西武ライオンズタイムマシーン(第306回):1979年 田淵幸一 Part.3 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年 田淵幸一 Part.2」からのつづきです。

 

【1979年の田淵幸一】

西武在籍:1年目(33歳)、※阪神から移籍、背番号22
成績:107試合、382打数100安打、打率.262、27本塁打、69打点、0盗塁

 

5月後半にようやく復調の兆しを見せ始めた田淵だったが、6月に入っても打撃の成績はなかなか上がらなかった。
そんな中、6月後半になって田淵を本来の捕手として起用し始めた。
6月16日対南海戦の途中から西武移籍後初めてマスクをかぶった。
するとその事が気分転換になったのか、翌日は指名打者での出場だったが、11号、12号の2本塁打を含む4安打、5打点と大暴れした。
6月19日対近鉄戦で移籍後初めて捕手として先発出場を果たすと、6月21日対近鉄戦でも捕手として先発出場し13号本塁打を放った。
その後7月下旬までのほとんどの試合で田淵が捕手として先発出場し続けた。
前半戦は、打率.250、15本塁打、40打点で終え、監督推薦でオールスターゲームにも出場した。

 

【1979年名場面】

1979年6月25日(日) ○西武5-3ロッテ●
前期最終戦で田淵選手が満塁逆転アーチ

8回表、2死満塁のチャンスに代打として登場した田淵選手は、ロッテの仁科投手の初球をレフトスタンドに打ち込む14号で、試合を逆転した。
これまで7本の満塁本塁打の経験があるが、代打では初。
(川﨑球場:観衆1,500人)

 

次回「1979年 田淵幸一 Part.4」へつづきます。

 

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