『マクロス』、40周年。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

 『超時空要塞マクロス』の放映が開始されてから、本日で丁度40年になります…って、何だか最近「40周年」の記事が多いですが、1980年代前半はそれだけロボットアニメが熱い時代だった、という事なのでしょう(遠い眼)。

 元々は、河森正治氏スタジオぬえのメンバーが、変形するパワードスーツが活躍するアニメ『ジェノサイダス(何とも不穏当なタイトルだなぁ…)』のダミー企画として提出した企画『メガロード』だったのですが(この名前は、後にマクロスの2番艦として復活します)、その『ジェノサイダス』がボツになってしまった為に、あらためて本腰を入れる事になったモノだったとか…。

 


 それにしても、観ていて驚かされたのは、やはり、実質上の主役メカであるVF-1バルキリー変形でした。これは世間一般的にも衝撃だったらしく、その変形を再現した今は亡きタカトクトイスのトイは、日本国内のみならず、在日米軍兵士の息子への日本土産として、アメリカでも大ヒットしました。後に『トランスフォーマー』にも「スカイファイアー」として組み込まれた程ですし。ただ、やはり高かった所為で、貧しい家に生まれ育った私は買ってもらえませんでしたが(泣)。後にこのバルキリーの変形を超えるべくデザインされたZガンダムは、その為に立体ではMS/WR両形態のプロポーションや強度の両立を図る事は出来ず、その試行錯誤は現在でも続いています

 そのバルキリーは、あのF-14にクリソツなファイター形態からして、戦闘機からアプローチしたデザインだったのかと思いきや、反対にロボット形態(バトロイド)からデザインした物だったそうです。ガウォーク形態のアイディアも、河森氏らが気晴らしにスキーに行った時に、骨折した人を見て思い付いた物だったとか。奇遇な事に、同じぬえの宮武一貴氏も、その時に同じアイディアを思い付いていたそうで。その変形は、当時としては複雑な物であったようで、あのルービックキューブを発明したエルノー・ルービックも、河森氏の立ち会いのもと、先述のタカトクのトイを変形させようとしたものの、股関節のトコで挫折してしまったとか…

 そう、その一見斬新に見える変形機構の最大のネックは、やはりその股関節でした。設定上の変形方法は、アームを介して脚部の付け根を機首のバルジにあるピボットに取り付けるという「付け替え変形」なのですが、やはり強引な変形だと思われていたのか、変形を再現したトイ等の立体では、それぞれ異なったアプローチによる股関節の変形が試みられています。イマイ1/72とアリイ1/100の可変バルキリーのキットなんか、胴体部となる機首パーツを、バトロイド専用の物に丸ごと差し換えていたりして、「どこが可変キットなんだ」と思ったモノでしたっけ。後にロボットプラモの市場が衰退して、経営を縮小したイマイ・アリイの両社(後にイマイは倒産の憂き目に…)から金型を譲り受けたバンダイから再販された際には、その「差し換え」という方式こそ変わってませんでしたが、金型を改修して、もっと機首らしい、細身の胴体にされてましたっけ。

 放送時間帯は、仙台でもキー局と同じ日曜14:00からだったのですが、おかげで観る機会が少ない少ない。初回放送の「マクロス・スペシャル」も、後半からしか観れませんでしたし(泣)。何しろ、当時の日曜は、例の剣道教室の大会やら何やらで、市の武道館に行かされる事が多かったモンですから…。しかし、皮肉な事に、その剣道教室の暑中稽古の皆勤賞で貰ったのが、イマイの1/100グラージだったのでした(近所の文房具店の売れ残りが回ってきたのでしょう。今や、その文房具店も跡形もありませんが…)。コイツの砲身をパーフェクトガンダムのスクラッチに流用しようか…って、当時の私はまだガンプラにハマってはいませんでしたが。例によって、当時ビデオなんて物は高嶺の花でしたし、もし、この『マクロス』の放送時間が日曜14:00じゃあ無くって、土曜か日曜の17:00~18:00頃でしたら、私ももっと『マクロス』にハマれていたかもしれませんし、『マクロス』自体も、『ガンダム』と肩を並べる作品と成り得たでしょう。

 そして、当時、その『ガンダム』の掲載権を有していた講談社が、ボンボンの『プラモ狂四郎』等でガンダムを推しまくっていたのに対して、小学館はコロコロ誌上にて『プラコン大作』や『エスパー太郎』等によって『マクロス』をプッシュしていたのが思い出されます。この時代を憶えている者からすれば、後に講談社が『Z』以降ガンダムに関わるようになってきたリバー・アングル社…もとい、KADOKAWAの『ダムエー』等の攻勢によって、ガンダムの掲載権の放棄を余儀なくされた事に伴い、例の『AGE』以降、コロコロ誌上でガンダムが展開されていたりする現状には、隔世の感ありですよ…。
 ちなみに、『エスパー太郎』の作者の斉藤栄一先生は、『狂四郎』のやまと虹一先生とは、同郷の友人だったそうです。しかし、その『エスパー太郎』の最終回間際で、愛機のバルキリー(何と、1/25のフルスクラッチ完全変形モデル!!)が破壊されたからって、サザンクロスのポール中尉のアーミングダブレットに乗り換えるというのは、いくら何でもスポンサーに忖度し過ぎという物でしょう。『サザンクロス』なんて、不人気のあまり、2クールもせずに打ち切られた作品だというのに…。プラモの売れ行きも散々(まさに『散々苦労す』ですな)で、エルエス倒産のきっかけとなったり(あそこの1/144戦闘機のキットの出来は良かったというのに…)、タダで客に配っていた模型店もあったりしたそうです。また、この『サザンクロス』は、前作のオーガスと共に、『マクロス』に続く「超時空シリーズ」と銘打たれていたのですが、結局、ヒットしたのは『マクロス』だけで、以後は「超時空シリーズ」は無かった事になってしまい、「マクロスシリーズ」だけが現在に至っています…。もっとも、この『サザンクロス』は、アメリカでは、『マクロス』や『モスピーダ』と一緒くたの世界観の作品『ROBOTECH』としてヒットしてはいるのですが。そして、1984年の劇場版『愛・おぼえていますか』の公開後はブームも一段落し、イマイやアリイのキットの金型の大半はバンダイへと流れて、翌年に大量に再販される事になったのですが、この時は、かつてバンダイのガンダムとアニメモデル戦争を繰り広げていたマクロスの敗北を実感させられました…。

 

 そして刻は流れ、丁度10年後の1992年にリリースが開始されたOVA『マクロスII』は、キャラデザこそ同じ美樹本晴彦氏でしたが、河森氏も「板野サーカス」の板野一郎氏も参加してなかっただけあって、『マクロス』の続編としては、違和感バリバリでした。もっとも、この『マクロスII』があったからこそ、河森氏が「本当のマクロスを見せてやる」とばかりに奮起して『マクロスプラス』や『マクロス7』が生まれたというのですから、世の中って分からないモノですね…。ちなみに、某所でも書いたのですが、例のF90の競作機としてAE社が開発したとされている「MSA-120」って、ホントはこの『マクロスII』のマルドゥーク軍のメカとして描かれたデザインだったのが、何かの手違いで「MS」にされてしまったんじゃないでしょうか? 藤田デザインですし、あのデザインラインは絶対に宇宙世紀世界どころか、地球文明の物ですらありませんよ…

 

 1994年に放映された『マクロス7』は、「マクロスらしさが無くなってしまった」と批判が多いですが、私としては、あのバサラの「俺の歌を聴けェえ!!」といったおバカなノリや、Fire Bomberの『REMEMBER 16』『TRY AGAIN麻衣の曲にも同名の曲が…)』といった曲が結構好きでして、当時放映中だったGガンダムセーラームーンSと共に「'94年三大バカアニメ」と呼んで、楽しんで観てましたっけ。あの頃は、まだ『エヴァ』なんて存在してなかった、平和な時代でしたよね…。ただ、ネックは、やはり日曜11:00という放送時間帯でしたね。2008年の『マクロスF(フロンティア)』に至っては深夜帯でしたし…。

 その『F』は、アンゴルモアII」当時、私と一緒に精●村…もとい町に転勤させられた同僚が、最初の数話をCD-Rに焼いた物を私にくれたりして勧められたのですが、当時の私は、不本意な転勤で腐っていた為にアニメから離れがちで、プリキュアライダー観ていなかったという事もあって、イマイチハマれませんでした…シェリルランカも、民明…もといミンメイに比べればイマイチでしたし。

 

 そして、やはり深夜帯だった、最新作の『マクロスΔ』。昨今流行りの「美少女動物園」を採り入れた作品でしたが、そのキャラがWUG並に可愛くなかったという事もあり(ヲイ)、バンダイが鳴り物入りでリリースしたフィギュアライズバストも、長い間アチコチで売れ残っていた始末(泣)。無謀な事に映画化までされましたが、やはりと言うか何と言うか、あまり話題にならずに終わってしまいましたね…