騒ぎ立てる奴等に限ってテレビなんか観てないんだと思うよ。その癖、アンテナだけは立てて何か騒ぎのネタは無いかと日々を過ごす。先日、作家の志茂田景樹が「誹謗中傷は憂さ晴らし」と発言してたけど、その通りだと思うよ。
結局、和田アキ子のトド発言騒動って言うのは、発言に対するバッシングと言うよりは、和田アキ子嫌いのアンチが「ここぞ」とばかりに失言を待っていた訳で、それイケって感じで、すぐに炎上になった。そんな見え透いた事くらい、日頃の和田アキ子・バッシングを見てれば、すぐにピンと来る訳。
常々感じる事なんだけど、ネットの騒ぎ立てって言うのは透明人間が発してる言霊みたいなモンで、実態が無い。騒ぎ立てる奴は文字だけ書き残して姿も見せないし、時期が過ぎるとスッと消えて次の生贄を探して彷徨う。
テレビ側からすれば対応に追われるって事なんだろうけど、焦らず冷静になって考えて欲しい。自分達は何に怯えてるんだと。何を怖がってるんだろうと。何か見えてくる真実があると思うよ。
 

和田アキ子の話題に戻すと、直ぐ謝るって言うのは和田アキ子のキャラじゃないし、それどころかキャラ崩壊って言う領域で、古くから知ってる人からすれば、失望と言うよりはショッキングな出来事として、見てはいけないモノを見てる様な感じ。
この場合、どうすればいいかって言えば、和田アキ子は謝る所は謝って、抗うべき所は抗うと言う姿勢を見せるべき。そのくらいが丁度いい。この騒動って言うのは、どう考えても異常。
 

で、放送終了後の反応はどうだったのか?

 

案の定、今度は謝り方が気に喰わないと騒いで、謝罪に対する炎上。これで判った事は、トド発言がどうのこうのと言うのは難癖で、その実、和田アキ子をやっつける為の口実でしかなかったって事。要するに、有名人虐めが楽しくなっちゃってる連中の祭りになってる。

騒動の発端場所になってるのは、殆どがネット記事のコメント欄で、よく議論の的になってるのが、コメント欄の存在は是か非かって事なんだけど、こう言う騒ぎを一発で終わらせるならコメント欄廃止にすれば済む話なんだけど、そうはならない。そうはならない理由の一つが企業の利益云々と言う問題らしい。コメント欄が賑わうと誰かが儲かると言うシステムが形成されてる為、儲けてる側が辞めたくない事情が出て来る。
ネット事業と言う頭脳労働が思いの外、美味しく儲かってしまう為、何かを犠牲にし、誰かが不幸になったとしても、儲けを優先する風潮になってしまった。それが今のネット事情と言う事。
ネット住民って中々狡猾な所があって、掲示板の類に拙い事を書き込むと逮捕される可能性があるって事を知ると、次の場所をせっせと見つけた。それがネット記事のコメント欄だった。コメント欄であれば取り締まりは緩いであろうと言う計算があるのだろう。
代理戦争はコメント欄に限る。日頃の憂さを怒りに変えてモチベーションを保つ。そうする事で生きてる実感が湧いてくる。さて、明日は誰の代理戦争を始めようかとワクワクしてくる。ペンは剣よりも強しとはよく言ったもので、武力を持たない日本と言う国を象徴した現象だなと、つくづく思う。