願えば叶う…(そして20代)
出張に行ってました。
台風一過の猛暑に、タフな僕も少しバテぎみです。
さてさて…つづき
「高校を20歳までに卒業する!」
この決意に関しては、レポートの提出期限を厳守し、さぼらず月3、4回通学することを続ける事が
出来れば必ず卒業できるというものなので“継続”という自己管理さえできればそう難しい事では
ありませんでした。
遊びたい盛りの年頃だったので、仕事と、学校と、勉強で休みが全くないというのは辛いなと思う
事もありましたが、なんとか、回り道した10代後半、4年間の高校生活を終える時がきました。
卒業式では、10代から60代までの同級生と笑い泣きで顔をくしゃくしゃにしながら喜びあったの
を覚えてます。
在籍していればいつかは卒業できるという訳ではなく、自分の意思で継続していかなければいけ
なかったからこそ卒業できたというのは感慨深いものでした。
こうしてひとつの願いは叶いました。
そして、
「将来、サラリーマンになる!」
これこそ厳しいものでした。
決意してはみたものの、何の仕事を選んでいいかわかりません。
どんな会社があるのかビジネス街のビルを見上げ色んな職種に興味を持ったのを覚えてます。
そして考えた末にでた結論…
“資格をとってそれを活かした職種に就く”
です。
そしてどうせとるなら難易度の高い資格に挑戦してやろうと・・
まずは通信講座にチャレンジしました。
…
ムリでした。
仕事あり、高校の勉強ありでは到底時間がありません。
何かいい方法はないか・・
・・・
思いつきました。
「進学すればいいのか!」
と。
親に頭を下げました。
「専門学校に行かせてください」
親は目を丸くしながらも頷いてくれました。
「この子から進学という言葉を聞けるなんて」
と言わんばかりに・・
そして高校を卒業後、福岡の学校へ行くことになりました。
昼は学校、夜はバイト、休みは近くの図書館へ・・
ただただがむしゃらの毎日でした。
2年後・・・
神様はこんな僕に微笑んでくれました。
合格率10%台の資格に合格し、
進学する前、
「絶対この会社に入ってやる」
と思った会社に就職することが出来たのです。
単車を乗り回し家にも帰らなかった10代半ば・・
汗にまみれ、泥にまみれ仕事をしていた頃・・
思い返すと信じられない
“僕だけの快挙”
でした。
それからというもの仕事が楽しくて、楽しくてしょうがありませんでした。
10代からの社会経験も決して無駄ではありませんでした。
おかげさまで、ずっとトップクラスの営業成績を挙げることが出来ました。
・・・偉そうに過去を振り返りましたが、願いのすべてを叶えてこれた訳ではありません。
むしろ叶えられた願いというのは片手で数えられる程です。
途中で挫折したり、心が折れてあきらめたり・・
多々、多々ありました。
でも、これだけは胸をはって言えます。
一つでも、二つでもいい・・
自分に課した、
自分だけの大きな願いを叶えられたときの
喜び
達成感
はその後に大きな自信を与えてくれます。
願いの大小や価値は、自分の物差しだけでいいのです。
“物事を達成できた喜び”
これは、達成できた人間にだけしか味わえません。
その喜びを味わう為に、これからも
その時々の、自分に身の丈にあった願いを、一歩ずつ叶えていきたいと思います。
願えば叶う…(10代の時)
「願えば叶う」
シンプル過ぎて、座右の銘というほどでもありませんが、経験から得た教訓みたいな言葉です。
どんな解釈かというと…
目指すべき目標や夢をを達成したいという“願い”があるとします。
そして、その願いが成就するか否かというのは、その願いに対する思いの強さの度合いによって
決まってくると思うのです。
即ち、願いが叶えば(願いの種類にもよりますが・・)、その願いにかける思いがとても大きかったということ。
叶えることが出来たということは、
日々、考え、
強い意思を持ち、
継続し、
あらゆる手段を駆使し、
あきらめなかった
ということで、
叶えられなかったということは、
どこかで挫折し、
心が折れ、
途中であきらめてしまった
ということだと思うのです。
願いもその程度のモノだったといったところでしょう。
そして必ず、出来なかった言い訳を探してしまいます。
やんちゃ坊主だった僕は、高校を1年の途中で退学しました。
でも、「高校だけはでてくれ」という親の強い強い願いで、
通信制の高校に入りなおしました。
通信制の高校というのは、レポートを提出期限までにだし、月に3~4回程、さぼらずに通学すれば
単位が与えられるというところです。
ですので、普段は働かなければ暇で暇でしょうがないのです。
でも、そうそう中卒の悪ガキを雇ってくれるところはありません。
20歳の卒業までに、
喫茶店のウェイター&皿洗い&ランチのキャベツ切り…1年半
寿司屋…3日
服屋…1ケ月
山奥で橋作りの出稼ぎ…2週間
飲み屋…半年
米の配達&精米…2年
etc…
といった具合に労働の楽しみを少しずつ覚えながらよく働きました。
しかし同年代の奴らが、制服を着て楽しそうに自転車で帰るのを見たり、汗にまみれて
部活動をしているのを横目でみたりすると妙な孤独感があったのを覚えています。
そして、時は経ち、19歳位だったでしょうか、初めてといってもいいかもしれません。
自分に対して「これだけは達成したい」という気持ちと、「将来どうなりたいのか」といった
決意に似た気持ちが自発的に芽生え始めたのは。
「この通信制の高校を20歳までに必ず卒業する!」
「将来、サラリーマンになる!」
仕事をしながらのレポート&休みの日の月3、4回の通学は結構しんどかったし、
高校さえ卒業できるかどうかもわからないその頃は、スーツを着て、ネクタイをビシッとしめて
バリバリ仕事をするサラリーマンがとても眩しく見えたものです。
まぁ今思い返すと、いまいち迫力に欠ける決意だなぁと苦笑いがでるようなモノですが、当時の僕にとっては
一大決心だったのです。言いかえれば、この頃の、この決意があったからこそ今の自分があるといっていい
ようなものです。
そしていざ実行にむけて動き出した(大げさかな?)のです。
つづく・・
見えざる敵
2週間程前でしょうか…
コンビニで目がとまった本にあった言葉です。
- ジョー・タイ, 桜田 直美
- 天使になった男
- 「恐怖とはたくさんの明日を心配する事。
- 勇気とは一つの今日に集中する事。」
起業したい!など、大きな夢、目標を掲げている
人はたくさんいると思います。
でもそんな人達も、その大きな夢、目標を
「確実に達成できる」
と最初からわかっている人はそうたくさんは
いないはずです。
何故なら、最初から達成できる事がわかっていれば、
それは夢や目標にはならないからです。(ですよね?)
やはり、誰もが、今現在の自分の実力、人脈、環境etc…と照らし合わせてみて、
自分がその夢や目標を達成できるかという不安を抱えているのではないのかと思うのです。
そして臆病な僕も“不安”という敵が目の前に大きく立ちはだかっていました。
全責任を負わねばならない社長業をまっとうしていけるか?
自分の思い通りの事業ができるか?
世間に受け入れてもらえるか?
収入を確保できるか?
などなど。
そんな時、目の前に飛び込んできたこの言葉。
勇気づけられました。
要は、現時点からすると、夢や目標は先の先にある訳で、
そこに近づくためにはまず目の前の事を1歩ずつクリアしていかなければ
いけないんですよね。
こんな初歩的な事にも気づかなかった僕は、
“不安”という見えざる敵に
やられちまうところでした。
かかってきやがれ!
…ってことで、僕はたまには牙を剥くであろう
“不安”君や“恐怖”君と仲良くなりながら
目の前の事を一つずつ着実にこなしていきたいと思います。
「恐怖とはたくさんの明日を心配する事。
勇気とは一つの今日に集中する事」
起業しようと思える幸せ
先日、仕事でフィリピンのセブ島へ行ってきました。
マニラまで4時間弱、乗り継いで1時間。
さんさんと照りつける太陽。うだるような暑さ。
南国特有のの~んびりした時間。
そして笑顔のたえない優しい人たち。
訪れるのは今回2度目ですが、とても好きな国(島)
の一つです。
でも…
その事件に突然でくわしました。
バスにて移動中のことです。
バスは急ブレーキをかけ、50m程先にはみるみる人だかりができて
いきます。
事故かな?
そして、その人だかりの視線の先には…
な、なんと頭を拳銃で撃たれた男性が倒れているではないですか。
び、びっくりしました。
ショックだったのは、人だかりの中には10歳にも満たないような子供も
たくさんいて、その目の前の凄惨な光景を好奇心に近いような目で、
中には笑みを浮かべながら眺めているのを目にしたことです。
南国リゾートの裏側にはこんな部分もあるのか…
ショックでした。
乗り合わせた現地の人に
「こういうことはよくあるんですか?」
と訪ねてみたところ、その人も初めて見たとのことでした。
倒れた男性の横には大きなバックが転がっていた事から、多分盗みに
入ったところを警察に見つかってしまい、逃げるのをやめようとしなかった為
撃たれたのだろうと…
あちらでは、犯罪者に対し、警察が
「フリーズ!」
といっても手を挙げず、逃走を図ろうとする場合は容赦なく撃ってもいいのだそうです。
それぞれの国で警察のルールがあるのは分かります。
盗みに入ることももちろんよくありません。
でも…
う~ん…
なんと言葉にしていいか分かりませんが、人の命がそんなに簡単でいいのか…
世界ではまだまだ戦争が行われている地域があります。
テロによる爆破後の映像や写真を目にすることもしばしばです。
その地域の人たちは、まず“生き抜く”ことに何よりも懸命です。
生きなければならないのです。
郵政民営化実現に向けて邁進されている小泉総理の言った言葉。
「俺は殺されてもいい覚悟でやっている」
もちろん自分の思いを伝える為に発した言葉でしょう。
信念は尊敬に値しますが、そんな言葉は軽々しく言ってはいけません。
殺されたくなくても、選べなかった自分の生まれた地で、殺される人は世界に
たくさんいるのですから。
今日は、「終戦記念日」です。
不本意な戦争で犠牲になられたすべての方々のご冥福を祈りたいと思います。
僕達が起業したいと思えるのも、生きていけることが当たり前の、戦後の平和な日本に
生まれることが出来たからです。
この気持ちを原点の原点に持っていたいものです。
今日はちょっと重くなりましたが今日の日を忘れることのないように書いてみました。
ふるさと
父親の転勤で色んな所に住みました。
小学校3校
中学校3校(全部異なる県)
高校2校(あっ…これは、ぐれて?1度退学)
中学校で1年ごとに違う県の学校に3校も通うのは
結構しんどかった。
教育ママのもとで育った僕は、結構勉強ができた。
将来、プロ野球選手にならせたかった父親のもとで育った
僕は、かなりスポーツができた。
中学2年生の時通った学校は、田舎のヨソモノは受け付けない
地元意識のとても強い学校でした。
スポーツ(特に野球)を通して友達をたくさん作ってきた今までの
「仲良くなる方法」が通じない。ヨソモノが目立つなと言わんばかりに・・・
1年間、かなりストレスを溜めながら過ごしました。
そして3年生。宮崎。天国だった。
目立ってしまうことにトラウマになりかけてた僕の心は開放された。
最高の友達にたくさんめぐりあえた。
親が宮崎に家を建てた。
これで「宮崎が地元だ」と堂々と言えると思った。
・・・それから10数年、気さくで、人懐っこくて、のんびりした宮崎の
人達に、助けられ、支えられてきました。
起業する人たちは、
・都会で成功したい
・年商100億の会社をつくりたい
・大金持ちになりたい
etc…
様々な、そして、それぞれとても大きな夢や目標を志していると思います。
僕は
「僕を支えてくれた、ふるさと“宮崎”の人たちに貢献できる、愛される会社をつくる!
そして“宮崎”に生きた証をつくる!」
が目標です。
そんなにでかくはないかもしれませんが、僕にとってはどでかい夢です。
皆さんも、機会があれば「南国宮崎」へご来訪ください。
お世話になります
“ブログ”ってなんだ?
調べてみた。
どうやら要約すると「ブログ=日記みたいなもの」らしい。
自分の日記がインターネット上に公開されるのか・・・
面白そうだ。
嫁様に話してみた。
「俺、今度ブログ作るから」
「ブログって何?」
「う~ん・・・インターネット上に自分の日記が書けるらしい」
「日記なの?1月にも今年は日記つけるぞ~って言ってなかったっけ?
あれはどうなったの?」
「うっ・・・」
忘れてた。
僕は、多分、一般の人達に比べると意思がとても弱いことを・・・
ん~でもこんなことではいけない。鋼鉄の意志に変身しなければ。
何故なら僕は何を隠そう(隠す必要もないか)愛するふるさと“宮崎”で
起業することを夢見てたんだった。
まぁ、力を入れすぎずにやればなんとかやっていけるだろう。
・・・てな具合で「てげてげ日記」がスタートすることになりました。
日々の思いを綴ることで自分を見つ直せたらいいなぁ
人脈が広がったりなんかすればうれしいなぁ
なんてことを考えながら・・・
ということで、アメブロ読者の皆様、よろしくお願いします。