西武ライオンズタイムマシーン(第305回):1979年 田淵幸一 Part.2 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年 田淵幸一 Part.1」からのつづきです。

 

【1979年の田淵幸一】

西武在籍:1年目(33歳)、※阪神から移籍、背番号22
成績:107試合、382打数100安打、打率.262、27本塁打、69打点、0盗塁

 

西武へ移籍1年目となった1979年は、4月7日対近鉄との開幕戦で4番・一塁手として初出場。
新生・西武ライオンズの初代・4番打者として名を連ねた。
しかし、開幕から10試合終了時点で打率.091、本塁打ゼロと4番の役割をまったく果たせずチームも開幕から黒星だけが続いた。
開幕11試合目にようやく第1号本塁打が出ると4月終了までに4本と本塁打こそ出始めたが、打撃の調子は一向に上がらず、5月7日にはスタメン落ちしてしまった。
慣れない一塁手の守備がうまくいかず、初体験となる指名打者も準備や調整に戸惑いがあり不振の原因とされた。

5月17日対日本ハム戦で4月25日以来のとなる久々5号本塁打が出ると翌日、翌々日と3試合連続で本塁打を放った。
5月24日対阪急戦では、1試合2本塁打を放ちようやく復調の兆しが見え始めた。

 

【1979年名場面】

1979年5月24日(木) ○西武10-6阪急●
田淵選手、闘病少年に約束の連続ホームラン

「よかった、約束がはたせた」と田淵選手はほっとした表情を見せた。
というのもこの日、田淵選手は手術間近い5歳の少年とホームランを打つ約束をしていたからだ。
しかも8、9号の連発で対阪急戦初白星を飾った。
(西宮球場:観衆1万9千人)

 

次回「1979年 田淵幸一 Part.3」へつづきます。

 

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