全部自分が望んだ通りだった
子どもの不登校ひきこもりを経験した母が、自分の思考の偏りに気づきエッホエッホと修正して、生き辛さをほどいていく過程を綴っています🦉今朝、瞑想を始めてすぐにふわっと包まれた想念「ああ、今までの人生で起こったことは、全て私が望んだ通りだったんだ…。良かったことも悪かったことも全部私が望んだことだったのか。」近年の私の悩みと言えば、夫のモラハラや子どもの不登校ひきこもり、長年に渡る希死念慮。もちろんそれ自体を直接望んだわけじゃない。優しい夫がモラハラ夫になったらいいな。子どもが不登校ひきこもりになりますように。希死念慮で死ぬほど悩んでみたい!なあんて、願うはずもないこんなふうに小さく細かく望んだんじゃなくて私の中にもっともっと大きな願いがあってその願いを叶えるためにこのようなトラブルで学びを得る必要があったのだ。その願いとはこの世の本当のこと、真実が知りたい人の心の痛みを心底理解したい感性で分かり合い、分かち合いたい言葉にするのは難しいけどこんな感じかなこれらを叶えるために。モラハラ夫に豹変した夫を優しい夫に戻す過程で起点は全て自分だということを学んだ。子どもの不登校ひきこもりで命の価値は無条件に尊いということを知った。希死念慮を克服する過程では幼少期の心の傷がどのように作用し苦しみを生むのかその苦悩のシステムを体感して理解し乗り越えるまでがセットだった。全て必要なことだったんだ…それが腑に落ちると、ふーっと肩の力が抜けて生きるってすごいことだなって思った。私が【信頼の世界】を知るためには【不信の世界】を知り尽くす必要があった。心底絶望し弱さに直面しなければ愛というものが何なのか理解できなかった。最初っから安心の世界に生きている人もいるから何で私はこんなに苦しまないと得られないのかって呪いたくなる時もあったけれど。私って欲張りだから愛も絶望も、信頼も不信も、不安も安心も片方だけじゃなくて全部知りたかった。プラスもマイナスも両方欲しかった。闇を知らない光なんて正直つまらないって思っていたんだ。だから、自分が望んだことならもう本当に誰かのせいにしたりできない。人生を引き受けていく。地に足のついた覚悟は気持ちがいいもんだな今悩んでいる人も、その人の本当の願いを叶えるためのミッションに取り組んでいるそう思うとその尊き生き様をちゃんと見たいし邪魔しちゃいけないなって思った。