東日本大震災、10年。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

 あの忌まわしい大震災から、早くも10年の歳月が流れました。

 先月の福島県沖の地震では、停電断水が起こったり、新幹線も10日以上運休を余儀なくされたりしましたが、死者が出なかったのが不幸中の幸い…と思いきや、実は福島県内で死者が一人出ていたそうです。あの時は、震源地が震源地なだけあって、誰もが10年前の大震災を思い起こした事でしょう。

 その大震災後、三陸地方では、津波対策として土地の嵩上げや高台に住宅地を設けたりしているのですが、やはりと言うか何と言うか、元々の経済基盤が弱いという事もあって、そうした土地に新規に入居する人は少なく、人口の流出が激しいそうで…。特に女川町では、麻衣の激励も空しく(泣)、人口が半分近くにまで激減してしまいました。

 一方、仙台都市圏は、全体的には震災後も人口の微増が続いてはいるのですが、私の実家があるトコのような、高度経済成長期に築かれた古い住宅団地では、この10年で少子・高齢化がますます進んで、スーパー等の生活必需品を扱う店舗もバタバタと潰れて、店と言えばもはやコンビニぐらいしか無くなってしまっています…。母も、すっかり買い物難民となってしまい、食糧品の買い出しの度に遠出する事を強いられていると嘆いてました。バスの本数も、帰省する度に少なくなってきてますしねぇ限界団地ってヤツ?

 元々仙台都市圏は、平野部を農地として利用する為に、住宅地としての開発を規制する条例が存在していて、中心部から離れた丘陵地を切り開いて開発された住宅団地が多く(その為か、去年は実家の近くでが出没した事もありました…汗)、平野部を中心に開発されていた広島都市圏とかと比べて交通の便が悪い、非効率的な土地開発が批判の的となっていました。おかげで、仙台は大量のマイカーと路線バスによる渋滞が激しく、それを解消すべく地下鉄が開通したのですが、南北線と東西線の2本だけでは渋滞を解消できる筈も無く、私も帰省の度に、距離的にはそれ程でも無いのに仙台駅から実家まで1時間以上掛かり、丘の上にある実家まで長い坂道を上って行く事を強いられてます…。最近になってようやくその規制が緩和され、平野部にも住宅が設けられるようになってきたのですが(私の実家がある団地の人口が減少してきているのもそれが理由の一つでしょう)、その矢先にあの大震災による津波が沿岸の平野部を襲い、仙台の都市開発は再度見直しを余儀なくされるハメになってしまいました…。