児童相談所の一時保護から4年。 | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

今日は12月19日。
4年前の今日、
当時5歳の娘は児童相談所に連れ去られた。

一昨日、子どもたちとビデオ通話できて
憂鬱な気持ちはどこかへ飛んでいった。

今日、
日付を意識しなかったというと
嘘になる。

でも、
気持ちの切り替え方が上手になったような、
セルフコントロールできるようになったような、
そんな気がしている。



フラッシュバックは、
どうしても起きる。

きっかけはあったりなかったり。

私の場合、
日付や時期がきっかけで
フラッシュバックすることが多い。



昨日も書いたけど
今日はただの12月19日で
4年前とは違う。

娘は今、
元夫と弟(息子)と3人で、
幸せに暮らしている。

それだけで十分だ。



4年前の今日、
私は誰かに助けてほしくて
児童相談所に電話した。

児童相談所は
私と娘を引き離した。

それが私を助けることになったのかどうかは、
今でも分からない。

だけど、
4年前の今日の私は、
娘を一時保護しなければならない程限界だったと、
児童相談所はそう判断したのだろう。



私は周りの人に自分の気持ちを伝えるのが苦手だ。
自分に近い人程、
SOSを出せなくなってしまう。
だから、
保健師さんや児童相談所に助けを求めたのだろう。

4年経って、
私は変われたのだろうか。

二度目の一時保護、
今年の1月25日も、
同じパターンだった。

元夫にSOSを出せていたら。
そう後悔したって何もかもが遅い。



離婚して親権失って
一人地元に戻ってきて
私はいろんな人に助けられながら生きている。

主治医、
心理士さん、
看護師さん、
精神保健福祉士さん、
デイケアのスタッフ、
グループホームの世話人さん、
そして両親。

SOSは、出せるようになった。
周りの人達も、
私の異常にすぐ気づいてくれる。

今のこの恵まれた環境で何とか生活できている。

当時の私にとって
子育てはとても重荷だったのだろうと痛感させられる。



4年経って
空を見上げてみた。


そこには私をまるごと包み込んでくれるような
いつも違うけどいつもと変わらない、
雄大な空があった。

綺麗だな。

そう心の中で呟いた。

4年前は、
空を見上げることもなかった。

今日は一日編み物をして過ごした。
Syrup16gを聴きながら、
ただ、無心に。

日付に引きずられてしまうことはなかった。

苦しくない、わけじゃない。

でも、
私は大丈夫だ。

何となくだけど、
そう思えた。



今日はただの12月19日。
4年前とは違う。

私は、罪を償いながら、
今を生きていこう。

そう、思った。