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何でもアル牢屋

誠に勝手ながらフォロワー申請を御断りさせて頂きます。商売目的の方からの申請が多い事が理由の一つですが、フォロワー数で優劣を競い合う風潮が嫌いなので無い方が良いのかなと。御理解頂きますようお願いします

一か月後に発売が迫った「三国志8 REMAKE」最新公式動画・第二弾。

1:戦闘の基本は挟撃と囲み。絆システムの重要性。

今回のテーマは登録武将の作成と戦闘システム。一つ目は、ゲストの男色ディーノが自画像付きの登録武将を作成して、舞台は212年の西涼の馬超の元に配置し、裏切り者の韓遂を討伐しようと言う企画。
光栄の三国志シリーズの戦闘システムは、駒移動だったり、リアルタイムになったり、繰り返しなんだけど、今作はリアルタイムではなく、駒移動で進行していくらしい。リアルにしろ駒にしろ、戦闘の基本は挟撃で、自軍の駒で敵を挟み込む、或いは囲んで叩く事で優勢になる。更に重要なのは絆システムで、武将との交流と友好関係を深める事で連携が発生し、より多くのダメージを与える事が出来る。
要は武将の頭数と絆が深ければ、必ずしも一級品の武将に頼らなくても、中堅どころの武将でも十分立ち回れると言う事。それによって強い武将や勢力と互角以上の戦いが可能となる。この辺が醍醐味なんだと思う。

2:一騎打ちシステム

三国志の華とも言える一騎打ちも、シリーズでコロコロ変わる。思えば一騎打ちは二作目から導入され、任意ではなく、自然発生&オートが基本的な一騎打ちシステムだった。
シリーズを重ねて手札形式になり、じゃんけん方式になり、そうかと思うと又、オートに戻ったりを繰り返している。ちなみに前作のナンバリングの三国志14ではオートであった。一騎打ちは始まってしまったら運を頼りにするしかないと言う状況よりも、やはり見てるだけでなく、なんらかの手を出したいのが本音であり、じゃんけん方式が良いのか、手札方式が良いのか向き不向きがあるのは仕方が無い。かと言って、格ゲーみたいに昇竜拳コマンドや波動拳コマンドを入れて必殺技とかやられても興醒めする訳で、どれがイイのかは難しい所。
今作で初めて公式に公開された一騎打ち場面を見る限り、手札の数字の優劣を制作者が説明していたのだが、何だかよく判らない。そういう人も居たのではないか?この札は、あの札に強いとか、じゃんけんでは無く、カードに表示される数字の合計数により優劣が決まるんだろうか。
この辺はチュートリアルを見れば理解出来るだろうが、武将による特性やら特技やら細かい要素も絡みそうなので、詳しく知りたい所。

3:激戦?曹操軍VS孫権軍!

それで舞台は変わって、次の企画が209年、呉の孫権が揚子江を渡って南下する曹操軍を迎え撃つという場面。
三国志で有名な南船北馬と言う言葉通り、北の曹操軍は陸上戦は得意でも水上戦は不得意。孫権軍はソコに付け込む隙があると言う訳で、水上戦に持ち込む。それにしても曹操軍の陣容たるや凄いメンツが攻めてきた。大将の曹操を筆頭に、親族の曹仁、曹洪。曹操直属の将軍である張遼、徐晃、張郃、李典、于禁。軍師に程昱、賈詡。もうこのメンツを見ただけで気が滅入ってきそうである。
呉の孫権軍の希望は周瑜であって、彼の持つ特殊な火計が勝利の鍵を握っていると言っても過言ではない。見た感じだと周瑜の持つ火計は巻き込みの効果と威力が桁違いで、いかに曹操軍を密集させ、そこに火計を炸裂できるかが勝利の秘訣となる。
 

プレーヤーの男色ディーノのプレイは全然参考にならない

 

孫権軍の最強とも言える武将達を使っても活かし切れない。まず、この戦いの場合、要の周瑜を曹操率いる密集地帯に近づけさせる必要がある。にも拘らず、何故かディーノは離れた小部隊に近づき、折角の周瑜の火計を使ってしまい台無しにしてしまう。挙句の果てに何を思ったのか揚子江を北上し、曹操軍を放置して近くの城攻めを開始する。この時点で視聴者はガッカリ駄目だこりゃって感じになる訳で、手柄と言えば、孫権軍の周泰が張郃を一騎打ちで破り捕縛した事くらいか。
視聴者が期待したのは、曹操軍の大軍を水上戦でどうやって葬るかと言う点であり、周瑜の凄さを見せ付ける場面だった筈なのだが、全く違う展開になってしまった。今更だが、このシーンを凄い場面に出来そうなのはゲーム動画で御馴染み、歴史シミュレーションゲームの大御所・うどん氏くらいしか居ないのではないか?
発売まで一か月弱と言う事もあり、ナンバリングでは必ず光栄側がプレイ動画のオファーを出している筈なので、10月に入ったら御登場するのかもしれない。彼のプレイに期待したい。

4:公式動画・第二弾を観た感想と、気になる内政&外交について

7月に第一弾、9月に第二弾、次回の10月の第三弾で紹介動画は終了と言う事になると思うが、此処まで見た感じの感想を書きたい。
まず、旧・三国志8とは、もはや別ゲーであると言っても過言じゃないだろうなと思う。旧版のストレスは解消され、全体的に動きが滑らかになった。武将グラも更新されカッコ良くなっている。
信長の野望にしても三国志にしても、近年は戦闘システムに重きを置くのが主流になっており、往年のシミュレーション・ゲーマーからすれば、やはり基本は内政だろうと言う主張がある。この内政に関して公式では詳しい紹介はされていないので気になる所。
外交戦略は重要で、何処と組み、何処と戦うかを明確にしなければ領地拡大は難しい。他国との外交で肝になりそうなのが舌戦で、戦いでは役に立たない知将の活躍所となる。余程の敵対国でない限り、舌戦で丸め込んで停戦&同盟に持ち込めたり出来れば、かなり楽しくなる。或いは金をせびりに行ったり、米を恵んで貰ったり、婚姻の申し込みだったり、外交に馳せる夢は果てしない。駆け引きの充実した外交システムを是非、期待したい。

 

 

 

80年代の映画サントラはジャンルに限らず、秀逸なモノが多い。主題歌と言う音楽は、その映画を象徴しなければならない訳で、流行の音楽や歌手の宣伝行為であってはならないと言うのが私の考え。
個人的な想いとしては、ラジオ番組なんかで映画サントラをもっと流してほしいんだけど、流れたとしても多くの人が知ってる大衆向け映画の主題歌ばっかりで「またかよ」って感じで面白くない。だったら自分で取り上げてみようと言う企画。

87年作の吸血鬼映画「ロストボーイ」。この映画については以前、このブログで取り上げた。日本でも映画館で公開された映画なんだけど、イマイチ人気が無い。私に言わせると、こんなにカッコ良くて面白い吸血鬼映画が何故、日本で人気が出ないんだろうと不思議で仕方が無い。
この作品の偉大さって、おそらく吸血鬼映画にファッションを根付かせた所で、近年のファッショナブルな吸血鬼キャラの先駆けだったじゃないかと思う。もう一つの魅力は、この映画全体がコミック的で、行楽地と言う箱庭で起きる事件が無理なく展開されていく。けっして多くは無い登場人物、限られた登場人物で、2時間にも満たない尺でテンポ良く仕上がっている。
今年2024年、87年の公開から37年経った今も、アメリカではカルト的な吸血鬼映画として愛されている。凄いなと思うのは、定期的なファンの集いの様なイベントもあり、当時の出演者が集まって撮影秘話や役柄についてトークも展開される。日本では見られない光景である。

 

 

 

此処からはサントラの話。
アルバムには全10曲が収録されていて、いずれも劇中で流される。どれも場面に合った選曲で作品を盛り上げる。最初に紹介するCry Little Sister(クライ・リトル・シスター)は、ロストボーイ全体を象徴する曲で、オープニングで触りの部分が流れ、中盤でも流れる。曲全体が幻想的な雰囲気で、オープニング、この曲に乗せて夜の遊園地に現れるキーファー・サザーランド達が不気味で、ワクワクしてくる。

 

 

 

次の曲が、おそらく、このアルバムで一番カッコいい曲でLost in the Shadows(ロスト・イン・ザ・シャドウ)。
このブログのレビューでも書いたけど、キーファー演じるデビットと、ジェイソン・パトリック演じるマイケルが、バイクで砂浜を疾走し、闇夜の森を駆け抜けて行くシーンで流れる。場面的に、これ以上ないほどの絶妙な選曲。マジでカッコいい!

 

 

 

ロストボーイの物語は、Don't Let the Sun Go Down on Me(ドント・レッツ・ザ・サン・ゴー・ダウン・オン・ミー)で幕を閉じる。
この歌。私は最初、ロストボーイの為に作られた曲なのかと思っていたのだが、ロストーボーイ以降、色んな歌手がライブで歌っているのを聴いて、もしかして、この歌は映画専用に作られた主題歌では無いのかな?と感じ、調べてみた。
ロストボーイではイングランドの超有名バンド、ザ・フーのボーカルのロジャー・ダルトリーが歌ってるんだけど、原曲はイギリスの歌手・エルトン・ジョンが74年に作った曲らしい。エルトン・ジョンのバージョンもあったので、聴き比べてみる。なるほど、雰囲気が違うなと感じる。ロジャー・ダルトリーが歌うと熱気を感じるが、エルトン・ジョンが歌うとクラシックになる。
少年達と吸血鬼の死闘が終わり、安堵感と余韻すら残るDon't Let the Sun Go Down on Meは、この映画のエンディングに華を添えるのである。

 

 

 

 

 

最後にアメリカで行なわれたロストボーイの集いの動画を挙げてみよう。イベントは2023年なんだけど、それ以前から、このイベントは不定期に行われているらしい。出来る事なら是非、参加してみたいほど羨ましい限り。
今回の出演者は、キーファー・サザーランド、ジェイソン・パトリック、アレックス・ウィンター、ビリー・ワースの四人。ロストボーイズ勢揃いと行きたい所なのだが、一人足りない。ポール役を演じたブルック・マッカッターが2015年に他界し、全員は揃わなくなってしまった。
その他にも鬼籍に入ってしまった俳優も数人いる。映画の主役とも言えるサム役のコリー・ハイム、その祖父の役を演じたバーナード・ヒューズ、ビデオ屋の謎の中年紳士・マックス役を演じたエド・ハーマン。個人的な想いとしては、最後の最後でオイシイ所を持って行ったマックス役のエド・ハーマンの話を聞きたかったなと思う。
 

それにしても、ロストボーイの集いにキーファーとジェイソンの二人が参加する様になったのはいつからなんだろう。中でもキーファーは腰が重く、この映画について余り深く語らない。今から20年くらい前に、日本のNHKでアメリカのトーク番組を放送してた時期があって、たまたまそれを観ていたらゲストがキーファー・サザーランドだった。スタジオの観客の前で司会者と俳優が過去作の映画のトークをする内容なんだけど、ロストボーイについて触れるシーンがあった。

司会:「ロストボーイと言う作品は、貴方にとって、どんな作品でしたか?」

キーファー:「ファンにはガッカリさせてしまうかもしれないけど、余り印象に残ってない作品なんだ。とにかく台詞が少なかった事はよく憶えてる。しかし、俳優として伝説上のモンスターの役を演じられた事は貴重で、とても良い経験になったよ」

私が観た感じでは、こんな感じのトークだった。俳優にとって全ての作品が想い出になる訳ではなく、ファンがコレが素晴らしいと評価しても、当事者の俳優にとってはそれほどでもないと言うケースがあるんだなと感じたものだった。
そんな感じだから、ロストボーイの集いがあったとしても参加してくれないんだろうなと思っていたのだが、いつの間にか参加していた。周囲やファンの熱意が伝わったと言う事なんだろか?それとも気紛れなのか?その辺はキーファーにしか判らない。どういう経過にしろ、私は素直に彼の参加を歓迎したい。

 

 

 

ネットを開いてビックリした。2024年8月20日。声優の田中敦子・死去。死去当日に公式発表と言う流れは、この御時勢に珍しい事だ。有名人の死去報道は葬儀一切が終わってから報告と言う流れが当たり前になっていただけに衝撃度は中々強い。
個人的な想いとして、近年の<三大・熟女声優>と言うのがあって、年齢順に行くと田中敦子、湯屋敦子、甲斐田裕子の三人で、その一角が、こんなに早く早世してしまうとは全くの想定の範囲外であった。
三人には共通点が一つあって、戦う女を演じたら一級品の声優と言う位置付けなのである。御三方とも映画や海外ドラマの経験は豊富で、それぞれに代表作があるのだが、最も多くの人に知られる切っ掛けになるのはゲームとアニメで、このジャンルにおいても、この三人ならではの唯一無二のキャラがある。
特にゲームのバイオハザードでは、甲斐田裕子のクレア・レッドフィールド、湯屋敦子のジル・バレンタインは双璧と言うか鉄板と言うか、代えが利かない感じのフィット感がある。甲斐田裕子の清涼感溢れる知的な勇ましさと、湯屋敦子のシャキシャキとした<デキる女>って感じの吹き替えは聴いてて気持ちがイイ。

田中敦子はどうか?どうかと言うより、どうだったか?と言う過去形になってしまうのだが、真っ先に思い浮かぶのは2003年から2010年まで全7シーズンに渡って放送された「コールドケース 迷宮事件簿」と言う海外ドラマ。リリー・ラッシュと言うヒロインの女刑事が抜群のカッコ良さで、そのリリーを演じたキャサリン・モリスの吹き替えを担当してたのが田中敦子だった。
印象としては、大人の女と言うか、自立した強い女と言うか、或いは青年主人公のママ役というのもあった。時に刺々しく、時に色っぽく、時に甘え上手な女と言う風に、器用に立ち回るタイプの声優さんであったと思う。

 

 

田中敦子、湯屋敦子、甲斐田裕子の三人は、90年代に飛躍した人達で、次世代型のヒロイン声優だった。70年代から80年代は、戸田恵子や小山茉美、藤田淑子あたりが、映像でよく耳にする代表的な強い女を吹き替える声優達だった。
近年の戦う女は昔とは趣が違う。物理的なアクションより頭脳を駆使して戦う状況判断型のヒロインの方が受けがイイらしい。グレネードランチャーや火炎放射器の様な凄い武器で立ち向かう代表格と言えば、エイリアンで有名になったシガニー・ウィーバー演じるエレン・リプリーだろう。シガニーと言えば戸田恵子である。アーノルド・シュワルツェネッガーの初期の頃の作品で共演してたサンダール・バーグマンと言う女優の吹き替えも戸田恵子だった。声優としての戸田恵子の歴史は非常に深い。
藤田敏子と言えば北斗の拳のマミヤ。仕込みのヨーヨーで男の顔面を叩き割る美人・女戦士だし、キャッツアイでは三姉妹の長女・ルイ姐さんで、美しい女強盗が印象深い。
小山茉美と言えば、シャロンストーンが定番だろう。有名な氷の微笑もいいが、個人的に良かったのはクイック&デッドの女ガンマン。後はシルベスター・スタローンと共演したスペシャリスト。この辺りの作品が<戦う女>っぽくてイイ。

何故かは判らないけど、声優と言う職業の人達は寿命が短い。しかもレジェンド級の声優に限って早世してしまう。2024年は大量にレジェンド声優が逝った年になってしまった。
世間と声優の関係って面白くて、互いに歳を重ね、その時々で想い出の作品を共有しあう。一人一人に好きな声優が居て、好きな作品がある。俳優、歌手、声優、芸人、漫画、小説、これらは全部、その人が生きた証として残っていく。その人が世を去ったとしても、作品は残り続ける。それらを守り続ける人達が居て、語り継ぐ人達が居る。それらこそが、芸能と言う娯楽の褒めていい美点であろうと私は考える。

 

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和田アキ子に言いたい事は、自分の発言にプライドとポリシーを持ってくれよって事。やり投げの北口に対する「トド発言」にしたって、本人が腹を立てて謝罪を要求してるなら判るけど、テレビで謝罪って言ったって何処の誰に対する謝罪なんだよって事なんだよ。
最近に限らず、日本で起きてる変な事って言うのは、当事者でも無い人同士が徒党を組んで代理戦争をやってる事で、その光景は異常としか言い様が無いし、自分達が変だって事に、そろそろ気づけよって事なんだよ。徒党を組むネット住民って言うのは確信犯で、自分達がネットで騒ぎ立てる事で、ある種の媒体を動かす事が出来るって思い込んでる。例えれば扇動者による一揆と変わらないと思う。
失言の度にネットが騒ぎ立てて、それをテレビが真に受けて、カメラの前で謝るって言う光景を、見慣れたって一言で済まして良い事じゃないと思うよ。テレビはネットを恐れ過ぎてる風にしか見えない。

芸能は客商売で、何らかのアクションで客が怒り出したら謝んなきゃ拙いって言うのは判るけど、度が過ぎる謝罪も如何なものかと思う訳で、ネットで匿名で騒ぎ立てる奴等に限ってテレビなんか観てないんだと思うよ。その癖、アンテナだけは立てて何か騒ぎのネタは無いかと日々を過ごす。先日、作家の志茂田景樹が「誹謗中傷は憂さ晴らし」と発言してたけど、その通りだと思うよ。
結局、和田アキ子のトド発言騒動って言うのは、発言に対するバッシングと言うよりは、和田アキ子嫌いのアンチが「ここぞ」とばかりに失言を待っていた訳で、それイケって感じで、すぐに炎上になった。そんな見え透いた事くらい、日頃の和田アキ子・バッシングを見てれば、すぐにピンと来る訳。
常々感じる事なんだけど、ネットの騒ぎ立てって言うのは透明人間が発してる言霊みたいなモンで、実態が無い。騒ぎ立てる奴は文字だけ書き残して姿も見せないし、時期が過ぎるとスッと消えて次の生贄を探して彷徨う。
テレビ側からすれば対応に追われるって事なんだろうけど、焦らず冷静になって考えて欲しい。自分達は何に怯えてるんだと。何を怖がってるんだろうと。何か見えてくる真実があると思うよ。
 

和田アキ子の話題に戻すと、直ぐ謝るって言うのは和田アキ子のキャラじゃないし、それどころかキャラ崩壊って言う領域で、古くから知ってる人からすれば、失望と言うよりはショッキングな出来事として、見てはいけないモノを見てる様な感じ。
この場合、どうすればいいかって言えば、和田アキ子は謝る所は謝って、抗うべき所は抗うと言う姿勢を見せるべき。そのくらいが丁度いい。この騒動って言うのは、どう考えても異常。
 

で、放送終了後の反応はどうだったのか?

 

案の定、今度は謝り方が気に喰わないと騒いで、謝罪に対する炎上。これで判った事は、トド発言がどうのこうのと言うのは難癖で、その実、和田アキ子をやっつける為の口実でしかなかったって事。要するに、有名人虐めが楽しくなっちゃってる連中の祭りになってる。

騒動の発端場所になってるのは、殆どがネット記事のコメント欄で、よく議論の的になってるのが、コメント欄の存在は是か非かって事なんだけど、こう言う騒ぎを一発で終わらせるならコメント欄廃止にすれば済む話なんだけど、そうはならない。そうはならない理由の一つが企業の利益云々と言う問題らしい。コメント欄が賑わうと誰かが儲かると言うシステムが形成されてる為、儲けてる側が辞めたくない事情が出て来る。
ネット事業と言う頭脳労働が思いの外、美味しく儲かってしまう為、何かを犠牲にし、誰かが不幸になったとしても、儲けを優先する風潮になってしまった。それが今のネット事情と言う事。
ネット住民って中々狡猾な所があって、掲示板の類に拙い事を書き込むと逮捕される可能性があるって事を知ると、次の場所をせっせと見つけた。それがネット記事のコメント欄だった。コメント欄であれば取り締まりは緩いであろうと言う計算があるのだろう。
代理戦争はコメント欄に限る。日頃の憂さを怒りに変えてモチベーションを保つ。そうする事で生きてる実感が湧いてくる。さて、明日は誰の代理戦争を始めようかとワクワクしてくる。ペンは剣よりも強しとはよく言ったもので、武力を持たない日本と言う国を象徴した現象だなと、つくづく思う。

スポーツの国際大会で、いわゆる<ファッション・ショー>の要素が強くなったのは、一体いつからなんだろうと考えてみる。
オリンピックの最中、ネットを開けば連日の様にスポーツ記事が取り上げる美女アスリート特集。過熱する美女アスリートを扱ったメディアに対し、IOC(国際オリンピック委員会)が警告を発している。中でも酷いのは日本で、日本のネット住民には見慣れてしまった「○○過ぎる」と言う表現が非常に不愉快であると釘を刺した。この「○○過ぎる」と言うキーワードが多分に卑猥さを含んでおり、褒めてると言うよりは馬鹿にされているニュアンスを含んでる事が原因だそうだ。
この忠告を受けた日本は、特定の美女アスリートを過剰に取り上げた公共のテレビ番組での「○○過ぎる」発言をパッタリと辞めた。全く辞める気が無いのはネット記事の方で、「そんな事、知らねえよ」とばかりに、スポーツ紙は毎日の様に<今日の美女>を取り上げている。
 

実際、取り上げられる美女アスリート達は、どう思ってるんだろう。奇麗、可愛いと褒められてはいるんだから悪い気はしてないとは思うが、何事も不快の基準値は人それぞれで判らない。

例えばドイツの陸上中距離の選手・アリカ・シュミットの場合はどうか。美人には間違いない。だけど実力の程はよく判らない。どれほどの人なのか?と多くの日本人は思う。調べてみると、ドイツ国内では中々の優秀な成績を残す選手らしい。チャラそうな外見とは裏腹に意外に謙虚らしく、ネットでの売込みはするけど、有りがちなテレビ出演みたいな事はしない人らしい。
何故、競技とは関係の無いファッション・ショーを国際大会の度にするのか?と聞かれると、収入の安定の為だと発言した。地元のドイツではアスリートが稼げる収入は少なく、副業をしないと生活が苦しい事を告白し、その為の手段の一つが動画配信なのだそうだ。なるほど、確かに誰かに迷惑を掛けてる訳でもないし、そこを考慮すればIOCだって、その事に対し、うるさく取り締まる必要性も無い。
美女アスリート特集を全体的に見てると、それほど嫌がってる選手は居ない様に個人的には感じる。むしろ乗り気で、実際にモデル活動をして収入を得てるともなれば、嫌がる理由も見当たらない。取り上げる方はネタが出来たと喜ぶし、取り上げられる方は幾らかの小遣い稼ぎが出来て嬉しい。この辺の忖度が上手くバランスを保っている所なのだろう。

今大会のパリ五輪で、個人的に一番のお気に入りだったのが競泳女子のカナダ代表・サマー・マッキントッシュ。17歳。セブンティーンの輝きと言うか、少女と成人の間の年齢が放つ独特な魅力がある。
母親が競泳の選手で、姉がアイススケートの選手と言うスポーツ一家の出身らしい。プロフィールを見て驚いたのは身長が173センチで、もっとあるんじゃないの?って感じに見える。日本のタレントの、あのちゃんが166センチらしいから、並ぶと、そんなに差が無い事が判る。身長のドッコイでいけば、新垣結衣とか長澤まさみと並べてみると比較しやすいかもしれない。
彼女を初めて見たのは今大会が初めてでは無かった。2年前か3年前だと思うが、テレビ朝日の報道ステーションで、スポーツ担当の元・競泳の寺川綾が単独インタビューしていたのを見たのが最初だったと思う。その当時で14歳か15歳。日本だと中学生の年齢だが、凄く大人っぽく見えた。今大会で17歳になった彼女は更に輝きを増していた。17歳って高校生だし、乃木坂46と同じ様な世代である事を思えば、凄いなと思う。
マッキントッシュの良さは容姿は勿論だが、雰囲気だろうと思う。控えめな美女と言うか、聖女的な雰囲気を醸し出してる子で、例えれば、フランス革命で有名なジャンヌ・ダルクが似合いそうと言えば分かるだろうか。中世の可憐な女騎士の様な雰囲気を持つ17歳の乙女。
同じ美女でもドイツのアリカ・シュミットは日本人好みではなく、どちらかと言うと欧米で人気を取るタイプ。完成されてる美貌だし、自分で判ってるタイプの美女は日本の男の好みでは無い様に思う。それよりはマッキントッシュの様な、比較的まだ<幼さと弱さ>を醸し出してるタイプの方が日本の男には受けがいい。

 

 

話題が変わるが、1988年のソウル・オリンピックで、フローレンス・ジョイナーと言う黒人の陸上短距離の選手を見た衝撃は鮮明に残り、今でも忘れられない。
黒い肌に赤い口紅、赤い付け爪。パーマの掛かった黒い髪をなびかせ、颯爽と走りぬいた彼女の記録は、2024年の今になっても超えられていないのだそうだ。今になって思えば、国際大会におけるファッション・ショーの先駆けは、間違いなくジョイナーだと私は思う。
ジョイナーが与えた衝撃と影響力は、日本にも電撃の如く伝わった。88年、私は中学一年生だったが、足の速い女子はジョイナーに憧れ、部活の陸上部で女子の入部が盛んだった。私の所ではそうだったが、他の学校ではどうだったんだろうかと言う事までは知らない。どちらにしても、当時のジョイナーは陸上界の女帝だった。
 

赤が好みだったんだろうか。黒い肌に赤が際立つと言う芸術的な感性をジョイナーは持っていた気がする。今の時代、その化粧の施しは普通になり、何の違和感なく見ていられる様になった。

ジョイナーが出てくる以前、女性アスリートは汗臭そうだった。ジョイナーは汗が似合わないタイプの選手だった。競技にファッションを持ち込んで何が悪い。彼女がそう言った訳ではないが、ジョイナーの風貌からは、そんなオーラが漂っていた。
ソウル・オリンピックから10年後の98年。ジョイナーが突然死んだ。眠っている間の突然死だったらしい。情報によれば、彼女は血管の持病を患っていて度々発作に襲われた。常備薬として飲んでいた薬はアセトアミノフェンと抗ヒスタミン剤。アセトアミノフェンは解熱鎮痛剤で、日本ではコロナ化の時によく出回っていたカロナールと言う薬がそう。市販で手に入るノーシンも同じ薬である。
抗ヒスタミン剤は、花粉症とかハウスダストとか、辛いアレルギー症状を緩和する作用の薬で、耳鼻咽喉科がよく処方してくれる。でも、ジョイナーの死は、これらの薬とは関係無くて、現役時代に服用していた<筋肉増強剤>の影響だろうと伝わっている。
筋肉増強剤って魔法の薬で、やっている時は超人になれるアイテムなのだが、目的が無くなって辞めてしまうと体内で暴走し、心臓や血管に物凄いダメージが来る。書き方は悪いが事実として、80年代のアメリカは筋肉増強剤なくしてやってられないと言う環境だった。野球、プロレス、陸上競技、アメフト、筋力を要求されるスポーツには当たり前の日常茶飯事だった。
実際、アメリカのプロレスラーの筋肉美を見た事がある。パンパンの盛り上がった筋肉が、皮膚をバリっと破って飛び出してきそうな印象だった。怖い事だが、そう言う筋肉を持ったレスラー達は、ある日、突然死んでしまった。原因は心臓発作である。芸能界も例外ではなく、危険な状態に陥った俳優も居る。アーノルド・シュワルツェネッガーやシルベスター・スタローンなんかは代表格だろう。彼等も揃って心臓を悪くした。だが、彼等は運がいい。彼等の持つ莫大な財産と医療のスペシャリストによって、危険を脱して今現在に至るのである。
圧倒的な走力を誇ったジョイナーは、当然ながら疑われた。80年代の同じ時期に男子短距離でベン・ジョンソンと言う黒人選手が居た。彼の存在を簡潔に要約すると、アメリカが誇る短距離の英雄・カール・ルイスの次に出てきたスターだった。スタートラインで屈み込んだ彼の肩の筋肉の盛り上がりは異常過ぎるほど逞しかった。尋常ではない筋肉。彼も又、筋肉増強剤に取り付かれた選手だった。

アリカ・シュミットにしても、他のオシャレな選手達にしても、彼女達の風貌を見てて感じる事と言うのは、「ああ、そうか・・・彼女達はジョイナーの子孫なんだな・・・」って事なのである。
ジョイナー以降、個性的な女性アスリートが出て来る訳だが、その光景を見る度に、古き良き80年代とフローレンス・ジョイナーと言う人を想い出す今日この頃。