ガンプラ、40周年。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

 史上初のガンプラである「ベストメカコレクションNo.4・1/144RX-78ガンダム」が発売されてから、本日で丁度40年となります。

 ちなみに、1/100ガンダムの方も1/144と同じ月に発売されたそうですが、同時発売では無いとの事で、おそらく、1週間位後にリリースされたのでしょう。

 当時のガンプラは成型色が白1色(1/100は)で、ポリキャップも使用していなかった為にすぐに関節が緩くなってしまい、またその可動範囲も狭く、組み立ての際には接着・塗装が必要だった物ですが(普通のプラモデルとしてはそれが当たり前なんですけどね)、現在のHGUCシリーズ等では、スナップフィット、そして関節の広い可動範囲により、ニッパーでランナーからパーツをカットして説明書通りに組み立てるだけで、ほぼイメージ通りに組み上がる事が約束されていて、それよりも1ステップ進みたければ接着・塗装の出番となるのですが、時間の取れない社会人としては、ついパチ組みで放置してしまいがちになってしまうんですよね…(汗)。

 このキット化実現には、『機動戦士ガンダム』が放送中からマニアの間で話題になっていて、バンダイにもキット化のリクエストが続々と寄せられていたという背景があったのですが、それはやはり、『宇宙戦艦ヤ』のキットにおいて、ユーザーのリクエストを受けて、艦底部のゼンマイボックスを廃止して設定通りの第三艦橋を再現するといった、ユーザーフレンドリーな信頼と実績があったからこそだったのでしょう。

 そして、静岡のバンダイ模型から銀座の創通エージェンシー(現・創通)まで、キット化許諾の直談判に毎日通い詰め、最終的に創通側が根負けして許諾を得た、バンダイ模型営業の仲吉昭治氏の「営業マンの鑑」と言うべきエピソードは、現在もあちこちで語られている通りで、今となってはもはや伝説でしょう。バンダイの他にも、アオシマとあともう1社がガンダムのキット化に動いていたそうですが、もしアオシマがガンプラを出してたらと思うと…(汗)。

 当時のバンダイのロボットプラモのラインナップは大・小の2サイズでの展開で、小サイズの方は3オンスの金型に収まる¥300のベストメカコレクションシリーズの一環として開発され、設計者の村松正敏氏が試しにその図面のサイズを測ってみたら、ほぼ1/144(厳密には1/142)だったので、村松氏は上司の松本部長に「1/144で行こうよ」と提案する事に。一方、村松幹夫氏による¥700の大サイズの方は、やはり測ってみたら約1/97だったそうで、四捨五入して1/100とし、以後、ガンプラは1/144と1/100の2スケールをメインにラインナップされる事になりました。そーいや、パチモンの『ガンガル』の方は、1/144が国際スケール(1/12の2乗)という事も知らずに、1/177などという謎のスケールを付けてましたっけ(笑)。あと、この年の暮れに発売された1/60キットは全高30cmで、60倍すれば丁度18mとなるのですが、これはパッケージのサイズから逆算された箱スケールだそうで…。

 キット化第2弾(ベストメカコレクションNo.5)は1/1200量産型ムサイで(初めて「量産型」と付いたガンプラはザクでもズゴックでも無くって、このムサイだったんだよ‼︎)、やはりバンダイとしても、キット化権を獲得はしたものの、果たしてホントに売れるのか不安だったので、『ヤト』で実績のある艦船モデルという安全パイを取ったのでしょう。実際、ガンプラのキット化当初は思っていた程売れなかったそうですが、翌年初頭あたりからいきなり売れ出すようになり、例の「ガンプラブーム」へと繋がって行くのでした。ご多聞に漏れず、仙台でも売り切れが続出していたモノでした…。

 ブーム当時の私はというと、まだガンプラにはそれ程関心は無く、クラスで同級生が学校にガンプラを持ち込んでいるのを横目で見ていたりしたのですが、田舎の従弟が結構な数のガンプラをコレクションしていた事もあって(田舎の方が却って手に入れ易かったのかもしれません)、私も祖母や母に1/144量産型ザクシャア専用ゲルググを買って貰ったモノでした。しかし、ご存知の通り、ザクは足首が、ゲルググは肩が動かなかったりと、どちらも出来が良くないキットだったという事もあって(だからこそ売れ残ってたのでしょう)、その時はあまり興味は沸きませんでした。しかし、後に1/144プロトタイプドムを買ってもらって以降は、ブームが一段落していた事もあって、ズブズブとハマって現在に至るワケです。…しかし、私がよくガンプラを買っていた仙台の店はというと、例のNODA-YAを除いて、現在ではそのほとんどが消えてしまいました(泣)。特に、MSVシリーズをよく買っていたジャスコは、例の大震災の被害を受けて取り壊されてしまい、今や跡形も無くなってしまいました…。ガンプラが売られていた学校周辺の文房具店も、ことごとく消え失せてしまいましたしねぇ(遠い眼)。

 そして今や、主な売場を量販店へと移したガンプラの販売実績は実に5億個(!!)にも及び、キャラクターモデル業界はバンダイ1強の時代が続いているのですが、肝心のアニメの方のガンダムが元気が無いってえのは、一体どうした事でしょう…。