これを書いてる日に、テレビで<流行語大賞のノミネート>について取り上げていた。歳のせいなのか判らないが、下らないなと思ってしまった。似た様な催しに<今年の漢字一文字>と言うのがあるが、毎度ながら、これも下らないなと思った。
日本と言う国は、何事も下らなくなっているのではないか?と感じてるのは私だけじゃないのだろう。テレビ離れ、活字離れ、これも下らないから離れていく。テレビは下らない事をひたすら取り上げ、視聴者から愛想をつかされる。活字離れにしても、本当の理由は優秀な書き手が居なくなってるから起きていると私は勝手に思っている。と言う事は、本を読まなくなった世間が悪いのではなく、本を売る側に責任があるのだろう。メディアは、そこを判っていながら認めようとしない。何故、認めないのかと言うと反応が怖いのだろう。
メジャーリーグの大谷報道はどうか。私は、大谷報道は<報道ではない>と思っている。分類すれば情報であり、キャラ弄りをしている辺りはエンターテイメントなのだろう。そう思う根拠に、まず、大谷の記録を世間が知った所でどうなる?と言う素朴な疑問がある。この部分を突き付けると、メディアが次に返すのは<経済効果>と言う言葉で、最近メディアは、言葉に詰まると決まって二つの言葉を出してくる。その一つが<経済効果>であり、もう一つが<多様性>と言う言葉。
経済効果って言う言葉も大嫌いな言葉で、この言葉には何か厭らしさが纏わりついている。儲かればいいだろう的なニュアンスがある。勝てば官軍みたいな響きもある。
下らないと思う背景には何があるんだろうか?と考えてみる。
損得勘定、合理主義と言う要領の良さに拘っている風にも見える。自分の身にならない事は時間の無駄と考え、何かしら自分に利があると思えば多少は食い付く。活字離れと言っても、全ての本を読まないと言うのではなく、自分の役に立つ事なら読むと言う意識らしい。要するに、役に立たないエンタメ本ばかりが商品化され本棚を埋めていく。御蔭で本屋は売れない本で溢れ、客足が減るから潰れていく。
出版側にも大いに問題があるだろう。年間、一体どれくらいの新人作家が誕生するのか。デビューしたのはいいが、それっきりと言う流れが普通になる。結果、新人作家は世の中に溢れる。嘘か本当か、我々が日々、無料で読んでいるネット記事は、編集者が書いているのではなく、安い金で雇われた<売れない作家達>なのだと言う。有り得ない話ではないなと思う。その記事に腹を立てて、代理戦争を始めるネット住民達。配信側が笑っているのが目に見えてくる様である。
<生き急ぎ>なんて言葉もある。これを最も実践しているのが大谷翔平だろう。出来る事をやるが口癖の彼は、人生の設計書通りに、とにかく急いで打って、急いで走る。記録尽くしの2024年になったが、人生の計画書に書き忘れたのは、身近な人が災いを運んでくると言う予期せぬ事件だった。
人生の計画書と言う言葉は、実の所、流行語大賞にノミネートされてもイイと思ってる。勿論、皮肉な意味で。マスコミが馬鹿だと思うのは、上手く行った人だけを参考にしてしまう事で、そんな物を推奨して失敗の連続だったら、どう責任を取ってくれるのか?取る義理など無い。それがマスコミの言い分だろう。
今年の大谷騒ぎを客観的に眺めてると、日本国民は大谷翔平の様に生きるべきだと言う風に聞こえてくる。いわゆる<大谷基準>。
何処かのワイドショーで、「大谷はターミネーターだ」と声を大にして言った識者が居た。その識者は間もなくして降板になった。タイミング的に改変期とか一身上の都合と言った感じではなく、明らかにターミネーター発言による影響だと言う事は視聴者に伝わってきた。それで判るのは、この識者は大谷が嫌いなのである。それを公共の電波で発散したまでは気持ち良かったが、その後、消された。この識者は「大谷は嫌いだ」と言った訳ではなく、悪口を言ってる様なニュアンスに取られたから睨まれてしまった。
こう言った出来事を見てると、一種のと言うか、それなりの宗教が出来上がったと思う。宗教の条件とは何か?
1:そこにカリスマが居る事
2:崇拝者が居る事
3:そのカリスマが人を狂わす才能を持っている事
4:カリスマを守ろうとする人が居る事
見ようによっては宗教とは、下らない馬鹿騒ぎと取る事も出来る。関係の無い人は、どうでもいいじゃないかと知らんぷりする。宗教の怖い所は、その知らんぷりを許さない所にある。
「なんで、あの人の悪口を言うんだ!」
「なんで、一緒になって応援しないんだ!」
こんな言葉で目の前に迫られると怖くなってくる。同意しないと何をされるか判らない。もしかしたら、次に刺してくるかもしれない。人に危害を加えるのは神でも悪魔でもなく、人自身なんだと言う事を「女神転生」と言うテレビゲームが教えてくれる。実に説得力がある良質なゲームであった。
思うに、日本はドライな人達が増えたんだと思う。何事にも冷めている。損得勘定が優先し、合理主義になると人間関係も希薄になってくる。何をすると楽しいか?とか、充実感とは何か?とか、情報過多で混乱を起こしているとも言える。
情報過多が人を狂わせているんだとしたら、その原因はネットだろう。一つの結論だが、ネットで世の中の動きを知った様な気になっている人達よりも、ネットに依存しない生活を送っている人の方が幸せな人生を歩んでいる様な気がする。
私が今、最も尊敬する人とは、そう言う人達である。


