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何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

スポーツの国際大会で、いわゆる<ファッション・ショー>の要素が強くなったのは、一体いつからなんだろうと考えてみる。
オリンピックの最中、ネットを開けば連日の様にスポーツ記事が取り上げる美女アスリート特集。過熱する美女アスリートを扱ったメディアに対し、IOC(国際オリンピック委員会)が警告を発している。中でも酷いのは日本で、日本のネット住民には見慣れてしまった「○○過ぎる」と言う表現が非常に不愉快であると釘を刺した。この「○○過ぎる」と言うキーワードが多分に卑猥さを含んでおり、褒めてると言うよりは馬鹿にされているニュアンスを含んでる事が原因だそうだ。
この忠告を受けた日本は、特定の美女アスリートを過剰に取り上げた公共のテレビ番組での「○○過ぎる」発言をパッタリと辞めた。全く辞める気が無いのはネット記事の方で、「そんな事、知らねえよ」とばかりに、スポーツ紙は毎日の様に<今日の美女>を取り上げている。
 

実際、取り上げられる美女アスリート達は、どう思ってるんだろう。奇麗、可愛いと褒められてはいるんだから悪い気はしてないとは思うが、何事も不快の基準値は人それぞれで判らない。

例えばドイツの陸上中距離の選手・アリカ・シュミットの場合はどうか。美人には間違いない。だけど実力の程はよく判らない。どれほどの人なのか?と多くの日本人は思う。調べてみると、ドイツ国内では中々の優秀な成績を残す選手らしい。チャラそうな外見とは裏腹に意外に謙虚らしく、ネットでの売込みはするけど、有りがちなテレビ出演みたいな事はしない人らしい。
何故、競技とは関係の無いファッション・ショーを国際大会の度にするのか?と聞かれると、収入の安定の為だと発言した。地元のドイツではアスリートが稼げる収入は少なく、副業をしないと生活が苦しい事を告白し、その為の手段の一つが動画配信なのだそうだ。なるほど、確かに誰かに迷惑を掛けてる訳でもないし、そこを考慮すればIOCだって、その事に対し、うるさく取り締まる必要性も無い。
美女アスリート特集を全体的に見てると、それほど嫌がってる選手は居ない様に個人的には感じる。むしろ乗り気で、実際にモデル活動をして収入を得てるともなれば、嫌がる理由も見当たらない。取り上げる方はネタが出来たと喜ぶし、取り上げられる方は幾らかの小遣い稼ぎが出来て嬉しい。この辺の忖度が上手くバランスを保っている所なのだろう。

今大会のパリ五輪で、個人的に一番のお気に入りだったのが競泳女子のカナダ代表・サマー・マッキントッシュ。17歳。セブンティーンの輝きと言うか、少女と成人の間の年齢が放つ独特な魅力がある。
母親が競泳の選手で、姉がアイススケートの選手と言うスポーツ一家の出身らしい。プロフィールを見て驚いたのは身長が173センチで、もっとあるんじゃないの?って感じに見える。日本のタレントの、あのちゃんが166センチらしいから、並ぶと、そんなに差が無い事が判る。身長のドッコイでいけば、新垣結衣とか長澤まさみと並べてみると比較しやすいかもしれない。
彼女を初めて見たのは今大会が初めてでは無かった。2年前か3年前だと思うが、テレビ朝日の報道ステーションで、スポーツ担当の元・競泳の寺川綾が単独インタビューしていたのを見たのが最初だったと思う。その当時で14歳か15歳。日本だと中学生の年齢だが、凄く大人っぽく見えた。今大会で17歳になった彼女は更に輝きを増していた。17歳って高校生だし、乃木坂46と同じ様な世代である事を思えば、凄いなと思う。
マッキントッシュの良さは容姿は勿論だが、雰囲気だろうと思う。控えめな美女と言うか、聖女的な雰囲気を醸し出してる子で、例えれば、フランス革命で有名なジャンヌ・ダルクが似合いそうと言えば分かるだろうか。中世の可憐な女騎士の様な雰囲気を持つ17歳の乙女。
同じ美女でもドイツのアリカ・シュミットは日本人好みではなく、どちらかと言うと欧米で人気を取るタイプ。完成されてる美貌だし、自分で判ってるタイプの美女は日本の男の好みでは無い様に思う。それよりはマッキントッシュの様な、比較的まだ<幼さと弱さ>を醸し出してるタイプの方が日本の男には受けがいい。

 

 

話題が変わるが、1988年のソウル・オリンピックで、フローレンス・ジョイナーと言う黒人の陸上短距離の選手を見た衝撃は鮮明に残り、今でも忘れられない。
黒い肌に赤い口紅、赤い付け爪。パーマの掛かった黒い髪をなびかせ、颯爽と走りぬいた彼女の記録は、2024年の今になっても超えられていないのだそうだ。今になって思えば、国際大会におけるファッション・ショーの先駆けは、間違いなくジョイナーだと私は思う。
ジョイナーが与えた衝撃と影響力は、日本にも電撃の如く伝わった。88年、私は中学一年生だったが、足の速い女子はジョイナーに憧れ、部活の陸上部で女子の入部が盛んだった。私の所ではそうだったが、他の学校ではどうだったんだろうかと言う事までは知らない。どちらにしても、当時のジョイナーは陸上界の女帝だった。
 

赤が好みだったんだろうか。黒い肌に赤が際立つと言う芸術的な感性をジョイナーは持っていた気がする。今の時代、その化粧の施しは普通になり、何の違和感なく見ていられる様になった。

ジョイナーが出てくる以前、女性アスリートは汗臭そうだった。ジョイナーは汗が似合わないタイプの選手だった。競技にファッションを持ち込んで何が悪い。彼女がそう言った訳ではないが、ジョイナーの風貌からは、そんなオーラが漂っていた。
ソウル・オリンピックから10年後の98年。ジョイナーが突然死んだ。眠っている間の突然死だったらしい。情報によれば、彼女は血管の持病を患っていて度々発作に襲われた。常備薬として飲んでいた薬はアセトアミノフェンと抗ヒスタミン剤。アセトアミノフェンは解熱鎮痛剤で、日本ではコロナ化の時によく出回っていたカロナールと言う薬がそう。市販で手に入るノーシンも同じ薬である。
抗ヒスタミン剤は、花粉症とかハウスダストとか、辛いアレルギー症状を緩和する作用の薬で、耳鼻咽喉科がよく処方してくれる。でも、ジョイナーの死は、これらの薬とは関係無くて、現役時代に服用していた<筋肉増強剤>の影響だろうと伝わっている。
筋肉増強剤って魔法の薬で、やっている時は超人になれるアイテムなのだが、目的が無くなって辞めてしまうと体内で暴走し、心臓や血管に物凄いダメージが来る。書き方は悪いが事実として、80年代のアメリカは筋肉増強剤なくしてやってられないと言う環境だった。野球、プロレス、陸上競技、アメフト、筋力を要求されるスポーツには当たり前の日常茶飯事だった。
実際、アメリカのプロレスラーの筋肉美を見た事がある。パンパンの盛り上がった筋肉が、皮膚をバリっと破って飛び出してきそうな印象だった。怖い事だが、そう言う筋肉を持ったレスラー達は、ある日、突然死んでしまった。原因は心臓発作である。芸能界も例外ではなく、危険な状態に陥った俳優も居る。アーノルド・シュワルツェネッガーやシルベスター・スタローンなんかは代表格だろう。彼等も揃って心臓を悪くした。だが、彼等は運がいい。彼等の持つ莫大な財産と医療のスペシャリストによって、危険を脱して今現在に至るのである。
圧倒的な走力を誇ったジョイナーは、当然ながら疑われた。80年代の同じ時期に男子短距離でベン・ジョンソンと言う黒人選手が居た。彼の存在を簡潔に要約すると、アメリカが誇る短距離の英雄・カール・ルイスの次に出てきたスターだった。スタートラインで屈み込んだ彼の肩の筋肉の盛り上がりは異常過ぎるほど逞しかった。尋常ではない筋肉。彼も又、筋肉増強剤に取り付かれた選手だった。

アリカ・シュミットにしても、他のオシャレな選手達にしても、彼女達の風貌を見てて感じる事と言うのは、「ああ、そうか・・・彼女達はジョイナーの子孫なんだな・・・」って事なのである。
ジョイナー以降、個性的な女性アスリートが出て来る訳だが、その光景を見る度に、古き良き80年代とフローレンス・ジョイナーと言う人を想い出す今日この頃。

 

最近、面白い言葉が出回ってるなと感じたのが「風呂キャンセル界隈」って言葉で、それだけだと何の事か意味不明だけど、どうやら風呂嫌いの事らしい。
ネットで拾った記事によると、アイドルグループ・にっぽんワチャチャの鈴木Mobと言う女子が、自身の風呂事情について語ったらしい。8月2日放送の『ABEMA Prime』と言う番組に出演し、その時点で4日ほど風呂に入らず、シャワーも浴びていない。番組MCの益若つばさが体臭のチェックをした所、「汗の匂いを感じる気がするが、近づかないと分からない」と感想を述べた。
年齢や新陳代謝にもよるんだけど、3日~4日入らない程度じゃ、そんなに強い体臭は匂わない。人間の体臭が臭い時期って、おそらく思春期の頃で、中学から高校くらいが一番匂いが強まる時期じゃないかと思う。年齢が上がっていくにしたがって体臭は弱まって、40代にもなると不快な匂いもしなくなる。加齢臭って言うのは中傷のネタになりがちなんだけど、個人的には嫌な臭いって感じじゃない。むしろ、何処か懐かしさや哀愁を感じてしまう。

鈴木Mobと言う子の言葉を引用してみよう。

「お風呂に入るよりも、入らないメリットの方が多い。入浴しないと、体力を使わないし、自然に優しい。そして、とにかく髪の毛を乾かす工程が面倒くさくて、これを考えるとお風呂までの道のりが遠く感じる」

「お風呂に入っているフリをしたら、バレない」

「頭皮をかいてしまうとフケが出てくるので、頭は触らないことを習慣づけている。体は毎日ボディーシートで拭き、石けんの香りがする香水をする。そして、アイドルの仕事をする前日は、必ずお風呂に入るようにする」

言ってる事は判る気がする。つまり風呂の中での作業工程が面倒臭いと言う訳で、癒しの為に入ってるのに、どうして疲れなきゃいけないのか?と彼女は主張してるんだと思う。そこを踏まえて、必要に迫られれば、風呂に入るようにしていると。
これに関して私自身、今は辞めてるんだけど、20代の頃、風呂で出来そうな事を全部やっていた経験がある。体を洗い、頭を洗い、顔を洗い、歯を磨き、髭を剃る。これ全部やってると1時間以上掛かった。30代に入った頃、このやり方をやってたら段々のぼせている自分に気付いてヤバいと思い、歯磨きと髭剃りは別々にするようになった。歳を取ってくると長風呂が辛くなってくるのである。だから自分独自の工夫をするようになる。

日本人の風呂の習慣って、一日の流れの中にスケジュール的に組み込まれていて、脅迫的な所が確かにある。多分、習慣的に風呂に入る事によって、何故、自分は風呂に入るのか?って言う自問自答も考えなくなって、何となく入ってると言う感覚が強くなるんだと思う。特に子供なんかは親から「早く風呂に入りなさい」と促されるから仕方なく入る。親が何も言わなければ入らないのかもしれない。実際、子供の方から積極的に入りたがる光景を見た事が無い。入れと言われるから入る。
風呂キャンセル界隈の若い子が急増してる背景に、小さい頃、煩く風呂に入れと言われてこなかった家庭で育ったのかもしれない。
 

風呂に毎日入るのは健康に悪いと言う説もある。特に皮膚に良くない。皮膚には皮脂と言う微量の脂が分泌してて、これが減ると乾燥肌になる。毎日、風呂に入ってゴシゴシ洗ってる人は皮脂が削り落ちて痒くなる人も居る。人に対するエチケット云々を取っ払って理論的な部分で突き詰めていけば、風呂は三日に一度くらいがベストな様な気がする。

この記事の最後が面白い。司会の益若つばさと鈴木Mobのやり取りを引用する。

益若:「私は1日のいろんなモノをリセットするために、その日の終わりには必ずお風呂に入りたい。私にも、お風呂が面倒くさい時期はあった。その気持ちが変わったきっかけは、2年前に仙骨を骨折して寝たきり状態になったこと。介護をしてもらいながら生活をしていると、歩けることやドアを開けられること、駅の階段を降りることなど、これまでどこか面倒に感じていたことがぜいたくに思えた。お風呂もそのうちの1つで、1週間に1度だけの入浴から、当時の私は生きる希望を見出していた。私みたいにお風呂の尊さに気づいたら、大好きになるのかも。『入っちゃダメ』と言われたら、逆に入りたくなるのかもしれない」

鈴木「確かにそうかもしれないが、私はずっとお風呂に入らずにいられると思う(笑)」

益若の長い感動秘話を、この一言で終わらせた鈴木。もう説得は無理だねw

 

パリ五輪で女子柔道の阿部詩が、まさかの敗退をした瞬間、手を叩き、飛び上がって大喜びした日本人が居た。その後の阿部詩の号泣報道が物議を醸し、大衆の前での号泣は有りなのか?無しなのか?と言うアホな議論がネットを中心に広まった訳だが、要するに国際試合を視聴するファンとアンチも互いに敵視しあって、静かなバトルを展開させているのである。
妹がまさかの敗退をし、続く兄の阿部一二三が妹の仇討の如く登場し、金メダルを賭けた決勝の舞台で勝利を収めた瞬間、「ああ・・・一二三の野郎、勝ちやがった」と落胆し、勝利の笑顔を大衆とメディアに振り撒く一二三の顔を見て、怒りが沸き上がり、血圧が上がり、アドレナリンが放出し、動機と息苦しさを訴えたアンチが日本中のアッチコッチに居たそうな。

アンチを作る国際選手には共通する特徴があって、もう圧倒的に<メディア露出の過多>が原因と相場が決まっている。柔道の阿部兄弟は、その要素を十分過ぎるほど満たしていた。ベタベタと寄り添って気持ち悪い恋人の様な兄弟ぶりを見せられて、何やらムカムカと湧き上がる感情が抑えきれず、急いでパソコンやスマホの元に向かい、書き込みをしてイライラを抑えると言う行動にアンチは走った。
アンチは一般人に限った事ではない。メディアにも居る。阿部一二三が金メダルを取ると、もう次の日には茶化しが始まった。記事に目を通すと、一二三が現在付き合っている芸能人の年上彼女が観戦していたとの事。五輪と全然関係ない<一二三の年上彼女>の話題を上乗せしてくる辺りに、書いた側の悪意と怨念を感じる訳だ。

以外にアンチが多くて驚くのは水泳の池江璃花子。彼女も又、アンチを増やす条件を満たしている。メディアへの露出に加え、抜群のスタイルを駆使したモデル活動、此処までは目新しくないが、彼女には、もう一つ特性が加わった。悲劇のヒロインである。
十代の絶頂期に白血病に襲われ、病を克服して復帰を果たした時点で、池江はストーリーを持ったヒロインになった。素晴らしい奇跡のアスリートと称賛される一方で、違う見方をしていた人達も居た。池江はヒロインである自分に酔っていると言う見方。
結局、パリ五輪で池江は準決勝で六位敗退。同じレースに居た17歳の高校生にも負ける結果に終わった。選手達はレース後、メディアのインタビューに答えるのが定例だが、池江は現れなかった。競技場の片隅で一人泣いていた。気を使った外国人選手が池江に声を掛けるシーンがテレビに映っていた。
面白い事にアンチにも仏心はあるようで、表立って池江を派手に中傷する様な事はしない。何故しないのか?と考えてみると、やはり命懸けの生還を果たしたと言う彼女の生き様まで否定したくは無いと言う潔さと、多少なりとも思いやる優しさを持ち合わせているからだろうと思う。

今大会のパリ五輪で、色んな意味で異次元に居た選手達も居た。テニスの錦織圭と大阪なおみの二人である。先頃、二人はテニスの四大会の一つ、ウィンブルドン・テニスに揃って出場したが、錦織は一回戦敗退、大阪は二回戦敗退に終わった。続く今大会のパリでは錦織、大阪、二人揃って一回戦敗退に終わる。
錦織はまだしも、気になるのは大阪なおみの方で、社会現象まで起こしていた騒ぎからすると嘘みたいな静けさである。大阪は、ある時期を境に世間との折り合いが悪くなった。テニスで勝ち撒くっていた時期、彼女は、あろう事か試合場のテニスコートで政治的な発言をしてしまう。これが、そもそもの発端だった様に思う。
メディアとの喧嘩、自分は世間から憎まれていると言う被害妄想に襲われ、そうかと思うと訳の分からないラッパーと熱愛発覚。その後、妊娠発表。相手はラッパーなのか公表もせず、結婚はせず出産。一貫性や初志貫徹から外れた大阪なおみから、多くの味方が去っていった。
取材拒否と言う姿勢を取っていたのか、それとも只、メディアが手の平を返して取材しなかったのか、その辺の事情は不明だが、女子アスリート世界ナンバーワンの高収入と言われた大阪なおみの現在がどうなっているのか?その辺が興味深い。

アンチ論に関して色んな見方があるが、批判や悪口は、人が人らしく生きていく為の必要悪だと、あの養老孟司・先生ですら、著書の中で書いている。
特にオリンピックや国際試合でエスカレートしやすいアンチだが、結局は「個人が、どう楽しむか」って所が要点で、これも一種の多様性の一つだろうと私は思う。強い人が負けるのを見るのが楽しいんだと言われれば、「ああ、そうなんだ」と笑って軽く受け流すくらいの度量を持ってもイイと思うし、そう言う人達に対して強い悪意を持つ必要も無いと思う。
例えば、ボクシングの井上尚弥は、その点で面白い事を言っている。

「負ける怖さは、いつも頭にあります。負けると、どんな風になるんだろうって。僕が負けるのを見たがってる人って居るんですよ。出来れば無敗のまま、ボクシング人生を終わりたいですね」

感心したのは、自分からこう言った自虐的な言葉が出て来る所で、自分に対し客観的である。その上で世間と人が、どう言う風に自分を見ているのか?って所を自己分析できてる。決して、ボクシングしか頭に無い馬鹿では無い事が、この発言から伺える訳だ。
強い奴には負けて貰いたいと願う人達の想い。複雑な心理を持つ人間ならではの人間っぽさがあって、面白いなと思うけどね。別に腹を立てる事は無いよ。

 

昭和50年生まれの団塊ジュニアの世代に取って、ファミコンの高橋名人と、アニソンの串田アキラさんは特別な存在であり、精神的な部分では大谷翔平なんかより、夢と勇気と希望を子供達に与えてきた二人なのである。
私にとって、それほどの存在でありながらも串田アキラさんについて殆ど知らない。過去を遡って調べていくと「ああ、そうなんだ」と発見が多かった。まず年齢を知って驚いた。1946年生まれの77歳。私の両親より年上だったと言う衝撃。神奈川県出身と言うのは私と同じなので嬉しかった。
69年、23歳で歌手デビュー。私はまだ生まれてもいない。私は何処で串田アキラさんを知ったんだろう?と年表を調べてみた。彼との出会いは1981年の「太陽戦隊サンバルカン」だった。それが最初で、翌年の82年に「宇宙刑事ギャバン」83年に「宇宙刑事シャリバン」83年放送開始のアニメ版「キン肉マン」と言う順番になる。で、84年に「宇宙刑事シャイダー」

この81年から84年までが、私にとっての串田アキラ・ワールドになる。

元々はリズム&ブルース(通称・R&B)、ソウルが専門だった様で、声質からすると、そう言えば、そういう系統の声かなと思う。有名な話題だが、歌声が和田アキ子に似てると、よくテレビでネタにされていた。似てると思ってた人は、キン肉マンの歌を和田アキ子が歌ってたと思い込んでたんだろうかw
歌手としての評価はどうかと言えば、滑舌が良く、発音が良く、良く通るコブシの利いた声と言うのが私の印象。テクニック系と言うよりはパワー型のタイプだろうと思う。歌詞の一つ一つの発音が力強く、聴いてて聴き心地がイイ。当時の子供達に好かれたと言う事は、個性と魅力が子供達に伝わったのだろう。結果、当時の子供達がアラフィフの大人になっても忘れず、ず~っと心の拠り所として、串田さんの歌声が脳裏に焼き付いている。
芸能界にもファンが多い様で、有名な所では中川翔子なんかは彼の大ファンらしい。随分前にケーブルテレビの中川翔子のレギュラー番組で、ゲスト出演していたのを観た事がある。そこで太陽戦隊サンバルカンを元気に歌っていた。近くで聴いていた中川翔子が涙ぐんで感激していたのが印象的だった。
ストライクな世代では無いと思うが、世代を超えて魅力を感じるのは、類するタイプのアニソン歌手が居ないからだろう。一種の異次元に居るレジェンドとも言える。

そんな串田アキラさんも寄る年波には勝てず、膵炎で半年間ほど入院し、先頃退院されたそうで、ネットのニュース記事に上がっていた。少し痩せた様だが、入院先ではボイストレーニングで日々、喉を鍛えていたそうで、復帰に意欲を燃やしているそうだ。昔から串田さんには、燃えるとか、炎とか、熱いイメージが良く似合う。熱感を感じさせてくれるタイプの歌手なのだろう。

個人差はあるが、私的には圧倒的にキン肉マンの主題歌のイメージが強い。83年放送のアニメ版・キン肉マンの主題歌には前期と中期があって、前期が「キン肉マン Go Fight!」、中期が「炎のキン肉マン」で、どっちが好きか?となると、圧倒的にカッコいいのは「炎のキン肉マン」である。そう答えるファンも多いのではないか?
オープニングで使われたのは一番の歌詞なのだが、涙が出るほどカッコいいのは二番の歌詞で、何度も聴き直してしまう。歌詞の中の「ぶっちぎるぜ」とか「始まるぜ」の部分が力強く、この個性は彼にしか出せないかなとさえ思う。歌の上手さでカバーしても、おそらく到達出来ない領域なのではないか?
この歌、ロシアのプーチンとかに聞かせてやりたい歌だと思わず思ってしまったのは、私だけだろうか。

 

 

 

私はパチスロはやらないんだけど、キン肉マンのパチスロがあるみたいで、こんな動画があったので上げてみた。
これはイイ。素晴らしい。ファンのツボを突きまくっている。これ、元は83年のアニメ版のオープニング映像を独自に編集した動画なんだけど、歌詞と名場面がピッタリ合ってる。バッファローマンを背負ってヘル・ミッショネルズに最期の突撃をするモンゴルマン、カメハメの遺志を継いでテリーマンがキン肉マン・グレートのマスクを被るシーンで思わず涙ぐんだ!

 

 

 

デッド・バイ・デイライトと言うゲームを初めて見た時、これは「クロックタワー」の進化版なんだなと思った。
デッド・バイ・デイライトは2016年に発売され、2024年現在、未だに現役で、一般人のみならず芸能人も実況中継して楽しむほどのロングセラーになっている。クロックタワーの進化版と例えたのは、要するに<鬼ごっこ>と言う古典的な遊びの事で、追う者、追われる者に分かれて競い合う世界共通の遊びなのである。その遊びがテレビゲームになった。そして大ヒットした。
クロックタワーは一方的に追われる側をプレイヤーが演じなければならないが、デッド・バイ・デイライトは、それに加えて、追う者側をプレイ出来る。此処が大きな違い。それが出来るとなればバリエーションは増える。追う側のキャラをアッチコッチから持ってこれる。ゲームや映画、小説や漫画、様々な殺人鬼、サイコパスを登場させる事が出来る。結果、ゲームとして飽きない。上手く出来たモンだと思う。

 

 

今年、2024年の10月31日、あの懐かしのクロックタワーが「クロックタワー・リワインド」と言うタイトルで発売されるそうだ。しかも高性能のプレステ5で。
ユーザーからすれば、何故今?って感じにもなるが、深読みすると、流行のデッドバイの先祖的なゲームを知って貰おう!みたいなノリもあるのかもしれない。詳しく詳細を見てみると復刻版との事だが、そんな事をするよりも最新の技術で作り直して、凄く怖いホラーゲームの新作として出して貰いたかった人の方が多かったんじゃないかなと思う。
それにしてもプレステ5とは大袈裟だなと思う訳で、ゲーム的にはプレステ4で良いんじゃないの?ってなるのだが、プレステ4では出来ないらしい。なんだったらプレステ4の有料ダウンロードでも間に合うんじゃないの?ともなるが、その点でも妥協はしないらしい。あくまでもプレステ5に拘ると言う事。

 

 

クロックタワーはシリーズで全四作で、私は全てプレー済み。四作品なんだけど、最後の作品になってるのはプレステ2で発売された「クロックタワー3」。この3の前に初代プレステで「クロックタワー ゴーストヘッド」と言う日本を舞台にした連続殺人事件モノが登場した。このゴーストヘッド、本編から離れた物語なんだけど、近年、評価が高まっている。シナリオや展開などが横溝正史っぽくて、事件の殺人鬼や因縁なんかも八つ墓村かな?と思わせる場面も登場する。いっその事、ゴーストヘッドをリメイクしたらどうか?とさえ思う訳だ。
 

シリーズの話に戻ると、一作目だけPCゲー&家ゲーとして登場し、二作目以降は家ゲーのみ。パソコンのマウスで操作できるタイプのゲームで、スーパーファミコンで登場した時、専用マウスが発売された記憶があったが、普通にコントローラーで操作出来たので、スーファミでのマウスプレイは浸透しなかったのではないか。
1995年から2002年、クロックタワーと同時期に、カプコンからバイオハザードと言う歴史を変えたゲームが登場すると、クロックタワーの個性に陰りが見え始める。2002年に発売されたクロックタワー3は時代の流れに便乗し、バイオの真似をしてしまうと言う間違いを犯してしまう。
このクロックタワーと言うホラーゲームは、元ネタになったのは85年のイタリア映画「フェノミナ」と言うホラー映画で、監督のダリオ・アルジェントのテイストをゲーム化した作品だった。ホラー映画をヒントにしたゲームはファミコン当時からあったが、ホラー映画のキャラやシナリオ、雰囲気を、そのまんまゲーム化したのはクロックタワーが初めてだったのではないか。

事件の謎解き、探索、その最中に殺人鬼に追いかけられると言うゲームは、クロックタワーが登場するまで見た事もやった事も無かった。確実に新しさがあった。
この、追いかけられる怖さを、今度はバイオハザードが真似をした。バイオハザード2で警察署内を徘徊し、レオンとクレアを攻撃してくるタイラント、続くバイオハザード3ではネメシスがジル・バレンタインを追い掛け回す。振り返ってみると、クロックタワーとバイオハザードの両作品は、ライバルの様であり、戦友の様であり、互いに切磋琢磨する関係性であったのだろう。この両作品の意志を受け継いだのがデッド・バイ・デイライトと考えれば、なるほどな!と思えてくるのである。