15:30〜16:30頃まで、
1時間くらい話しました。
外出の様子や、
1つ前の記事で書いた手続きのこと。
最近思うこと。
以下、
「」→私、『』→心理士さん、です。
「最近思うんですけど、
前は介護の資格取って介護の仕事がしたいっていう近い将来の目標があったんですけど、
最近はそんなこと考える余裕もないっていうか…
ただ1日が過ぎるのをやり過ごしてる、
って感じなんですよ。
何か、虚しいなぁっていうか…
主治医にグループホームに入所することも検討してみたらどうかって言われてるけど、
私はいわゆるそういう【障害者としての生き方】しかできないのかなぁ、
って思うと何か悲しくなってきちゃって。」
『やっぱり、まにゃさんは少し先を生きてますね。
まずは退院するために何ができるか、
考えてみましょうか。』
と言って心理士さんは紙とペンを取り出し、
書き始めました。
『とりあえずの目標として退院がありますね。
その先の目標として○○県(子どもたちのいる県)に戻りたいっていうのがありますね。
○○県に戻るために仕事とか貯金とかいろいろしなきゃいけないことがあると思うんですけど、
とりあえず退院するために何が必要だと思いますか?』
「うーん。難しいですね。」
『私は今のまにゃさんに足りないのは気分転換や息抜きだと思うんです。
何か気分転換になることありますか?』
「歌を歌うことが好きです。」
『いいですね。
他に、退院するために何が必要でしょう?』
「3食食べてきちんと寝ること、
まぁこれは基本だと思いますが。
あと、頑張りすぎた時にきちんと休むこと。
というよりは自分の状態を自分で把握することですかね。」
『そうですね。
他にはありますか?』
「心理士さんにも言われているように、
自分を自分で認めてあげることかなぁ、と。』
『自己受容、ですね。
どうして自己受容ができないと思いますか?』
「私自身の基準がないからだと思います。
他人基準しかないというか。
周りと比べているんだと思います。」
『なるほど。
それは何故だと思いますか?』
「やっぱり、幼少期のことは大きいかなぁ、と。
私が発達障害だからかは分からないですけど、
ものすごい育てにくい子だったらしいんですよ。
母との愛着障害とも関係あるとは思いますが、
親に守ってもらえなかった、っていう気持ちは大きいと思うんです。
周りにとっても、私は【関わりにくい人】だったと思うし、
P-Fスタディの結果にあった【孤立化】の傾向も、10歳くらいの頃からあったと思いますし。」
『お母さんとの関係は大きそうですね。
まにゃさん自身でも関わりにくい人だっていう自覚はあるんですね。』
「ありますね。
自己肯定感が低いのも、幼少期からのことで。
アダルトチルドレンじゃないですけど、
そういう傾向もあるのかなぁと思っています。」
『そうなんですね。
でも、ご両親関係なしに、自己受容できると思いますよ。
自分の気持ちをそのままにしておく練習、してみたらどうでしょうか。』
「どういうことですか?」
『自分の感情をそのまま受け止めるんです。
しんどい、とか、死にたい、とか、
思ったっていいんです。
まにゃさんは、いつもその感情をそのままにしておけずに、
行動してしまっている気がするんです。
行動に移さずに、時に身を任せるというか、
そのままにしてみる練習をしてみたらどうでしょうか。』
「難しいですね。
でも、チャレンジしてみようと思います。」
『自己肯定感も、
成功体験を積むことで得られると思います。
例えばOT(作業療法)で何か作ってみるとか、
そういうのもいいと思いますよ。』
「そうですね。
自己受容と自己肯定感、
また考えてみます。」
『それにしてもまにゃさんはよく考えてらっしゃいますよね。
毎日こんなに考えてたら疲れるだろうな、って思います。
自分の気持ちをそのままにしておく練習、してみてくださいね。』
こんな感じでカウンセリングを終えました。
もっといろいろ話したけど、
大事なところはこんな感じ。
病室に戻って、
心理士さんが書いてたメモを私も書いてみました。
書き出してみて、
気持ちの整理ができました。
自己受容と、
自己肯定感を高めること。
まずは、
【自分の気持ちをそのまま受け止める練習】
してみようと思います。
今日は、
穏やかに過ごせました。
死にたい気持ちもほとんどなかったし
(ふと思いはしたけど)
自傷衝動もありませんでした。
食欲も戻ってきました。
躁でも鬱でもない「普通の日」
これから増えるといいなぁ、
と思います。
明日も穏やかに過ごせますように。