蔓延するネット住民の代理戦争! | 何でもアル牢屋

何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

和田アキ子に言いたい事は、自分の発言にプライドとポリシーを持ってくれよって事。やり投げの北口に対する「トド発言」にしたって、本人が腹を立てて謝罪を要求してるなら判るけど、テレビで謝罪って言ったって何処の誰に対する謝罪なんだよって事なんだよ。
最近に限らず、日本で起きてる変な事って言うのは、当事者でも無い人同士が徒党を組んで代理戦争をやってる事で、その光景は異常としか言い様が無いし、自分達が変だって事に、そろそろ気づけよって事なんだよ。徒党を組むネット住民って言うのは確信犯で、自分達がネットで騒ぎ立てる事で、ある種の媒体を動かす事が出来るって思い込んでる。例えれば扇動者による一揆と変わらないと思う。
失言の度にネットが騒ぎ立てて、それをテレビが真に受けて、カメラの前で謝るって言う光景を、見慣れたって一言で済まして良い事じゃないと思うよ。テレビはネットを恐れ過ぎてる風にしか見えない。

芸能は客商売で、何らかのアクションで客が怒り出したら謝んなきゃ拙いって言うのは判るけど、度が過ぎる謝罪も如何なものかと思う訳で、ネットで匿名で騒ぎ立てる奴等に限ってテレビなんか観てないんだと思うよ。その癖、アンテナだけは立てて何か騒ぎのネタは無いかと日々を過ごす。先日、作家の志茂田景樹が「誹謗中傷は憂さ晴らし」と発言してたけど、その通りだと思うよ。
結局、和田アキ子のトド発言騒動って言うのは、発言に対するバッシングと言うよりは、和田アキ子嫌いのアンチが「ここぞ」とばかりに失言を待っていた訳で、それイケって感じで、すぐに炎上になった。そんな見え透いた事くらい、日頃の和田アキ子・バッシングを見てれば、すぐにピンと来る訳。
常々感じる事なんだけど、ネットの騒ぎ立てって言うのは透明人間が発してる言霊みたいなモンで、実態が無い。騒ぎ立てる奴は文字だけ書き残して姿も見せないし、時期が過ぎるとスッと消えて次の生贄を探して彷徨う。
テレビ側からすれば対応に追われるって事なんだろうけど、焦らず冷静になって考えて欲しい。自分達は何に怯えてるんだと。何を怖がってるんだろうと。何か見えてくる真実があると思うよ。
 

和田アキ子の話題に戻すと、直ぐ謝るって言うのは和田アキ子のキャラじゃないし、それどころかキャラ崩壊って言う領域で、古くから知ってる人からすれば、失望と言うよりはショッキングな出来事として、見てはいけないモノを見てる様な感じ。
この場合、どうすればいいかって言えば、和田アキ子は謝る所は謝って、抗うべき所は抗うと言う姿勢を見せるべき。そのくらいが丁度いい。この騒動って言うのは、どう考えても異常。
 

で、放送終了後の反応はどうだったのか?

 

案の定、今度は謝り方が気に喰わないと騒いで、謝罪に対する炎上。これで判った事は、トド発言がどうのこうのと言うのは難癖で、その実、和田アキ子をやっつける為の口実でしかなかったって事。要するに、有名人虐めが楽しくなっちゃってる連中の祭りになってる。

騒動の発端場所になってるのは、殆どがネット記事のコメント欄で、よく議論の的になってるのが、コメント欄の存在は是か非かって事なんだけど、こう言う騒ぎを一発で終わらせるならコメント欄廃止にすれば済む話なんだけど、そうはならない。そうはならない理由の一つが企業の利益云々と言う問題らしい。コメント欄が賑わうと誰かが儲かると言うシステムが形成されてる為、儲けてる側が辞めたくない事情が出て来る。
ネット事業と言う頭脳労働が思いの外、美味しく儲かってしまう為、何かを犠牲にし、誰かが不幸になったとしても、儲けを優先する風潮になってしまった。それが今のネット事情と言う事。
ネット住民って中々狡猾な所があって、掲示板の類に拙い事を書き込むと逮捕される可能性があるって事を知ると、次の場所をせっせと見つけた。それがネット記事のコメント欄だった。コメント欄であれば取り締まりは緩いであろうと言う計算があるのだろう。
代理戦争はコメント欄に限る。日頃の憂さを怒りに変えてモチベーションを保つ。そうする事で生きてる実感が湧いてくる。さて、明日は誰の代理戦争を始めようかとワクワクしてくる。ペンは剣よりも強しとはよく言ったもので、武力を持たない日本と言う国を象徴した現象だなと、つくづく思う。