吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

茨城県石岡市にある真言宗豊山派の摩尼山吉祥院です。
ふるさと茨城路百八地蔵尊霊場第九十一番札所に指定されており、
開山約900年の歴史を持つ由緒ある寺です。
境内の四季折々の風情や仏教について、幅広い情報を発信するお寺ブログです。

和を以て貴しとなす | 吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~ (ameblo.jp)

 

昨日の記事で

華厳の教えである

事事無礙(じじむげ)」に触れました。

 

「事」とは

この世界の現象のことです。

 

われわれの活動や

その周りの生命の活動

さらには自然現象すべての

物事のことです。

 

その物事や現象が

「無礙(むげ)」であるとは

それらが互いにぶつかり合わず

妨げあうことなく、調和していることを

意味します。

 

これは『華厳経』というお経に

説かれている思想です。

 

例えとして

インドラ神の宮殿の珠網があげられます。

因陀羅網(いんだらもう)や

帝網(たいもう)などといいます。

 

帝釈天(インドラ神)の宮殿には

装飾として網が張られており

その無数の結び目には珠玉(しゅぎょく)が

ついています。

 

その珠玉は、互いに姿を映しあって

映された姿がまた別の珠玉に映される

ということが無限につながっている状態と

なっています。

 

また、例えば

鏡を10個用意し、その真ん中に

ロウソクを置いてみると

その光が鏡に映り

その映った姿は別に鏡に映る。

 

それが複雑に映しあって

幾重にもなる

という比喩もあります。

 

これと同じように

われわれの生きているこの世界の

物事や現象も、それ一つとして

存在しているのではなく

 

隣のもの、近くのものに留まらず

自分には知覚できないあらゆるものとも

実は関係しているということを

教えてくれているのがこの言葉です。

 

関係しているからといって

他の存在や他の意見を全て受け入れなければ

いけないわけではないと思いますが

 

良くも悪くも、様々に

関係し、繋がっていると気づくことは

大切だと思います。

 

弘法大師は

「重々帝網名即身」

という言葉を示して

この世界の見方を表現しておられますが

 

このことを気づくこと、悟ることが

この身このままの成仏

いわゆる「即身成仏」です。

 

普段の日常だけでは

なかなかこれに気づけないかも

しれませんが

坐禅や写経が有効だと思います。

 

また、普段の生活から脱して

ただ単に何かを眺めたり

余計なことを考えずに没頭できる

何かをする時間をとることも大切かと思います。

 

 

南無大師遍照金剛

 

 

 

 

 

 

 

 

和を以て貴しとなす

 

という日本にとっては

大事な考え方があります。

 

これは論語が出典といわれ

儒教で重んじられていた言葉です。

 

辞書によれば

 

 他人との調和が大事であること

 

と、簡単に説明されていますが

この考え方が日本人の根底にあり

それが今日まで継承されていると思われます。

 

最近では、海外のような法律によって

人の動きを制限することなく

感染症への脅威に立ち向かっているのは

日本特有なような気がします。

 

それは、自分の意見や主張を通すよりも

周りの人たちとの調和の方を

大事にするという意識が根付いているからでしょう。

 

逆に海外の人からすれば

日本人は主張が弱いとか

核となる信念をもっていないなどと

批判されたりして

 

この文化が絶対的に良いとは

いえないかもしれません。

 

ただ、この調和することの素晴らしさを

説くことはこれからの時代

重要なものとなるかもしれません。

 

華厳の教えでは

事事無礙(じじむげ)ということを説き

弘法大師も重々帝網(じゅうじゅうたいもう)

の教えを説いています。

 

これは、仏の真理の世界においては

あらゆるものごとは

妨げ合わずに融和している

ということです。

 

現実の世界は

見る目、心を転換すれば

それがそのまま仏の世界となります。

 

温暖化が進んで

脱炭素化していくことが叫ばれる中

 

環境や自然との調和の意識を

皆が持っていなければ

それがうまく進んでいきません。

 

人と人との調和と共に

人と自然との調和

大切にしていきたいものです。

 

 

南無大師遍照金剛

 

 

偶然と必然という言葉があります。

広辞苑で調べてみると

 

偶然とは

何の因果関係もなく

 予測しない出来事が起こるさま

原因や理由がわからないこと

 

必然とは

必ずそうなること

・何かがそれ以外ではないこと

 

などと書いてあります。

 

仏教的に言えば

必然とは、この世界は

様々な因果関係から成り立っている

ということで

 

ある現象や物事には

必ずその原因や縁となるものがある

という法則性のことです。

 

一方で、そういった法則性の下に

偶然の出来事に溢れているのが

われわれが生きる、この世界といえます。

 

自分が生を享けたのは

両親がいるからであり

街中で友人に会うという出来事があれば

それも偶然の現象です。

 

そういった現象を深く観察してみると

自分の力ではどうにもできない

不可思議な力というか影響力

そこに働いていることに気づきます。

 

因果の法則をもとにして

様々な縁が絡み合っているのです。

 

現れてきた物事は

偶然に出てきたものです。

 

仏教でいう因果の法則にしても

物理学でいう様々な法則なども

奥が深く、それを一人の人間が

完全に把握できるものではありません。

 

むしろそれを知ろうとすることは

悩み苦しみの原因となりえます。

 

この世の法則がこういうものだと

理解しながら、偶然起こる出来事に対して

感謝や尊重の念をもち

ありのままに受け入れていくことが

 

仏教修行的にも

あるいは、社会の中においても

最も大事なことだと感じています。

 

これを完成されたのが

お釈迦さまであり、偉大な僧侶たちであった

のだと思います。

 

 

南無大師遍照金剛

 

真言宗には

十住心思想(じゅうじゅうしんしそう)」という

とても重要な思想があります。

 

われわれには

10の心のあり方がある

というもので、1から始まり

第10の仏の境地までの段階があります。

 

第1は、異生羝羊心(いしょうていようしん)

といって、倫理以前の世界とされ

欲望のままに生きている者

 

それが第2の愚童持斎心(ぐどうじさいしん)になると

倫理で物事を考えられる世界になります。

 

愚童持斎心では

何らかの縁によって

自らの欲を断じようという思いが生じ

規律を重んじていく段階です。

 

第3では、宗教心が目覚める段階となり

仏教以外の宗教がここに含まれると

いわれます。

 

第4以降は、仏教の聖者となる段階ですが

その中でも、心のあり方には

少しずつ違いがあり

それによって、10までさらに分けられています。

 

第2の愚童持斎心について

弘法大師の言葉には次のようなものがあります。

 

  それ禿(かぶろ)なる樹、定んで禿なるにあらず。

  春に遇うときはすなわち栄え華さく。

  増れる氷、なんぞ必ずしも氷ならん。  

  夏には入るとき、すなわちとけ注ぐ。

  ………

  人なんぞ常に悪ならん。

  縁に遇うときはすなわち庸愚も大道を

  庶幾(こいねが)い、教に順ずるときは

  すなわち凡夫も賢聖に斉しからんと思う。

 

禿(かぶろ)なる樹とは

華や葉っぱが散ってしまった木のことですが

それも春になれば華が咲きます。

 

氷もそれがずっと氷のままであるわけでなく

温かくなれば融けて水と成ります。

 

それと同じように、一見悪そうな人や

悪い行いをしてしまった人であっても

本性として変わらない「悪」があるのではなく

何らかの縁や、良き教えに出会うことで

 

すぐさま仏や聖者の位に

達することができるということを

説いておられるのです。

 

人を見た目で判断してはいけない

という示唆でもあるかと思います。

 

また、自分自身においても

善い行いをすることがあれば

悪い行いをしてしまうこともあります。

 

後々振り返ってみると

他人に無礼な態度をとったり

感情的になって悪いことをしたなと

気づいたりしますが

 

それは自身の悪い面が少し出てしまっただけで

人格そのものが悪いというわけではないから

反省して良い面を磨いていきましょう

 

という有難い教えともいえます。

 

また、仏教以外の宗教を否定しているわけではなく

それも1つの心のあり方であるということです。

 

こういった教えから

自らの悪い行いを顧みて

また、他人の行いや振る舞いを

見た目で判断せず、注意深く見ることの

大切を学ぶことができるのだと思います。

 

 

南無大師遍照金剛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石原元都知事は

廊下を這っている小さな虫を

スリッパで踏むつぶさないようになった

とインタビューで述べています。

 

そのようになったのは

自身の大病を患った経験から

小さな虫の命の儚さを知り

あらゆる命を尊ぶ意識が強くなった

ことがあると思います。

 

ものの見方や考え方にも変化が生まれ

日常茶飯に思っていたことが

非常に新鮮に見えるようになったとも

述べています。

 

これは、解脱というレベルではないですが

ある段階における悟りの体験です。

 

悟りは

この世とは別の安らかな世界へと

旅立っていくことではなく

この世界において体験できるものだと

いうことの示唆だともいえます。

 

坂村真民さんの詩に

  二度とない人生だから

  一匹のこおろぎでもふみころさない

  ようにこころしてゆこう

  どんなにかよろこぶことだろう

 

 これは華厳の教えの実践化

 生活化である。……

 わたしが尊ぶのは実践である。

 一匹のこおろぎでも踏み殺さないという

 小さい実践である。

 

というものがあります。

 

華厳の教えは

この世のあらゆるものごとが

分け隔てなく、融和している

ということを説きます。

 

気に食わない、気持ち悪いといって

小さな虫を踏み殺すことは

全く融和しているとはいえません。

 

融和していることを知り

それを実践していくことで

心が養われ、迷いもなくなっていく

ということが華厳の教えです。

 

言葉や論理でそれを知り

その上で実践の重要性を

この詩は示しています。

 

石原さんは

仏教修行をしているわけではないですが

元々『法華経』に傾倒していて

仏教思想をよく知っています。

 

その中で、病気という

ある種の大きな修行体験によって

一つの悟りを得たのだといえます。

 

そういうことでは

時には苦行も大事だといえます。

 

とはいえ、明らかに苦しい行がなくとも

われわれ僧侶であれば

毎日のお勤めや瞑想を

 

一般の人であれば

仏壇への祈りや

日常における善い行いを

 

懲りずに継続していくことで

見えてくるものもあるのだと

信じています。

 

 

南無大師遍照金剛

 

今日は1月7日。
もう1月に入り7日も経ってしまいました。
もう七草粥を食べましたか?

境内のお正月飾りもあと少しで見納めです。


毎年本堂と廣厳殿の前には
お正月飾り(門松やしめ飾り)とポスターを
設置しています。

今年のポスターは、
「心かよわせ 思い新たに」
です。


今年のお正月は
新型コロナウイルス感染を懸念し
いつも通りに過ごせなかった方も
沢山いらっしゃると思います。

吉祥院のお正月も、例年とは異なり
感染防止を軸に運用を変えました。

会いたい人と会えない。
大切な人だからこそ近寄れない。
とても辛い時期に迎える新年だからこそ、
「心かよわせ 思い新たに」
です。

吉祥院も、
こんな時でも皆様と心かよわせられるよう、
試行錯誤の日々です。

真言宗で大事にされている

『大日経』という経典には

五種三昧道」という教えがあります。

 

五種とは

仏・菩薩・声聞・縁覚・世間

の5つのことで

 

仏から縁覚までは出世間三昧

聖者の領域となります。

 

出世間とは、世間を超越したという意味です。

 

世間には、われわれ凡夫や

天上の神々も含まれています。

 

この世界には仏教以外にも

数多くの宗教があり

様々な神さまや精霊がいると

されます。

 

古来、人類はこの世で亡くなった後

天上の安楽な世界へと生まれ変わることを

願ってきましたが

 

仏教では、その神々の世界すらも

欲の世界の中にあるのだといいます。

 

そして、世間にいるわれわれのような

存在であっても

真理に気づき、悟りの体験をすることで

 

実は、この身のままで菩薩や仏という

出世間の領域に入ることができる

と説くのが仏教です。

 

仏の世界は

この世界より遠くのどこかにあるのではなく

この世界が実は仏の世界なのです。

 

お坊さんで悟りの体験をして

オーラのようなものを纏って

利他行に邁進している人や

 

一見ふつうの人に見えても

仏や菩薩のような振る舞いを

見せる人もいます。

 

そのような方々は

五種三昧道の中で

世間道から出て、聖者の領域にいる

といえます。

 

要するに

この世界にいる存在は

普通の人間から仏や菩薩まで

いるということです。

 

私自身、まだまだ世間の領域から

出ていませんが、少しずつでも

出世間三昧に近づいていけるように

精進していきたいものです。

 

南無大師遍照金剛

 

 

 

 

 

2021年、あけましておめでとうございます。

とても寒い大晦日と元旦となりましたが

皆さまはどうお過ごしでしょうか。

 

コロナウイルスの収束を待ち望む

一年となるのかもしれませんが

ウイルスの動向にばかり

気を取られずにいきたいものです。

 

新しい生活様式はどのようになるのか

その社会の中で自分は

どのように貢献していくのか

 

そういったことを深く考えることが

重要だと思います。

 

詩人の坂村真民さんの詩に

  

  動くのだ

  停滞してはならぬ

  川や

  海が

  生きているのは

  いつも動いて

  いるからだ

 

があります。

 

生きている、というのは

諸行無常の世界にいる

ということだといえますし

 

一度、安定したところに

至ったからといって

そこで立ち止まっているわけにはいかない

ということをこの詩は示唆しているのでしょう。

 

いずれ、元のような世界が

戻ってくるかと思いますが

全く同じなのではなく

様々なところで変化がみられるはずです。

 

諸行無常なる世界の中で

自らを適応させながら

歩んでいくことが大変でありつつも

豊かな人生へと導いてくれるのだと思います。

 

本年もどうぞ

よろしくお願いいたします。

 

南無大師遍照金剛

 

仏教修行において

迷いを断じていく中では

知的に行うのと

実践的に行うのとがあります。

 

迷い苦しみは

自らの欲望などによって

引き起こされるのであり

 

それを知って、あらゆるものごとは

関係性の中にあるという縁起の法則を

知的に覚ることが見道(けんどう)という

段階になります。

 

ここに至るまでに88もの

煩悩を断じていけねばならないと

言われています。

 

それに加えて、実際に修行によって

体で体験する段階が必要とされ

そこで繰り返し煩悩を断じていきます。

(修道(しゅどう)という)

 

ここでの煩悩は10に分類されると

いわれ、88と足し合わせて

九十九随眠(ずいめん)といいます。

 

さらに十纏(じってん)というものが

足されると合計108となり

いわゆる百八煩悩となります。

 

このような細かい分析は

さておき、基本的には

貪・瞋・癡の三毒が重要です。

 

貪(とん)は、貪りのことで

欲望が露になっていること。

 

瞋(しん)は、瞋恚ともいい

憎しみや怒りのこと。

 

癡(ち)は、愚癡ともいい

無知で愚かなこと。

 

3つの毒という表現をしていますから

これらは我々の心にとって

良くないものとなります。

 

欲に支配されている状態が

良くないことは明らかですし

何か気に入らないことに対して

ずっとイライラしていても無駄な時間と

なってしまいます。

 

また、無知なことというのは

仏教の世界では縁起だったり

諸行無常の道理を理解せずに

いることで

 

それを理解し、体験的に

覚ることが重要になります。

 

除夜の鐘では

108回鐘を突いたりしますが

これらの煩悩を断じるのだという

気持ちで行ってもらうと

より良いのだと思います。

 

本年もあと少しとなりましたが

2021年は希望ある年になることを

願いながら、自らの煩悩を断じて

精進していくことを忘れずに

いきたいと思っています。

 

また、来年もよろしくお願いいたします。

 

南無大師遍照金剛

2020年は、コロナウイルスで

大きく世の中の流れやあり方が

変わった年となりました。

 

感染力が高いとされる今回の新型ウイルスは

健康な人であれば,風邪のような症状で済む

あるいは症状がない

 

一方の高齢者や持病のある人にとっては

重症化のリスクが高くなるということが

よくいわれています。

 

ハイリスクの人はできるだけ

外出を避けた方が良いというのは

その通りだと思いますが

 

比較的若い人が同居しているようだと

自分一人の努力だけでは難しく

リスクの低い人であっても

近くに高齢者などがいるのであれば

気を遣った行動が求められます。

 

また、密を避けることが求められ

テレワークや大学等では

オンラインでの授業が進められています。

 

そういう点では便利な時代だなと

思うのですが、一方でこれまでよりも

体を動かす時間が減ったという人も

多いのではないでしょうか。

 

確かに通勤時間がゼロならば

より効率的な仕事ができるかもしれませんが

その時間が実は良い運動になっていた

という人もいるかもしれません。

 

これからの時代は

予防医療がとても重要になると

されます。

 

食事も重要ですが

適度な運動も、予防医療的な効果が

期待できます。

 

森林浴というのがあるように

木や植物の緑を見て感じることは

精神的に良い効果が期待されるとも

言われていますので

 

公園をランニングやウォーキング

することは非常に良いのだと思います。

 

コロナに気を取られ過ぎず

心を豊かに、健康に生きることが

一番大事なことです。

 

 

記事を更新しようとしたところで

大きめの地震が来ました。

皆さま大丈夫だったでしょうか。

 

コロナに気を取られている世の中ですが

次いつ大きな地震が来るかもわからないですから

防災グッズなどを備えておくなどの

準備をしておきたいものです。

 

 

南無大師遍照金剛