「♪田舎でいいのだろう バブルの夢の跡 さよなら精●村よ~ィ」。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

あなたはそこにいますか…?

 い ま せ ん 。

(↑こう答えてしまうと消されてしまうんだっけ…?)

 

 京都府の精●村…もとい、町での3年にわたる不本意転勤(これを私は「アンゴルモアII」と呼んでます)から、やっとの思いで東京に戻ってきて、今日で丁度10年となります。

 以前居た会社の事について当ブログで書くのは気が引ける(ヘタすりゃ身バレしちゃいますし)のですが、もう10年も経ったのでさすがに時効でしょうし(まさに「今なら言えるだろう~♪」)、こればかりは書き残しておかなくては気が済まないので、あえて書かせていただく事にします。

 

 当時居た会社の社長(通称ハゲチャビン)から転勤をお願い(実際には特攻と同じく実質上の強制でしたが)されたのが2007年のハロウィンの事で、翌年の2月に母が倒れた事にかこつけて、毒姉によって実家の私の所有物を悉く処分させられた文革」事件が起こった事もあって(その姉も、最近になって離婚を余儀なくされるという不幸に遭いました…ザマァ見やがれ)、心に深い傷を負ったまま、精●町に転勤するハメに。

 時に200888、同日に開催された北京五輪と同様に、末広がりの日を選んで、新社屋の近所にある某ホテル大々的に開所式(?)を行なったのですが、長年東京で暮らしてきた私にとっては、全てにおいて不便の連続でした。給与振込先に指定された京●銀行の口座なんか、預金通帳のATMでの更新すら出来ず、勤務時間中に遠く離れた銀行の支店まで行かなければなりませんでした…。救いと言えば、私の知る京都の人間は悉く性格が悪かった(最初に入った会社の上司も京都出身の意地悪なヤツでしたし、例の「とある関西の電波野郎も実は京都のヤツでしたしねので覚悟していたのが、現地の社員との仲はそんなに悪くは無かったり(社長とは最悪でしたが)、大阪のポンバシまで1時間少々で行けたりした(京都市に行くよりも早かった)事ぐらいでしょうか。あと、仙台や東京から遠く離れた為に、東日本大震災被害を免れた事も「良かった」と言えば良かったのかも知れませんが、そもそも、先述の「文革」で、個人的に震災と同等のダメージを喰らってしまいましたからねぇ…。

 仕事の方も、以前も書いた通り、夜中の日付が変わる頃まで機械を回させられたり休日出勤もザラだったりして、たまの休日は疲れて家で寝てる事が多くなってしまい、計画していた京都市内を始めとした関西各地の観光も、ほんの少ししか行なえませんでした。よりによって、伏見稲荷大社千本鳥居を回っている最中に、「これから出勤しろ」との電話がかかってきた事がありましたし…。こうした我々社員の努力によって会社の経営が順風満帆だったのかというとそうでも無く、むしろ青息吐息自転車操業で(無理して現地に新社屋を建てたりしたから…)、当初は転勤に際して、この地で一旗揚げようと考えていた社長からは「手当は弾むぞ」と言われていたにもかかわらず、そのアテは完全に外れてしまいました。末期なんか、ボーナスが出なかったばかりか、給与の遅配までもがあったり、会社の機械にも仮差押(?)のラベルが貼られたりしたモノでした。その機械が故障した時も、何しろ田舎だったモンですから、修理に来てもらうまで長時間待たされて、その間は生産を止めざるを得ませんでしたっけ…。

 そんな有様でしたから、ここでの楽しみと言えば食う事ぐらいしか無く、おかげで現在にまで至るメタボ体型に…。その話を聞いた東京支社に残っていた同僚からは、電話口で「幸せ太り?」なんて言われたりしましたが…幸せじゃ無ェーよ、バカ!! それに、私と一緒に転勤してきた同僚は、悉く退社したり東京支社に戻って行ったりしたのに対して、私一人がこの精●町に残されて、まるで鬼界ヶ島の俊寛のような気分でしたよ(骨と皮と化してしまった俊寛に対して、私の方は太ってしまいましたが…苦笑)。そんな中、心の支えになっていたのが、例によって麻衣の曲だったのですが、近くでその麻衣様のイベントが開かれても、仕事の為に足を運べなかった事もしばしばでした…(泣)。

 そして仕事以外でも、当地ではNTT西日本のアッポな対応の所為でネット回線がなかなか繋げてもらえず)、最終的に地元のケーブルTV局からモデムをレンタルして繋いだのですが、退去の際に、ちゃんと返却の手続きをしたにもかかわらず、そのケーブルTV局から「モデムを返せ」との催促が…返したっつーの!! 

 元々、社長が東京の借金取りから逃れる為に、その会社の経営コンサルタントを行なっていた大阪の会社笛吹くままに、会社ごと精●町に移転してきたのですが、先述の通り、一発逆転を狙って現地に新社屋を建てたり、新しい機械を入れたりしたモンですから、ますます借金が膨らんでやんの。『ミナミの帝王』にも描かれている通り、大阪の借金取りはごっついでぇ~巻き込まれて転勤させられた我々社員にとっては災難以外の何物でもありませんでしたが、きっと社長は、我々社員全員が泣きながらどこまでもお供いたします!」と言うとでも思ってたのでしょう。おまけに、この会社を去る際に、社長曰く「君には高知に出張してもらおうと思ってたんだけどねぇ」…って、社員を何だと思ってやがるんだ。借金取りにはペコペコしてたクセに、社員に対してはひたすら尊大な社長でした()。

 

 そんなこんなで、足掛け3年、日数にして1142日の長きにわたって精●町での田舎暮らし強いられてきたワケですが(元々、社長とは「3年だけ」との約束をした上での転勤だったのですが、3年目になっていきなり「約束は出来ない」などと言い出したりして、危うく反故にされてしまうトコでしたよ…)、この精●町は、バブル時代に計画された関西文化学術研究都市(長い)」として、将来の発展を見込んでの空き地がアチコチに広がっていたものの、長引く不景気もあってか、私のしごと館閉鎖されたりと、撤退する企業も相次いでいます。私が居たその会社も例外ではなく、せっかく巨費を投じて建てた新社屋も、私がこの地を去った後に引き払ってしまい(その社屋には、現在は地元の金属加工会社が入っています…)、現在では大阪に移って、先述のコンサルタント会社の傘下に入っている様子です…乗っ取られちまったな。東京支社の方も、解散の憂き目に遭ってしまいましたしねぇ。

 そして、以前は日本一だったこの町の人口増加率も、最近は減少に転じている様子です…。もっとも、この町の住民には悪いですが、「残当」と言わざるを得ません。何しろ、この町に初めて来た時、マジで仙台に戻ったかのような錯覚を覚えてしまった程に、私の実家がある団地酷似している立地条件なのですから。21世紀に入って、日本の人口が減少し始めてから、このテの「でも出てきそうな山を無理矢理切り開いて人を詰め込んだニュータウン」がアチコチで寂れてきてるのは、全国共通の現象なのでしょうね…。

 

 ちなみに、今回のタイトルは、ご存知(?)『蒼穹のファフナー』の主題歌『Shangri-La』の替え歌です。以前も書いた通り、この精●町は、アチコチに犬の糞が転がっていたり、某ショッピングセンターの便所が下痢便で汚されていたりと、まさに「空想にまみれた」町でした…って、それで『ファフナー』と掛けて、わざわざ冒頭のコラを作ったんかい(苦笑)。

 現在、この町は、その冒頭のコラにも使った「京町セイカ」を使った萌えおこし必死な様子ですが、その(何故か二次創作ではやたらと巨乳化されていたりするのですが。まさに「京町スイカ」…って、何言ってるんだオレは)と同様に、魅力に乏しい町でもありました…。この地に足を踏み入れる事は、もう二度と無いでしょう