大崎市にある理容室 床屋ダンキ経営:阿部万亀雄 -288ページ目

続々・いきなりの出遅れで・・・1月2日

とこやのネタ帳 2日はラジコン友達と石巻へ行きました。ラジコンと言っても色々な種類がありますが1/10電動カーです。

 私自身年間何回ラジコンを走らせるかと言えば5、6回くらいでしょうか?時間が無いということを言い訳にして2008年はなかなかラジコンが出来ませんでした。何度かサーキットに行った事はあるのですが、ドリフトサーキットは初めてです。主に空き地で適当に走らせて壊して終わり・・・その中でドリフトっぽいことはたまにするのですが、ろくにラジコン雑誌も読まずセッティングもままならないままクルクル回って終わってました。

 それではいかんぞ!!と新年一発目のラジコン、そしてサーキットはドリフト専用サーキットとなりました。昨夜のお酒が抜けていない私は友達の運転の下ボーっとしながら目的地まで一緒に行きました。ありがとうTさん!!持つべきはラジ友です。
 
 さて、ラジコンサーキットに到着するや、少し離れたところからでもシャーシャー、ギャーギャーと言うドリフトのしている音(?)が聞こえてきます。コースを見ると先に来ているお客さんたちがドリフトをしています。
『み、みんな上手だ・・・』お客さんのドリフトを見ただけで自信を無くしてしまい、走りたくなくなりました。ところが、気さくな店長さんと気さくな常連さんの後押しもありバタバタとセッティングを済ませすぐにコースイン!!

 そして、そこでも新年の出遅れが・・・
 

店舗開店まで②

とこやのネタ帳 私が物心付く頃にはよく親に言われていました。『店は継がなくていいよ』と。

 当時私はまったく意識していませんでしたが、学生時代のアルバイトがきっかけでサービス業に興味を持ち、理容師として働くことを決めた時には特に反対はされなかったのです。まぁ、後々ヘアサロンへの就職を考える頃には、どうやら親はこの職に就かせたくなかったのか色々別な仕事を斡旋(?)されましたが・・・。

 そんな形で理容師になり、そろそろ第二の理容師人生を歩むべく次の仕事場を考えます。私は基本的に保守的な正確なので冒険はしません。従って、まったく行った事の無い、住んだことの無い場所で仕事は全く考えていませんでした。

従って、学生時代住んでいた神奈川県も良いなー。やっぱり実家に帰って仕事しようかなー。

そんなときに先程の、親の一言です。

『店は継がなくていいよ』

もちろん保守的な性格の私に『起業する』という道はマインドコントロール(?)されてある程度で、起業独立は過去に誰かが通ったであろう獣道のようにうっすらとしか見えておりませんでした。
さらに、ヘアサロン勤務中も技術的なことに関しては、勉強、練習など行ってきましたが、こと『経営』の文字は皆無でした。
 結局、神奈川で勤務していてもいずれは実家へという気持ちが強かったので実家から通える距離での起業を目指しました。その後は、やることなすこと全て初めてで時間はあるようでない、オープンまでの期間は融資や、店舗デザイン、従業員の獲得などあっという間に過ぎていき、断片的な記憶しか残っておりません。

 それなのにお話は続く・・・のだろうか

店舗開店まで

とこやのネタ帳-DANKI看板 当店は、平成17年7月1日にオープンいたしました。今年で5年目になりますが、店舗開店のきっかけは何だったのでしょうか?

 どんな事業を立ち上げるに当たっても言えることですが、自分の信念、熱意のようなものは必要ですね。ただし、それだけよりもっとあるべきなのはタイミング、いわゆる時代や経済などの社会事情を上手に咀嚼した上での踏み出す環境ではないでしょうか?

 しかし、そんなことを言いいながら私が店舗開店にいたるきっかけを言うと・・・

 まず、自分での時間的な目標がありまた。○○歳までに店舗を開店するということです。理容師になる年齢が他の人より遅く、就職当初から劣等感がありましたので、何としても追いついて、他の人より早く行動するぞ!!と。もちろん私は天才でも超人でもありませんので、その意識が途切れることもありました。ただ、出来るだけそのモチベーションを維持しよう、そして高くしようと自分を追い込んでいたことは確かです。
 その他のきっかけと言えば、やはり周りの後押しです。ヘアサロン勤務中はよく店長に自分で店を持てるように頑張れ!とか店を出したほうが良いぞ!とか漠然としていましたが、半ばマインドコントロールのように(?)私の脳に浸透していきました。

 そして、理容師である親からの言葉がが私がヘアサロンを開店するための『踏み出した第一歩』となったと思います。

 親 『うちの店は継がなくて良いから』
 私 『えっ!?』


 続く・・・のかな?