小さな人生論・4 (小さな人生論シリーズ)/藤尾 秀昭 11340
- 小さな人生論・4 (小さな人生論シリーズ)/藤尾 秀昭
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書斎で一人じっくり読みたい、「小さな人生論」。
その4巻目。
何度読んでも感じ入るのが、この話
喜びの種をまく
仏法に「無財の七施」という教えがある。
財産が無くても誰でも七つの施しができる、
喜びの種をまくことができるという教えである。
財産が無くて、どうして施しができるのか。何を施せるのか。
『雑宝藏経』は、
「仏説きたもうに七種施あり。財物を損せずして大果報を得ん」
として、七つの方法を示している。
一は「眼施」──やさしいまなざし。
二は「和顔悦色施」──慈愛に溢れた笑顔で人に接する。
三は「言辞施」──あたたかい言葉。
四は「身施」──自分の身体を使って人のために奉仕する。
五は「心施」──思いやりの心を持つ。
六は「床坐施」──自分の席を譲る。
七は「房舎施」──宿を貸す。
大きなことでなくともいい。
人は日常のささやかな行いによって喜びの種をまき、
花を咲かせることができると釈迦は教えている。
自らのあり方を調えよ、という教えでもあろう。
「無財の施」の教えで思い出すことがある。
生涯を小中学生の教育に捧げた東井義雄先生から
うかがった話である。
ある高校で夏休みに水泳大会が開かれた。
種目にクラス対抗リレーがあり、
各クラスから選ばれた代表が出場した。
その中に小児マヒで足が不自由なA子さんの姿があった。
からかい半分で選ばれたのである。
だが、A子さんはクラス代表の役を降りず、
水泳大会に出場し、懸命に自分のコースを泳いだ。
その泳ぎ方がぎこちないと、
プールサイドの生徒たちは笑い、野次った。
その時、背広姿のままプールに飛び込んだ人がいた。
校長先生である。
校長先生は懸命に泳ぐA子さんのそばで、
「頑張れ」「頑張れ」と声援を送った。
その姿にいつしか、生徒たちも粛然となった。
こういう話もある。
そのおばあさんは寝たきりで、すべて人の手を借りる暮らしだった。
そんな自分が不甲斐ないのか、世話を受けながらいつも不機嫌だった。
ある時一人のお坊さんから「無財の七施」の話を聞いたが、
「でも、私はこんな体で人に与えられるものなんかない」と言った。
お坊さんは言った。
「あなたにも与えられるものがある。人にしてもらったら、手を合わせて、
ありがとうと言えばよい。言われた人はきっと喜ぶ。
感謝のひと言で喜びの種をまくことができる」。
おばあさんは涙を流して喜んだという。
「喜べば喜びが、喜びながら喜び事を集めて喜びに来る。
悲しめば悲しみが、悲しみながら悲しみ事を集めて悲しみに来る」
──若い頃、ある覚者から教わった言葉である。
喜びの種をまく人生を送りたいものである。
最後に、東井先生からいただいた詩を紹介したい。
雨の日には 雨の日の
悲しみの日には悲しみをとおさないと見えてこない
喜びにであわせてもらおう
そして
喜びの種をまこう
喜びの花を咲かせよう
ご縁のあるところ いっぱいに
仏教の教えである「七施」。
心に刻みたい言葉である。
何も持たない身でも、人様に施しが、人様のお役に立てるのだ。
背広姿でプールに飛び込む校長先生。
A子さんにとっても、目撃した他の生徒達にとっても、
これほどの学びと与えられる勇氣があるだろうか。
喜びの種は、誰もが持っている。
人様の為にまけるかどうか、は自分次第だ。