Y先生とのオンラインピアノレッスンでは3つの曲に取り組んでいて、その中の一曲がバッハのインベンションの10番。ピアノのレッスンを始めた時に、ピアノの基礎と言われるインベンションはやはりやっておいた方が良いのではと選んだ曲で、先生には、やる順番等の指定はなく、自分で選んでくださいとのことだった。べたなのは一番からだけれども、一番は何となく飽きている。インベンションの中で好きな曲もあるのだけど、それらは少々難しい(音が沢山ある)ので、音の数もそんなに多くなく、シャープも一つだけの10番を選んだ。

 

先生からは「この曲は長調の明るい曲だから、思いっきり楽しそうに弾くこと」と言われているのだけど、最初の何小節かは気分を上げようという気力もあるのだけど、弾き続けると、弾くのに一生懸命になってしまい「楽し気」なんてことは頭の中から吹っ飛んでしまう。

 

先生は「もう少しで完成」だというけれど、あまり自身がない。そういえば、自分の演奏を聴いていなかったし、一度録画してみることにした。

 

 

私は植物を育てるのが苦手で、今まで育てようとして成功したものはない。「誰にでも簡単に栽培できる」というのが謳い文句の家庭菜園栽培キットを使っても、作物は全く育たない。それは分かっているのだけど、何かにつけて、何か育ててみたいという欲望がムクムクと湧いてくる。
 
植物を育てるといっても、見て綺麗な花や木々を育てるのには全く興味がなく、野菜や果物など、食べられるものを育てたい。でも、どうせ高い確率でダメにしてしまうのなら、お金を払って種や苗を買ってくるのはもったいない気がするし、もっぱら「再生栽培」をしている。
 
いつかは「再生栽培」を成功させたいと思い、野菜や果物を食べるときは、切かけや種などを残したりしている。切りかけは直ぐに使わないとダメになってしまうけれど、種は結構な期間保存しておけるので、種がある野菜や果物からは種を取りだし、保存をしている。
 
数か月目に取り出して保存しておいたのがビワの種で、それを今回植えてみることにした。
 

 
南カリフォルニアの気候があっているのか、ビワは良く育つ。近所を散歩していると、ビワの木があるお宅が沢山あり、季節になると沢山のビワがなっている。前に、そういうビワを貰った時に、種を取り出し植木鉢に植えておいたことがある。そのころは、真面目に水やりをしていたら、数週間で眼が生えてきたけれど、庭に置いておいた植木鉢をワンコがひっくり返したり、掘り返したりして、芽はそれ以上育たなくなってしまった。
 
今回は、植木鉢をワンコから守るために、キッチンに置くことにした。キッチンには、旦那が再生栽培をしている青ネギがあり、旦那は気が付く度に水をやっているらしく、良く育つ。ビワの植木鉢を隣に置いておいたら、一緒に水をやってくれるのではないかと淡い期待を抱いている。
アメリカには Spring Cleaning という言葉がある。「春先には大掃除をして、いらないものを処分、すっきりした気分で夏を迎えましょう」という意味の言葉で、日本でいうと衣替えの季節に、不用品処理と大掃除を一緒にしてしまいましょう的な感覚だと思ってもらえたらよい。
 
それに、あやかったわけではないけど、私も、夏物衣類の整理整頓、着ない服の処分をしようと思い立った。まあ、思い立ったのは、先月、日本に行くための荷作りをしていた時に、半袖や袖なしのワンピースを、少々眠った状態でいた箪笥の引き出しから出したのだけど、着てみたら、胴体がなんとなく窮屈だった(そのせいで、新しいワンピースを数着新調した)
 
私は結構の数の半袖や袖なしのワンピースを持っていたのだけど、それは、10年以上前に社交ダンスレッスンを受けていた時に、ダンス用に購入したもので、そのころは、毎晩ダンススタジオに通っていて、夕食を抜いて、一晩三時間とか踊っていたのだから、体重が今よりも10キロほどは軽かった。その時期の体の軽さが、自分ではベストコンディションだと感じているので、ダンススタジオ通いを辞めて、体重が増えてしまった後も、出来ればベスト体重に戻したい、戻ればワンピースにすらりと体が入ると、期待してタンスに寝かせたままになっていた。しかし、流石に10年程が過ぎ、あの時の体重には戻らないと諦めた。
 
他にも、もう長いこと来ていない水着(前はプールやビーチで水遊びをする為の水着だったけれど、そういう水着はダイビングをする時には、チャラチャラし過ぎていて着る機会がない)フォーマルドレス(これも10年以上前に買ったもの)も一緒に処分することにした。
 

 

寄付をするために一品一品をリストアップして、非営利団体が経営するリサイクルショップに持ち込んだ。アメリカでは、非営利団体に寄付した時には、寄付金額(物品の場合は物品の価値)と同じ額の収入が税控除されるので、寄付をすると、ほんのちょっとだけだけど節税になる。今回の寄付物品は、そんなに量はないように見えたのだけど、少々お高めのフォーマルドレスや、水着があり、2~3万円の節税が出来るくらいにはなった。

 
近頃の日本では、再配達の多さと人手不足から、宅配物の置き配を推奨しようなんて動きが活発ならしいけど、アメリカでは、宅配物は基本的に置き配になる。我が家は一軒家だし、玄関口は道から少々隠れた位置にあるので、置き配でトラブったことは殆どないし(数度、家に隣の荷物が来たり、家の荷物が隣の家に届けられたことはある)置き配でも全く問題ないと思っている。
 
配達されるもの多くはネットで注文した商品が多いし、そうい物の配送日時は、だいたい分かっている。最近では「ただ今配達されました」とメイルが入るようなサイトも多いので、そういう時だけ注意していればよいけれど、偶に、どこかから何かが届く予定もないのに宅配便が来ることがある。
 
先日も、ワンコの散歩に裏口から出ると、表玄関に宅配された箱(大手宅配業者の箱)が置かれていた。私は何も注文していないし、旦那が何か注文した時は「(いついつに)注文した品が届くので、家の中に入れておくように」と指示が入ることが殆どなので、いったい何が配達されたのだろうと気になった。直ぐに取り入れなければいけないという緊張感もなく、犬の散歩を優先させ、帰ってきた時に荷物を取り込んだ。
 
荷物の宛名は私なのだけど、発送主に全く覚えがない。でも、取引しているファイナンシャルアドバイザーは、偶にギフトを送ってくるので、そういうものだろうと予想を付けて箱を開けてみると、私が投資口座の一つを持っている銀行(証券会社)だった。この証券会社からは、誕生日とか年末のホリデーシーズンとかにカードが送られてくるのだけど、ギフトが届いたのが初めてだった。
 
珍しいこともあるものだと内包装を開けると、本が入っていた。
 

 
同封されていたカードには、今年(2025年)の夏に是非読みたい本のリストがが記されていて、その中の一冊が同封されていたようだ(リストと本のタイトルをクロスチェックしてもいない)
 
私は、元々、学業や仕事関係の本は英語で、娯楽の本は日本語でと住み分け(読み分け?)をしているで、娯楽として英語の本を読むことはほぼない。そして、今は持ち運びに楽な(スマホで読める)電子書籍しか読まなくなっているので、紙の本はかさばるばかりで、少々迷惑なところもある。
 
こんな読みもしない本よりも、食べられるフルーツバスケットの方が良かったと思った(この役に立たない本や運送のコストは、私が毎月支払っているアドバイザー料から出ているのだと思うと、無駄使いをされたようで、少々気分も悪い)それに、最近は地元の図書館では現物(本)の寄付は受け付けず「寄付は現金のみ」というポリシーになってしまっている。まっさらな本を捨てるのも気が重いし、この本をどうしたものかと考えてもいる。
 

Y先生とのピアノレッスンは、一度に90分で、毎回2~3曲を見てもらっている。その中の一曲がモシュコフスキーの小練習曲で。先日は、最初の一曲の第一番を見てもらった。この第一番は練習を始めてから二カ月くらいで自分では、音の動き(指の動き)に結構慣れてきたと思っていたのだけど、最近、何故かボロボロとミスタッチを(今まではやらなかったところで)起こしてしまう。

 

Y先生によると、その原因は、次に弾く鍵盤に指がきちんと置かれてないのに鍵盤を押すので、違う鍵盤を弾いてしまうということらしい。たしかに、正しい鍵盤を弾くには弾く前に指を正しい位置に持って行っておかなければならない。そんな、当たり前のことを守ればミスタッチは起きるはずがない。

 

Y先生の教えには、幾つかの前提条件がある。指や手はしなやかに使う、とか、力んだりせずに楽に弾く、必要最小限にしか指や手は動かさない、等。今回のミスタッチでは、不必要に指が動いていたそうで、ミスをしてしまったところの指使いを見直してみることになった。

 

ミスを起こしていたのは、曲を練習し始めた時から「弾きづらい」と運指をしっかりと観ていた所ではなく、初めからサラサラと弾けたので、特に運指に気を付けていなかったところで、運指を見直してみると、とても無駄な動きをしていたり、指が遊んだりしてしまっているということが分かった。

 

そんな中の一か所では、音が行ったり来たりするのだけど「行きと(直後の)帰りで同じ音を弾くのだから、行きで弾いた鍵盤の上に、指を置き続けていれば、帰りには、もう指が鍵盤の上にある。そうすれば、帰りのその音を弾き間違えることがなくなる」と言われた。

 

これは、バイオリンやチェロでも同じで、一度弾いた音に、また戻ってくるようだったら、一度置いた指は、出来るだけ(可能な限り)置いたままにすれば、行と帰りで音程がずれることがないというのと同じ原理ではないか。ここにも、ピアノと弦楽器の奏法に類似点があった。