フォールアスリープ | ヒカリエに行きたい

ヒカリエに行きたい

ラーメン食べたい

浴槽と水槽とがごちゃまぜになった意識の中にいる。
ここは夢なのか、現実なのか。
先ほどまで風呂に入っていた。風呂をあがってからビールを飲むという気分ではなく、風呂の中でお盆を浮かべ、徳利とお猪口をのせる露天風呂スタイルでいた。
疲れの所為か、お猪口を二度あけると、瞼が自分の意志とは関係なしに落ちてきた。腫れぼったい瞼と言われてきた。黒目の部分はおおきくて、涙袋がぷっくりとしている。覚醒している間は実に愛嬌があるのだけれど、家の中だったり、気の置けない人と一緒にいるときには非常に薄っぺらな顔つきになる。
その様子をある時期に付き合っていた人から、金魚みたいだと言われた。

風呂の中にはメモ帳と水性ボールペンを持ち込んでいる。もしかしたら。その一言に尽きる。もしかしたら意外なアイデアが浮かぶかもしれない。もしかしたらの為に、心安らぐひと時を無為にしているという事実をどこかで認めながらも、それを儀式的に続けていたのだった。今まで書いた文章は「蘭鋳の泳ぐ水槽に卵を割りいれ、バナナ、トマト、パプリカ、アーモンドを入れる。それを一息に飲み干す。」だけで、それがどんな着想としても成り立たないのは明白だった。浴槽は聖域だった。ケガレを落とすことのみに特化された部屋。お手洗いとは違う。あれは生理的な反応を処理する場所だ。風呂は自発的に入るべき場所。トイレに行くべき理由はあれど、風呂に入る理由はない。風呂に入らなくても死にはしない。

一時期みなもに流木を浮かべていた。また、アヒルちゃんを浮かべていた時期もある。これは深層心理によるものなのだろうか。意味をもたない行動に不条理を重ねることに、なんら不都合はない。流木を浮かべるとどこか遠い国のことを想起させるし、アヒルちゃんには幼少時代の思い出が蘇るイメージがある。しかし、これだってどこからが恣意的なものか定かではないし、なくたって構わないわけだし。

酔っ払ったんだな。

ほろよい気分で鼻歌交じりの浴槽。
この1418空間で、小説を読む事だってある。裸のまま本を読むと、逃げ道のない感じがする。トイレもそうだけれど、アウトプットの場所でインプットすることは合理的なのではないだろうか。
そうか、トイレは消臭剤の匂いだったり、排泄物の匂いがするけれど、風呂場は無臭なのだ。
だから風呂がすきなのかもしれない。

みなもに浮かぶ盆。
首筋にあたる波しぶき。
ぐちゃぐちゃの思考で浴槽の中にいる自分を、誰かが飲み込むのかもしれない。