マンタムのブログ

マンタムのブログ

この世にタダ一つしかないカタチを作ろうとしているのですが出来てしまえば異形なものになってしまうようです。 人の顔と名前が覚えられないという奇病に冒されています。一度会ったくらいでは覚えられないので名札推奨なのでございます。

マンタム (田村 秋彦 mantam)

2010年秋 パラボリカ・ビスで初の個展開催


以降パラボリカ・ビスを中心に個展 多くのグループ展に参加


企画展も手掛ける


パラボリカ・ビスでの展示のほぼ全域にわたる美術を担当


チェコ大使館チェコセンターで開催され好評を博したヤン・シュヴァンクマイエル氏への逆襲展を企画主催  


去年夏開催された マックス・エルンスト ヤン・シュヴァンクマイエル 上原木呂 展で美術監督で参加。会場入り口に椅子を天井に貼付けたオブジェを制作。





HYDEの最新PVに特殊美術で参加。作品が多数出演している。(今年のハロインで公開予定)






現在

大阪月眠ギャラリーで 関西初になる個展 「畜骸曲舞団」 2012年9月17日迄

東京初台 にある初台Zaroffルリケ―聖遺物の表徴―作品を出品 

10月6日より パラボリカ・ビスでmantam +P.P★★★CRYSTAL CATASTROPHE GLASS BARを開催

10月16日(火)~10月28日月眠ギャラリーでパラボリカ・ビスとの巡回展になる ボックスアート展に参加

12月14日 マンタムの古道具屋としての本である 「がらくたからたから」パラボリカ先行発売&サイン会
2013年2月8日[金]~2013年3月4日[月]
『諸星大二郎 トリビュート展』パラボリカ・ビス 企画 ナハトの空間設営 ショーウィンドウ原画の選択等。
本企画は諸星大二郎氏に原画展をお願いしたところマンタムの作った空間でならと言う事で実現したもの。
トリビュート展ということでマンタムを含む13名の作家と音楽 ダンス 朗読等のライブも行われた。

2013年4月 新宿 A Story 店舗空間設営 

マンタム個展「 残骸に在るべき怪物 」パラボリカ・ビス
part.1●2013年4月10日[水]~22日[月]
part.2●4月24日[水]~28日[日]
初の作品本となった「鳥の王」出版記念展示

新宿 A Story 5月 アウトロー骨董市 現在月1度のペースでワークショップを開催中

マンタム『鳥の王』お渡し会 パラボリカ・ビス
2013年5月18日[土]~5月26日[日]
2013年5月20日~6月27日
三省堂神保町本店4階芸術コーナフェアスペースにてマンタム「鳥の王」ブックフェア

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6月28日(金曜日)29日(土曜日)30日(日曜日)
8月23日(金曜日)24日(土曜日)25日(日曜日)

今回は以前より要望があった楽器制作コースが始まります。

ギターの極端なカスタマイズから
あり得ない素材を使用したギターの製作

ギター以外にも可能なかぎりの楽器製作を行いたいと思います。
これに関しましては素材をこちらで用意した場合その素材の代金と材料代が大凡一万円前後と考えて頂き
それにかかった日にちを1日1万円として計算させて頂きます。

素材になる材料などを用意して頂ければ日数分の受講料のみとなります。

期間としては大凡3日から5日間を想定しております。

これ以外にも皮の立体加工の講座も開催致します。

以下は通常のワークショップの内容となりますが
この期間5回以上からは回数券を一日中1万円で発行致します。

よろしくお願い申し上げます。


マンタム式錬金術師の為のワークショップ
半日コース
各日12:00-16:00 / 17:00-21:00
錬金術師の為の装飾品ワークショップ 7000円
一日コース
各日12:00-21:00(16:00-17:00休憩)
A:水晶灯ワークショップ 12000円(黄/青/白から色を選択可)

B:薔薇の水晶灯 金属で作った枯れた薔薇に小さな水晶灯を仕込みます。(電池式 色は青赤白から選択可)
C:錬金術師の為の防護眼鏡のワークショップ 12000円
D:錬金術師の杖 12000円
+材料費
2日コース A~Dのコースをそれぞれ1日づつ2日に渡って参加される場合は 22000円になります。
E:ペストマスク 27000円 材料費込み
F:戦傷者の為のマスク(第一次世界大戦の戦傷者で顔面に損傷をおった人たちのために作られたマスクを印象から形にしたものです。)30000円材料代込
3日コース
死者のための帽子
皮で作る帽子です。サイズや形状は相談出来ます。 50000円(材料費込み)
髑髏のポシェッ
皮で作った髑髏の立体ポシェットになります。髑髏を人の顔に変更することもできます。材料費込みで40000円

定員は各日6-10名ほど。
(たとえば一日コースの希望が7人なら7人で打ち止め
 たとえば一日コースの希望が4人なら、半日コースは前半後半あわせて最大6人まで
2日コースの場合半日コースだと4人計算、1日コースだと2人計算になります。
また最近は注文に応じた自由課題にも対応させていただいております。
こういうものを作りたいと前もって連絡をいただければ可能な限り対応させていただきます。
また会期中はアウトローブラザース骨董市も開催!
是非ふるってご参加くださいませ!

申し込み先

dr_haruma@yahoo.co.jp 
件名「マンタムワークショップ」
本文 ①名前
   ②電話番号
   ③希望日、希望コース(半日コースの方は希望時間、水晶灯の方は希望色)
支払いは当日になります。

昼食はつきませんが昼の部に参加されますと3時のおやつとお茶が、夜の部ですとお弁当が出ます。

マンタム式ワークショップを開催致します。
過去8年近く不定期に開催してまいりしたが今回からしばらく定期開催となり
それにより長期に渡っての大作の作成が可能となりました。

元々作家さんの参加が、多くオーダーによる金属加工が常態化していた事もあるのでこの方がいいかもということで連続開催となりました。

基本的には偶数月の最後の金土日となります。

4月26日(金曜日)27日(土曜日)28日(日曜日)
6月28日(金曜日)29日(土曜日)30日(日曜日)
8月23日(金曜日)24日(土曜日)25日(日曜日)

今回は以前より要望があった楽器制作コースが始まります。
ギターの極端なカスタマイズから
あり得ない素材を使用したギターの製作
ギター以外にも可能なかぎりの楽器製作を行いたいと思います。
これに関しましては素材をこちらで用意した場合その素材の代金と材料代が大凡一万円前後と考えて頂き
それにかかった日にちを1日1万円として計算させて頂きます。

素材になる材料などを用意して頂ければ日数分の受講料のみとなります。

期間としては大凡3日から5日間を想定しております。

これ以外にも皮の立体加工の講座も開催致します。
以下は通常のワークショップの内容となりますが
この期間5回以上からは回数券を一日中1万円で発行致します。

よろしくお願い申し上げます。


マンタム式錬金術師の為のワークショップ
半日コース
各日12:00-16:00 / 17:00-21:00
錬金術師の為の装飾品ワークショップ 7000円
一日コース
各日12:00-21:00(16:00-17:00休憩)
A:水晶灯ワークショップ 12000円(黄/青/白から色を選択可)
B:薔薇の水晶灯 金属で作った枯れた薔薇に小さな水晶灯を仕込みます。(電池式 色は青赤白から選択可)
C:錬金術師の為の防護眼鏡のワークショップ 12000円
D:錬金術師の杖 12000円
+材料費
2日コース A~Dのコースをそれぞれ1日づつ2日に渡って参加される場合は 22000円になります。
E:ペストマスク 27000円 材料費込み
F:戦傷者の為のマスク(第一次世界大戦の戦傷者で顔面に損傷をおった人たちのために作られたマスクを印象から形にしたものです。)30000円材料代込
3日コース
死者のための帽子
皮で作る帽子です。サイズや形状は相談出来ます。 50000円(材料費込み)
髑髏のポシェッ
皮で作った髑髏の立体ポシェットになります。髑髏を人の顔に変更することもできます。材料費込みで40000円

定員は各日6-10名ほど。
(たとえば一日コースの希望が7人なら7人で打ち止め
 たとえば一日コースの希望が4人なら、半日コースは前半後半あわせて最大6人まで
2日コースの場合半日コースだと4人計算、1日コースだと2人計算になります。
また最近は注文に応じた自由課題にも対応させていただいております。
こういうものを作りたいと前もって連絡をいただければ可能な限り対応させていただきます。
また会期中はアウトローブラザース骨董市も開催!
是非ふるってご参加くださいませ!

申し込み先

dr_haruma@yahoo.co.jp 
件名「マンタムワークショップ」
本文 ①名前
   ②電話番号
   ③希望日、希望コース(半日コースの方は希望時間、水晶灯の方は希望色)
支払いは当日になります。

昼食はつきませんが昼の部に参加されますと3時のおやつとお茶が、夜の部ですとお弁当が出ます。

 

 


              ヴァイオリンのための音楽

木曜日はヴァイオリンの稽古が休みの日だった。


それ以外の毎日は先生のところでヴァイオリンの練習をさせられるのだ。
そのせいで放課後同級生とも遊べず指を痛めたらダメだからと言う理由でドッジボールさえ許されていなかった私には友達と呼べるものがいなかった。


だから木曜日は私のとって唯一の休息日だったのだ。
 

そして
 

その小さな老人は必ず木曜日に校門の横に座っていた。

小さな折りたたみ椅子に腰をかけ持ってきた大きなトランクを机がわりに置いてそこで子供達相手に商売をしているのだ。


今ならすぐに追い出されるところだろう。

だが当時はどこの小学校だってこういう子供相手のもの売りが必ずいたものなのだ。


その老人は大きな消しゴム程度の大きさの型を持っていてそれは飛行機だったり軍艦だったり戦車だったりどこかで見たような漫画の主人公だったり人形だったりした。


それを朝登校して来た子供たちに粘土を詰めさせて型抜きさせると帰りには乾燥して硬くなっている戦車や人形に色を塗らせるのだ。

出来上がると老人はそれを採点して一番出来がいい子供にもっと大きな特別の型を出してくるのだ。

それに粘土を詰め色を塗れば子供達の羨望の的になれる。

手先が器用だった私はすでに何度かこの大きな型で作らせてもらっていて老人のお気に入りだった。

ある暑い日だったが老人は小さな鳥籠を持っていてその中には見たこともないとても小さな鳥が入っていた。

しかもその鳥は老人そっくりの声で


「さあ やらんかね!」
 

と私に声をかけたのだ。
 

「これか?面白いだろ?最近手に入れたとても珍しい鳥なんだ」

とても小さくて親指程度の青い鳥だったが声真似をする以外はピクリとも動かないので見た目はオモチャのようにしか見えない。

からくりみたいなものじゃないかと思ったが老人はちゃんと生きているといい餌を出すと鳥はようやく止まり木から餌箱に移り餌を食べ始めた。


私はどうしてもその鳥が欲しくなってしまい老人にねだると老人は初めて見る特別に大きな型を出して来た。


それはバイオリンを弾く少女で背景には大きな鳥がいるレリーフだ。


「これをやってみな。これが上手くできたら褒美にこの鳥をやろう」


型さえうまく抜ければあとは色を塗るだけでなので配色とどれだけ正確に塗れるかということなのだがどうも老人の中での配色があらかじめ決まっているらしくそれが一箇所でも違うと認めてもらえない。


私は何度も作ったがなかなか老人は認めてくれなかった。
 

だがある日唐突に老人は来なくなったのだ。
 

校門での商売ができなくなったからだ。
 

PTAの愚かしい母親達が子供の教育に不適切だと学校にクレームをつけたのだ。
 

老人はいなくなり子供達は放課後野球や喧嘩などに明け暮れるようになった。
 

あの老人と偶然再会したのはそれから一年ほど経った縁日の屋台だった。
 

老人は相変わらず子供達に粘土を買わせて型に詰めさせていた。
 

私を見つけると「久しぶりだな」と嬉しそうに笑った
 

屋台の錆びた骨組みにあの鳥かごがかけてあって中にはあの小さな鳥がいた。
 

老人は
 

「ほれ これをやろう」


そう言って小さな卵をくれた。
 

「約束を破っていなくなったからな 鳥はやれんがこの卵をやるよ 暗いところに置いておけばかえってこの鳥になるよ」
 

私はそれを自分のヴァイオリンの中に隠した。
 

ちょうどヴァイオリンのFの形に開けられた先端の丸いところと直径が同じくらいの大きさでそこから中に入れることができたのだ
 

母親は生き物を飼うのを嫌っていたので隠す必要があったが家の中のどこに隠してもすぐに見つけられてしまうだろう。
 

でもヴァイオリンの中ならいつも自分の手元にあるしまさかその中を探したりはしないと考えたのだ。

それから一ヶ月ほどしたころヴァイオリンの中で鳥がかえりカサカサと動き回っていた。
 

老人に教えられた通り小さな蜘蛛とその巣を入れてやるとそれはスルスルとヴァイオリンの中に引き込まれカツカツとついばむ音が聞こえた。

姿は見えなかったが鳥はヴァイオリンの中で成長してるようだった。

1年ほど経つと鳥はヴァイオリンの演奏を真似るようになった
 

それはまるで録音機のように正確でヴァイオリンで演奏しているとしか思えないものだった。
私は鳥を利用することを覚えヴァイオリンの練習をしなくなっていた。
 

先生の演奏をそのまま鳥に真似をさせればそれで練習は終了だからだ。
 

突然うまくなった私のことを先生は訝しがったがそれでもそれを自身の成果として喧伝する方が大切と思ったようでそれからはあちこちのコンテストや演奏会に引っ張り出されるようになった。
 

母はとても喜び天才少年として騒がれたが結局中学生になる前に全ては終わってしまった。
私の演奏は常に誰かの精密なコピーにすぎずそれでは演奏家として成立しないと批評家達に酷評されたからだ。
 

私はそれからどれだけ誘いがあってもそれを理由に舞台に立たなくなっていた

表向きの理由は評論家の酷評に対してだったが実際は鳥がもうその時には死んでいたからだ

中の様子を見たわけではないので本当のところはわからなかったが酷評されどうにかしようと色々なヴァイオリンのCDを聞かせても鳥は声真似をせず大好きな蜘蛛も蜘蛛の巣も食べなくなっていたのだ。

母親は落胆し潮が引くように全てが過去のものになり私もいつかヴァイオリンをケースから出さなくなっていた。


それはもう全てが夢のような出来事にすぎず誰も思い出さなくなった頃私は家を出てそれから長い年月が経過した。

父親から呼び出されたのは長く病床にいた母親が息を引き取ったからだ。

あらためてそのヴァイオリンを見たのは母の葬儀のあとだ

大切に仕舞っていたらしいヴァイオリンを客が引き上げたあと父親から手渡されたのだ


私はそのまま家に持ち帰ったのだがあれからあの頃の記憶がまるで夢のように曖昧なものでしかなく私はあれが現実だったのかどうかをどうしても確認する必要があったのだ。

それで職人に頼んでヴァイオリンを切断してもらった


そうすると


縦に割られたヴァイオリンの中には鳥の骨格がそのまま残されていたのだ

鳥はヴァイオリンを表皮のようにしておそらくヴァイオリンそのものになっていたのかもしれなかった

あの日々は夢ではなくただの現実だったのだ




                   


私は壊れたヴァイオリンとその鳥の残骸で卓上を照らす為のスタンドを作らせ

今もそれは机の上で読むべき書物を照らしている


母親が何故私にヴァイオリンを弾かせたかったのかはわからなかったが

結局その誰も顧みる事のなくなったヴァイオリンを彼女は捨てる事が出来なかったし

私も夢か現実かの確証こそなかったが記憶だけは今でも鮮明に焼き付いている


今は時々だがこのヴァイオリンのランプで本を読む時に母親が好きだった楽曲をかけている

それは



あの夢のような日々と今は遠い母親の為に。








                    




 

髑髏骸骨骨骨展 無事終了いたしました。

今回は私とköziさんさんの共同企画という話から色々と発展変形し 企画展としてパラボリカ・ビスと私との共同企画として帰結した趣があります。

参加していただいた作家諸氏に深く感謝するとともに色々と不手際があったことを陳謝致します。

これに懲りずまた次の機会にも是非よろしくお願いいたします。

 

展示終了後問い合わせが何件かありまたブログでの紹介記事やTwitterの感想の中で誤解があったようなのでこちらの説明不足として陳謝するとともに補足説明をさせていただきます。

長文になりますができれば最後まで読んで頂けるとありがたいです。

 

今回の髑髏骸骨骨骨展は去年秋に開催された ヤン・シュヴァンクマイエルトリビュート展の時に私が持ち込んだ髑髏の革製帽子がきっかけでした。

http://www.yaso-peyotl.com/archives/2015/09/sv_tribute1510.html

この時も会場音楽をköziさんにお願いしライブも開催していただきました。

köziライヴ「közi(ZIZ)+yugami(ZIZ)/シュヴァンクマイエルに捧げる楽曲のオブジェ」

日時:10月23日[金]start19:00

帽子を見た夜想編集長でパラボリカ・ビスの代表である今野さんからköziさんと私とで髑髏をコンセプトにした展示を企画できないかと打診があったのです。

その打ち合わせが年明けに一度ありましたが時期的な調整がうまく行かずパラボリカだけで集めた作家さんを中心に2016年4月1日[金]~5月8日[日]夜想・髑髏展が開催されます。

 

この時は私もköziさんもノータッチでした。

そのあと再度打ち合わせがあり5/14[土]、5/15[日]、髑髏・死をモチーフにWSとライブを開催。マンタム「タナトスの為のワークショップ」/ライブ「közi+yugami+ville/玲髏降臨(れいろうこうりん)髑遊夜会」が決まりました。

そしてこのライブを引き金にして今回の髑髏骸骨骨骨展の概要が決まっていったのです。

 

当初今野さんから前回köziさんが告知に使用した画像を使った作品ができないかとの打診があり打ち合わせの席で今野さんからköziさんの作った画像をレコードジャケットのようなものに印刷して音源をソノシートにしてジャケットに入れて展示販売。

同時に会場音楽をCDにして販売、会場には壊れたギターを3本ほど配置して中にスピーカーを仕込みそこから会場音楽を流してはどうかという提案がありました。

その壊れたギターを選ぶのとköziさんが作った画像を見せてもらうためにマンタムアトリエに来て頂きました。

 

そこで倉庫にあった600本に及ぶギターの中から2本選んでもらいそれとは別にköziさんが実際に使用していたギターを1本受け取りそれを壊して作品として再構成して展示するということに決まりました。

その時点でköziさんより音を展示するというコンセプトであるならCDは販売せず作品として音源であるギターに入れた物のみとして販売したいという提案がありそれならそれで行こうと。

 

köziさんが作ってこられた顔に白粉を塗りそれを黒ラシャ紙に押し付けるようにして出来上がった5枚とレコードジャケットの一枚をどう展示するかを悩みましたがこれは後日の課題となりました。

音を展示するというコンセプトはまずköziさんがギタリストであるということ。

その彼がもう弾くことができなくなったギターに音楽を封印する。

でもそれでも溢れてしまう音楽が会場音楽になる というコンセプトを立て 3本のギターをそれぞれ会場の隅に配置。

そばに行って耳をそばだてないと聞こえない音量で音を流すということで音を展示することでよりコンセプトを際立たせようと。

音量についてはköziさんが入念にチェックを重ねセッティングいたしました。

気がつく人だけ気がつけば良いと。

言わなければ気がつかない人も多かったのですが

コンセプトの本来の目的から考えればそれが正解だったのです。

 

 

ギターはコラボ作品になりそれぞれ  「rozpadající se log 」  「 měsíc 」   「noc 」   という個別のタイトルが付けられています。

 

köziさんが作ってこられた白塗りにした顔を黒ラシャ紙に転写して作った画像はköziさんの抜け殻のように思え同時に舞台という魔物が住む空間でköziさんが日常から極度な非日常に移る過程での防護皮膜のようにも思えました。

それなら封印すべきと考え大きな実験瓶の中に収め一緒に枯れた薔薇を添えました。

この枯れた薔薇は時間がそこで停止している状態であることを示しています。

髏瓶と名付けられた瓶の中には時間が存在せずそれ故極度な非日常を封印しているのです。

この髏瓶は3本あり壱に2枚 弐に1枚 参に2枚 別個にレコードジャケットに1枚これが原画でギターに貼り付けられているものは原画からのコピーになります。

ただコピーはこれ以外に存在しません。

髏瓶に使われているガラス瓶は本来集気瓶と呼ばれるものでこの瓶は60年以上前の古いものを使用しています。

このくらい古いとほぼ手作りに近いものになりガラスの蓋がそれぞれに合わせて作ってあるので他の瓶には合わなかったりまたガラス表面に手作りならではのシワが出るため光の反射や屈折が楽しめます。

 

 

今回初めてköziさんと作品でのコラボを行いましたが当初写真もしくはそれを加工した画像と考えていたのを気持ち良く裏切ってくれ髏瓶の命名などさすがのセンスを見せて頂きました。

 

ライブも素晴らしくとても良い夜になりました。

 

また何か一緒にやれればと思っています。

 

 

 

 

コラボしたギターのうち最後の1本になったměsíc は当面A STORY新宿新南口店で展示販売して頂くことになりました。

 

これには会場音楽のCDが一枚付属しております。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

追記 

問い合わせで 販売される作品の内容点数などがあらかじめ公表されていなかったとありましたが基本的にギャラリーの展示で問い合わせがあれば答えられますがこちらから展示前に開示することはあまりありません。

展示前に通販などで作品が売れてしまうとせっかく会場まで足を運んでくれたお客様に申し訳無いからです。

それとブログの中で売約がついた作品のラベルを浮かして値段を確認し書いた人がいるという指摘がありました。

もし事実でしたらそういったことは今後なされないようお願いします。

ギャラリーでわざわざ値段の上にシールを貼るのは理由があることでありそれを覗いて公表するというのは相当に失礼な行為であると理解してください。

 

 

 

 

中華街にあるアートライブギャラリーソコソコで神奈川県初になる個展を開催いたします!
会場も広さがあるので空間もしっかり作りこみ会期中はライブ Bar  ワークショップ 骨董市と盛りだくさんな企画で臨みます。
是非お越しくださいませ!

17日16時よりオープニングパーティ 
バネセンパイライブ(スカンク 松本じろ)18時スタート入場料1500円 ライブ終了後22時まで Barスカンク ワンコインカクテル等飲み物500円〜

トークショー DVD 上映『( nemocnice )  死を迎える夜に月を壊れた窓から覘く』マンタム + 山崎スヨ(DVD制作)19時より 入場料500円(ワンドリンク付き)Barスカンク ワンコインカクテル等飲み物500円〜

23日Bonio boni boni ライブ 入場料 1500円 18時半開場 19時開演

 

〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町81-6
TEL:045-232-4980
みなとみらい線「元町・中華街駅」3番出口から徒歩2分。

出口は1番出口からの方がわかりやすいようです。

基本的にはアジアグッズのお店で有名なチャイハネにまずたどり着きチャイハネを背にしてかなり右斜め向かいに肉まんチャンピオンのお店がありその隣に中華屋さんがあります。
そのお店とお店の間の細い路地というか隙間を入った奥の方にある民家なのです。

まさかこんなところにという立地なので結構気がつかず通り過ぎて何度めかにやっと気付くというわかりづらい立地なのです。

私は18日だけは所用がありいませんがそれ以外は25日まで毎日在廊します。


どれもまだお席がありますし当日も大丈夫ですので奮ってご参加くださいませ!

「チャイハネです。3軒固まって並んでます。中華街でも有名なので聞けばすぐにわかります。このお店を背にして右斜め向かいを見ます。」

「するとこのチャンピオン肉まんのお店が見えてその先に中華定食のお店があるのがわかります。この二つのお店の間の隙間のような路地を入った奥にギャラリーソコソコがあるのです!」

「バネセンパイはモヒカン兄弟でもあるのです。今回はライブをやるとかってすっかり忘れて空間を組んでしまったのですが何一つ文句を言わず素晴らしい演奏をしてくれました!」



24日25日 マンタム式錬金術士のためのワークショップ 


半日コース(アクセサリーや簡単な廃材を使ったオブジェ等 11時から3時 4時から8時

 

1日コース(水晶灯 ステッキ 錬金術師の為の防護眼鏡 複雑で混乱するオブジェ等)

 

錬金術師のための防護眼鏡

水晶灯 色は白青黄色から選択 AC電源か電池式のどちらかを選んでください。これは瓶に水晶灯を封入していますがスタンド形式にすることもできます。

(水晶灯のみ料金内 瓶その他のパーツは別売となります。ご自分で持ち込まれても構いません)

 

 

薔薇の水晶灯 金属で作った枯れた薔薇に水晶灯を仕込みます。電池式のみ 色は白青黄色から選べます。

象徴としての杖 杖は本来選ばれた人間が持つものであり魔術においても欠かせない重要な道具でもありました。杖本体は価格内ですが握りに使う部分(鰐頭骨 水晶玉など)は別売になります。ご自分で持ち込まれたものでも大丈夫です。

2日コース(ペストマスク レザークラフトによる髑髏制作(材料代別途5000円必要)
半日コース6666円 一日コース12345円2日コース23456円

予約 申し込み お問い合わせなどは

dr_haruma@yahoo.co.jp

 

もしくはここのコメントでもTwitter Facebookでのタイムラインメッセージからでも大丈夫です。

 




( nemocnice )



 死を迎える夜に月を壊れた窓から覘く



私は奇妙な病気にかかった。

それは病気と言うよりは事故のようなものだった。

私は私の時間のなかに取込まれてしまったのだ。

どうする事も出来ず病院に搬送されたが原因の特定すらできなかった。

結局幾つかの病院や研究施設をたらい回しされこの廃墟のような病院に収容されたのだがそこでもただ観察されるだけという状態だった。

私には2つの時間が存在していた。

一つは肉体に直接影響を与え私は幼児から老人への過程を何度も繰り返しもう一つの時間はそれにおかまいなく私の人生そのものが本来持っている時間の範囲内を好き勝手に動き回った。

私は幼児の姿で過去に戻り歩く事もままならない老人の状態で何十年か先の廃墟と化した病院に送られてしまうのだ。

時間移動している間は「今」と言う時間帯に存在出来ないので診察を受ける事も出来ない。

担当医である老医者は私に時計をつけさせた。

小さいが非常によく出来ていて年数と日付を現すカレンダーが付いた文字盤が2つ並んで付いていた。

並列に並べられた文字盤の一つは右回りに回り現在から未来を、もう一つは左回りに回る事で現在から過去へ向かう時間を記録できるようになっていた。

時間はすべて記録されたので私がどの時間にどのくらい滞在していたかわかるようになっているのだ。

だがそれでわかったのは私が生まれた正確な年月日とおそらく死期だろうという30年後の未来だけだった。

結局時間の移動には何の法則性も無く身体の変化もそれに関係したものではなかったのだ。



唯一の救いはナースのメルテビィだった。

彼女は勘がいいのか私が「今」に帰ってくると必ず待っていたかのようにベッドの側にいるのだ。

幼児の状態で「今」に戻っても精神も幼児のままだ。

時間の中を連れまわされるような異様な体験に幼児の精神力では付いて行けるわけも無い。

それに時間と言うものがデタラメになってしまった私にとって彼女が待っていてくれるところが帰るべき世界でありメルテビィはとても大切な指標になったのだ。

「貴方の体は貴方を作っているとても小さな物質に戻ってしまうの。そのせいで時間と言う約束に縛られずに移動できるのよ。それは貴方が望んだ事ではなくても貴方はそれを受け入れるしかないのよ」

「俺はもとあった状態に戻りたいだけなのだ。それには何処に行けば良いんだ?」

「私にはそんなことはわからない。でも時間を過去あったように戻す事はできないの。時間は流れる水のように前にしか流れて行かないのよ」

「だが俺は何度も過去を見て来ている」

「でも同じ過去じゃない。それはその度に少しずつ違う過去になっている それは戻っているんじゃなくて進んでいるのよ」

「じゃあいつまでも出口のない迷路の中を俺はなんのために徘徊し続けなければならないのだ?」

「そんなものに何の理由もないわ。誰も望んだ事ではないのよ」

だがそういうと彼女はもう違うことに気を取られている。

病院の壊れた窓から見える暗い空を低く飛ぶ大きな鳥を眺めているのだ。






あるとき隣に寝かされていた老人が灰になり吹き込んだ強風に散らされ跡形さえもなくなり病院の窓という窓が壊れて雨が遮るものもない私を容赦なく濡らした。

だがそれもすぐに収まり気がつけばいつものベッドでメルテビィが私を抱きかかえているのだった。

私はメルテビィの感情を匂いで理解できるのだ。

それは感情も物質が作り出すものだからだ。

だがそれは幼児期の僅かな間だけだ。

だが匂いから理解できるのはメルテビィの深い絶望だった。

それは私に対してではなくメルテビィにとっての環境そのものであって呪縛のように彼女を縛り付けているこの世界に対してのものだ。

メルテビィはとても深い闇の中に暮らしていてでもそれは私も大差なかった。

なにもかもが夢のように曖昧で断片的だったからあるいは本当に夢だったのかもしれない。





遠くで とても遠くで痩せた犬が解体されている。



皮を剥がれ腹を引き裂かれ内蔵が引っ張りだされ歪んで茶色く変色したアルミの鍋に投げ込まれていた。

縮れた髪の太った女がその様子を楽しそうに眺めている。

犬を解体しているのは私だった。

刃の欠けた大降りのナイフには血や脂がへばりつくので時々それを汚れた布で拭うのだが欠けた刃が布に引っかかり細い繊維が刃に絡み付いた。

それが神経かなにかのようにみえる。

そろそろ終りだと思うと私はベッドに転がる幼児に戻っていた。

そしてわからなくなる、あの刃に絡み付いていたものは私の神経だったのかそれとも哀れな犬のものなのか。

「その犬を知っている。私のとても大切な兄弟のような犬だった」

「俺は知らない。お前の過去はなにも知らないんだ」

「じゃあ貴方は自分の過去を胸を張れるようにちゃんと憶えているの?」

過去?自分の過去?なにも憶えていなかった。

自分がここに来る迄何処でなにをしていたのか何一つ思い出せなかった。

記憶というものはそれぞれの時間に留まって初めて成立するものなのかもしれない。

その時間とそこで起きた事象は本来関連付けられる個別な現象なのだ

だからそこから切り離され方向性を失った時間軸のなかではその事象自体が存続出来ず消えてしまうのだろう。

時計が指し示す数字はその瞬間の指標でしかなくその一瞬の変化しか捉えられなかったのだ。

記録としてならべられたどの時間にも法則のようなものは何一つも見出せなかった。

つまり今の私の時間にはその起点になるべき指標がなくそれは私という存在そのものが同じようなものだった。

時間を無くした事で私は自身をも喪失していたのだ。






過去の中で私は痩せこけた犬だった。

追い回され何度も棍棒で殴られ動けなくなった私の体をナイフが引き裂いた。

覗き込んだ誰もが笑っていて私は自分の内蔵が体から引き抜かれ汚れた鍋の中に投げ込まれるのをみた。

太った女が笑っていた。

もう動かない頭を誰かが動かしてそれでようやくナイフを揮う人間をみたのだがそれはメルテビィだった。

おかしいと思った。

犬である私は内蔵を抜かれとうに死んでいてなにも見えるわけが無い。

だがここにメルテビィが出てくることには違和感を覚えなかったのだ

そうだ。

どうせこれももどる頃には忘れてしまう。

ならその理由を考えても仕方が無い。

どうにもならない状況でなにを望んでもそれは叶うべくもないのだ。






老人だった夜、破れたカーテンの向こうにある壊れた窓から月が見える 。



それは窓に弧を描く糸のように細い美しい月でメルテビィにも見せたかったがそこには彼女の姿はなかった。

月はゆっくりと窓から離れて行き私はまた時間の奔流に投げ込まれていた。

混乱する記憶のナカで私はあらゆる時間に存在する

何度も何度も繰り返し夜がやってきて私はあらゆる時間のなかをただ流されている。

だがその実感をどうしても得る事が出来ないのだ。

いつの間にか私は眠っていて目が覚めたら傍らにはメルテビィがいてベッドの周りに散乱した犬の血や内蔵を片づけていた。

なぜそんなことになっているのか全くわからなかったがメルテビィがひどく悲しんでいることだけは彼女のにおいから理解できた。

「貴方は私の犬を殺したの。 でも貴方のせいではないし それにこの犬はもうずっと前に死んでいたの」

「よくわからない」

「そうね、もう憶えていられないものね。貴方の過去の時間が私の記憶と混ざりあっているのよ。貴方は私の記憶に迷い込んで本当は祖父がやる筈だったことを貴方がやってしまったの」

メルテビィの言っている事がわからなかった。

「私がまだ小さかった頃 うちには犬がいたわ。兄弟のように一緒に育てられた犬だった。でも 戦争が始まって食べるものがなくなって病気になった私に祖父がその犬を食べさせたの」

「戦争?」

「そう戦争。 私は随分遠いところから来たのよ」

「そうなのか?」

「病気が治ってしばらくして犬の事を知ったわ。 私は大好きだった祖父をずっと許せなかった。でも 犬は貴方が殺した。 もう 祖父を恨まなくて済むわ」

「じゃあ今度は俺を恨むのか?」

「わからない。 今は恨んでいないけど」

メルテビィはそういうと少し微笑んだように見えた。

その時はそうなのかと思った。

だがしばらくしてメルテビィは私の前から姿を消したのだ。

時間の中を彷徨いようやく「今」に辿り着いてもそこにはいつも待っていてくれる筈のメルテビィの姿がないのだ。

メルテビィが居ないだけで私は本当に今に帰って来れたのかどうか確信が持てず苦しんだ。

メルテビィこそが私にとって唯一の指針だったのだ。

私は酷い疎外感に苛まされ環境そのものに対して憎悪さえおぼえるようになっていた。

それは人間関係とかそういうものではなく世界そのものから疎外されているという感覚だ。

私は自身の妄想と現実の区別さえ付かなくなりあらゆる事象を恐れ壊れた窓を横切る鳥の影にさえ怯え憎悪を憶えた。

だがそのせいでメルテビィを深く愛していた事にようやく気付かされたのだ。

私は老医者に彼女の事を訊いたが彼はメルテビィを知らなかった。

そんなナースはここには存在していないと。

ナースでなくても同じ入院患者かもしれない。

私は執拗に食い下がり彼女の容姿や癖などを説明しているうちに老医者の表情はだんだん強張り年配のナースを呼んだ。

太った縮れ毛の女だ、どこかで会った筈だが思い出せなかった。

彼女は私に古い写真を見せた。

それは古びてすっかり黄変したぼろぼろの写真だったがそこには確かにメルテビィが無表情に座っていた。

「なんだ、やっぱりここにいるじゃないか」

「その娘は死人なの。私の姪なのよ」

「酷い摂食障害になってこの病院にいれたのだけどもう手遅れだった。彼女はあらゆる人間を恨んで死んだわ。もう30年も前のことになる」

年配のナースは考えるようにゆっくり話し始めた。

「それから時々見えるって人がいるの。でも貴方みたいに話したり世話をしてもらったなんて話は聞いた事が無い。」

「メルテビィ?」

「それは・・そんな名前じゃない」 

ナースは思い出すように続けた。

「それは死者という意味よ。彼女の母親の国の言葉なの」

「彼女は誰なんだ?犬を祖父に殺されたって言っていた」

思い出してみれば彼女の事で知っていることはそれだけだった。

これだけ長い時間一緒に居て殺された犬の話しかしていなかった。

「それは・・」

老医師が口を開いた 

「彼女にとってなによりも大切なことだったからだよ」

「彼女が死人だとしたらどうして俺にはみえたんだ?」

「お前が彼女を見る事が出来たのは時間を喪失していたからだ。死者には時間が存在しない、いや時間と言うものがなんの意味も持たないところで存在しているので我々にはすれ違う車窓のように一瞬にしか見える事の無い存在なのだ。でもお前は時間をなくしてしまった。つまり生きながら死人になっているのだよ」

「俺は生きているさ、ちゃんとこうやって話している」

「今はこうやって話している、いつものように何処にも行かないからな。いつもならすぐに時間に飲み込まれてしまうからこうやってゆっくり話す事等できはしない。それにおまえは犬だったのだよ。彼女に飼われていた」

「なにをバカなことを」

そう言いながら私はメルテビィに体を引き裂かれたのを思い出していた そうだ あのとき私は確かに犬だったのではないか?

「貴方は犬なのよ」

ナースがそういうのを聞きながら私はまた時間の奔流に飲み込まれていた。





時間の中でメルテビィが笑っていた。

彼女が笑うのをみるのははじめてだったので理由を聞きたかった。

だがそれは腹を裂かれて腸を引きずったまま彼女の元に駆け寄ろうとしている私を見て笑っているとわかり私は呆然とした。

私は犬で彼女に殺されようとしているのだ。

これが現実なのか妄想なのか確かめる手だてを思いつかない。

その間にも私は手際よく解体され内蔵が歪んだ鍋に投げ込まれた。

「これは復活の為の儀礼なのよ」

「貴方が死者となってちゃんとこっちに来る為の。 そうしないと貴方は永遠に時間の中に閉じ込められてとても狭い自我のなかを永遠に徘徊する事になるわ」

「でも なぜ犬なんだ? 俺は君に飼われていた犬じゃない」

「じゃあ自分を思い出せるの?」

そうだ もう自分のことを何一つ思い出せなかった。

「貴方は時間を喪失してそれから自分も無くしてしまったのよ。だから犬になった。そこにしか出口がなかったからよ。だから助けに来たの。貴方をあるべき世界に戻すのよ」

「あるべき世界?元に戻せるのか?」

「残念だけど動き始めた時間をもとあったように巻きもどすことはできないの。

確かに貴方の時間はとても不規則に揺れ動いているけどそれでも少しずつは未来に向かっているわ」

メルテビィは血の付いた手をそばにあったボロ切れで拭った。

「元には戻せないけど進める事は出来る。それか私のように時間から外れてしまうか、そのどちらかを選べる」 

「それはどういうことなんだ?」

「貴方は貴方の時間から投げ出された時に自我を喪失し貴方である全てを無くしてしまったの。接触出来るのは死者である私だけ、貴方はもう随分前から死んでいるのよ。時間に見放された時からね。ただ貴方は死を認めず受け入れなかった。貴方を構成している一番小さな物質がそれに反応してしまったの」 

良くわからなかった。

でも 確かにもう終わりにしたいと願った。 

それにメルテビィがもう病院にはいないのならそこに居る理由もなかった。

私はメルテビィと居る事を強く願ったのだ。

「わかったわ、貴方のための終わりを用意する。犬とは違う貴方の出口」

メルテビィは私を強く抱きしめた。

彼女の匂いでいっぱいになったがもう彼女からは絶望の匂いはしてこなかった。

私の体は内蔵を垂らした汚れた犬の姿から老人へとゆっくり変わりはじめていた。

夜だ。

そして私はベッドに寝かされている。

固くてしみだらけのベッドだ。

時計は2つの文字盤が両方とも予告されていた私の終わりの時間を指していた。

暗く荒れ果てた病室にはもう誰もいない。

床はささくれ立ち窓から吹き込む風で破れたカーテンが揺れている。



壊れた窓のずっと高く暗い空を青白い月がゆっくりと流れていく。



もうなにも思い出せない。

だが自分がもうすぐ終わると言う事だけは理解できていた。

誰かにそう言われたのだ。

とても大切な誰かに。

おそらく私がこれから向かう永遠のその先で待つ者にあう為に。

私はとても小さな粒子となってそこに回帰するのだ。



それをあるべき未来と今は信じて



konec 2016 6/20



R氏の憂鬱

R氏は商人だった。

彼が商うものは記憶だ。

記憶をなくしたい人間と記憶を失った人間の間に入り必要な記憶を売り買いする事が彼の仕事だった。
世の中にはどれだけ多くの富を得ようともそれによって澱のように溜まった受け入れがたい過去を抹消したいと願う人間や多くの愛情を得たがそれに応える事が出来ず愛を棄てようとする者。
何かの拍子で記憶をなくしてしまった者。
年老いて記憶を逸してしまう者。
記憶とは積み重ねられた過去から現在への系譜であり自我そのものであってそれを無くす事はただの器になることでありR氏は器に必要な水を注ぎその器のあるべき意味を為す者だった。
氏の商売は成功し富を得たが同時に大きな問題が存在した。
R氏は記憶を一度自身に取込んでそこから依頼者に移すと言う方法をとっていたが彼の中には人々の様々な記憶の残滓のようなものが少しずつ蓄積されていたのだ。

それは一つ一つをみれば小さな妬みや嫉み反感や嫉妬のようなものだったが沢山の小さな虫にたかられるように若い頃から徐々にR氏は蝕まれその結果彼は気がついた時にはとても深刻な状態に迄追い込まれていたのだ。
肉体と言うものは所詮器に過ぎず自我とはその容れ物を操る本来は全く別の存在だ。
人は肉体の成長とともに自我が発達すると考えているが本当は肉体と言う器の中で蓄積された記憶の集合体から生み出されるものが自我であってそう認識することで初めて出し入れが可能になるのだ
R氏は太古にその事実を発見し
その為の技術を何十代もかけて造り上げた一族の末裔にあり本来は決して外に出すべきではない技術で商売を始めたのだ。
だがそれを弾劾するものはいなかった。
彼の一族は既に彼1人を残すだけだったのだ。
だからR氏がどれだけ苦しんでも彼を直せる人間は何処にもいなかった。
彼に染み付いた多くのあまり歓迎できない記憶は彼の器である肉体にも影響を与えていてやがて自分の姿さえ維持出来なくなっていった。

体は古いガラスのように崩れ始めR氏は仕事どころか屋敷から出る事さえ出来なくなっていたのだ。
崩れて行く姿を誰にも見せたくなくてたくさん居た使用人達にも暇をだした。
R氏は先祖から受け継いだ大きな屋敷にただ一人で残されたそう多くない時間を過ごすようになったのだ。
既に顔は虫に食い荒らされた古い木壁のようであり指ももうあまり残っていなかった。
食事等は特に必要のない体になっていたので一人でもなんとか生活はできたが何をするにも大変な努力と集中力を要した。
家族もいなかったし自身の死に対する後悔や恐れのようなものはなかったがそれでもこのまま壊れるように消えて行くのには忸怩たる思いがあった。
少なくともこの死は必然的な結果ではなく寿命等というものとはほど遠いものだったからだ。
回避出来るものなら回避したいと願ったのだ。
方法は無いわけではなかった。
先祖から代々受け継がれて来た膨大な資料の中にその為の対策として壊れた体を棄てて一時的に記憶を用意した違う容れ物に託し適当な肉体が手に入ったらまたそこへ移せば良いと言うものがあったのだ。




つまり記憶を封印して残すというものでそれは記憶の為の箱のようなものだろうとR氏は考え実際そうはなれた考えではなかった
だが資料には記憶を残すだけのものとありそれが今ある自我と同様のものが残せるかどうかはわからなかった。
それでもこのまま体が崩れて行けば記憶は体から零れ四散し二度と元に戻る事はないだろう。
だからといって箱にうまく記憶を納めたとしても一体誰が次の体を用意して元に戻してくれると言うのだろう?
そこで彼は遺書を書き使用人の中でも特に信頼していた中年の執事に送った。
それには屋敷や財産を移譲する代わりにいつか心を失った人間を見つけて自分の記憶を移せるようにその手順や方法 道具や香料の使用法等も詳しく書き記しておいた。
これがあてになるかどうかはわからなかったがそれでもやらないよりはいいだろう。
R氏はそれでようやく決意を固め慎重に手順をふんで箱の中に記憶を移した。
箱の側面には在りし日のR氏の肖像画を貼付け箱のなかのオウムガイに大変な苦労をして記憶を封入していった。



オウムガイは3億年前からこの星で生きて来た生物であり内部には細かく区切られた浮力を得る為の部屋がありその構造は他に例を見るものはない。
この細かな部屋が記憶を混ざらないように封印するにはとても都合が良かったのだ。
やがてR氏の記憶は箱に収められオウムガイは青く光り始めた。
R氏は遺書を受け取った執事が約束を果たしてくれるかどうかを考えたがそれは無意味なことだった。
彼は既に貝の中に封じられていて外の様子は何一つわからないのだ。
それにもう決断して実行した事を今更悔やんでも仕方が無いし執事がどれだけ誠実であれ彼が生きている間に都合の良い肉体が見つかる保証等なにひとつないのだから。
それでもこのままチリのように消えてしまうよりは良いと判断したのではないか。
そう考えるといくらか気も楽にもなったが結局排除出来なかった記憶の残滓達は悪夢となって日々R氏を蝕んだ。
起きているのか眠っているのかさえわからない状態で彼は自身の広大な記憶の荒野を彷徨っていた。
それは際限なく繰り返される日常でもあれば突発的で非現実的な崩壊する世界でもあった。
その中で翻弄され氏はようやく気がついたのだ。
結局これは体を失ってしまった事で自我が閉塞し自身が自我に囚われてしまっているからだと。
記憶から発生する自我は肉体があることで得られた新しい記憶により活性化しようやく前に進む事ができるのだ。
R氏はそれに気づき結局新しい記憶に自らを蝕んでいる他者の記憶の残滓から得る事でどうにか自我を維持出来るようになった。
だが それは大半が小さな憂鬱のようなものばかりでありR氏は悪夢からは開放されたが今度はとても長い時間膨大な他者の憂鬱の中で過ごさなければならなくなったのだ。







 少年が眠る永い夜

少年が生まれた世界では足は空から降って来るものだった。
もちろんそれは作り物の足ばかりだったが少年にはそれが神が造ったものとしか思えなかった
少年の村の多くの人達には足が無くて空から降ってくる足が無ければ満足に歩く事さえできなかったからでそんな事を理解して村人の願いに答えられるのは神しかいないからだ
神はきっとなにかの手違いで予め与え損なった足を後から送ってくれているのだと少年は考えていたのだ。


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少年も物心ついた頃から片足が無かったがそれについて特に苦痛に思う事は無かった。
だから足が欲しいと思った事は無かったのだがある時父親が少年の為に足を持って来たのだ
それは深夜月の明かりに照らされるようにして夜空から降って来た
だから誰にも気づかれず父親はそれを自分のケープに隠して家に持ち帰ることができたのだ
その足は金属でできていて不格好であまり好きになれなかったがそれでも少年は持って来くれた父と神の為にその足をつけた。
だが足はなかなかうまく少年の体に馴染まなかった。
歩くのには酷い痛みに耐えねばならなかったし暫くすると接合部の皮膚は擦れて腫れ上がり化膿し始めたのだ。
それでも神からの授かり物でありいつかは本当の足になるものと少年は思いその苦痛に耐え続けていた。
だがやがて腫れ上がった接合部から崩れ始めた少年の血肉が金属の足と癒着し外せなくなると少年は熱を出して動けなくなってしまった。
彼は小さなベッドに寝かされて時間の大半をそこで過ごすようになったが医者を呼べる程のお金がなかったので父親と母親が交代で看病を続けていた。
少年の生活の殆どが少年の夢の世界へと変ったがそこでは少年は自由で融合した新しい足を使って砂の荒野を走っていた。
少年は行きたかったあらゆる場所に行き鼠や蜥蜴を追いかけた。
風が舞う崖の下で父親が作ってくれた凧を飛ばし隣の痩せた犬と遊んだ。
杖をもった老人をからかい露店に並べられたパンを盗んで食べた。
でも 現実の世界ではベッドに横たわり寝返りさえ満足にうてないような状態だったのだ。
病状は日に日に悪化していてそれに不思議な事だが少年は足に侵蝕され始めていた。
太ももの先についていた筈の足はいつの間にか付け根部分に迄達していてそれは足が少年を食べているようにしか見えなかった。

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だがそうなってさえ足を外す事ができず父親は村の長老の1人でありウラマーでもある老人を呼んで少年を見せた。
老人は3日間をかけて足を調べあげ 
「これは普通の足ではない 途方も無い知識と技術をもった者が造った物でこれを外す事は私にはできない だがこれが着いていればこれが着いている間この子が死ぬことは無いだろう」
少年は夢の中で過ごす時間がだんだんと長くなりそれにあわせるように足に取込まれて行った。
それに対して抗う方法は無く父親も母親もただ少年が生きていると言う事だけで満足するしか無かった。
そうだ それでも息子は生きていて夢の中とはいえ自由に暮らしているのだ。そのことを誰が非難出来ると言うのだ。
少年が足をつけてから大凡3年が経過して少年は家中が見渡せる明るい壁に吊るされていた。
そこからならいつでも父親か母親のどちらかを見る事ができるし窓やドアもみえるから天気のいい日なら少年が好きだった遠い瓦礫のような山も見る事ができる。
夢の中で少年は鳥のように自由でその山の頂きにも何度か訪れていた。
自分の現在の状況もわかっていたがそれは大した苦痛ではなかった。
少年の意識はいつでも自由に飛びまわる事が出来てそれが彼にとっての現実そのものだったからだ。
もう足と頭部だけの存在となりすっかり軽くなって壁に吊るされていたが 起きている僅かな時間の間でさえ少年は自分の事を不幸だとは考えていなかったのだ。


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去年に引き続き 初台のZaroffで個展を開催致します。
2月6日から24日までという長めの会期になります。
午後12時より午後8時迄
毎週水曜日はお店がお休みですのでお間違えのないようにお願いします。

今回は会場音楽に ブルースシンガーのナカヒラミキヒトさんをお願いしました。

今から3年程前に知合いの踊り子に連れられて上野の骨董市に魔王と遊びに来てくれたのですがその時にCDを頂いてそれがすっかり気に入って一度無理をお願いして私の企画した展示でライブをやって頂いたのですがそれを聞いているうちに彼の夜が見えたように思えたのです。




7日には ナカヒラミキヒトライブが午後6時より始まります。
料金は2000円会場には15人程度しか人が入れないので予約制になります。
「夜明けの晩」午後6時(1ドリンク付き2000円)開催。03-6322-9032 ザロフ 石井




今回のテーマは 月の夜 です。

夜の中の出口としてあるような月が照らす夜なのであり

その出口として月が示すものは

輝く明日などではありません。

夜の向こう側に辿り着くということなのですが夜の向こう側にあるのは朝ではないのです。

夜の向こう側にあるものは夜の先に用意されたものであり

月は其所へ向かえる唯一の出口のように思えるのです。





人種 思想 宗教 言語 習慣 等の差異があったとしても一緒に構築していける世界であることが一番大切な要件であり社会的弱者を救済し保護する為に政府が存在するというのが一番望ましい国家形態でありそれは現代の世界の原則でもあるのです。

これは私個人の考えと言うわけではなくて人類と言う種の未来を考えれば当然行き着くべき帰結なのです。

私達の迎える未来はその本質において不確定要素そのものでありなにひとつ約束されたものなど存在しません。

それに対応し種として生き残る為にはあらゆる可能性を用意する必要があり同時にそれはあらゆる状況を受け入れて適応して行かねばならないことを意味しています。

これはよく勘違いされていますが生物にとっての生存の本質は弱肉強食ではなくて適者生存なのです。

人類は本質的に集合して集団を形成し社会というものを構成して生きています。

単一の高等生物がこれほど繁栄した事はこの星の歴史においてもはじめてのことですがそれはこの社会というシステムが常に流動的に変化してより広範な適応力を持ったからとも言えるのです。

そのシステムは人類の発明した道具というものの発展から近代工業へとつながり爆発的な経済の発展は人口の増加とその生存の為により複雑な社会システムを生み出しました。

そうやって社会システムが作り上げられる中で確実に弱者を保護する為の福祉という社会システムが形作られて行きました。

これは社会的に弱者であったとしてもどういう可能性を秘めているかは誰にも判断できないからです。

その為人類は弱者を含めたあらゆる可能性を未来に託すという方法論を選択しそれが現在の福祉というシステムになっています。

現時点の殆どの国家ではどんな形にせよ福祉というものが存在するのは人道的理由は勿論ですが(その概念を持つ事が重要なのですが)本質的には不確定的要素に対しての集団で生きる生物の基本的な戦略なのです。

つまり基本的に目指すべき世界は決まっていて最終的には国家というものすら存在の意味を無くす事になります。

過去の戦争をひも解いても 現在の戦争やその原因をみても多くは利権というもののための戦争であってそれを起こすのは基本的にそう言った利権にぶらさがっている権力者利権者達でありそこに暮らす民衆は戦争に駆り出され彼らの為の殺し合いを強要されます。

ヨーロッパを長きに渡って支配して来たカソリックでは 人を殺すな 盗みをするな 姦淫をするな 神の前には人は平等であるという教えのもとに 王 貴族 法王というとんでもない特権階級を作り出し 聖地巡礼という名目のもとに中東で戦争を続け多くの血を流しました。

騎士道という言葉はこの頃生まれますが 騎士というのは貴族等の特権階級しかなれず彼らは鉄板で覆われた鎧で身を守り安全な馬上から兵士を指揮しました。

騎士の持つ武器は武器と言っても鎖のついた鉄の玉や棍棒でどれも必殺の武器ではありません。

つまり彼ら騎士同士はお互い殺し合わない事を前提とした存在で鎧はあくまでも身を守る為であり馬にも鎧にも紋章をいれた飾りをつけるのは捕まっても貴族なら身代金を払えば命を奪われずに帰してもらえるからなのです。

実際に殺し合いをさせられるのは農民からかり出された人達ですが彼らも生涯農場で馬車馬のように働かされて死ぬよりもまだ戦場にでて手柄をたて出世する糸口を掴むか 戦場であらゆるものを略奪し強姦し彼らなりのいい思いをするほうがいくらかでもマシと考え兵士になっていったのです。

十字軍の正規兵達はいくらかでも宗教的理由で参加していたのでしょうがそのなかでも縁故に拠る差別は横行していました。

往時ヨーロッパは宗教戦争という名目で休みなく戦争を続けていましたがその本質はそれぞれの王家の領土の(領民をも含めた)奪い合いでありそれぞれが大義名分をつける為に宗教を味方につけようとしました。

その結果カソリックの本山であるバチカンのローマ法王は強大な富と権力を持つようになり逆に王達をコマのように扱い自身の権力の更なる強化を図るようになりました。
13世紀から17世紀のヨーロッパはそう言った状況のなかで際限なく戦争が繰り返され国境が変化する世界だったのです。

当然ですがここで一番悲惨な目に遭うのは農民達であって戦争のための重い年貢と戦時には男手がかり出され殺し合わされるという状況に陥っていったのです。

共産主義で宗教を否定するのは彼らが唯物論者であり神が物質的に証明出来ないからでもありますが 宗教が本質的に常に政治的にその国の国民を支配洗脳するための道具として使われごく一部の宗教者を除き大半が権力者と迎合もしくは自らが権力者として民衆を洗脳支配するという状態になっていたからなのです。

私は共産主義者ではありませんが歴史的にみてもシャーマニズムなど原始宗教は別としてユダヤ教 キリスト教 イスラム教 仏教についてはそういった役割を果たしてきているし現在も変わりないと考えています。

こういった構造のなかで抑圧され搾取され続けて来た国民は自らの不満のはけ口をユダヤ人など社会的弱者にぶつける事で解消しようとします。

基本的には階級制が存在する社会は差別構造をもった社会でありそれぞれの階級のつながりと縛りは現在の私達には想像出来ない程強いものでした。

突出した才能を武器に貴族達の後ろ盾を得て芸術家になるか 戦争で手柄をたてて出世するか 法曹界に入り身を売ってでものし上がるくらいしか階級から逃れるすべはありませんでした。

だが農民が学問を身につける事は非常に難しく経済的にも極度な貧富のある世界であり17世紀くらいまでの特権階級を除く殆どの人達は狭い住居にすし詰めのような状態で暮らすのが普通でした。

学校に通えるだけでもそれは裕福な家庭の子弟達でありそう言った人間達がまた特権を確保して行ったのです。

産業革命等によって経済が発展するまでは経済的な限界がありその限られた経済的利権をどう分配するかというための階級社会であるため階級制度は血筋によって受け継がれその境界が壊されることはなかったのです。

それは全て頂点にたつ権力者達の利権を守るためであり彼らがより大きな富を求めるならそれは他国への侵略行為しかなかったのです。

16世紀になり大航海時代がはじまるとその矛先は アジア アフリカ アメリカ大陸へと移行して行きます。

当時火器を知らない人間達に対しごく少数の軍隊が国家を制圧し植民地として支配し搾取し続けたのです。

その中での人間の支配にもキリスト教は有効に活用され現代の感覚では狂信者としか思えないような熱心な神父達の手によってもとあった宗教や文化習慣は根本から破壊されて行きました。

結果として経済や産業 文化が発展したという見方もあるでしょうが結果として残されたものは現在でも残る内戦の火種にもなっているのです。

17世紀から18世紀にもなると科学が発達し教会の政治への影響力は随分と弱まり大航海時代の交易によって発達した経済力を身につけた商人達が資本家としての道を歩み始めます。

彼らは利益優先のためにあらゆるものを食いつぶす白蟻のような存在でもありやがて宿主の国家さえもゆるがし結果王や貴族など旧体制の権力者を意のままに操れるようになり必要とあれば旧体制を倒して国家そのものを刷新し動かすようになりました。

19世紀になって産業革命が成立する頃になると彼らは国家そのものを後ろ盾に圧倒的な軍事力と経済力により過酷で狡猾な植民地支配を進行させていきました。

そしてアジア最後の砦であった大国中国さえもがイギリスの支配下に置かれます。

第一次世界大戦の実質はヨーロッパの植民地の争奪戦といっても過言ではない状況だったのです。

その国家を動かしていたのは当時の資本家達とそれに繋がる国家官僚達王族達でした。当時は強力な軍事力を背景にした帝国主義がヨーロッパ列強の国家システムでありその軍備で潤った重工業が更に新しい殺戮兵器を作り出し戦場に送り出しました。
最初に毒ガス兵器という大量殺戮兵器が作られたのも戦車や飛行機が登場したのもこの戦争からでそれまでの戦争とは規模も被害者の数も桁違いに増え900万人以上の戦死者をだしました。

結果ドイツは国家が破綻するレベルの戦時賠償を要求されロシアはレーニンが指揮するボリュシュベキによって倒され社会主義国家になります。

この人類初の社会主義国家の成立はマルクスの唱えた人類の理想的な形態である共産主義単一国家への過程であり世界革命を前提とするものだったので共産主義運動はヨーロッパだけではなくアジアアフリカ南アメリカ中国日本にも影響を与え拡大して行きます。

その影響が一番端緒に現れたのが戦争の賠償金で疲弊し切ったドイツ国民でした。

ですが同時に国家主義と民族主義を鼓舞しトゥーレ協会という神秘主義団体や右翼組織を背景にしたナチスが誕生し突撃隊という警備団を組織。

彼らは活発に社会主義共産主義運動を攻撃しました。

当時ドイツの労働者階級の指導者であったローザルクセンブルクは反革命義勇軍(フライコール)によって逮捕され惨殺されました。

このフライコールのメンバーには後のナチ幹部が多く含まれています。

‘(ローザとリープクネヒトは1919年1月15日にベルリンでフライコールに逮捕され、数百人の同志と同様に2人とも殺害された。リープクネヒトは後頭部を撃たれて身元不明の死体置き場へ運ばれ、ローザは銃床で殴り殺されて近くの川に投げ捨てられた。ローザの死体は6ヶ月ものあいだ放置され、拾い上げられたときには識別困難であったという。その後、遺体はナチス政権により暴かれて所在不明となってしまった。2009年5月、ベルリンのシャリテ病院で身体的特徴がローザのものと一致する首の無い遺体が発見され、現在調査中[1]だと報じられた(ナチスによる墓暴きもこの時に判明した)。
日本は当時立憲君主国家であり不平等な選挙権が施行されるまだ民主主義国家とはほど遠い存在でしたが共産主義運動は活発化しておりそれは民主主義への扉を開くものでもありました。
当時の日本の国家権力は社会主義に対してはまだ寛容なところがありましたが共産主義は徹底して弾圧され1923年に起きた関東大震災には在日韓国人朝鮮人が暴動を企み水源に毒を投げ入れたとのデマが意図的に流され自警団によって多くの朝鮮人韓国人が虐殺されました。その正確な数は今もって不明ですが2000人とも3000人とも言われています。
(軍・警察の主導で関東地方に4000もの自警団が組織され、集団暴行事件が発生した。そのため、朝鮮人だけでなく、中国人、日本人なども含めた死者が出た。朝鮮人かどうかを判別するために国歌を歌わせたり、日本共産党員で詩人の壺井繁治の詩「十五円五十銭」によれば、朝鮮語では語頭に濁音が来ないことから、道行く人に「十五円五十銭」や「ガギグゲゴ」などを言わせ、うまく言えないと朝鮮人として暴行、殺害したとしている。また、福田村事件のように、方言を話す地方出身の日本内地人が殺害されたケースもある。聾唖者(聴覚障害者)も、多くが殺された。
横浜市の鶴見警察署長・大川常吉は、保護下にある朝鮮人等300人の奪取を防ぐために、1000人の群衆に対峙して「朝鮮人を諸君には絶対に渡さん。この大川を殺してから連れて行け。そのかわり諸君らと命の続く限り戦う」と群衆を追い返した。さらに「毒を入れたという井戸水を持ってこい。その井戸水を飲んでみせよう」と言って一升ビンの水を飲み干したとされる。大川は朝鮮人らが働いていた工事の関係者と付き合いがあったとされている。また、軍も多くの朝鮮人を保護した。当時横須賀鎮守府・野間口兼雄長官の副官だった草鹿龍之介大尉(後の第一航空艦隊参謀長)は「朝鮮人が漁船で大挙押し寄せ、赤旗を振り、井戸に毒薬を入れる」等のデマに惑わされず、海軍陸戦隊の実弾使用申請や、在郷軍人の武器放出要求に対し断固として許可を出さなかった。横須賀鎮守府は戒厳司令部の命により朝鮮人避難所となり、身の危険を感じた朝鮮人が続々と避難している。現在の千葉県船橋市丸山にあった丸山集落では、それ以前から一緒に住んでいた朝鮮人を自警団から守るために一致団結した[19]。また、朝鮮人を雇っていた埼玉県の町工場の経営者は、朝鮮人を押し入れに隠し、自警団から守った。)

このどさくさにまぎれるかのようにして憲兵大尉だった甘粕正彦がアナキスト大杉栄と内縁の妻伊藤野枝、大杉の甥橘宗一の3名が不意に憲兵隊特高課に連行、憲兵隊司令部で殺害し、遺体を井戸に投げ捨てるという事件が発生しています。
裁判になりましたが主犯で実際に大杉 伊東を殺害した甘粕には懲役10年(→恩赦減刑2年10ヶ月)と状況からみても非常に軽い処分に終わりました。
これ以降日本は坂を転げて行くようにファシズムの道に走って行くことになります。

ナチスの軍服がヨーロッパで否定され旧日本軍の軍服が否定されるのは敗戦国だからという理由だけではないのです。

彼らの背景に在るものが 「断種法」や民族浄化等に代表される社会的弱者への徹底したレイシズムであり それによる虐殺行為だったからです。どういった理由があるにせよ ホロコーストによって何百万人もの罪なき無抵抗な人々を殺してしまった事実は時間が経ったからと言ってぬぐい去られるものではありません。
言論の自由を奪い表現を規制し自身の権力強化と保身の為に他者の財産や生命を奪う軍隊の制服はそういった行為をシンボルとして代表するものなのです。
日本軍は大東亜共栄圏の名の下にアジアのヨーロッパ植民地からの解放をうたいアジアに進撃しましたが現実には日本人があらたな植民地支配者になっただけのことでした。
戦況が悪化するとまず軍官僚達は逃げ去り補給路を断たれ孤立した部隊は武器どころか食料さえなく殺した敵兵や死んだ仲間の肉を食べていたと言うのは戦後あまねく知られていた事実なのです。
なかには下級兵を冤罪に陥れそれを理由に銃殺して皆で食べたという事実さえあったのです。(映画 行き行きて神軍)
これは戦死者230万人のうちの6割ちかくが餓死だったという当時の軍部官僚(特に陸軍省)無能さ高慢さを端的に現す事例なのです。

戦争中は欲しがりません 勝つまでは!の号令の元にあらゆる表現にたいする規制が行われ敵性言語であるからと英語の使用が禁じられジャズすら聞けないおろかしい環境だったのです。
戦争に異を唱えると非国民と呼ばれ場合によっては特攻警察に捕まえられ最悪な状況下では獄死させられてしまうというケースさえありました。
作家の小林多喜二が戦争反対を唱え共産主義運動に加担していたところから獄中で殺された事はあまりにも有名な話です。
物資が枯渇する中紙さえすべて軍部の管理する所となり作家は文章が書けず画家も絵を描きたければ戦争画を描くしかない時代だったのです。
当時のこの国の画壇は積極的に戦争勝利の為と率先して協力しましたが戦後になって多くは糾弾されることになりました。
反面当時戦争に反対する事は投獄と刑罰を覚悟の上の事であり多くはそのまま徴兵され戦地で命を落とすか、投獄され拷問にも等しい取り調べに耐えるかだったのです。
食べるものもなくいずれは本土決戦があり竹槍などで米軍と戦う事を強要され男達の大半は戦場に送られ子供達は学校に行く代わりに軍事工場で勤労奉仕という名目で働かされていたのです。
それを支えていたのは隣組という相互監視システムで愛国婦人会と憲兵隊が協力関係で不平者達を取り締まっていました。
戦時中だれもが嫌がっていたのがこの愛国婦人会と憲兵隊で食べるものさえままならない状況のなかようやく手にいれたまんじゅうを子供にあげようとしているところに愛国婦人会と憲兵が土足であがりこんできて「贅沢は敵です!」とそのおまんじゅうを取り上げたという話を聞かされた事があります。
今の北朝鮮の国家体制を非難出来るような国ではなかったのです。
(しかも戦後になってようやくあのイヤな愛国婦人会を見る事もなくなったと安心していたら今度は米軍のMPと一緒に現れて平和で民主主義の国を作りましょうと言い出したので心底うんざりさせれらたという話を国立歴史博物館の戦時体験聞き取り調査で聞かされたことがあります。
これは当時の官僚達も同様で終戦時A級戦犯として捕まえられていた政治家官僚の多くが復帰して政府の要職についています。)
そのなかでとにかく特権階級で当時の公家たちでさえ食べるものには困窮していたときにさえ幹部出張には必ず陸軍省の息のかかった料亭での接待があり彼らは国民の困窮等どこ吹く風だったのでした。
彼らは本土決戦の名の下に多くの航空機 兵器 食料 物資等を温存し人々が困窮に喘ぐ中でさえ特権を欲しいままにしていたのです。
彼らは作戦に失敗すると更にそれを上回る無謀な作戦をたて犠牲を増やして行きました。
無謀な作戦の積み重ねによって戦線が分断され孤立した小部隊単位でジャングルに取り残されなんの物資支援も得られる事なく飢餓と病に倒れるような環境になってさえ降伏する事さえ許されずあげくは刀と銃剣で突撃し玉砕をさせられたのです。
これは同時に軍作戦司令部の証拠隠しにもなっていました。

東京大空襲 広島 長崎の原爆投下はなにをどう言い繕うが一般人の大量虐殺行為以外のなにものでもなく30万人もの人間が焼き殺されました。
ナチスのホロコーストを遥かにしのぐ人類史上最大の虐殺行為ですが戦後非難される事はなく第一次佐藤内閣は東京大空襲を立案したカーチス・ルメイに対し勲一等旭日章を与えています。
佐藤栄作はA級戦犯として拘留されていた岸信介(東條英機内閣の大東亜戦争開戦時の閣僚の一人でした終戦に際し彼が尽力したのは事実だが戦後アメリカの政策に呼応して統一教会本部やその関連団体「国際勝共連合」等にも非常に協力的である事も知られている)の実弟なのです。

そんな国の軍服を誰が喜べるというのでしょうか?
戦争が終わったばかりの時にこの国の殆どの人は軍服を廃棄して違うものに作り替えるか納屋の奥に仕舞い込みそのまま忘れてしまうかのどちらかの場合が殆どだったのです。
ですが70年と言う時間が経過し戦争をする人も少なくなり現在の政治的都合から奇妙に美化正当化されているように思えてなりません。

コスプレとして来て街を闊歩するにはあまりにも重い歴史を背負った服である事を忘れないで欲しいと願います。
この軍服をただカッコいい特攻した人達は英雄だからと美化して着てしまえるのならそれは歴史を検証し事実をきちんと認識せず奇妙なヒロイズムにとらわれた馬鹿者のすることだと私は考えます。
確かに戦争に行った多くの人達はこの国の家族や大切なものの為に闘ったのだと思いますがそれをコントロールして殺し合いをさせたのはこういった政治家官僚達であって本当はそういった事実がつまびらかにされ公の場できちんと議論されていたらもっと違う結果になり犠牲者の数も相当違っていたはずなのです。

現在多くの史実が都合よく解釈を変えて公開されていてウィキペディアの記事も変更されつつあります。

阿部政権は飾り物だと私は考えています。

現実には戦前の亡霊達が(実際にその子孫達が総理大臣を歴任していて阿部総理もその血脈の1人なのです)この国を ぼちぼちほとぼりがさめたなぁ 反攻勢力もなんとか力を削ぎおとしたしと手ぐすねをひいているようにしか思えないのです。


憲法9条を改正し徴兵制をひく 彼らが守りたいのはこの国の誇りや民族性やましてやこの国に暮らす人達の生活などではありません。

先祖伝来引き継いできた自分達の特権を守りたいだけなのです。

戦争は人類が作り出した最悪で最低の悲劇でそれの犠牲に供されるのは言葉巧みに操られた無辜の民なのです。

戦争を決してヒロイックに描く事も考える事もやるべきではありません。

戦争は当事者にとってはただただ悲惨で残虐なものに過ぎないという事実を忘れないで欲しいと思うのです。