和を以て貴しとなす | 吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~ (ameblo.jp)
昨日の記事で
華厳の教えである
「事事無礙(じじむげ)」に触れました。
「事」とは
この世界の現象のことです。
われわれの活動や
その周りの生命の活動
さらには自然現象すべての
物事のことです。
その物事や現象が
「無礙(むげ)」であるとは
それらが互いにぶつかり合わず
妨げあうことなく、調和していることを
意味します。
これは『華厳経』というお経に
説かれている思想です。
例えとして
インドラ神の宮殿の珠網があげられます。
因陀羅網(いんだらもう)や
帝網(たいもう)などといいます。
帝釈天(インドラ神)の宮殿には
装飾として網が張られており
その無数の結び目には珠玉(しゅぎょく)が
ついています。
その珠玉は、互いに姿を映しあって
映された姿がまた別の珠玉に映される
ということが無限につながっている状態と
なっています。
また、例えば
鏡を10個用意し、その真ん中に
ロウソクを置いてみると
その光が鏡に映り
その映った姿は別に鏡に映る。
それが複雑に映しあって
幾重にもなる
という比喩もあります。
これと同じように
われわれの生きているこの世界の
物事や現象も、それ一つとして
存在しているのではなく
隣のもの、近くのものに留まらず
自分には知覚できないあらゆるものとも
実は関係しているということを
教えてくれているのがこの言葉です。
関係しているからといって
他の存在や他の意見を全て受け入れなければ
いけないわけではないと思いますが
良くも悪くも、様々に
関係し、繋がっていると気づくことは
大切だと思います。
弘法大師は
「重々帝網名即身」
という言葉を示して
この世界の見方を表現しておられますが
このことを気づくこと、悟ることが
この身このままの成仏
いわゆる「即身成仏」です。
普段の日常だけでは
なかなかこれに気づけないかも
しれませんが
坐禅や写経が有効だと思います。
また、普段の生活から脱して
ただ単に何かを眺めたり
余計なことを考えずに没頭できる
何かをする時間をとることも大切かと思います。
南無大師遍照金剛