
「シオン長老の議定書」は「世界征服宣言」に対して、広範に語っており、特に人類全体がかならずしも優れた存在でないことに目をつけ、暴力と権力とで世界を支配していくことを明記しています。「議定書」の冒頭は次のように始まります。
「第一議定書
善良な性質の人間よりは先天的不良性の人間の方が数に於て勝る事は、常に忘れてならぬ事である。それ故に学理上の議論によるよりは残忍極まる暴力を振るって威嚇した方が遥かに政治上の好成績を挙げるのである。人間は皆権力を求めんとして懸命努力する。誰でも出来得さえすれば独裁者たることを欲する。従つて自己の利益の為に一般の幸福を犠牲にする事を敢えてしない者は極めてまれである。」
挑戦的で、不敵な書き出しです。一読して、あまり読みたいと思える内容でないことがすぐに分かりますが、他方、この一文だけでも我々の社会をみた場合、必ずしも的を外していないということが認識されます。
極論に思えるかもしれませんが、よくよく吟味してみると、近頃の日本社会においても、日々繰り返される官僚の腐敗や、総理の虚偽答弁、あるいは組織の頑固とした傲慢さなどはまるでこの意見の明確な証拠のように、個人的には見えてきます。
権力者と権力を握る側の人間たちは、セクハラやパワハラの温床といっていいですが、これはもしかしたら、この書物で述べられているように「先天的不良性」の傾向を持つ、人間が多いからでしょうか。
そして議定書によればその傾向を一層強くするために時間をかけて人心を煽り、各種思想、あるいは、情報などを秘密裏に行使していくといいます。そしてそのことが各国家の不安に繋がるといい、そのことを長期に渡って維持させることで自然と世の中に、不安と狂気を蔓延させることができるというのです。
そのことがひいては国家主義の崩壊に向かっていくとします。結果、各国家が自らの自浄作用を行使できなくなった時に、彼らの「世界統一政府」をつくるというものです。
「現今に於いては自由主義なる為政者に代わって黄金の権力(資本主義)が出現した。嘗て信仰が人心を収攬して世が治められてゐた時代もあったが、自由の思想は実現し難いものである。何となれば何人もこれを適度に利用し得ないからである。人民に暫時でも自治を許して置くならば、此の自治は忽ち放縦になるのみである。此の瞬間から内乱が起こり、内乱は社会的闘争を誘起して、遂に国家は動乱の巷と化してしまう。」
と議定書はいいます。自由主義の思想は各個に好き好きに考えることが許されるがため、意見の一致をみづらく、騒乱を生むといいます。そしてこの「自由主義の思想」は国際主義者であり、現代でいえば、いわばリベラル、といわれるものといって差し支えないでしょう。
人々に与えられた「自由」ですが、その「自由」の本質とは一体何か?人は自由だといって、「他人を殺す」ことはしてよいか、といわれればほとんどの人が「ダメ」だというでしょう。また、男女関係が「自由」だとして、それは一体どこまで?「不貞」に当たる行為は良いのでしょうか?しかし「自由」は「自由」であるとなると?
「自由の思想は実現し難いものである。」と議定書はいっていますが・・・。確かに自由は各自に自制心と道徳心がなければ、放埓と不貞とになりかねないでしょう。そしてこの議定書のいう通り、自制心をちゃんと持つ人々は、自分も含め、必ずしも多くないように思えますね。
「所謂『進歩』したと称する文明諸国に我々は、無味乾燥、淫蕩的卑猥な、唾棄すべき文学を創造しておいたが、我々は此の傾向を世界支配達成後も対照的に尚ほ暫くは放置しておかなければならぬ。さうすれば我々の崇高な政治上の政策や言論は著しく目立って来るのである。」
そしてここでいう「我々」とは、ユダヤ人に帰せられます。
「政治と道義とは全く没交渉である。道義を基礎とする為政者は政治家ではない。夫れだから其位置を持続することが出来ぬ。苟も為政者たらんとせば、奸計偽善を弄せねばならぬ。国民の美点即ち公明正大と正直とは政治にとりては罪悪であり、禁物である。其故は、これ等は最強の敵にも勝って確実に王位を転落せしめるからである。これ等の特性は非猶太国の歓迎すべき特徴となっても一向差支へはないが、われわれ猶太人は決してそれ等の如き亡国的範をとつてはならぬ。」
そのために彼らは多くの騒乱の原因を撒くといいます。
「権力を愛する者を刺激して、権力を濫用せしむる為には、我々は不羈独立と云ふ我が儘の傾向を鼓吹して、あらゆる権力を対立せしめた。この方面において我々はあらゆる手段を講じた。即ち各政党を武装し、政権を政党の目的たらしめ、各国を擾乱の巷と化した。やがて、至る所騒動と財政の恐慌が起こるであろう。
無尽蔵の饒舌家は国会と行政庁とを舌戦場と化し去った。大胆な新聞屋や、無遠慮な政治論客等は毎日行政官を攻撃して居る。権力の乱用は斯くて官衙の没落を誘致しつつある。五里霧中に徘徊する群衆の一撃の下に万事転覆するであらう。」
確かにここには自分のブログ用に都合の良いところなどしか載せてませんが、現代の日本国会やマスコミのあり方などを見ると、確かにそうかな、と思い当たるふしがどうしてもみえてきてしまいます。
今日、日々のワイドショーは沢山の自称「コメンテーター」が出演し、各自に好きなことをいい、意見を戦わせて喧嘩をします。あるいは「大胆な新聞」などはいわゆる「右翼性」の人々には朝日新聞とも思えるかもしれません。
誰が正しい、あるいは正しくない、とか。また政治家は多少問題があっても政治力があれば良いとか。何をどう聞いていいのやら・・・。
今日でもまた安倍政権に対する森友や加計の問題は、追及することが「必要である」というリベラル、「必要でない」という右巻きの人々によって互いに譲られることなく、政治上の空白を生み出しています。これらはそういう意味では「シオン長老」の「思いの儘」というところでしょうか?
以上は「議定書」による、主に国内を混乱させる部分についての陰謀を語っているところをチョイスしました。彼らは他にも金による権力の獲得や、あるいは軍隊などへの言及もしています。
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そして話は少し飛びますが、このシオン長老の最終目標は世界の王にユダヤの民が成るということです。
「神聖なる猶太王の頭に、欧州各国が彼に捧げる王冠を戴くとき、彼は全世界の族長、家長となるであらう。此の事は勿論犠牲を要するが、しかしその数は、非猶太人政府間に行はれた誇大狂と競争とが、数世紀間に人間に課した血腥い犠牲に比しては、論ずるに足らない。
・・・(中略)・・・
ダビデの聖胤を継ぐ世界支配者は、人民と人類との福祉の為めに、あらゆる個人的喜楽を犠牲に供さねばならぬ。我が世界支配者には道義上一点の弱点もあってはならぬ。彼は万人の輝かしき亀鑑たらねばならぬ。」