小さな人生論・4/藤尾秀昭 18348 | 年間365冊×今年20年目 合氣道場主 兼 投資会社・コンサル会社 オーナー社長 兼 グロービス経営大学院准教授による読書日記

小さな人生論・4/藤尾秀昭 18348

小さな人生論・4/藤尾秀昭
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久しぶりに、ここが響く。

 喜びの種をまく


 仏法に「無財の七施」という教えがある。
 財産が無くても誰でも七つの施しができる、

 喜びの種をまくことができるという教えである。
 財産が無くて、どうして施しができるのか。何を施せるのか。


 『雑宝藏経』は、
 「仏説きたもうに七種施あり。財物を損せずして大果報を得ん」
 として、七つの方法を示している。


  一は「眼施」──やさしいまなざし。
  二は「和顔悦色施」──慈愛に溢れた笑顔で人に接する。
  三は「言辞施」──あたたかい言葉。
  四は「身施」──自分の身体を使って人のために奉仕する。
  五は「心施」──思いやりの心を持つ。
  六は「床坐施」──自分の席を譲る。
  七は「房舎施」──宿を貸す。

 大きなことでなくともいい。
 人は日常のささやかな行いによって喜びの種をまき、
 花を咲かせることができると釈迦は教えている。
 自らのあり方を調えよ、という教えでもあろう。


 「無財の施」の教えで思い出すことがある。
 生涯を小中学生の教育に捧げた東井義雄先生から

 うかがった話である。

 ある高校で夏休みに水泳大会が開かれた。
 種目にクラス対抗リレーがあり、

 各クラスから選ばれた代表が出場した。
 その中に小児マヒで足が不自由なA子さんの姿があった。
 からかい半分で選ばれたのである。

 だが、A子さんはクラス代表の役を降りず、

 水泳大会に出場し、懸命に自分のコースを泳いだ。
 その泳ぎ方がぎこちないと、

 プールサイドの生徒たちは笑い、野次った。

 その時、背広姿のままプールに飛び込んだ人がいた。

 校長先生である。

 校長先生は懸命に泳ぐA子さんのそばで、

 「頑張れ」「頑張れ」と声援を送った。
 その姿にいつしか、生徒たちも粛然となった。

 

 こういう話もある。

 そのおばあさんは寝たきりで、すべて人の手を借りる暮らしだった。
 そんな自分が不甲斐ないのか、世話を受けながらいつも不機嫌だった。

 ある時一人のお坊さんから「無財の七施」の話を聞いたが、
 「でも、私はこんな体で人に与えられるものなんかない」と言った。

 お坊さんは言った。

 「あなたにも与えられるものがある。人にしてもらったら、手を合わせて、
 ありがとうと言えばよい。言われた人はきっと喜ぶ。
 感謝のひと言で喜びの種をまくことができる」。

 おばあさんは涙を流して喜んだという。

 

 「喜べば喜びが、喜びながら喜び事を集めて喜びに来る。

  悲しめば悲しみが、悲しみながら悲しみ事を集めて悲しみに来る」

 ──若い頃、ある覚者から教わった言葉である。

 喜びの種をまく人生を送りたいものである。

 最後に、東井先生からいただいた詩を紹介したい。


 雨の日には 雨の日の

 悲しみの日には悲しみをとおさないと見えてこない
 喜びにであわせてもらおう

 そして

 喜びの種をまこう

 喜びの花を咲かせよう

 ご縁のあるところ いっぱいに

さて、自分は何を施せるだろうか。

先生の端くれとなった今、
スーツでプールに飛び込み
必死で応援してしまうような
そんな先生になりたい。
改めてそう思う。