罪を犯した人のみならず、罪を犯させた者も同じく罪をつくる
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はじめ、世の人間のほとんどがそうであるように、これには少しばかり抗議したい気持ちも一瞬湧き上がりましたが、しかし正しいのかもしれないと思いなおしました。
例えば、詐欺にあった人。
この人が詐欺に遭わなければ、詐欺師は詐欺師たりえなかったでしょう。
例えば大金の入った財布を道端に放置した人。
この人が財布を落とさなければ、それを拾って盗む人もなかったかもしれません。
そんなのは無茶苦茶だ、と思うでしょうし、それは僕もわかります。
でもあなたがもし家も食べるものも着るものもなくもう三日も食べてない状態だったとして、そこにお金があったら、あなたはそれを絶対に自分のものにしないと神に誓って断言できるでしょうか。
そして、それを正直に届けて、おとなしく餓死するのが絶対に正しいのでしょうか。
極端な例を出して申し訳ないのですが、僕が言いたいのは、決して自分が被害者になろうとしていただきたくないということです。
人間は、そんなに強い人ばかりではありません。むしろ世の中には、出る杭になるのを怖がって周りに同調している人ばかりであることがそれを証明しているのではないでしょうか。
最近は自分だけが被害者だと思いたい人が多すぎます。
さらに、被害者という立場がいかに自分を有利に立ち回らせるかをよく熟知しており、それを卑劣な手段として行使する人達もたくさんおられます。
自分はこんなに傷付けられた、どうして自分ばっかりこんな目に、といつまでも自分を被害者と思いたい人は、大抵、自分が人を傷付けることに無頓着なものです。
本当に自分に原因がなかったかどうかを心から深く内観したとき、自分が潔白だと言える人はそうそういないと思われます。
長くなりましたが、冒頭のメッセージは、世間的には被害者に見えるような人も、実はカルマを作っていることもある、ということです。全てではありません。
自分にひどい言葉を吐いた人がいたとしたら、自分にも原因があるかもしれません。
もしそうならば、言った人もカルマを作り、言われたあなたにもカルマが出来ます。
では、そうなった場合、どうすれば良いか?
心の中で、相手にカルマを作らせたことを謝り、そして、その心が癒されるように、その人が光に包まれるさまを思い描き、祈ってください。
これを、聖書などでは『赦し』と呼んだのかもしれません。
そして、この時本当に赦されるのは、あなたのほうなのです。これはやってみれば解ります。
これを実験する方法がありまして、例えば電車のなかでもカフェなどでもいいですが、イライラしていたり喧嘩している人を見かけたら、その人に対して同じように心の中でお祈りしてみてください。
みるみるその人の態度がやわらいでいけば、うまくいった証です。これはあなたの心の波動がその人の波動に影響を与えて鎮め、癒すからです。
あまりにも怒りを感じる相手にはこれをやるのは難しいと思います。僕も難しいです。笑
でも、これをやるのは厳密には相手の為というより、自分の為といえます。
あなたはこれをすることにより、そういう相手とのカルマを断ち切り、また相手のカルマをも断ってあげることができるのです。
ここで、何故相手のカルマなどを癒してやらなければならないのか、と思う方もおられると思いますが、そこであなたの魂は良いカルマを積み、いつかあなたに良い波動として返ってくるということがひとつ、もうひとつはあなたの怒っている相手は、いつかあなたの意識とひとつになる時がきます。
そうなると、あなたとその人という分離という幻想は無くなってしまうため、その人のカルマはあなたのカルマであると気付くからなのです。
そうすると、結局いずれはやらなければいけない宿題であると気付くことになると思います。
あなたは自分に愛を注いだのですから、あなたに返って来るのは当然なのかもしれません。
受け取った印象のまま書いたので理屈が通っていないところがあっても責任は取りません。m(_ _)m笑