リスボン・ライヴ |  ヒマジンノ国

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大きな事件がない限り、しばらくクラシック音楽関係の話を書こうと思っています。
 
 
チェリビダッケのブルックナー交響曲8番の名演、通称「リスボン・ライヴ」のLPを購入しました。アルトゥスのレコードで、以前から発売されていた「海賊版」ではない、今回は「正規版」の位置づけのレコードです。
 
TBRLPー0005~0006
 
 
リスボン盤の海賊版はCDのみ所持。海賊版のLPは大体が4・5・7・8・9番のセットで、非常に高価(自分は7番のみ所持)。たまに単独でも出ますが、非常に入手困難です。今回はそのリスボン8番の正規版ということで、8番単独での登場です。CDでも出ていますが、自分はLPで購入しました。
 
アルトゥスのLPは高価で、音が悪いわけではないですが、多くの場合、音に魅力が不足しており、値段と音が釣り合ってないと思わせます(最近は値崩れして売られています)。ですので今回のLPも少し不安でしたが、これは中々良い出来だと思います。他の会社も含めて、今まで聴いてきたチェリビダッケのアナログ盤では1番良いぐらいだと思いました。
 

チェリビダッケのLP |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

↑、過去記事です。

 

海賊版に比べると、音が繊細になり、緻密になりました。海賊版は全体のまとまりは良く、EMI版よりも音に瑞々しさがあり、決して悪くないのですが、音の輪郭はぼんやりしています。このリスボンの正規盤は、音の解像度が増し、より演奏が美しく聴こえるようになりました。細部の響きも素晴らしいと思います。音の輪郭も良く見えます。正規版にする価値はあったといえるでしょう。聴いていて、久しぶりにチェリビダッケを聴いている感慨が蘇ってきます。

 

EMIやソニーから発売されているブルックナー8番の演奏は、この特異な指揮者の演奏のあり方を存分に伝えています。

 

ですが、これらの録音は聴き手にしてみれば、テンポが遅く、全体に引きずった印象は免れません。しかし、このリスボン盤こそは、ほぼ同じようなテンポ(若干早い)かもしれませんが、全体に漲る高揚感、推進力において、全2者をしのぎ、非常にパワフルな印象を我々に与えます。不思議と引きずるような印象が消えています。

 

リスボン盤はチェリダッケの演奏哲学と、楽団員の意思疎通が見事に敵った、稀な時間の記録といえます。第3楽章のうねる音響、弦楽器の荘麗なまでの高揚する合奏は、他の録音からは聴けぬような、脂ぎった響きを聴かせます。精進料理の様な、EMI版の音とは何という違いでしょうか!

 

強音部の奥行きのある、巨大な音のふくらみなど、音が生み出す音響空間をこれほど味合わせてくれる録音は他にないでしょう。

 

海賊版の方がライヴ感は残っています。正規版は音が繊細になりました。どちらが良いかは判断付きかねます。

 

1994年、ポルトガルの首都リスボンでのライヴ録音です。

 

 
 
↑、第4楽章冒頭、提示部。ブルックナー曰く「私たちの皇帝は、当時オルミュッツでツァーリ(ロシア皇帝)の訪問を受けました。それゆえ弦はコサック兵の騎行を、金管は軍楽を、トランペットは両陛下が会見するときのファンファーレを(描いています)」。この4楽章の第1主題は、コサック兵の行進と軍楽を思わせます。いや、それ以上の高揚する精神の何かでしょうか?
 
 
↑、第4楽章は3つの主題からなり、この第2主題は瞑想的な逍遥を思わせます。第3主題は神秘的で、厳かな日没のようです。
 
 
↑、提示部の最後は各主題の提示の後、第1主題が大音響と共に戻ってきて、この楽章の雄渾な性格を露にします。チェリビダッケは余裕のある響きを目いっぱい響かせて、巨大な音の建造物を築きあげていきます。
 
展開部以降のブルックナーの音楽は実に巨大で、第1主題を基にした迫力ある行進を繰り返すたびに精神が高揚していきます。そしてコーダはこの世のものとも思えぬような、音のパースペクティヴでこの世を俯瞰し、圧倒的なオルガズムを迎えます。