スピリチュアルな関係のお仕事、例えば霊視やヒーリングなどをお仕事にしている方々がいらっしゃいます。
そういう人にほぼ必ずといっていいほど付いて回る言葉、
「スピリチュアルな事でお金儲けっていやらしい。がめつい。」
といった声。
スピリチュアルな話題が好きな人なら一度は目にしたことがあるかもしれません。
スピリチュアルな事をやたら神聖に見ていたりする人に多いですね。
例えば江原さんなどが下ネタひとつ言っただけで過剰反応して、
「んま~!あんな人だとは思わなかった!下品!不潔!最低!」
などと言っているような人も似たような部類です。(笑)
でもお金取るなっていうことは、その人に生きるの辞めろって言ってるのと同じことなんですけど、分かってますか??
霊能者やヒーラーだって肉体を持って生きているという点で皆さんと同じです。
霞食って生きられるような仙人か妖怪の類ならそれもいいのかもしれませんけど。(笑)
じゃあそうやって大層ご立派な発言をしているあなたはお仕事をしても、お給料を貰わずにボランティアでやってるんですよね?
まさか自分がやってもいないことで他人にイチャモンつけたりなんてしてないですよね?だってそんなの筋が通らないもんね。
と、こういうの見るたびいつも思ってます。
こういうスピリチュアルに対して潔癖すぎるというか、アレルギーを持っている人は結構いる気がします。
実はこういう人は、志が高いとも言えます…こうあるべき、というこだわりが強いのです。
ですが、別の記事でも書きましたが、
完璧主義であるということは、心が狭いと同じ意味です。
許せない事が単純に多いというだけのことです。別に全然偉いことでも何でもありません。こういう人は少しくらいズボラになったほうが良いのです。
完璧主義が過ぎると、自分自身もつらくなります。
自分の失敗を許せなくなったり、高すぎる理想と自分とのギャップに絶望します。
そうしてますます自分が嫌いになり、否定的になり、そして他人を攻撃しはじめます。
そういう人が、上記のようなアレルギー反応を引き起こします。
それに、お金を払うことは、実は自分のためだったりもします。
こんな話があります。
あるアメリカでスピリチュアルなセミナーをやっている方がいました。
その人は、お金の無い人もセミナーを受けられるようにと、無料でセミナーを受けさせたりといったことをしていました。
ですが、無料でセミナーを受けている人は、ほとんどといっていいほど、真面目に話を聞かなかったり、または聞いたことを実行しなかったりと、全く身につかず無駄にしている人がほとんどでした。
人は無料で何かを得ると、大切にしなかったり、それに価値を感じられなかったり、見出そうとしなくなったりするものなのです。
日本にもあぶく銭という言葉があります。
苦労せずに得たものは大切に出来ないというのは、人間の共通の性質としてあるのかもしれません。
もちろん全てがそうではないのでしょうが。
あとはエネルギー交換の面から見ても、相手から何かを得た場合、対価を払った方が良いでしょう。
昔の商売人は、お店が儲かった時は近所の皆にご馳走したり、紅白饅頭を配ったりしていました。
それは商売人の厄落としだったのです。
良いことのあとには悪いことがある、というのを昔の人はよく理解していたので、厄が来る前に、ご馳走したり利益を分配することでそれを防いだのです。
きっと妬みや嫉みなどを防ぐような意味合いもあったのでしょうが、生活の知恵だったのですね。
このように、何かをしてもらいっぱなしの人は、その時は自分だけ得をしたような気になっているかもしれませんが、結局どこかでツケを支払うのです。
それだったら、お金として対価を支払うのは自分のためであると言えるでしょう。
そもそも、人をがめついだの卑しいと言っている人は、成果だけ受け取って自分はお金を払いたくない、損をしたくない、自分だけ得をしたいと思っている自分こそが、最も卑しい人間であるとまず最初に思い至るべきだと思いますが、いかがでしょうか。
と言っても限度はあります。
除霊に数十万払えだとか、あまりに法外な料金を取るようなものはまずまともな人間ではありませんから、そこは理性を働かせて「おかしい」と思うべきです。
困っている人から脅して大金を貪るような人のほうに悪霊ついてんじゃないの、と思うくらいの理性は持っていないといけないと思います。
ここまで書いておいてなんですが、僕はスピリチュアルな商売する気もありませんし、そういう方々の擁護をするつもりもありません。
そもそも霊能者とかヒーラーなんてほとんど詐欺師みたいな人の方が多いと思いますし、必要なければそれに越したことはないと思います。
でも真心をこめてやってらっしゃる本物の方もたくさんおられると思うので、そういう人達が少しでもこういう事を言われなくなるようになれば良いと思います。