私は元々、トリルを弾くのは苦手ではないと思っていたのだけど、ここ数年の色々な先生との(体験)レッスンを受けて、私がやっていたトリルの弾き方は全く間違っていたことに気づかされた。

 

子供の頃や(大人になってからのレッスンでも)トリルの弾き方の原理を説明してもらった記憶はなくて、何となくトリルを弾いていた。弾き方が違った時でも「そうじゃなくて、こう」というように、その時々の弾き方を教わっていて、なぜそういう風にトリルを入れなければいけないのかという説明は受けたことがないと思う。

 

数年前に受けた、とある先生との体験レッスンでは、トリルの入った曲をみてもらった。その曲は、他の先生とのレッスンでは見てもらったことの無い曲で、私は、深く考えずに、適当に(私は適度だと思っていた)弾いていた。すると、先生は、トリル(右手)は、相対する左手の一音に対して三音づつ入れるのだと言われた。その時、始めて、トリルは適当に入れるのではなく、対峙している音との関係をしっかりと把握したうえで弾かないといけないのだと学んだ。その後の、他の先生とのレッスンでは、一音に対して三音でなくても、二音という時もあるという事も学んだ。(今は、まだ、いつ三音でいつ二音にするのかが分かっていない)

 

そして、今年の夏学期のアマオケの初見練習(初見の楽譜で「せーのはい」で演奏する、そして、一度しかやらない)の時に、先生がトリルの起源はチェンバロで、チェンバロでは音を長く伸ばしていることが出来なかったので、トリルで長い音を表現していたのだと教えてくれた。バロック時代の曲にトリルが沢山入っているのは、そういう事なのかと納得がいった。

 

そして、現在、Y先生とのレッスンでは、バッハのインベンション(今は一番)に取り組んでいて、トリルの入れ方にもテコ入れが入っている。

 

まず、基本になるのは、アマオケの先生も言っていた、元々のトリルの用途で、長い音をキープすることが出来ないからトリルを入れているという目的を考えると、トリルは、楽譜に書かれている音で終わるのが基本とのこと(例外はあるらしい)私が使っているインベンションの楽譜集は目次に、色々な種類のトリルの説明(この記号の場合はこう弾く)があるのだけど、それを見てみると、どれも、トリルの最後の音は楽譜に書かれている音になっている。

 

さて、少々前から取り組み始めたインベンション一番では、それそれのトリルの形式に気を付けて、対峙する音と二音とか三音とかが入るように注意してトリルを入れたのだけど、Y先生は、私の弾き方だとトリルの音の全てが均一すぎて、トリルの内のどちらの音がメインの音なのか分からないという。ここでも、トリルの目的に立ち戻り、トリルを入れた後でも、どの音を伸ばしているのかわかるように弾かなければいけないとのことだ。そこで、右左の、トリルと対峙する音の比率を変えて、トリルをつける音(トリルが終わる音)と次の音の流れがしっかりと分かるようにすると、曲がすっきりと、引き締まった。私が弾くバッハがバッハらしくなかったのは、こういったところを詰めていなかったからなのかもしれないと思っている。

 

 

美味しいインド料理のビュッフェがあるというので、友人たちと出掛けたのは金曜日のランチ時だった。私は、元々大食いの質で、今回のビュッフェでは、三大皿(そして、別に出されたナン)食べてしまった(ちなみに、一人の友人は私より大食いで、大皿三皿、小皿二皿をたいらげていた)最近の私は年を取ったのか、あまり量を食べなくなってきているのだけど、その日は、旦那が夜に外出するとのことだったので、一人でご飯を食べるのが面倒だったので、夕食を取らなくても良いようにと多めの昼食にしたのだった。しかし、夕食を食べないつもりでいたのだけど、夜一人でテレビを見ながら、スナックをつまみ、こんな暴飲のせいで、少々胃もたれを起こしてしまった。

 

そして、翌日の土曜日に、ゆっくりと眠って昼前に起きてみるとまだ、胃もたれ気味が続いていた。そして、起きて少しすると、週末でも週日と変わらない時間に起床している旦那が、ランチを食べに行こうという。我が家の週末は、お昼ご飯を作るのは面倒なので、昼食は外食することが多いので、いつものルーチンなのだけど、もたれ気味の胃では食欲がなく、軽めの物がある日本食レストランへ行くことになった。胃がもたれているので、食事を抜くという選択もあるのだけど、私は胃がもたれの為、食事を抜くと胃もたれは結構長く続き、軽くお腹に入れたほうが胃もたれが直る。

 

そのお店は、居酒屋タイプの色々な料理を出すレストランで、壁には、普通の紙に手書きで「本日のおすすめ品」が張ってある。その日は「夏のそば」特集のようで、とろろそばとか、鴨南蛮そばなどの張り紙があった。冷たいお蕎麦なら、もたれた胃にもちょうどよいだろうと、とろろそばを頼むことにした。旦那は、鍋焼きうどんを頼んだのだけど、何故か鍋焼きうどんが出せれても、とろろそばは来ない。もしかしたら、そばをこねるところかやっているのか(それは冗談にしても)と思っていると、テーブルに近づいてくるウェイトレスさんの手にはラーメンの丼のようなものを持っている。

 

そして、私の目前に置かれたのは

 

 

なんだか、ラーメンの出来損ないのようなものだった。

 

おつゆは、お蕎麦のおつゆで、入っている麺は、乾燥そば麺を茹でたものだったし、ちょっぴり(左上の白い塊)とろろは入っていたけれど、なると(半分凍っていた)や天かすは、いかにも「ラーメンを蕎麦にしました」という感じ。そして、梅干し。胃もたれ持ちの私にはありがたかったけれど、お蕎麦の上に乗せるトッピングではない気がする。そして、この梅干しの種は、親切にも取られていた。多分、種があると、梅干しを食べなれないアメリカ人は、種を噛んで歯をかけさせたり、種を飲み込んでしまうのではないだろうか。

 

このレストランのオーナーは日本人だったはずだけど、こんな変な「日本食」を出すようになってしまったのかと、少々悲しかった。

 

ちなみに、胃もたれの方は、お蕎麦を食べた後、しっかりと治ってくれた。

 

 

 

 

旦那が、週末の野球のデイゲームのチケットを貰ったから一緒に行こうというので、一緒に行って来た。

 

試合は午後の一時過ぎに開始で、試合開始時には席についていないと気が済まない旦那は30分も前に球場に出向くという(野球に特に興味のない私は、試合が始まるころに球場の駐車場に着けばよいじゃんと思っているけど)頂いたチケットはベンチの裏側の比較的グラウンドに近い場所で、午後の一時にはお日様が真上にあり、ギンギンに照っている。ここ数日は「夏日」が続いていて(といっても、気温25度、湿度50%位という、日本だったら皆が「過ごしやすい」というであろう)結構日差しも強い。日照りの中で数時間過ごすのだからと、家を出る前にサンスクリーンをきちんと塗っていった。

 

私の体質はとても汗をかきづらく、ジムで一生懸命に一時間ほど体を動かしても、うっすらと体が湿るくらいなのだけど、夏の炎天下に三十分もいたら、汗ばんできた。使っていたサンスクリーンは、汗や水で落ちづらいというものなのだけど、家でサンスクリーンを着けてから二時間くらいたったころに、顔や腕などにつけ直しておいた。

 

その日の試合は、投手戦とでもいうのだろうか、ヒットが殆どでないまま、あまり盛り上がらないまま試合が進んでいった。結局、そろそろ帰ろうかというころに(双方に)ヒットが出たり、得点チャンスになったり、と試合が盛り上がり、結局長めに球場に滞在してしまい、日焼け止めを塗ってはいたけれど、少々日に焼けてしまった感じがした。私は日に焼けると赤くなる体質で、家に帰り、低めの温度のシャワーを浴びてすっきりとして、寛いでいても体が火照り気味なくらいだった。

 

しかし、数時間経つと手の甲がかゆくなってきた。他にも、首回りなども何となく痒い。触ってみると湿疹になっている。そこで、はたと気が付いたのが、日焼けをしてしまったかなと思う後は、たいてい体が痒くなるし、湿疹も出る。たしか、日光アレルギー(正確には光線過敏症というらしい)というものがあると、ネットで検索してみると、やはり、症状は日に焼けた後の皮膚のかゆみや発疹などとある。

 

私は、元々、アレルギーが多くて、アレルギー反応を起こす物質を避ける生活は、ほぼ無理。同じ食品を同じ量食べても、体調が良ければ反応が出ないこともあるし、今まで反応したことの無い物に、急に反応することも良くある。多くの物に反応する代わりに(?)反応の度合いは軽くて、かゆみや発疹で、どうしても我慢できなければ、一般のアレルギーの薬を飲めば収まる。そんなこともあり、アレルギー源を避けるのではなく(猫には近づかない、オレンジジュースは一杯まで、とか自分の嗜好にあう、都合の良いアレルギー源は避けるけど)自分がやりたいことはやり、食べたいものは食べて、反応が酷く出たら薬を飲むという方針でやっている。

 

今までは、自分が太陽アレルギーだとは認識していなかったのだけど、今回のことで(自分の中での)認定となった。今回も、症状は酷くなく、その日の夜には痒みも収まり、今は、湿疹は出ているけれど、よく見れば見えるくらいになっている。

 

 

子供の頃からのピアノレッスンで言われたのが、メトロノームを使ってテンポを整えるという事だった。勿論、メトロノームを使って練習するのは嫌いだったけれど、メトロノームの使い方、そのもので手こずったことはなかったと記憶している。しかし、私が教える側になって、生徒にメトロノームを使って練習するようにと言っても、ほぼ皆、メトロノームをどうやって使うのかが分からなかった。私が常識だと思っていたメトロノームの使い方は、しっかりと教わらないと出来ないものなのだと気が付いた。それ以来、私は、結構早めにメトロノームを使い方を教える様にしている。

 

私は、メトロノームを使う大前提として、その生徒自身がきちんと拍が取れないといけないと思っている。家の教室では、レッスンを始めて数週間で自分で拍が取れるように練習を始める(アメリカでは、拍の取り方を教えない音楽の先生がわんさといて、数年も楽器を習っているのに、拍の取り方が分からないという生徒が多くいる)そして、拍の取り方が身に着いたところで、メトロノームを使う練習を始める。

 

そこで、多くの生徒が戸惑うのが、メトロノームの拍と一緒に、その拍を弾くべく音を弾くこと。だいたいの生徒が、始めは、メトロノームをじっと見つめて、メトロノームが「カチ」と鳴ってから、音を弾くので、拍通りではなく、遅れが出る。その上、メトロノームを凝視するので、楽譜を見て、メトロノームを見て、そして弾くとなると、もっと遅れが出る。「メトロノームは見ないで、拍を感じて」「拍の間隔を予想して、音とカチが一致するように」と言うのだけど、それが出来る様になるには、少々訓練が必要だ。

 

特に、大人になると拍の感覚をつかむのは難しいらしい。特に、メトロノームをまずつけての、拍に合わせて弾き始めるのが難しいらしい。先日も、とある大人の方のレッスンで、メトロノームと合わせて十六分音符を弾く練習をしていた。しかし、いつもの様に、最初の一拍目が微妙にメトロノームの拍より遅い。そういう時は、一旦止まって、最初から弾き直しをさせるのだけど、拍を取り戻すことが出来るくらいの微妙さだったので、少し様子を見てみると、全ての音が同じ微妙さで遅れている。

 

そういえば、オーケストラの指揮でも、指揮者が「1」と振るのと同時に一拍目の音を弾く方式と、「1」と振ったのを見てから一拍めの音を弾く方式があるようで、今回の生徒は、後者のタイミングで弾いている。今回のメトロノーム練習の意図は、全ての16分音符を均一に、そして、小節と小節の間などに、そこにない休符が入らないように弾くことだったので、目的は達成されたから、私にはどうにも気持ちが悪いずれを直す必要もないかと(それは、一応生徒さんには伝えた)合格とすることにした。

 

 

最近、レストラン巡りが趣味だという友人が出来、新しいレストランを見つけては、試食に渡り歩いている。先日、とても美味しいインド料理があると聞き、行ってみることにした。ウェブサイトでチェックすると、ビュッフェスタイルのランチをとても良心的なお値段で提供しているようだった。
 
お店に着くと、期待していたよりも随分大きくて、立派な店舗だったのだけど、中に入るとなんだかちょっとボロッとしている。ビュッフェ形式なので、色々な種類のカレーが並んでいるけれど、食事の盛り付けなどには全く気を配っていないような感じで、店内の雰囲気は、最低限の施設だけある学食とか社食といった雰囲気。そして、各々の料理のカバーには、紙に手書きされたメニュー名がセロテープで貼ってある。インド料理の種類に詳しくない我々は「チキン」とか「ベジタブル」くらいしか分からない。「これは何だろうねぇ」なんて言いながら、各々、お皿に料理を取っていった。
 

 
しかし、食事の方は、何を食べても美味しかった。初めの二口、三口では、どれも辛いと思い、これだと食事を終えるころには口の中が辛くてしょうがなくなるかと思ったのだけど、食べているうちに慣れてきて、最後まで、お食事を美味しく頂けた。
 
アメリカにあるレストランというのは、どんな料理でもアメリカナイズされているものが多いのだけど、ここのレストランは、インド人が、インド人向けにやっているようで、お客さんもインド人らしき人達が多かった。