双極性障害としての病識。 | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

今日、
喫煙所仲間に、

『まにゃさんも波があるよね。』

って言われました。

「一応躁鬱っていう診断ですね。」

と答えました。

双極性障害としての病識、
正直、
あまりありません。

躁エピソードがあまり思いつかないからです。

【気分の上がってる時期】は、
あります。

でもそれがイコール軽躁なのかと聞かれると、
「?」です。

今までの記事でも書いてきましたが
私は今年1月に離婚して地元に戻ってきて、
今の主治医に10年ぶりくらいに
【双極性障害】と診断されました。

前の主治医の診断は
【境界性パーソナリティ障害】
でした。

【自閉症スペクトラム】は
23歳の時から。
【解離性障害】は
以前からずっと。

18歳の頃にかかっていた病院
(先日セカンドオピニオン受けた病院)で、
初めて【双極性障害】と診断されました。

でもその病院を離れてからは【解離性障害】がメインで、
障害者手帳も【解離性障害】で持っていましたし、
自分が【双極性障害】だという認識はありませんでした。

今思えば
地元に帰ってきてすぐの頃は
「一年間仕事して子どもたちのいる県に帰るんだ!」
と必死で
やる気に満ちていて
何でもできるような気がしていたし
実際すぐに仕事も決まって
普通に働けていました。

そんな私を診て
【軽躁状態】だと初診で診断できた今の主治医はすごいなぁ、
と思います。

恐らく、
前の主治医からの紹介状と比べて
私が元気すぎることが気になったんだと思います。

私は、
双極性障害だという自覚が、
あまりありません。

今思えば
「あの頃も軽躁状態だったのかな?」
と思うようなことはあります。

5年前、
厚生年金に加入できるくらい働けていた約1年間は
軽躁状態、および寛解状態だったのかもしれません。

当時は薬も飲んでなくて
その後転職して会社と揉めて鬱状態になり
そのまま長男を妊娠し
非常に不安定になり
長女(当時年長)が一時保護される事態にもなったりして
(このことはまた機会があれば書こうと思います)
そこからずっと、
軽い鬱状態が続いていたように思います。

そして昨年の措置入院

18歳の時に【双極性障害】と診断されて
その治療をちゃんと続けていれば
私の人生はこんなにも破綻しなくて済んだのかな。

なんて「タラレバ」ばかり考えてしまいます。

でも、

『失ったものは大きいけれど、
 その間得られたもの(結婚や子どものことなど)も大きかったはず。』

と今の主治医は言います。

双極性障害は、治らない。
一生付き合っていく病気。

という認識はあります。

子どもに危害を加えて

死ねる訳もないのに大量服薬して
精神科に入院させられて
早3ヶ月。

今がどん底なのだと、
思いたいです。


『ちゃんと治療していけば波は小さくなる』

って言葉。
それを信じて、
治療していくしかないんだろうな。

治療する価値のある命だとは、思えないけれど。

【双極性障害】
それをちゃんと認めて、
私は病気と付き合っていくしかないんだろうな。










今日は、
穏やかに過ごせました。

昨日に引き続き、
頓服のレボトミン・ジプレキサ
飲まずに過ごせました。

午前中に比べて、
気持ちが上がっている感は和らいできました。

調子がいい、 
わけではないです。

急に昔のこと思い出して苦しくなることが、
今日は2回ありました。

でも何とか、
やり過ごせています。

こうやって1日1日を積み重ねていって
「普通」の日々が送れるようになればいいなぁ。

まずは退院。
実家に戻るのか、
グループホームに入るのか、
どうなるか分からないけれど。

落ち着いて生活できるようになれればいいな。

明日も穏やかに過ごせますように。