私の地元、神奈川県川崎市にある元住吉と言う街は、有名人がよく遊びに来る。この元住吉に、TBSに勤めていた当時の久米宏が住んでいた。当時、久米宏は独身で、通勤は東急東横線を使っていた。
元住吉の最大の自慢は、圧倒的な飲食店の数である。元住吉にはブレーメン通りとオズ通りと言う二つの商店街が在り、和食、洋食、中華、焼き肉、ラーメン、カレーなど、何件あるんだろう?と探すのが大変なくらいアッチコッチにある。この商店街に、有名人たちが御忍びで来てたりする。
大御所で言えばタモリ。彼の自宅は田園調布と言う高級住宅地である事は有名だが、タモリは昔から美食家で田園調布の駅から東急東横線を使って元住吉の駅で下車し、一人でコッソリ食べに通っていた。元住吉の隣町である武蔵小杉と言う街の方が世間的にはメジャーなのだが、タモリはソッチには行かず、敢えてマイナーな元住吉にやってくる。いかにもサブカルなタモリらしい。
今では無くなってしまったが、私の住んでる近所に<焼肉交差点>と呼ばれた少し広めな交差点があった。その焼き肉屋に俳優の反町隆史と松嶋菜々子の夫妻がやってきた。この店は私も通った常連なのだが、店に行くとレジの近くに反町&松嶋夫妻と店長の記念写真が自慢気に飾ってあったのを覚えている。
他にも、まだまだ居る。俳優の要潤も元住吉に住んでいた。彼は焼き鳥が好きで、駅から少し離れたオズ通りにある総菜屋さんの焼き鳥を買いに来ていた。ついでに総菜屋の近くにあったゲームセンターに居たりもした。要潤は背が高いので、それなりに目立っていた。
ブレーメン通りには女優の吉岡里帆が御忍びでカレー屋さんに来ていた。このカレー屋は漫画喫茶みたいな内装なのだが、いつ行っても客が入って繁盛している。吉岡が好んで注文していたのはハンバーグカレーとナポリタンのセットで、テレビで観る様な華やかな感じではなく、眼鏡を掛け、普通で地味な格好でやってくる。居ても気がつかれないのかもしれない。流石に店長さんは知っていたと思うが。
仕事の撮影と言う所では、芸人のサマーズが来た。番組はテレビ東京のモヤさまでは無いかと思う。片岡鶴太郎もドラマ撮影でやってきた。テレビで観たまんまの人で、テレビで観る以上に小柄な感じだった。
その元住吉と縁があった久米宏が亡くなった。享年81歳。肺ガンだったらしい。若い頃から煙草が大好きな人だった。煙草が原因かどうかまでは判らないが、ストレスの溜まり易いテレビマンともなれば、煙草と言う嗜好品は欠かせなかったのかもしれない。
亡くなったのは2026年の1月1日。年明けの元旦だった。公式な発表は13日だったが、報道を観てみると司会者や出演者も妙に落ち着いている。世間一般からすれば、テレビメディア側は前持って知っていたと取るのが常識だろう。少なくとも正月三日が明けた頃には情報が入ってきて知っていた筈である。全然慌てて驚いてる様子も見られない。
年明けと言えば女優の長澤まさみの結婚が発表されたが、こちらの方は不自然な程、ラジオでもテレビでもネタにされない。事務所側と長澤まさみが完全に情報のシャットアウトに徹したので、メディアも騒ぎ様が無かった。しかしながら、この対応が良かったのかどうかと言えば、少々拙いのではないかとも思う。プライベートに踏み込んでくれるなと言う言い分は判る。発表だけはするから、それだけで終わらせてくれと言うのも判る。しかしながら、お目出度事だし、人気者の長澤まさみともなれば多少の祝福くらい良いではないか?くらいの事はメディア側も思う事だろう。それすらも拒絶された。心配なのは長澤まさみとメディアの<これからの関係>である。溝が出来たりはしないのだろうか?或いは宣伝の時だけはメディアを利用するのか?とか言われそうではある。
久米宏の死去報道も長澤まさみの結婚報道も、事後報告、もしくは情報のシャットアウトともなれば、世間一般と芸能とメディアの三角関係の在り方が大きく変化するのではないか?とも思えてくる。その究極系は、もうプライベートは一切発信しないと言う所に尽きる。完全なる隔絶こそが目指すべき終点なんだろうか。
久米宏・死去の報道当日、沢山の久米宏の昔の映像が流された。その殆どがテレビ朝日のニュース・ステーションの映像だった。破天荒、今となっては有り得ない演出、刺激的な口調など、若い世代が観たら大変魅力に感じた人も多かったろうと思う。
私が一つ懸念するのは、テレビ大不況の真っただ中で、テレビ側が受けを狙って久米宏の真似事を活性化させる事で、私はこれを<久米宏・症候群>と名付ける。私に言わせれば、古舘伊知郎、宮根誠司に代表される奇をてらった司会者は皆、久米宏の猿真似をしている。そして共通してるのは、久米宏、古舘伊知郎、宮根誠司の三人は、いずれも報道出身ではなくエンタメ出身のアナウンサーである。
テレビ業界がやってきた事は、経験値を必要とするポジジョンに、敢えて未経験者を放り込んでやらせる事で、一種の化学反応を狙っていた。例えれば、ラーメン屋にカレーを作らせたら美味かったとか、寿司職人に中華を作らせたら意外な料理が出てきたとか、SEX経験の無い童貞を面白がってAV男優として出演させたら意外なテクニックを御披露したとか、そういう類であったと私は思っている。
これから予想される事は、何人かの知ったかぶりの作家が得意げに<久米宏とは何者だったのか?>と言う類の本を出版する事。その多くが革命だとか、新しい時代だとかのワードを使う事だろう。
各局の報道を観てて気づいた事は、殆どの人達が「ニュースを判り易くして、難しいイメージを取っ払った功労者」と表現していた。
本当にそうなんだろうか?
だから久米宏の様な人がもっと出てきた方が良いと言えるんだろうか?
落ち込んだテレビ業界の今、この辺を議論する価値は大いにあるだろうと思う。
久米宏は、限りなくアメリカンなタイプの司会者であった。此処で例えたアメリカンと言うのは、とにかく聞きたい事をストレートに聞く、遠慮をしない、相手と喧嘩してでも本音を引き出すと言う類いの事を言う。
日本のメディアは、相手を下から見て遠慮しながら話をする。アメリカでは、司会者と相手が同じ目線で対等に話をする。だから緊張感が違ってくる。久米の聞き方は、これを聞いたら怒るんじゃないか?と思わせる様なネタを振ってくる。不思議なモノで、本当に聞きたい事は、相手が聞いてほしくない事と上手い具合にリンクするのである。久米の話術は、この辺を心得ていた。だから彼の聞き方に、いつもドキドキハラハラさせられた。
久米には名台詞がある。
「私はキャスターじゃないんです。司会者なんです」
報道番組を担当する司会者を日本ではキャスターと言ってしまう。だが、日本の殆どの報道番組の司会者はキャスターの意味を履き違えている。まず、キャスターは意見をコメンテーターから拝聴などしない。自分で説明が出来るからキャスターなのである。この点で、殆どの情報・報道番組の司会者は失格である。
苦言だが、日本は履き違えるのが得意な国で、例えばクリスマスやバレンタインデーを恋人の集いみたいにしてしまったり、お盆にしても本来なら故郷に帰省するのが目的なのに、連休を使って旅行をしてしまったり、ハロウィンに仮装して飲めや歌えやの大騒ぎにして迷惑を掛けたり、外国からすると浮世離れした不思議な国に見えているのだろう。だからよく「おお~ファンタジー!」と外人に言われる。
私は思うのだが、久米宏は居なくなったけども、久米宏の様な人は意外にアッチコッチに居るのではないか?
久米宏の様な人が出て来れないのは、テレビ側が発言の封じ込めをしているからだろう。久米宏はテレビと言う業界で一種の教祖になったと言える。その信者達は各方面にうごめいていて、飛び出す機会を今か今かと待ち構えている。




