小さな人生論4/藤尾秀昭 21128
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11回目。はじめてここを引用する。
変化し、成長する
『論語』にこういう話がある。
「先生の説かれる道を喜ばないわけではありませんが、
私には力が足り なくて行うことができません」
弟子の冉求(ぜんきゅう)がこう言うと、孔子は答えた。
「力足らざる者は中道にして廃す。今女(なんじ)は画(かぎ)れり」
(本当に力が足りない者なら、途中で力尽きてしまうだろう。
お前は自分で自分の力を見限っているだけだ)
自分で自分を限界づけ、
変化成長することにすくんでいる弟子を、
孔子は厳しく叱っている。
この一節に感奮興起した人がいる。伊與田覺氏である。
今年九十二歳になられる氏は、その時六十七歳であった。
昭和五十八年十二月十一日、伊與田氏が生涯の師父と仰いだ
安岡正篤師が亡くなられた。
氏は喪に服したが、次第に立つ氣力を失っていく自分を
どうすることもできなかった。
先師の一周忌である瓠堂忌(こどうき)が巡ってきた。
その席で挨拶に立った新井正明氏(関西師友協会元会長)が
引いたのが、この冉求の一節だった。
伊與田氏の受けた衝撃は大きかった。
頂門の一針とはこのことであろう。
これによって氏は自らに立ち返る機縁を得たという。
真に道を求める人はいくつになっても変化成長することを、
この事例は端的に示している。
<中略>
伊與田覺氏が述懐されたことがある。
「自己自身を修めるにはあまり効果を期待せず、
静々と人知れずやられるといい。
それを三十年、四十年、五十年と続けていくと、
風格というものができてくる」
一流の人はいくつになっても変化成長する
―三十年の取材を通して 得た本誌の実感である。
四十、五十で人生が分かったように言う人は、
すでに心がマンネリになっているのである。
『論語』の「泰伯(たいはく)第八」に、
「任重くして道遠し。 死して後已む」 の語がある。
孔子は人の心の中にある仁に火を灯すことを任務とし、
その道を死ぬまで歩み続けた。
また、釈迦の最後の言葉はこうである。
「すべてのものは移りゆく。怠らず努めよ」
二人の聖人の生涯は、命ある限り変化成長していくことこそ、
すべての人の課題であることを教えている。
40代、50代などまだまだはなたれ小僧。
ここから一層修行、一層努力し
ますます変化成長を遂げていきたい。