R氏の憂鬱 | マンタムのブログ

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この世にタダ一つしかないカタチを作ろうとしているのですが出来てしまえば異形なものになってしまうようです。 人の顔と名前が覚えられないという奇病に冒されています。一度会ったくらいでは覚えられないので名札推奨なのでございます。




R氏の憂鬱

R氏は商人だった。

彼が商うものは記憶だ。

記憶をなくしたい人間と記憶を失った人間の間に入り必要な記憶を売り買いする事が彼の仕事だった。
世の中にはどれだけ多くの富を得ようともそれによって澱のように溜まった受け入れがたい過去を抹消したいと願う人間や多くの愛情を得たがそれに応える事が出来ず愛を棄てようとする者。
何かの拍子で記憶をなくしてしまった者。
年老いて記憶を逸してしまう者。
記憶とは積み重ねられた過去から現在への系譜であり自我そのものであってそれを無くす事はただの器になることでありR氏は器に必要な水を注ぎその器のあるべき意味を為す者だった。
氏の商売は成功し富を得たが同時に大きな問題が存在した。
R氏は記憶を一度自身に取込んでそこから依頼者に移すと言う方法をとっていたが彼の中には人々の様々な記憶の残滓のようなものが少しずつ蓄積されていたのだ。

それは一つ一つをみれば小さな妬みや嫉み反感や嫉妬のようなものだったが沢山の小さな虫にたかられるように若い頃から徐々にR氏は蝕まれその結果彼は気がついた時にはとても深刻な状態に迄追い込まれていたのだ。
肉体と言うものは所詮器に過ぎず自我とはその容れ物を操る本来は全く別の存在だ。
人は肉体の成長とともに自我が発達すると考えているが本当は肉体と言う器の中で蓄積された記憶の集合体から生み出されるものが自我であってそう認識することで初めて出し入れが可能になるのだ
R氏は太古にその事実を発見し
その為の技術を何十代もかけて造り上げた一族の末裔にあり本来は決して外に出すべきではない技術で商売を始めたのだ。
だがそれを弾劾するものはいなかった。
彼の一族は既に彼1人を残すだけだったのだ。
だからR氏がどれだけ苦しんでも彼を直せる人間は何処にもいなかった。
彼に染み付いた多くのあまり歓迎できない記憶は彼の器である肉体にも影響を与えていてやがて自分の姿さえ維持出来なくなっていった。

体は古いガラスのように崩れ始めR氏は仕事どころか屋敷から出る事さえ出来なくなっていたのだ。
崩れて行く姿を誰にも見せたくなくてたくさん居た使用人達にも暇をだした。
R氏は先祖から受け継いだ大きな屋敷にただ一人で残されたそう多くない時間を過ごすようになったのだ。
既に顔は虫に食い荒らされた古い木壁のようであり指ももうあまり残っていなかった。
食事等は特に必要のない体になっていたので一人でもなんとか生活はできたが何をするにも大変な努力と集中力を要した。
家族もいなかったし自身の死に対する後悔や恐れのようなものはなかったがそれでもこのまま壊れるように消えて行くのには忸怩たる思いがあった。
少なくともこの死は必然的な結果ではなく寿命等というものとはほど遠いものだったからだ。
回避出来るものなら回避したいと願ったのだ。
方法は無いわけではなかった。
先祖から代々受け継がれて来た膨大な資料の中にその為の対策として壊れた体を棄てて一時的に記憶を用意した違う容れ物に託し適当な肉体が手に入ったらまたそこへ移せば良いと言うものがあったのだ。




つまり記憶を封印して残すというものでそれは記憶の為の箱のようなものだろうとR氏は考え実際そうはなれた考えではなかった
だが資料には記憶を残すだけのものとありそれが今ある自我と同様のものが残せるかどうかはわからなかった。
それでもこのまま体が崩れて行けば記憶は体から零れ四散し二度と元に戻る事はないだろう。
だからといって箱にうまく記憶を納めたとしても一体誰が次の体を用意して元に戻してくれると言うのだろう?
そこで彼は遺書を書き使用人の中でも特に信頼していた中年の執事に送った。
それには屋敷や財産を移譲する代わりにいつか心を失った人間を見つけて自分の記憶を移せるようにその手順や方法 道具や香料の使用法等も詳しく書き記しておいた。
これがあてになるかどうかはわからなかったがそれでもやらないよりはいいだろう。
R氏はそれでようやく決意を固め慎重に手順をふんで箱の中に記憶を移した。
箱の側面には在りし日のR氏の肖像画を貼付け箱のなかのオウムガイに大変な苦労をして記憶を封入していった。



オウムガイは3億年前からこの星で生きて来た生物であり内部には細かく区切られた浮力を得る為の部屋がありその構造は他に例を見るものはない。
この細かな部屋が記憶を混ざらないように封印するにはとても都合が良かったのだ。
やがてR氏の記憶は箱に収められオウムガイは青く光り始めた。
R氏は遺書を受け取った執事が約束を果たしてくれるかどうかを考えたがそれは無意味なことだった。
彼は既に貝の中に封じられていて外の様子は何一つわからないのだ。
それにもう決断して実行した事を今更悔やんでも仕方が無いし執事がどれだけ誠実であれ彼が生きている間に都合の良い肉体が見つかる保証等なにひとつないのだから。
それでもこのままチリのように消えてしまうよりは良いと判断したのではないか。
そう考えるといくらか気も楽にもなったが結局排除出来なかった記憶の残滓達は悪夢となって日々R氏を蝕んだ。
起きているのか眠っているのかさえわからない状態で彼は自身の広大な記憶の荒野を彷徨っていた。
それは際限なく繰り返される日常でもあれば突発的で非現実的な崩壊する世界でもあった。
その中で翻弄され氏はようやく気がついたのだ。
結局これは体を失ってしまった事で自我が閉塞し自身が自我に囚われてしまっているからだと。
記憶から発生する自我は肉体があることで得られた新しい記憶により活性化しようやく前に進む事ができるのだ。
R氏はそれに気づき結局新しい記憶に自らを蝕んでいる他者の記憶の残滓から得る事でどうにか自我を維持出来るようになった。
だが それは大半が小さな憂鬱のようなものばかりでありR氏は悪夢からは開放されたが今度はとても長い時間膨大な他者の憂鬱の中で過ごさなければならなくなったのだ。