ヒカリエに行きたい -4ページ目

ヒカリエに行きたい

ラーメン食べたい



これね、初回だけ無料でまわせるのだけれども、こんな普通の耳あてもらっても・・・。
別の子が、頭頂部にうさみみが着いてるバージョンのやつをゲットしてたの。
思わず、ずるいってコメントしてしまった・・・。
これだったら、うさぎの家具とかにしてほしかった・・・。
浴槽と水槽とがごちゃまぜになった意識の中にいる。
ここは夢なのか、現実なのか。
先ほどまで風呂に入っていた。風呂をあがってからビールを飲むという気分ではなく、風呂の中でお盆を浮かべ、徳利とお猪口をのせる露天風呂スタイルでいた。
疲れの所為か、お猪口を二度あけると、瞼が自分の意志とは関係なしに落ちてきた。腫れぼったい瞼と言われてきた。黒目の部分はおおきくて、涙袋がぷっくりとしている。覚醒している間は実に愛嬌があるのだけれど、家の中だったり、気の置けない人と一緒にいるときには非常に薄っぺらな顔つきになる。
その様子をある時期に付き合っていた人から、金魚みたいだと言われた。

風呂の中にはメモ帳と水性ボールペンを持ち込んでいる。もしかしたら。その一言に尽きる。もしかしたら意外なアイデアが浮かぶかもしれない。もしかしたらの為に、心安らぐひと時を無為にしているという事実をどこかで認めながらも、それを儀式的に続けていたのだった。今まで書いた文章は「蘭鋳の泳ぐ水槽に卵を割りいれ、バナナ、トマト、パプリカ、アーモンドを入れる。それを一息に飲み干す。」だけで、それがどんな着想としても成り立たないのは明白だった。浴槽は聖域だった。ケガレを落とすことのみに特化された部屋。お手洗いとは違う。あれは生理的な反応を処理する場所だ。風呂は自発的に入るべき場所。トイレに行くべき理由はあれど、風呂に入る理由はない。風呂に入らなくても死にはしない。

一時期みなもに流木を浮かべていた。また、アヒルちゃんを浮かべていた時期もある。これは深層心理によるものなのだろうか。意味をもたない行動に不条理を重ねることに、なんら不都合はない。流木を浮かべるとどこか遠い国のことを想起させるし、アヒルちゃんには幼少時代の思い出が蘇るイメージがある。しかし、これだってどこからが恣意的なものか定かではないし、なくたって構わないわけだし。

酔っ払ったんだな。

ほろよい気分で鼻歌交じりの浴槽。
この1418空間で、小説を読む事だってある。裸のまま本を読むと、逃げ道のない感じがする。トイレもそうだけれど、アウトプットの場所でインプットすることは合理的なのではないだろうか。
そうか、トイレは消臭剤の匂いだったり、排泄物の匂いがするけれど、風呂場は無臭なのだ。
だから風呂がすきなのかもしれない。

みなもに浮かぶ盆。
首筋にあたる波しぶき。
ぐちゃぐちゃの思考で浴槽の中にいる自分を、誰かが飲み込むのかもしれない。
ジョージアクロス 和-STYLE




アメモニで当選しました。ジョージアクロス、和スタイル。

一個だけがダンボールに包まれてきました。
CMでは見たことがあったけれど、どんなものなのかなと思ってました。


開けてすぐの風味は抹茶が少しと、いつものジョージアの匂い。

口に含むと、抹茶フレーバーがまずきて、コーヒーが広がり、抹茶の口当たりに戻る。
飲み終わりは苦味が8の、抹茶の粉っぽさが2という感じでしょうか。
甘いコーヒーが苦手な人でも、すきっとした飲み口なので飲みやすいと思います。

かなり広範囲のパンにあうとおもいます。
おすすめは、ミスドのポンデリング。これのノーマル、抹茶味は絶対にあう。
サブウェイだと、セサミを焼いてもらって、トマト多目のターキーにあいそう。

和スタイルというテーマみたいですが、ぼくにはモーニング的な印象を強く受けました。
嫌味のない苦味なので、ちょっとした合間の気分転換にもいいと思います。

手軽に手に入るこのジョージアクロスはかなり好きです。
おいしいですよ。
一度は試してみても、損はないと思います。

わたしはゴリラ。

日がな一日太陽の下でぼーっとしている。それがわたし。

今日も素敵な木陰を見つけたので、力強い殿方を探しながらぼーっとしていました。

ゴリラはとても筋肉質で素敵なの。猿や人間なんて、ちょっとしか筋肉がついていないじゃない。

ゴリラは凄いのよ。全身筋肉そのものって感じなの。

まあ残念なのは、わたしたち女ゴリラも筋肉が尋常じゃないほどついているってことなんだけど。


今日のお昼はバナナだったんだけれど、ちょっとだけアレンジしてみたの。

いつもは剥いて食べるだけなんだけれど。

ちょっぴりの工夫で、みんなから一目置かれる存在になれるかも。そう思ってやってみた。

まずバナナを軽く握ります。

そして、おもむろに地面に置きます。

あとは、優しくコロコロと転がすだけ。こうすることで、バナナがふやけて柔らかくなるの。

凄いでしょ。他のどのゴリラもやってないのよ。このブログを見ている方にだけ教えちゃうよ。


とはいえ、ゴリラって結構大変なのよね。

わたしたちって、一夫多妻なのよ。だから、結構必死にならないと相手をしてもらえないの。

それに神経質だから、よくお腹もくだしちゃうの。

ほんと今のストレス社会は生きるだけで精一杯よ。

もし消費税があがってしまったら、ご飯のバナナの本数とかも減ってしまうのかしら。

ああ、ゴリラにも参政権を与えてくれないかしら。外国人より先に、守るべきものがこの国にはたくさんあると思うんだけど。それはゴリラだけが考えてることなのかしら。

ちなみに最近一番好きな曲はポリリズムよ。飼育員さん、今日も素敵なBGMをありがとう。

めいべぇー
あどんりあわななー
はわがーでんぐらーず
あーいじゃすわんとふらーい
れいとりー
でぃーじゅえばふぃるぺーいん
いんざもーにんぐれーい
あしそーくしゅとぅざばーん
『10年経っても20年経っても変わらない 嫌われ者の僕らでいようね』


いつまでも変わることなく、いい歌だね baroque

前回のブログも、また主語が抜けていましたね。

陳謝。

アンド。

テヘヘ。



そうなんですよ、おれ全然つけない派なんです。

メガネ。


だって、とにかく邪魔だし、似合わないし、すぐずれるし。いいことなんか一つもないですよ。

コンタクトをはじめてつけた日、友達がずっと注意してくれた

「トイレで衝撃受けるよ、マジで。」っていう言葉を痛烈に実感したあの瞬間から、コンタクト大好きです。

コンタクトとなら夢の向こう側にいける気がしたんだ。


それ以来、メガネは必要なときだけ使う関係になった。散々つかうときはお前がないと俺は何も見えない。盲目的な愛とはこういうことなんだ。だからずっと傍にいてくれないか?的な空気で接し、上質な磨き布を丁寧に使って綺麗にするくせに、用が済んだらぽいとほってしまう。どれだけあなたの為に尽くしてきたと思ってるの?と、擬人化できるなら、そんな声が聞こえそうです。

高校のときからなので、ほぼ10年以上の付き合いでした。付き合い始めたあの頃は視界がひらけたきがして、ひどく愛していたと記憶しています。

「蜜は日を重ねるたびに濁る。寝るときもつけるほどだったのに、今じゃ素っ気無いのね。いけずやわあ。」そうメガネはぼくに言うかもしれません。でも、過去は過去のままで、今とはちがう。過剰な愛は時に人を、そしてメガネを傷つけてしまうのです。


もしかしたら、朝目を覚まし、じゃあ今日も仕事に行くよと呟いた刹那、後ろからメガネに刺されるかもしれない。いや、正確にはメガネが刺さっているかもしれない。

そんなときでも、慌てず自分のバイクで病院に向かうだろう。

そう、新日本プロレス棚橋選手のように。(それを言いたいがためにここまで文章を連ねたことを、重ねて陳謝。)

先日、こちらのブログで、片方とれて無くしてしまったという話をしました。
ごめんなさいね、皆様。
「主語が抜けてますよ。お前のシリコダマみたいに」なんてメッセージが届きました。

テヘヘ。本当だ!

まあぼくにとってかけがえのない物ですよ。
コンタクトレンズ。

疲れてたり、直前までテレビ見てたりすると、つい外すのが面倒でそのまま寝てしまうんですよね。
そういう経験ないですか?
翌朝、目が真赤になる程度で今まで何度も乗り越えてきたのですが、今回ははじめて無くしてしまったのです。網膜の裏側にとぅるんと入っていってたら失明するかも知れないみたいな話もちらほら散見できましたので、今後はできるだけ外してから寝るようにしたいと思います。


でも、アレに関しては、割とつけない派なんですよぼくは。
それだけの覚悟は常にあるんですよ。
つけないせいで病院に行っちゃうような事態になったとしても、それは自業自得だと思える人間なんです。
常日頃から医療と向き合う機会っていうのはなかなか無いと思うけど、科学力が着実に進歩してますよね。
今は昔と違って、凄く薄いじゃないですか。日本の技術力はまだまだ世界で通用すると思う。
ちなみに朝になったら、どこにいったのかな。ちゃんとしとけばよかったな、って後悔する事は多いですけどね。
女の子からも、どっちかと言えばつけないほうがいいかな、なんて言われますし。つけてるほうがいいって子もいますけど、断然つけないほうがいいと言われます。まあつけてても途中で面倒になってしまって、外してしまうこともありますし。そこらへんは自分がどう思われたいのかって意識の部分に委ねられますけどね。ぼくはあんまりつけたくない。だから常に最悪の事態を想定している。
ただそれだけです。
疲れた身体を毛布で包むとき 夜の音がこだまする
かじかんだ指先を 少し見つめた
今夜は雪が降るって ニュースの声
雪の降る音が この部屋で聞こえるのか

寝返りを打つたびに思うんだ
明日もまた辛い日々を暮らすんだろうって
どうやって生きていけばいいのか
誰一人助けてくれないこの日々を

鉛筆一本で作り上げたこの世界でぼくは
世界の隅から隅を書き上げていく
誰も知らない世界でぼくは
名も知らない花の匂いを言葉にするんだ

生きていくことは難しくて
明日のぼくもきっと笑えない
10年後、20年後、ちょっとの光もないんだよ
そんな風に思ってたこと

当たり前の毎日が
ねじれたまま当たり前になっていた
11月の雪が降る夜
傷だらけの身体で眠るんだ
この暖かな毛布の中で

今日もぼくと同じような人が
何人か落ちていったのかな
今日もぼくと同じような人が
もういいやって思ったのかな

鉛筆一本で作り上げたこの世界でぼくは
世界の上から下までを書き上げていく
こんなちっぽけな世界でぼくは
時限式タイムカプセルを作ったんだ

押し込めたのは この感情だよ
10年経ったらまた会おう
汚れないままで いてくれよ
20年経ったらまた会おう

夜と言葉があったから
ここまで生きてこれたんだよ
君じゃなきゃ君を守れないから
なんだっていいから生きていこう
さあ 明日も一緒に生きていこう

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mpupです。
子どもの頃は誰かが助けてくれると信じてしまう。
でも、誰も助けてくれないこともある。
だから、自分で自分を守らなきゃいけない。
それは恥ずかしいことでも逃げてるのでもなくて、ただ時間が今じゃないってだけなんだよ。
もし自殺しようと思うほどなら、何もかも頑張らなくていい。
引きこもったっていいじゃない。
新しいことがはじめられるまで、小さいことを続けよう。何かを続けたまま死んだっていい。それは自殺じゃない。
今日、中学生が自殺したニュースを見て、とてもショックだった。誰かが助けてくれると信じても誰も助けてくれない。そんな社会になってしまった。だから自分が自分を守らなきゃいけない。
自分がジジイになる頃には、たいてい笑えるから。だから、ジジイになるまで生きて欲しい。
生きづらい世の中だけど、自分で自分を守る覚悟を決めたらもう大人だ。怖いものはなくなる。
立ち向かわなくていい。回り道でいい。生きて欲しい。
大人になってもクソ野郎は変わらず、クソ野郎のままなんだよ。だから君を助けようとしない奴らがたくさんいる。
君が生きれば優しさが生き残る。痛みを知ってるから優しくなれる。それが偽善だと言われても、クソよりはマシだろ。
だから、生きて欲しい。
雪道を家路に急ぐ。


お得意さんになったあるお店で、レア物を買った。そして、10年はもう手に入らないと言われた。
これは事故を起こしてはならない。
万が一事故等おこそうものなら、遺留品からレアアイテムを盗まれるかもしれない。ちなみに、ヤフオクなどでは定価の6~8倍で売られているものだ。何かは命が狙われるのを防ぐため伏せておく。


帰り道、いつも午後2時には閉店してしまうラーメン屋がある。朝6時からと早いからなのだが、それは市場の横にあるのれん街みたいな場所にあって、かつて市場で働く人々が愛した場所であった。今では口コミで爆発的に美味しいという噂が広がり、また、北海道の市場という観光的概念も後押しすることで並びが生じる程の人気店になった。


ラーメンあら○ん


この胡散臭いブログで実名を出すのはあまり利口ではないので(これから絶賛するので、悪い気はしないと思うが)、気になった人は調べてみてほしい。
あらだきとんこつ。。。その略が正式名称だと思う。自信はない。ので、一文字伏せる。


日曜日とか友達が来ると、昼時を避けるように行くのだが、うまい。


じっくり炊かれた魚介のアラ(市場で選んだものだろう)のスープは、魚介のうまみ甘みを存分に発揮し、とんこつを強火で炊いた白濁動物性スープと混ざり合うことで、複雑な旨みを奏でている。そこに細かい背油とねぎが入り、めんまとチャーシューが入る。湯気の向こうに見える桃源郷。


順調に、かつ迅速に家路を辿っていたはずだった。
しかし、目で追っていた。
その店を。
いつもはしんとした午後5時の市場。
すると、周りの店が閉まっているのに、一つだけ灯りがついている。
思い出す。先週、よるとんという、夜に特別開いている日があるというのを店頭のポスターで見た。これはチャンスだと思っていたが、それは土日だったはず。今日は火曜日。でも、灯りがついていた。市場を進む僕の車。
気付くと、次の道を左折していた。駐車場に向かっていたのだ。


本能の赴くまま、ふらふらと店の前まで行くと、中の様子を伺った。おや、店内が綺麗になっている。
先客がいるのを確認して飛び込んでいた。
つけ麺、あつ盛り(つけ麺は麺を冷やすのが普通らしいが、熱いままもできる。寒いときはこっちが好き)。食券を渡してから気付いた。あ、よるとんだけのメニューあるはずだったんだ!
いつも遅いのだ。携帯で確認したら、呉のつけ麺というものらしかった。食券販売機の近くに座っていたので、振り返って確認してみた。あった。しかも、他のは売り切れの赤ランプがついていたりするのに、それはしっかりと販売中だった。不覚。でもまあ本能で選んだので後悔はない。本能で限定メニューを選んでいたら、それは本能ではなく、作為だし。絶対に外れのないものを頼んでいるのだし。


あつ盛りゆえに、先にスープを仕上げた後、釜揚げうどんよろしく湯切り笊を力強く振り切った店員さんが素早く器によそってくれた。熱々である。ラーメンがぬるい店はマイナス評価せざるを得ない(食堂のラーメンだって熱いのがスタンダードだし。北海道は寒いし。)と思うが、こちらの店は、しっかり熱々だった。この時点でテンションは8割を超えている。
アドレッセンス丸出しで空想に耽る猿の如く、無我夢中で貪った。ラーメンよ、おおラーメンよ、ラーメンよ。しょっぱいというよりは、甘い。汁というより、スープという言葉が似合う代物。これにご飯いれたら最高だろうな、と思うような味。豆乳鍋を攻撃的にしたようなまろやかさと深みが次々と迫ってくる。うまい。麺を食べ終わると、少し放心した。人間は凄い。探求を続けると、説得力がでてくるんだなと思った。うまい。
そしてスープ割りをお願いする。鍋で沸点まで熱した割り用スープを注がれる。恐らくしょうがだと思うが、それを入れてくれる。うまい。さらにスープ感が増す。
このように一度で二度楽しめるわけだが、テーブルには特製辛粉なるものが置かれている。はて、なんじゃと。恐る恐る味見してみると、ストレートに辛さがくるものではない。確かに赤唐辛子が入ってるけれど、それだけじゃなく、何か魚粉的なものと混ざりあっている様子。すすきのにある赤星さん(500円なのにアサリスープでめちゃくちゃ旨い)のサバにんにく粉を思い出す。入れるたびに辛さと力強さが増す。これを入れることで、一度で三度楽しめるのだ。


土日にファミリーが訪れる姿を何度も見たけれど、この包括的で柔和なスープであれば子どもも喜んで食べるだろう。ほっこりできる味で美味しかった。
次は、次こそは呉のつけ麺を食べたい。今調べたら酸味や風味が納豆っぽいらしい。納豆カレーが好きだから、納豆ラーメンも好きだろう。そんな理論は通じるのか判らないが、次の機会を楽しみにしている。


そんな事を思いだしながら、家で例のブツを眺めているのだった。