とても身辺が慌ただしい日々です。
父も母も、歳を経つつ変わり続ける、生きてるってことだ。
一方で変わらないところもある、それが彼らだ。

私はそんな彼らに昔から覚えるいらだちを未だに覚えつつ、
自分はいつまでも変わり続けられるだろうか、と自分に問いかける。
彼らに問いかけ続けた以上、自分にも問わねばなるまいよ。

以前二十歳になる前だったか、急激に日本から脱出したい衝動に駆られたことがあった。
それは何かを捨てたいということをも意味していて、
私はそれが逃げのように思えて、まず日本で宿題をすべて終えてから、
そんな風に思った気がする。

日本では勉強も真剣にしたし、自分の今居るところで、そこがどんなに惨めで辛い場所でも、全力を出し続ける、ということも学んだ。
かつてそんな時間を過ごした場所がいま次々に終焉をむかえつつある、という知らせが今年様々に入ってくる。そして、家庭でも、父と母の時代が静かに終焉を迎えようとしている。
すべては過去のこと、になりつつある、今
再び、日本を脱出したいという心境がしばしば私を襲う。

勉強にも努力にも半ば膿んで、気力がなかなか出なかった日々が続いていたけれど、
去年の終わりあたりから、急激にまた学ぶ気力が頭をもたげてもいる。

そういう時期なのかもしれない。

あの頃と違うのは、選択肢が無限に広がっているようで、何も選べなかった私はもういないということ。今の私は、これだけを人生の道連れに、というものが、すでに定まっている。

いや、わからないね、もしかしたら明日にはそれさえも露と消えるのかも知れない、とは思う、
でも最後の瞬間までそれを道連れに出来たことが、きっと私は嬉しいだろう。

人は去っていく、時代は移り変わっていく、
けれども自分の中には不動点があって、静かに無機的にすべてを見つめている。

今度旅立つのは、何かを捨てるためではない、のは確か。
行くときはすべてを持って、旅立つよ。



タイトルと全く関係ない日記ね!(笑)
告知はメッセージボードをご覧くださいませ。そして、世にも不思議なアラブ音楽を是非聞きにきてほしいです。

20歳くらいに感じていた、壮絶な孤独感が久しぶりに戻ってきたような気がする、今日この頃、
あのころは辛かったけれども、久しぶりに面と向き合ってみると、やぁ、こんなにちゃんと話すの久しぶりだね、
と懐かしいから、不思議。ようやくヤツとも友達になれた、のかも。

こっこっこっ
告知が全く停滞した今月、自分に向かって蹴りをいれる。

年末から年始まで寝込んだ清算に追われ、
なんとか最近収支があってきたような見通し。

何度もこのブログでは書いてますけども、
天体の影響なのか、
それとも、たまたまそういうタイミングが天体の動向に一致しているのか、
今月は一つの終わりとはじまり、という気配濃厚すぎます。

年末~年明けの満月と月蝕。
次の新月で日蝕。
それから占星術的には12年ぶりに魚座に木星が回帰したんだって?(おいらは魚座うお座
さらに今日の月はBlue Moonといって、その月に二回満月があった、その二回めの満月のことをいうのね。

$KyokoOikawa.violin.com-BlueMoon201001-2
$KyokoOikawa.violin.com-BlueMoon201001-1
ケータイのへっぽこ写真では、ほんとに色も青かった今日の月。

コレって盛りだくさんじゃございませんこと?

星座なんてのは、まぁどうなんでしょうね、といわれればそれまでではござんすが、
月の影響については、理論的に考えて、潮の干満ほどにもあるわけで、まぁそんなに無関係といってしまってはいかんだろうと思う。普段は忘れてても、新月と満月の時くらいはそんなことを思い出す。
太陽なんかに至っては、太陽の放射するエネルギーによってコレだけ暖かさを感じるのであるからして、やはり無関係と言ってはバチが当たる気がする。

しかも私は月が嫌いじゃな~い。いやむしろ好き。一ヶ月の間に天体イベントがあると、そんなことを考える機会が多いだけでもハッピーでござんす。

さて、そのbluemoonである本日、そんなタイミングの良い日に、結婚の二次会、といいますか、友人への披露パーティーをした小学校の同級生がおりまして、比較的急な展開でしたがそのパーティーでひとさし踊りと音楽を披露させて頂くことに相成りまして、
今年フューチャーな予感な、その名もなんとtsukinosabakuという踊りと生演奏のユニット三名でお邪魔して参りました。

お祝い気分はあれども、アラブ音楽の演奏も踊りも初めて、という人がほとんどの中でそんなことをさせて頂くのは、とてもよい機会。そういう人たちは普段ライブの情報すら届かないことにいることが多い訳ですからにゃ。
と、思いきや、
去年モロッコに友人と行ってきたんですよ!とか、結婚前は中東が大好きで、シリアとかレバノンとかエジプトとかトルコとか、旅行にいったんですよー!なんていう女子が二人も声をかけてくれまして、
ここはいったいなんなのだ、やはり小学校以来のつながりの末端に私および中東のなにかが結びついておるのであろうか、と思ってしまったり。
そもそも、ダンサーTが昨日今日ととても奇麗なラブラドライトのネックレスをつけていて、それは私とても大好きな石なんですが、
そしたら本日幼なじみである新婦は、挨拶するかしないかのうちにダンサーTとあったとたん「あ、ラブラドライト、私も大好きなんです~」と言ったとか。ラブラドライトってつるっと名前が出てくるあたりからしてかなりニッチなエリアの気配、それを昨日今日のタイミングで数年ぶりにつけたダンサーT、今宵のblue moonに引っ張られたやも知れず、そんな官能力にも天体の影響をそこはかとなく感じてみたり。

余談ではありますがその後二次会におじゃましたらまぁ、新婦の友人の面々のディィィィプなこと、しかもこの人付き合いのそんなに得意でない私がほぼ初対面でなんだか居心地のいい空気感、これまたいったいなんなのだ、
やはり小学校以来の友人は侮れぬ。
というわけで、久しぶりに人との会話をひどく楽しんだ気がする。

面白かったのが、新婦であるKちゃんが小学校のときの私の印象にあげた、
「ピンクのランドセル」
これは先日パーカッショニストI氏の娘さんがランドセルを近々かうことになるという話をした時に、昨年末あたりにもちらっと脳裏をプレイバックしたキーワードだったけども、ここでもう一度、しかも彼女の口から聞いて改めて、これは小さい頃の私の本質を非常によく表している一つの事例であると理解したわけ。

私が親に連れられて数件のデパート等のランドセル売り場をまわったときのこと。
そこにはいずれも赤というより朱色(朱肉の色ね)に近い、かなりきつい感じの色みのランドセルしかなく、
当時の私はどうもこの”警戒色”と六年間おつきあいする気持ちにはどうしてもならなかった。
そこでもう一つ女子の色として唯一選択肢にあったのが、ピンクだったわけ。
本当は、普通に赤い(クラリーノとかの合皮は朱色でなくて赤かったと思う)のがあればそれでよかったの。
なのにその時ピンクしかなかったがために、私は最終的にピンクを選んだわけですよ。
親は一応、「皆と違うといじめられるかも」とかデパートの店員さん共々説得したらしい(じゃ、売り場に置いて売るなっつーの>店員さんよ)が、私はやはりその朱色は無理だったのである。
そんな理由でピンクになったはいいものの、やはり、相当目立ったらしく、よういじめられた。
まぁ、それだけでなく、いろんな意味で人と違っていた、というのが、今日のKちゃんの証言だったのではあるが、(「先生からも、型にはまらない子ということで目を付けるっていうか嫌われそうなタイプ」と彼女はいったが、まーさーにー、先生に嫌われてたと思うわー、その通りじゃっ)
私は別に「目立とう」とか、「人と違うのがいい」とかいうところまでとんがっていたわけではなかったのよ。天然ね。
でも、いじめられたからといって「じゃぁ赤いのにする」とか言うこともなく、そのピンクのランドセルを六年間背負い続けることで、自分が選択したことを自分で責任として引き受ける、なんてことを学んだように思う。自由の代償ネ(笑)

なんていうことを、思わずふりかえれちゃったり、やっぱり一つの終わりと始まりを濃厚に感じるぜよ、今月は。
今じゃピンクはおろか、色とりどりのランドセルがあって、女の子でも水色、とかね。見かけます。
私が本当に自由に選べたら、あのときは赤紫のような、マゼンタ色がよかったな、なんて、そんな姿を見て思ったりする。
でもあのとき天然でピンクを選んでしまったのは、今の自分のルーツの一つ、なのだ、おそらく(笑)


と、いうわけでございまして、blue moon の夜があけて明日は、今日パーティーで客演したメンツ、tsukinosabakuユニットで、祖師ケ谷大蔵のカフェムリウイにて投げ銭のくせに(笑)3ステージもやってしまうという新年特大企画でございます。いや、多分新年じゃなくても、普通に3ステージやるのですけども。
今日はおめでたい席ということで、とびきりおめでたい曲をやりましたけれども、明日はそんなんだけじゃないディィィプなアラブの音楽と踊りを、どっぷりお楽しみいただけます…って、そんなの好きな人、どんな人!?(笑)そんな人に明日会えると思うと嬉しいわ。

日記の最後に、新郎新婦のお二人に、もう一度おめでとう!
新郎さんからは、ご挨拶で仕事および人生の転換期ともいうような、びっくりニュースも出ましたが、
それもきっと、月と☆のお導き。おそらく、すべては新しく、清々しい流れに進むための一つだ!と、思うのでございます。今宵は旧交を温めて昔を顧みつつ、そんな新しい流れの冷たくて気持ちいい水を、皆で月の光のように浴びつつ分かち合う夜、でございましょう。お二人と我々の次の一歩に幸アレ!
幹事のお二人様も、御世話になりました、お疲れさまでした!また呑んで話しましょ~


流れ星月の砂漠
-tsukinosabaku- vol.2

$KyokoOikawa.violin.com-tsukinosabaku2010131


月の砂漠をはるばると、踊り手と奏者が紡ぎ行く物語、第二夜。

@Cafe MURIWUI[祖師谷]
2010/1/31(Sun)
show start: 19:00 (3stages)
カフェは12:00からオープンしております。
No Charge!!(投げ銭)

tsukinosabaku:
Violin : 及川景子
Percussion : 平井ペタシ陽一
Oriental Dance : Tanishq(タニシュク)

カフェ・ムリウイ:
小田急線祖師谷大蔵駅から徒歩約5分/一文書店3F
東京都世田谷区祖師谷4-1-22-3F
Tel:03-5429-2033
http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/

告知したと思った記事が、アップされてない、というか、存在が見当たらぬ!
ドクロ
なんてこった。

というわけで、年明け一発めのライブが終わりました。
くそー…


年明け一回めの日曜日だというのに、けっこう皆様いらしてくださり、
おまけにウードのT師匠までいらっしゃり、
A社の社長ご夫妻も、
いつも来てくださる皆さんも、
今年もどうぞよろしくお願いいたします~

という感じだったのですが、
さっきまでしばらくパソコンの前で惚けていました。
そんくらい疲れた。

今回のための一回めのリハで、パーカッションT兄貴が寝ていて寝返りも打てないという自体に陥り欠席。
その代替え、追加リハを明けて3日に行いましたが今度は私が発熱中。
今日来て見たら、レクのFが手に湿布してて「昨日親指突き指したんすよ」…親指はレクを支える指ではないか。
さらにウードのDにいさんが「オレなんか右手腱鞘炎気味でさぁ」

満身創痍のメンバーで、T師匠もくるとゆーのになんでEntaOmriのロングバージョンとか、とんでもねぇプログラムなんだべ。

いやいやいや、T師匠がたとえいなくとも、
皆が元気一杯でも、
このプログラムは相当ハードル高くて、
わたしゃ正月発熱して寝ながらも、ず~~~~~~~~っと「あそこのアレはどう演奏しようか…」「あそこのイーカーはあれでいいんだろうか…」とぐるぐるぐるぐるしとったような曲です。

このチャレンジはこのメンツで実際二回めだけど、
一回め「とりあえずぶつかってみるか」っていうような気軽さが今回は皆無で、
「いい曲なんだから何としても形にしたい」って最初から皆モティベーションが高くて、
それはいいことなんだろうけども、
やればやるだけ「でもこれでいいの!?」ってかんじでリハが終わり、
今日の今日までメンバー全員がたぶん「う~む…」と思いながら頭をひねっていた(はず…I hope…)わけどす。

一つには、アラブ世界で知らぬヒトのいない「名曲中の名曲」であること、
そして、「歌曲を器楽曲として演奏する」こと、
さらには「カリスマ的大歌手が彼女ならではのスタイルと才能でもって、(しかもオーケストラをバックにして)豊かに肉付けされ、造形された状態で歌った曲を、その絶大な影響力を持つ録音からはなれ、もう一度その曲そのものの骨格に立ち戻って解釈し直す」必要があり(というのも、彼女のスタイルは、歌いながら曲を作り替える、ともいうべき作業によって完成されており、歌と曲が渾然一体となったアレンジなのです)、
そもそも、それらはアラブ音楽という方向性の中で摸索される、
という、
ま~なんつうか…チャレンジ全マシなかんじ…

この状態になる前に、私は、ライブ録音(一曲で一時間くらいある)からす採譜し、整理し直し、という作業をして、一回T師匠、I兄貴とで一曲コンプリートを器楽演奏でチャレンジ。これが三年くらい前。
その後さらにその楽譜をリライトすること、多分四回は越える…
という過程を経てはいる。

あたってくだけろ…ではありませんが、ほんと玉砕しても、
でも弾くしか無い…というような、弾かずにはおれないような曲。
歌詞を読みながら聞いて、まず滂沱の涙。
採譜中にすでに「大それたことに手を付けちまったわ~」とはすぐわかったものの、
どうしてもやらずにはおれず、そして弾けば弾くほど、その音楽への情熱があふれてきて、
そのとき初めてといっていいほど、アラブの音楽を弾きながら血を滾らせた。
そんな曲にであってしまったがために、私はいまアラブ音楽を演奏している、
とゆーよーな、私がこの道にぐっと深く踏み込むきっかけになったような曲でもあり、
その後、意を決して現地に勉強にいった際、
チュニジアで大ホールにお客さんの一斉斉唱(ライブ中にお客さんたちが皆歌わずにはおれなくなってしまったワケ)を聞いて、鳥肌がたった曲でもあり、
アラブバイオリンを手ほどきしてくれたB先生が、机の上に出していたリライト中のその楽譜を見て(考えてみると、このころは最初に書いてからすでに一年は経ってるはずだけど、ま~だ絶賛悩み中で、楽譜をチュニジアまで持っていてあーでもないこーでもないしてたわけだ、ははは。)一緒に演奏してくださり、
「この曲でかならずKyokoのことを思い出すよ…」とお別れの日におっしゃってくださった曲でもあり…

しかしながら、
最初のチャレンジ以降、その曲の一部を様々なところで、様々なメンバーと演奏してきましたが、
「…?」
という感じは拭えず。

今回他のメンバーがよりによって(笑)最後まで演奏したなんていう酔狂なことを言い出すわ、思いのほかこの曲にたいして「なんとか形にしたい」という強いアピールを見せるわ、というわけで、
その今までたまりにたまった「…?」
を、すべて持ち込むようなかたちで(笑)ワタクシ的に再チャレンジ…だったわけですね。

まだまだまだまだ道半ば。
たぶん、次演奏するときはもっともっともっともっと悩むかも。
でも、一緒に産みの苦しみに取り組んでくれ、この機会をくれたメンバーには、なんだか感謝するしかない気がするなぁ。くそぅ…(笑)

そして、ながーい一曲につきあってくださったお客様、本当にありがとうございました。
さー、次はあの曲にチャレンジだぞー!(懲りてない)