「1979年 田淵幸一 Part.4」からのつづきです。
【1979年の田淵幸一】
西武在籍:1年目(33歳)、※阪神から移籍、背番号22
成績:107試合、100安打、打率.262、27本塁打、69打点、0盗塁
根本監督とのマンツーマンの特訓で完全に復活した田淵はその後も好調をキープし続けた。
特に9月は、打率.364、10本塁打、17打点の好成績を残した。
10月に入るとその勢いはやや鈍ったが、10試合で打率.306、1本塁打、9打点をあげた。
最終的に1979年のシーズンは、期待された打撃で100安打、27本塁打の成績を残したものの、前半戦の不調が響き前年の阪神在籍時の数字をいずれも下回った。
それでもアキレス腱痛を抱えながらもシーズン終盤は何とか意地を見せることができた。
【1979年名場面】
1979年9月13日(木) ●西武5-10近鉄○
田淵選手、今季最大のアーチで8年連続20号
8回裏、田淵選手は井本投手から中越え本塁打を放ち、8年連続(通算10度目)で20号の大台に乗せた。
この20号は電光掲示板横に飛び込み、ライオンズ球場での今季最大のアーチというおまけつきだった。
(西武球場:観衆2万2千500人)
【1979年当時の広告】
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次回「1979年 田淵幸一 Part.6」へつづきます。
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