今回のテーマ
【① 哲学と出会った15歳の少女】
【② 哲学の父として生まれた男】
【③ 知恵ある者|ソフィストとは】
【④ ソフィストたちを否定したソクラテス】
【⑤ ソクラテスの終わりと永遠の始まり】
哲学と出会った15歳の少女
私が哲学に興味を持ち始めたのは15歳のころ。
「ソフィーの世界」という本がきっかけでした。
哲学に興味のない方は
いつか興味が湧いてから読んでも良いし
とりあえず、読んでみるでも大丈夫です。笑
子供に分かりやすく哲学を伝えている本↓
哲学の父として生まれた男
哲学の基本には
「人は本来どう生きるべきなのか」
「本当に正しい行いとはどういったものか」
これらを研究する分野があります。
はじまりは紀元前450年(約2400年前ごろ)
哲学の歴史を語るうえで
避けては通れない人物
ソクラテスが紀元前470年
古代ギリシア・アテナイで生まれました。
知恵ある者|ソフィストとは
ここからは「ソフィーの世界」に
書かれている内容をもとにお話します。
紀元前450年(約2400年前ごろ)
アテナはギリシャ世界の
文化の中心になりました。
民主主義がどんどん発展していき
アテナにはたくさんの教師や
哲学者が集まるようなりました。
彼らは「ソフィスト」
知恵ある者|学識のある人
と名乗りアテナイ市民に弁論術
自然科学などを教えることで
生計を立てました。
いわば家庭教師のようなことです。
ただし彼らは真理の探究よりも
いかに相手を論破するか
ということに力を注いでいました。
そして彼らはこう主張したのです。
「正しいと正しくないことの
絶対的な基準はない。
それは人間社会の必要に応じて
決められるべきである」
ソフィストたちを否定したソクラテス
ソクラテスだけは違った。
だからソクラテスはソフィストたちにこう言う。
『絶対的な基準はある
いつでもどこでも当てはまるものだ。』
そしてソクラテスは
市場や街かどで人々に話かけ
「自分が相手から学びたいのだ」と
いう素振りをして見せました。
人々が「”自分の頭”」を働かせるように
仕向けていったのです。
「正と不正を区別する力は
理性にあって社会にはない」
と信じていたソクラテス。
だから彼は良心の声に従って
たとえば「死刑」に反対をしました。
誰かを密告したり誰かを
中傷することにも抗議しました。
しかし、いつの世でも
疑問を投げかける人物は
最も危険な人物としてみなされるものです。
ソクラテスの終わりと永遠の始まり
ついにソクラテスは
人の心を惑わせ、若者を堕落させ
神々を認めないと言う罪で訴えられます。
501人の陪審員たちは
多数決を取りほんのわずかな差で
ソクラテスに「有罪」を言い渡しました。
判決は「死刑」です。
判決後、しばらくたってソクラテスは
自分の良心と絶対的な真理を守るために
親しい友人の見守る中で
「毒ニンジンの杯」を飲み干し
人間としての人生を
終えることになりました。
(↑上の絵はソクラテスの死を描いた名画です。)
彼の死を悲しむ周りの友人をよそに
どうどうと天を指先し毒を飲む瞬間。
▼へ続く