ゲッター・デメルング |  ヒマジンノ国

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「巨匠たちの音、巨匠たちの姿」植村攻著。
 
1950年代といえば、19世紀生まれのクラシック演奏家たちが活躍した最後の年代とでもいうべき時代です。1914年に欧州全体を巻き込む、世界戦争が始まり、後の2度目の世界戦争で、欧州のみならず、地球上の全世界はその風景をまったく変えてしまいました。
 
仮にもし、世界戦争がなく(帝国主義・植民地主義は問題ですが)、1914年までで潰えた、ロマン派やベル・エポック時代の延長線上に我々の世界を築けたのなら、世界は一体どうなっていたのでしょう?文化にしても、文明にしてももっと素晴らしい世界になっていたのでは?(日本はまた、違う歴史を歩んだでしょう。)
 
経済や効率、グローバリズムではなく、芸術や生活、希望が我々の主体になっていたのでは?
 
そして、19世紀生まれ(自分は1914年までと見ています)の演奏家たちの演奏は、そのような幻想を抱かせるのに、充分なものがあります。彼らの時代とその空気は、今の我々の世代よりもずっと希望があり、自由があったように思います。
 
これらの演奏家たちの音楽を聴くことが、多くの、現代クラシック愛好家たちの夢ですし、過去の録音に拘る理由の1つでもあります。また、この時代の生演奏を聴いた日本人は非常に少なく、特に戦後ドイツの音楽祭を聴いた人はほとんどいません。それ故、その記録は非常に貴重です。
 
銀行の外国支店勤務をしていた、植村攻氏(1928-2014)は1956年のザルツブルグ音楽祭、1958年のバイロイト音楽祭を聴き、ロンドンでは復帰後のクレンペラーの生演奏を聴くなど、非常に貴重な体験をしており、その記録をまとめたのが本書になります。
 
非常に面白い本です。とにかく、クラシックファンにしてみると、どんな話であれ、昔の演奏家の話を聞かされるのは非常に面白いものです。
 
「きいているうちに身体中が砂金かなにかで光り出すような感じがしましたね。」とはフルトヴェングラーの実演を聴いた、音楽評論家の遠山一行氏の言葉です。現代でも過去でも、フルトヴェングラーはドイツ最高の指揮者なんでしょうけど、実演を聴いたという日本人はほとんどいません。そして、レコードではどうやっても「身体中で砂金が光り出す」というような体験は再現できません。一体どういうものだったのだろうと思います。
 
植村氏はフルトヴェングラーは聴けなかったといいますが、1958年のバイロイト音楽祭で、ドイツ人でも羨ましがるという、ハンス・クナッパーツブッシュの「ニーベルングの指輪」のチクルスと、「パルシファル」を聴いています。
 
1954年にフルトヴェングラーは他界、しかも晩年のフルトヴェングラーは全盛期を過ぎていたというのが一般論です。片や、ドイツの演奏家に詳しい人たちの間では、当時、クナッパーツブッシュが一番素晴らしいといわれていたそうです。評論家の吉田秀和氏はイギリスで知り合った歌手、ユージニア・ザレスカから次のような言葉を聞いたそうです。「ドイツ・オーストリアに行って絶対にきくべきものは、ブルックナーを指揮するクナッパーツブッシュに止めをさす。フルトヴェングラーに往年の元気がなくなった以上、クナッパーツブッシュこそ、そのためにわざわざウィーンやミュンヘンに出かけていく価値のある唯一最大の指揮者だ。」
 
クナッパーツブッシュはフルトヴェングラー以上にドイツ・ローカルな指揮者で、ほとんど欧州でしか演奏を行わなかったので、録音で知られるまでは知名度が低いままでした。ただ植村氏は吉田氏がクナッパーツブッシュを推薦して居るのを知っており、バイロイトで聴くのが楽しみだったそうです。
 
やはり実際に聴いてみて、植村氏はほとんど圧倒される出来事だったようで、かなりのページをバイロイト音楽祭の記録に割いています。ヴィントガッセン、ホッタ―などの歌手も格別だったそうです。
 
また、自分にとってみると、クナッパーツブッシュ以外では、モーツアルト誕生200年を祝うザルツブルグ音楽祭の記録も、古き良き時代のヨーロッパの雰囲気などが伝わってきて印象に残りました。ブルーノ・ワルターの「レクイエム」、ミトロプーロスの「ドン・ジョヴァンニ」、ベームの「フィガロ」、ショルティの「魔笛」(舞台はココシュカ)などを聴いたといいますから、贅沢という言葉も通り越している気もします。
 
他にもクララ・ハスキル、バックハウス、シュワルツコップやカラスの話など、色々あって面白いです。
 
ハスキルなんかも評論家の宇野功芳ではないですが、録音では中々その良さが分かりにくい気がします。実演で聴くと、そのピアノの音色の美しさが比較を絶していたようですが、録音ではそこまで再現できていないようにも思えます。植村氏の感激した様子を読んでいると、羨ましいと思うばかりです。
 
 
↑、クララ・ハスキル(1895-1960)。修道女がピアニストになったような存在とでもいえば良いのでしょうか。自分は中々内心から良いと思ったことがなくて、悩み中です(^-^;。
 
ハスキルの演奏会にウォルター・レッグ、シュワルツコップ夫妻が来ていた話なんかも面白いです。
 
他にもデイビット・ロックフェラー(!?)宅に自分の聴いた演奏会の話をしに行ったりしたそうなんですが、どうなったらそういうことになるのでしょうか?
 
演奏会以外の話も面白い話が盛りだくさんでした。
 
 
↑、ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)。ワーグナーやブルックナーに特性を示した指揮者で、ベートーヴェンがフルトヴェングラーなら、ワーグナーはクナッパーツブッシュといったところでしょうか。戦後のバイロイト音楽祭の中心的指揮者で、あまりドイツからは出なかったようです。メトロポリタンのルドルフ・ビングが彼の演奏を聴いて、ぜひアメリカに招きたいと思い、白紙の小切手を渡しました。「好きな金額を書いてくれ」ということです。しかし、クナッパーツブッシュはこれに怒り、小切手をびりびりに破いてしまったそうです。お金ではないのですよ。彼は、バイロイトには無給で出演していました。元来、バイロイトはワーグナーの理想では、出演者、観客ともども無償で行いたかったのです。やむを得ず、出演者にも少額の出演料は出ますが、「理想」とか「志」が何かという問題なのです。
 
植村氏が聴いたという、1958年のバイロイトの音源を持っていますが、音が悪いので1951年の物で代用します。
 
 
「ゲッター・デメルング」(神々の黄昏)のラストです。
 
「神々の黄昏」は、R・ワーグナーの「ニーベルングの指輪」4部作(「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」)の最後になる楽劇です。さらにその、「神々の黄昏」の最後なので、「ニーベルングの指輪」のラスト、ということにもなります。
 

 
↑、これは、ブリュンヒルデによる「ニーベルングの指輪」の総括の部分。ジークムント、ジークフリート、共に英雄の生涯を見てきたのは、このブリュンヒルデだけ・・・。彼らが苦しみを元に自らの間違いを知らねばならぬという運命を嘆き、神々に訴えていきます(これは同様に被造物である、我々人類の代弁となっています)。
 
 
↑、「神々の黄昏」のテーマによる最後の盛り上がり。ブリュンヒルデは自らの役割を終えると、愛するジークフリートの亡骸が燃える炎に愛馬グラーネと共に飛び込みます。するとその炎は巨大な炎の柱となって、天の神々のいるワルハラ城を焼き尽くしていきます(作為的な神々の滅亡)。
 
 
↑、今度はライン川の水が溢れてきて、その炎を浄化し、そこへ流星の如く「ジークフリート」のテーマが飛び込んできて粉々に砕け散ります。「火」と「水」は日本でもつなげて「火水」で「神」と呼ぶように、「火」は垂直の力を、「水」は水平の力を表していて、キリスト教では十字架の形になります。
 
火と水の力に清められた、この14時間以上にも及ぶ歌劇のラストです。そしてこの後、新たな人類の始まりがあると、ワーグナーはしました。
 
クナッパーツブッシュは、各々の楽器の音色を生かしながら、独特の陶酔的な美酒の様な音色を創りだし(ゲルマン的な色彩)、同時に圧倒的な大きなを発揮していきます。ロマン派流のワーグナーを演奏した指揮者では、彼が最高峰だと思います。