(1980年西武ファンブックより)
田淵の魅力は、大きなアーチを描いてスタンドへ打ち込むホームランにある。
昨シーズンは27本で終わってしまったが、移籍1年目ということもあって、パ・リーグのピッチャーをよく知らなかったためだろう。
今年は早くも、「ホームラン王は外人にはわたさない」と挑戦状をたたきつけた。
おとなしい田淵がきっぱり言い切ったのだから、よほど自信があるのだろう。
今シーズンは指名代打でいくことがほぼ決まっているが、シーズンを通して安定した力を発揮するために、十分に走り込んだ。
自主トレ初日から参加したのも、プロ入りして初めてのことだが、キャンプでもホテルへ帰るバスを途中で降りて、若手と一緒に海岸線を走って帰ったほどである。
今シーズンにかける意気込みが感じられるとともに、ライオンズの主砲として、先頭に立って引っ張っていこうという自覚が備わった。
【1980年の田淵幸一】
西武在籍:2年目(34歳)、背番号22
打撃成績:123試合、440打数117安打、打率.266(リーグ26位)、43本塁打、97打点、3盗塁
前年アキレス腱痛に悩まされ、実力を十分に発揮できなかった田淵に対して、チームは怪我の負担を減らすと同時に打撃に集中できるよう1980年は指名打者に専念させることを決めた。
開幕から4番・指名打者で起用されたが、最初の4試合は14打数1安打と奮わなかった。
田淵の不調は深刻で4月16日には打順を5番に下げた。
打順を5番に下げて以降、3試合連続で安打を放つと4月19日対ロッテ戦では3安打、3打点と活躍。
4月23日には4番の座に返り咲いた。
4月24日対南海戦で開幕から16試合目でようやくシーズン第1号を放った。
翌日にも2試合連続となる本塁打を放った。
4月29日にはWヘッダー第2試合の対ロッテ前期5回戦(宮城球場)、1回表に仁科時成から左越先制2ランを放ちプロ通算350本塁打を記録した。
5月以降田淵の打撃の調子は一気に上昇。
5月10日~12日に3試合連続の本塁打。そのうち11日と12日の対近鉄戦は2試合連続で2本塁打を放ち、3試合で5本と量産した。
6月27日対南海とのWヘッダーでは2試合とも本塁打を放ち、1日で4本塁打という快記録。
本塁打は、5月、6月ともに8本ずつ放ち、打率は4月終了時には.224と低迷していたが、6月終了時には.296まで上げてきた。
前半戦は、打率295、24本塁打と好数字を残したが、オールスター戦への選出はならなかった。
【1980年名場面】
1980年4月29日 ●西武2-6ロッテ○
田淵選手、通算350号本塁打を放ち、王選手のスピードを抜く
仙台球場でのロッテ戦ダブルヘッダー第2ゲームで、田淵選手は1回表、仁科投手から先制の3号2ランを打つ。
この本塁打は通算350号。
数々の本塁打記録を持つ王選手よりも速いスピードで達成した。
(仙台球場:観衆2万2千人)
次回「1980年 田淵幸一 Part.2」へつづきます。
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