隣のおっさんの件(解決編) | まーりんのまりんエッセンス

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魂・心・体に響き渡る、これから先の時代のエッセンス
「海のエッセンス」「月のエッセンス」の物語

隣のおっさんの件というのは・・・

 

 

ここに書いた、個人的なこと。

 

 

あ、ここには

今週の月曜から来週の冬至までの

天空イベント、流れも書いていますので

確認してくださいね

 

 

 

 

 

隣のおっさん案件とはどんなことだったか、

簡単に書くと・・・・

 

隣人は年金暮らしの夫婦のようで、元々ちょっとトラブルがありました。

というのも、こちらに興味津々って感じで、

わたしがベランダに出たら向こうでガラッと窓が開いて声がするような人たちだったのですよ。

 

以前、うっかりスズメに声かけたら、それを聞いてたんでしょうね、翌日から「うちの」手すりに、エサが撒かれるように。管理事務所通して言いましたけどね

 

ベランダのこちら側との境界におっさんが立ってることもしばしば。

こちらを覗き込むので段ボールで衝立したら、こんどは自分で立派な板の衝立したり、考えてることがよくわかんないんすよ。

 

まあヒマなんですよね。

面白がられていい迷惑でした。

 

大きな机は、元々、現在チェストがある位置に置いてました。

でもそこで作業していたら、壁を通してちょうどその裏にあたる位置から椅子かベッドの軋みのような音がしてくるのです。 夜中でも。 壁一枚隔てて向き合うかのような位置からです。

 

このときは、

大きな机をいま段ボールがあるあたりに窓に向けて置いてみた。

 

 

しかし。。。それで収まらず。。。

 

隣からパソコンで仕事してるときに限って、声がしたり・窓を開閉したり・カーテンを引いたり・・・

すごく耳につく。

タイミング狙ってやってるのなら、こちらがキーをたたく音が聞えてるってことですよね。

まさか!? キーボード1万円する静音ですけど?こわいよー

 

どれほど筒抜けだよ!?

こちらの物音も、話し声も聞かれている??というストレスで

イライラが高じて・・・

 

 

ついに

大きく模様替えをした、という話です。

 

 

 

 

 

 

この件は解消しました。

 

 

気づいていました?

おっさんのことを書くとき、

わたしはすべて過去形で書いています。

 

 

書いている時点では、

声も音もまだ止んだわけではなかったけれど、

 

「自分がそこにフォーカスするのを止める。」

という意識は、気づくか気づかないかくらいのレベルで存在していて、

わたしはそっちに意識を向けはじめていました。

 

 

 

嫌だ嫌だという問題の処方箋は

 

 

自分がどこに意識を向けているか。

 

嫌なら意識を向けるのを止める。

 

 

 

結局、文字にすると、

それでしかないのです。

 

 

それで、おわり、なのです。

 

 

 

そんなこと

みんな知ってる。

 

でしょ?

 

 

でもそれができない。

というのは、

 

それでおわり。

といふうにできない、ということ。

 

頭でわかっているのとやれるのは、ちがう。

こいういうのを一人で抱え込むと厄介です。

 

 
 

以前、クライアントさんのために書いたこと。

ひとに言うまえに自分もやっています。

 

 
 
 
わたしの場合は、
基本的に
「おっさん」がダメだったのです。
 
 
品性劣り教養もなく
女性を性的対象としかみていなくて
隙あらばちょっかいを出してくる、男。
 
実際に、外見もみずぼらしく
顔は日焼けして真っ黒だったりすることが多かった。
 
そういうのが、
我慢ならないくらい、嫌いでした。
 
 
しかし、実際に近寄られて
にやにやしながら眺めまわされても(隣のおっさんも建物の入り口であったときにそうしました)
怒りを抑えるので精いっぱいで、
それをどうにもできなかった。
 
「やめろ」
「なにみてるんだ」
と、声をあげることができなかった。
 
そこには、小さい頃からまわりの女性に
・おまえはお父さんやお兄ちゃん、男に逆らうな
・女は男に叶わない
と何度も何度も言われてきたことや
 
中学生の頃、エアコンを取り付けに来た業者の中年男が
「女のくせに、中学生のくせに、こんなものを貼って」と、わたしが壁に貼っていた女性のヌード(エルミタージュ美術館展のポスターですがな!)を非難したこと
 
そのほかいろいろ、いろいろな、女だからと貶められた、軽く見られた、欲望の対象にされ場面、それに対抗することを禁じられたことがはっきり感じられ、
何度もはねのけてきたそんなことが、いまだにこんなに行動を縛るのかと驚きもあったのでした。
 
さらに過去生の、魔女と言われたり、没落貴族だったりしたときの
女だったために性的に搾取されてむちゃくちゃ悔しい思いをしたことも
(そのときも声をあげることすらできなかった)
いまのその思いに ない混じってきていた。
 
つまりほんとうは、
おっさん というのは、
隣のおやじのことだけでなく、あのときの下賤な成金のちび、あのときの氣の強い女を自分の思うままにいたぶって殺すことに喜びを覚えていた司祭、そういうやつら全部のことを指していたのです。
 
そのことを想像すると、
わたしら全員の集合無意識の地下水に根がとどいて
他のひとの転生までも含んだ これまで地上に生きた女性全員分くらいの、女性の男性に対する怨嗟が、くめどもつきぬくらいありました。
 
いまでいう
女性性の封印とか
いうもの。
 
これはもう何年も気づいていたことで、でも
この数千年のあいだに蓄積された、数えきれないくらいの女性の怒りは
何回かの浄化では全く歯が立たない
莫大なネガティブなエネルギーでした。
 
 
 
抑圧された女性性。
 
 
それに対して
 
いまの わたしは
 
自分のやるべきこと、”本当に” 興味あることに
槍の穂先のように
フォーカスしよう、という氣になったのです。
 
 
 
自分のやるべきこと、”本当に” 興味あること
 
それは
おっさんではない。
 
ということが、
本当の意味で、芯から納得できた。
 
 
憎しみよりも
よろこびをとる
 
ということに、舵を切る。
 
 
 
 
ここが、解決の分岐点、分かれ目です。
 
 
こだわりの解消法を文字やコトバではわかっているなら、その次どうするか?

ここで大きく2つに分かれる。
そこに居座るか、進むか。
 
ものごとはシンプルですね
 
 
 
1) だから、怒って当然と思う
 
じぶんの怒りを容認する。
 
容認とは認める、受け入れる受容すること。
仕方ない、というのもこれ。
被害者になって正当化するのも、これ。
 
隣のおやじが悪い、と
外部のせいにして
問題だと認識しつづけている限り、
わたしのなかでこの問題は問題であり続ける。
 
 
これをやめたければ、
失敗してうっかり自己憐憫に戻っても
何度でもトライするしかない。
 
そうやって心底嫌になったあかつきには、
どうやっても2)に向かうから。。。
 
 
 
2) そのクセを止めると決める
 
1)だと、同じところをグルグル回ることになります。
それに飽きたら、この2)になる。
 
1)であり続けるのは、
自分もまわりも不幸にすることで
(幸も不幸も 善悪と同じどっちでもいい)
そこにいるのをや~めよっと
ただ決めるだけ。
 
 
隣との境に衝立をしたとき、
当時まだここにいた息子がこういいました。
 
「やることやったんだから、もう考えないでいい」
 
覗かれる⇒衝立をした⇒覗けない
だからこれ以上それについて考えなくていい。
はい、この問題はもう終わり。
 
ロジカルでしょ
ともすれば繰り返し思い出しそうなものを
声の力で、切った。
 
自分で
「はい、終わり」
「以上。」
 
と声に出して言うのも、同じ効果があります。
 
なんど嫌なことを思い出しても、
「あ、もうやめるんだった。はい、終わり」
これも飽きずにやる。
 
決意するというのは、そういうこと。
決意したら「やったけどダメだった~」とか泣き言は出てこないです。
 
 
 
じゃあ
クセをやめようというのは、いつどうしたら
起こるのか・・・
 
 
子どものとき
ブランコをこいでいたけど、
あ、滑り台にいこう!と思ったら
ただそうしましたよね
 
なんでブランコをやめる気になったのか、
なんで滑り台がよくなったか?
 
そう
 
そんなのはわからない。
 
でもそういうふうに廻ってくるものもあります
 
 
 
 
******
 
これ摂ったのも関係するかも
 
吉野大峯の陀羅尼助に「半端ない変化を引き起こす」モルダバイト、射手座日食の波動を入れた
秘宝の黒ちゃん。
大きな変容の起爆剤になります↓
 
 
 
 
隣のおっさんとのトラブルと思っていたもの
をやめるにあたっては、
 
隣から聞こえてくる音も声も
自分には何の関係もない
 
と自分の身体に言い聞かせました。
 
 
 
むっちゃ腹立たしくなっても
 
これは私の感情ではない
これ(感情、見ている現象)は私のものではない
 
と言い聞かせました。
 
 
 
実際、そうなのですから。
 
 
 
 
これを徹底することで
ひとつひとつ、解消していく場合もあるでしょう。
 
 
わたしの場合は
そうしたら
 
ある朝
まるで今日はじめてこの部屋に来た外国人、の意識になりました。
 
そんな気がしてならないのです。
いまも。
 
窓の外を見ても
馴染みのない、知らないアジアの田舎に来てステイしてる感じがする。
 
自分はとりあえずここにいる。
わたしはここで生まれ育ったわけじゃない、よそもの。
 
隣も、まわりも、わたしとは人種が違うから
物珍しがられるだろうし
大きな声で話すのも、ここの人たちの習慣であって
わたし自身とは何の関係もないじゃん。
 
 
 
そうして、思ったのです
 
 
 
 
どんなにまわりがうるさかろうが
 
わたし自身と
 
わたしがここで作るものには
 
関係がない。
 
 
 
 
これが、これまでで一番強い呪です。
 
 
 
 
ここでエッセンスをつくるようになってから、
ボトルを守る結界がどんどん どんどん強くなってきましたが・・・苦笑
 
そうよ、
おっさんの穢れたエネルギーが入ってこないようにね!大笑
 
 
でも
 
これが、 これまでで一番強力な守り。
 
 
 
わたしの意識が
 
すべて。
 
 
 
 
 
 
わたしの意識は
いま
このように変わりました。
選択しなおしたといってもいい。
 
すると、やはり
隣の音はほとんどしなくなりました。
 
正確には
わたしが気にしなくなった。
 
わたしのエネルギーが変わった。
まわりのエネルギーが変わった。
 
 
 
これまでは…
どうしてもエッセンスをつくるとき
隣にいないだろうか(いると嫌だ)
ノイズが入らないだろうか(いや間違いなく入るから来ないで)
という意識は外れませんでした。
 
外が敵の意識
 
それが、自分でイヤなことを創り出していた。
 
 
 
でも、ほんとうは
 
どんなに傍で音がしても
どこに誰がいても
 
現実と呼ぶそんな幻想は
 
わたし自身には関係ないし、
エッセンスにも関係ないし影響もしない。
 
だって波動の質が違うんだから影響しようがないのだから。
気にする必要すらないもの。
 
 
 
 
人はみんな違うから
 
わたしに起きたこと
わたしが考えたこと
わたしがやったこと
 
それが、いまこうしたことで悩んでいるひとに直接役に立つとは思えないけど
ほんとうに参考になればということで書かせてもらいました。
 
人によって、受け取り方も違うので
ほんとうに悩んで話を聞きたいという方には、もっと違うその方に合う言い方、ここでは書けないことも必要に応じてお話ししています。

(そもそも 全部を書き切れるわけがない!)
 
 
このおっさんの件を書くにあたっては
カウンセリングもしている人間が、こんなことで現実悩んでいるというのを公開する、というのは仕事上の信頼を失うのでは、という恐れもありました。
人生相談するとき、自分も悩んでいるような人に相談するかな、って。
 
自分も悩んでるような人間がカウンセリングできるのか?というひともいるし、わたし自身が自分にむかってそう言っていました。
 
 
でも、
わたしはこうして書きはするけれども、
書くことで、これを読んでるひとやクライアントさんに寄りかかりたいとか、慰めてほしいとは思ってない。
その場その場でエネルギーが交換されるのがうれしいと思うけども、特定の誰かと親密になりたいとかグループをつくろうという意図もない。
自分のプライベートを興味本位で覗き込まれたり注目されたいとも思わない。
 
 
そんなわたしは
自分がいるところまでなら案内はできるし、他人と自分では視点が違うこともわかっている。
 
だから、信頼できる他人に助けてもらう、というのは誰でも有効なことで
わたしも他人に助けてもらうことがあっていいじゃないかと思うし、
そんなわたしが相談を受けていてもいいと思います。
 
 
 
 
 
わたしもブログでいろいろ書かせてもらっていますが・・・・
 
スピリチュアルに関する知識や思考は、
知ってるだけではただのオタクで
使わなければ意味は生まれなくて
 
ひとには気づきにくいパターンがあること
それを外すには
自由に好きなパターンを選ぶには
どうしたらよいか
 
知っていてもできないときもあるけど
知っているからこそ
気付きが生きてくることがあります。
 
 
 
七色の魔術師まーりん
 

 

 

 

時代はシフト真っ最中キラキラ

ランキング参加してます いつもありがとうございますキラキラキラキラ