使命をもった生き方
「使命」をもつことは、幸せに生きていくために重要だと思います。使命をもって生きるとは、どんな形があるでしょうか。まずは、自分自身の能力や持って生まれた才能を活かした生き方を使命とすることが考えられるでしょう。アリストテレス的な考え方でいけば、アスリートはそれぞれの分野で他者よりも優れた自らの才能や能力を存分に発揮するということになるでしょうか。あるいは、他者や社会との関係の中で、例えば家族を支えていくことや、会社の発展のため、社会の貧困や様々な問題を解決することを使命とする生き方も考えられます。または、宗教的なあり方もその1つとして考えられます。戒律をしっかりと守り、その教えを継承していくことを使命とすることであったり、自らが解脱を目指して精進すること、さらには苦悩にあえぐ人を救い、導いていくことを使命とする生き方は、仏教的使命と言えます。使命をもって生きるには、その当人にとって大小さまざまな苦しみがつきまとうことになるでしょう。自分の能力を発揮することを使命としている場合、時にそれがプレッシャーとなってしまうことも考えられます。他者や家族のためということを使命とすれば、時に自らの利益を顧みないこととなります。仏教においても、修行の途上であれば、苦しみに耐えきれずに退転の念が生じることがあります。使命をもつことの意義現代に限ることはないかもしれませんが、人間の多くは束縛されず自由でいたい思うし、嫌なことを避けて思い通りで心地良く生きたいと考えるものです。そうすると、苦しみを伴う「使命」なんてものは持たずに生きていこうとなりそうです。しかし、一切皆苦と仏教でいうように、思い通りにいかない、苦しみのない生き方は実現しないと考えるのが一般的にも合理的です。であるからこそ、苦しみ迷いは人生に付きものであると考える方が、結果的に良いのではないかとなります。とはいえ、ふとした時にふりかかってくる様々な苦しみを何の根拠もなく何でも受け入れることは難しいです。そんな時に、自分なりの使命をもつことが良いのではということです。1つの使命(複数でも良いかもしれない)を設定して生きることができれば、その物語の中に生じる苦しみ、迷いは仕方ないんだと思えるようになるからです。自分の使命は、この家族が幸せであるようにすること、子どもが幸せで育ち、大人になったら幸せな家族を築くようにサポートすること、という生き方を確固たる使命としたならば、その実現に伴ってくる様々な苦悩、困難は自ずと受容できるでしょう。あるいは、使命は人生全体で考えなくとも、もう少し短いスパンでも考えることができます。再度アスリートで喩えますが、例えばサッカー選手がチームを優勝に導くことを使命とするなら(それが5年とか10年という期間かは場合によりますが)、それにはさまざまな苦悩、思い通りにならないことに遭います。経営陣やファンからの大きなプレッシャーや理不尽な要求があったり、有名であれば好きなように外出ができないといった一般人では体験しない苦悩があろうかと思います。でも、それを受け入れられるのは使命をもっているからと表現することもできるでしょう。仏教の生き方における使命一切皆苦であるという認識と執着を離れるというアプローチは通仏教の基本です。ですから、仏教的生き方の使命は、自らの煩悩に向き合って、それを消し去ることに精進することだと表現できます。さらに大乗仏教では、他者を救うことを強調します。慈悲の心を修行の出発点とし、すべての人々が悟りに至るまで自らは精進し続けるとまでいいます。そういう使命をもって生きるのが大乗仏教の修行だという表現ができるでしょう。さらに密教になると、修行者自身は早く悟りに達し、成仏すなわち、仏となり、その後の衆生救済に尽力することが重要だと説きます。その際には、自らの主観的には大小さまざまな苦悩が生じるはずです。修行の段階ではそれに惑わされてしまい、自らの使命が揺るがされることもあるでしょう。しかし、その生き方を頑張って続けていくことで、それが自らに定着していき、少しずつ目標である悟りの境地に近づいていくのです。そして、たとえ悟りに至らなかったとしても、その生き方で居ること自体が、この一切皆苦の世界において幸せでいられることに繋がるのだと思います。苦しみを避けていくのではなく、受け入れていく方向に仏教は進みます。仏教的生き方ではなくとも、さまざまな形で使命をもって生きること自体(目的を完全に達成できなくとも)が幸せにとって大切なのではないでしょうか。南無大師遍照金剛-----------------------吉祥院副住職の小話|note茨城県石岡市 吉祥院の副住職をしています。 幸せに生きるために仏教が何を示してくれるかをお話します。 水曜日と土曜日の朝に更新できるように頑張ります。note.com