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まんなかスピリチュアル。

霊能者・占い師の鑑定体験談。
スピリチュアルな情報や体験談。
この世への疑問や考察など載せていきます。

反省は猿でも出来る、なんて言葉があります。


僕は猿と暮らしたことがないので、猿がどこまでの知能や理知、感情を備えているか知りませんのでそこのところの事実は知る由もないのですが、今回は反省と後悔の違いについてです。


反省とは、自分が犯した過ちについて、どれほど他人を傷付け、取り返しのつかないことをしてしまったのか。

それについてどう償っていけば良いのだろうか、という態度のことを言います。

文字通り、自分の行為を振り返り、省みることです。

ですから、本当に『反省』しているのであれば、二度と同じ過ちは繰り返さないはずです。


これに対して『後悔』とは、例えば泥棒が警察に捕まってしまい、しくじった、もっとうまくやればよかったと思うようなものです。


そこには自分以外の他人の立場や気持ちは不在です。

きっとそういう人は、捕まるリスクさえ無ければまた同じことをするでしょう。

そこには自分のやった行為に対して省みる態度が存在しないからです。


浮気を繰り返して彼女や奥さんを泣かせてばかりいる人などはその典型ではないでしょうか。

中にはもはや後悔すらしていない人もいると思いますが。笑

浮気に関しては色々なケースがあると思うので、何でもかんでも批判するわけにはいかないと思いますけどね。


あとこれは個人的な体験からなんですが、以前ある職場で、いつも仕事をさぼっている後輩がいました。

ずっとぺちゃくちゃ口ばっかり動かして何もしないので、後から冷静に、なるべくきつくない言い方で注意したところ、落ち込んで泣きそうな顔になりました。

こういう人は全く、何の反省もしてないと見て間違いありません。笑


お前がさぼったぶんこっちにしわ寄せ来てて、泣きたいのはこっちなんだけど、なんでお前が落ち込んで被害者ぶってるんだと。笑


本当に悪いと思って『反省』したのであれば、まずすみませんの一言と、そこからさぼったぶん以上の仕事をするなりとやるべき事分かるはずなのですが、その後輩は一日中落ち込みっぱなしでした。

いや今そんなのいらないから。笑


昔からずっと同じ過ちを繰り返すという人は、自分の反省が足りないと思っているかもしれませんが、それはそもそも反省をしていないからかもしれません。


世の中、感じなくても良い罪悪感に苦しんでいる人もいれば、もっと反省したほうが良い人もいて、ままならないものだなと感じます。


自分自身もそうですが、あなたの周りの人達をよく観察して、口では反省しているような素振りを見せていても、それは反省だろうか、単なる後悔だろうかと、よく分析してみると、よりその人の本質を見抜く手がかりになると思います。


そういう目で人を見てみてはいかがでしょうか。

罪を犯した人のみならず、罪を犯させた者も同じく罪をつくる


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はじめ、世の人間のほとんどがそうであるように、これには少しばかり抗議したい気持ちも一瞬湧き上がりましたが、しかし正しいのかもしれないと思いなおしました。


例えば、詐欺にあった人。


この人が詐欺に遭わなければ、詐欺師は詐欺師たりえなかったでしょう。


例えば大金の入った財布を道端に放置した人。


この人が財布を落とさなければ、それを拾って盗む人もなかったかもしれません。


そんなのは無茶苦茶だ、と思うでしょうし、それは僕もわかります。


でもあなたがもし家も食べるものも着るものもなくもう三日も食べてない状態だったとして、そこにお金があったら、あなたはそれを絶対に自分のものにしないと神に誓って断言できるでしょうか。


そして、それを正直に届けて、おとなしく餓死するのが絶対に正しいのでしょうか。


極端な例を出して申し訳ないのですが、僕が言いたいのは、決して自分が被害者になろうとしていただきたくないということです。


人間は、そんなに強い人ばかりではありません。むしろ世の中には、出る杭になるのを怖がって周りに同調している人ばかりであることがそれを証明しているのではないでしょうか。


最近は自分だけが被害者だと思いたい人が多すぎます。


さらに、被害者という立場がいかに自分を有利に立ち回らせるかをよく熟知しており、それを卑劣な手段として行使する人達もたくさんおられます。


自分はこんなに傷付けられた、どうして自分ばっかりこんな目に、といつまでも自分を被害者と思いたい人は、大抵、自分が人を傷付けることに無頓着なものです。


本当に自分に原因がなかったかどうかを心から深く内観したとき、自分が潔白だと言える人はそうそういないと思われます。


長くなりましたが、冒頭のメッセージは、世間的には被害者に見えるような人も、実はカルマを作っていることもある、ということです。全てではありません。


自分にひどい言葉を吐いた人がいたとしたら、自分にも原因があるかもしれません。


もしそうならば、言った人もカルマを作り、言われたあなたにもカルマが出来ます。




では、そうなった場合、どうすれば良いか?


心の中で、相手にカルマを作らせたことを謝り、そして、その心が癒されるように、その人が光に包まれるさまを思い描き、祈ってください。


これを、聖書などでは『赦し』と呼んだのかもしれません。


そして、この時本当に赦されるのは、あなたのほうなのです。これはやってみれば解ります。


これを実験する方法がありまして、例えば電車のなかでもカフェなどでもいいですが、イライラしていたり喧嘩している人を見かけたら、その人に対して同じように心の中でお祈りしてみてください。


みるみるその人の態度がやわらいでいけば、うまくいった証です。これはあなたの心の波動がその人の波動に影響を与えて鎮め、癒すからです。


あまりにも怒りを感じる相手にはこれをやるのは難しいと思います。僕も難しいです。笑


でも、これをやるのは厳密には相手の為というより、自分の為といえます。


あなたはこれをすることにより、そういう相手とのカルマを断ち切り、また相手のカルマをも断ってあげることができるのです。


ここで、何故相手のカルマなどを癒してやらなければならないのか、と思う方もおられると思いますが、そこであなたの魂は良いカルマを積み、いつかあなたに良い波動として返ってくるということがひとつ、もうひとつはあなたの怒っている相手は、いつかあなたの意識とひとつになる時がきます。


そうなると、あなたとその人という分離という幻想は無くなってしまうため、その人のカルマはあなたのカルマであると気付くからなのです。


そうすると、結局いずれはやらなければいけない宿題であると気付くことになると思います。


あなたは自分に愛を注いだのですから、あなたに返って来るのは当然なのかもしれません。




受け取った印象のまま書いたので理屈が通っていないところがあっても責任は取りません。m(_ _)m笑

まだ仕事中ですが、投稿。笑


数週間前、ある記事のアクセスが跳ね上がったので、その原因に嫌な予感がしたので昨日調べていたところ、どうやらある口コミ掲示板にて僕の記事を紹介してくださった方がいたことを、今日の朝方知りました。


その方は中立的な意見で皆さんの参考になると思って、皆さんを想って紹介してくださっていたようなのですが、結果は、僕はそこの住人の怒りに対してくべられた薪のような役割を果たしておりました。笑


僕は数百あるうちの投稿のわずか一部分を指して、しかし特定すると非難されているように感じるであろうと思い、「悪口(を書いている人は、悪口)を言うのではなく、冷静に書きましょう~その方が読む人のためになると思います」というような事を書いたのですが、見事に噛み付かれてしまいました。笑

ほとんどの方は淡々と、自分の身に起こった事を書いてあるもので、とても参考になるものでしたが、一部の悪口をただ楽しんでいたり、被害者の大義名分をただ振りかざしていたずらに非難しているようなものもあったので、その自覚のある人が噛み付いたのでしょう。


ちょうど、街中で「あ!あの人太ってる!」と誰かが大声で言ったら、太ってると自分で思ってる人だけが不愉快になるようなものです。

もっと言えば、太ってるのを悪い事だと思っている人が不快になるんですけどね。


そういう意味で、僕がここでできることはないなと、即座に悟りました。


またそういう匿名の掲示板の常なのですが、誰かが言い出した意見の尻馬に乗って、全く同じ内容を、そうだそうだ!とばかりに書き込む人も案の定出ました。

これって、いじめっ子とやってる事変わりませんよ。陰湿です。同じ事言わなくても一度言ってくれれば解りますから。

初めに言った人は良いけどね。

ここでは僕が悪口を言わないと誰も納得しないし、またそんな人たちに好かれようとも思わないからです。

なかには優しい方もいらしたので、残念ですが…


でもこれは未熟な人間である僕が、人様を批評したことへの報いのように感じました。

今回の件は、人は人を判断する権利はないのかもしれないな、という気持ちを新たにする結果となりました。


霊視などのレビュー記事は、本物を求めている人達へ役に立つだろうという思いで書き始めましたが、悪口を求めてる人には悪口だけが心地よく、それ以外の事は悪なのだと気付きました。

そして、悪意しか受け取らないのだなとよくよく理解しました。


怒りと憎しみしかない人にとっては、赤ん坊や猫ですら暴力の対象なのと同じなのかもしれません。


他にも僕が良いと思える能力者のレビュー記事を書こうと思っていましたが、やめておこうと思います。


やはり人はそれぞれ自分の見る眼、感性に責任を持つべきなのかもしれません。


逆に言うと、他人は責任を負えないからね。


自分の記事が人の批判に使われるのが嫌なので、既に書いたレビュー記事は一般非公開にしようと思います。


また気が変わったら載せるかもしれませんが予定はありません。

小さいころから宇宙が好きで、どんなおもちゃにも興味のない、本当に無趣味な子供だった僕が、初めて本当に欲しいと思っておねだりしたものが、宇宙の図鑑でした。


難しい理論は解らないけど、宇宙の不思議さ、偉大さを子供ながらに感じていたような気がします。


そして、よく眠る前に宇宙について思いを馳せていました。


馳せすぎて、よく眠れなくなっていたのですが、今思えば何でそう思ったのだろう、というような考えをたくさん持っていた気がします。


例えば、


自分がこの世で何かをしたら、それによって、宇宙のどこか遠い場所で何かが起こる


とか、


宇宙の外側って何だろう。何も無いってどういうことだろう


とか、


宇宙は誰かの体の一部じゃないだろうか


と、今考えてもわけが分からなくなってふて寝したくなるような事をいつもいつも考えていたと思います。


最後のやつに関してはどこかで何かの影響を受けた可能性もありますが…いずれにしても小学生低学年くらいの子供が考えるにはあまりに無謀な考えの数々。


当時、歳の離れた兄弟の持っていた、うしろの百太郎(懐かしい)なども読んでおり、スピリチュアル(当時はそんな言葉はなかったと思いますが)や不思議な話を好きになったのはこのあたりに起因していそうです。


いずれはスピリチュアルな考えが科学で証明されると思っていましたし、UFOが消えるのは幽霊が消えるのと同じだと感じていて、それがうしろの百太郎で示唆されていたのを見て、自分の考えと同じだ、と思っていたのを覚えています。


それから中学になった時は催眠術が流行っていて、僕もそれにハマり、色んな書籍を買って読んでいるうちに、ハイヤーセルフなどという存在がいるという事を知り、これって霊的な世界の話とリンクしているのではないか…などと疑問を感じ始め、友達に催眠術を試したりと、とても一般的に健全な中学生とは思われないであろう時代を過ごしました。

当時はある程度催眠を本当にかけられるようになっていて、人間というのは不思議だな~と思っていたと思います。


本当は退行催眠までできるようになりたかったのですが、一般の書籍でそこまで技術を高めるのはさすがに断念しました。


今に至るまでに、それから色々なものに探求の手を伸ばして怪しいこともいくつかしていましたが(笑)そこは端折ります。




そんななか、スピリチュアルな書籍に手を出し始めて、人間はいつか根源に還るために肉体に宿って旅をしているという。


う~ん、一体なんのために?


そこからまた科学で、量子力学なる魅力的な分野の情報が日本でもたくさん見られるようになり、そっちにハマる。


そうすると、パラレルワールドの話にぐっと心を持っていかれました。


パラレルワールドという無限の可能性があるなかで、今僕がここにいる地球という星の、この世界にいる。


3つくらいしかないなかで、しょうがなく選んだのなら、まだ解る。


でもいくらでもある可能性のなかから、ここを選んだ。


それは、たまたまでは説明がつかないだろう、と感じたのでした。


ここを選んだ理由が"絶対に"ある。


でも、それを選んだのは誰だろう?


スピリチュアルな書籍によると、それは本当の自分であるとか、それを内包するより大きな自己だとか、根源の意識だとか、そもそも意識ですらないもの…といった話になり、頭で考えるのをやめました。


そして直観的に、


根源に還ったあとは、また宇宙をやり直すのではないか


と、たぶんそうだったらいいなくらいの意識で思っただけだと思いますけどね、思いました。笑


この世のあらゆる体験を携えた意識が、その意識を保ったまま根源へと還る。


そして、それをふまえた新しい宇宙を創る。


そうしたら、つい数日前に存在を知った、上江洲義秀さんという方の書籍を買って読んでみたら、それに似たような記述があって、またぞろ嬉しくなったのでありました…


これは、僕がすごいだろ~という自慢ではなく、探求の先輩方によって無意識のネットワークが地球の人の意識に影響したためだろうと思っています。


ユングでいうところの、集合的無意識とでもいうのでしょうか。


百匹目の猿現象と同じですね。


と、いうことは、同じ事を思っている人がどんなに少なくとも他にも数万人規模でいるはずだと思いました。

もっといると思いますけどね。


まあ最近のスピ界にはうといから、スピ界では常識になってるのかもしれないけどね。


そんな話が載ってる本とかあったら読みたいので誰か教えて欲しい。m(_ _)m





※これは僕の妄想カテゴリなので、誰に読ませるつもりも特に無く、情報の整合性やソースも特にありませんので、苦情も受け付けません。


もともとストレス解消のために開設したブログなので。大して誰も読んでないだろうし。笑


間違って迷い込んでしまった人のために念のため。

その出来事の意味は、その出来事によってあなたがどう感じたかにある。


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というのが今降って来たので一応メモ。


例えばアパートの人が壁ドンしたとします。


あなたは恐怖を感じるかもしれません。


もしくは罪悪感を感じるかもしれません。


悲しくなるかもしれませんし、怒りを感じるかもしれません。


あなたがどう感じるにせよ、あなたなりの反応があると思います。


その反応のために、その出来事が起こるのです。


つまり、その出来事自体に意味があるのではなくて、あなたがそう意味付けするであろう出来事があなたに起こったのです。


それを読み解いていけば、あなたに必要なメッセージが解るでしょう。


これを書けと言われた気がしたので書きました。これを読む誰かの役に立つのでしょう、きっと。m(_ _)m